CD Import

Toccate & Corenti : Manuel Tomadin(Organ, Cemb)(2CD)

Rossi, Michelangelo (1602-1656)

Item Details

Genre
:
Catalogue Number
:
BRL97248
Number of Discs
:
2
Format
:
CD
Other
:
Import

Product Description


幻想様式(スティルス・ファンタスティクス)による作品も含む曲集

ミケランジェロ・ロッシ:トッカータとコレンテ集(2CD)
マヌエル・トマディン(オルガン、チェンバロ)


【概要】
◆ロッシの代名詞的作品、トッカータ第7番の終盤に現れる半音階的な上昇・下降のパッセージは、聴き手に不協和音の不気味さを印象付けることでも有名。
◆珍しい作品の紹介にも真剣に取り組む鍵盤楽器奏者、マヌエル・トマディンは、もともとはゴルトベルク変奏曲に関する論文で満点を得てチェンバロの学位を取得した人物ですが、音楽家になってからは、手間も暇もかかるマイナー作品の発掘演奏にも力を入れ、ハスラーやエルバッハ、マルティーニなどのレコーディングもおこなっていました。

【収録作品】
◆ロッシの代表作である「トッカータとコレンテ」を収録。師のフレスコバルディの対位法を受け継ぎつつ、ジェズアルドのような極端な半音階技法を鍵盤楽器に応用。
◆トッカータでは突然の転調、激しいリズムの変化、予期せぬ不協和音が交錯し、コレンテではトッカータの緊張を解きほぐすような、優雅でいて時折影を落とす舞曲群も登場。

【演奏者】
◆マヌエル・トマディンは、イタリアのオルガンおよびチェンバロ奏者の中で、現在最も精力的に録音活動を行っている人物の一人。トマディンは歴史的な楽器の調査・保存にも深く関わっており、この録音でも、ロッシの音楽が持つ大胆さに迫るために、調律やレジストレーションに細心の注意を払っています。

【録音】
◆このアルバムでは、作品の性格に合わせてオルガンとチェンバロが使い分けられています。使用楽器はオルガンが、イタリア共和国北西部ピエモンテ州、ノヴァーラ県ベッリンツァーゴ・ノヴァレーゼにある聖アンナ教会のジョヴァンニ・バッティスタ・ガヴィネッリが17世紀に製作したもの。
◆チェンバロはアンドレア・マイオが2006年に製作したジョヴァンニ・バッティスタ・ジュスティ1681年モデルで、収録はイタリア共和国北東部フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、ゴリツィア県ポッジョ・テルツァ・アルマータ村にある聖パオリーノ司教教会でおこなわれています。
【製品仕様】
◆ケースは10mm厚のポリスチレン製(マルチケース)。付属ブックレット (英語・8ページ)には、演奏者のトマディンによる解説などが掲載。EU製で、ディスクはメジャー・レーベルでもおなじみの独オプティマル・メディアが製造。

 関連レーベル

Brilliant ClassicsPiano ClassicsBerlin ClassicsNeue Meister

 使用楽器



 作品情報
 トラックリスト

CD [90'17]

ミケランジェロ・ロッシ(1602-1656)
「オルガンとチェンバロのタブラチュアによるトッカータとコレンテ集」(1657)
17世紀イタリア器楽音楽の変革期に、ヴァイオリンの名手として名を馳せていたミケランジェロ・ロッシは、個性的かつ過激な表現を探求した作曲家でもあり、鍵盤楽器作品やオペラ、マドリガーレなどを書いていますが、現在は主に鍵盤楽器のための作品で知られています。

実は若き日の作品
ミケランジェロ・ロッシの死の翌年に出版されたこの曲集は、通説では晩年の作品とされてきましたが、近年の研究により現存する楽譜の銅版彫版が、フレスコバルディのトッカータ集を手掛けた彫版師ニコロ・ボルボーニ(1591-1641)によるものであることが判明し、ボルボーニの活動期間が1615年から1637年までに限定されていることから、ロッシの作品もこの期間内、おそらく1630年代前半にすでに彫版、あるいは初版の印刷が行われていたと考えられています。つまりフレスコバルディより19歳若いロッシが同時代に活躍し、相互に影響しあっていたということになりますが、この曲集を聴くと十分に納得できる話です。

大胆な書法も含む意欲作「トッカータ第7番」
ロッシはまずヴァイオリンの超絶技巧で有名だったことから、その名技性と情動的なスタイルを鍵盤楽器に投影させたほか、マドリガーレ作曲も得意だったことから、当時導入され始めていた半音階的な書法まで鍵盤楽器に盛りこんだ可能性があります。また、鍵盤楽器奏者としても名声があったようで、その演奏の奇抜さに触れた同時代の文章なども現存しています。

鍵盤楽曲集『トッカータとコレンテ』の構成と作品情報
ミケランジェロ・ロッシの音楽的遺産の中で、今日最も演奏頻度が高く、歴史的にも重要視されているのが『トッカータとコレンテ(Toccate e correnti d'intavolatura d'organo e cimbalo)』です。この曲集は、初期バロックの鍵盤音楽が到達した一つの極点を示しています。

主要収録作品および構成一覧
◆トッカータ 第1番 - 第10番
フレスコバルディ風の断片的なセクション構成をベースに、より過激な技巧を導入しています。
◆トッカータ 第7番 (Toccata VII) トッカータ ロッシの代名詞的作品です。曲の終盤に現れる、延々と続く半音階的な上昇・下降のパッセージは、聴衆に強烈な不協和音の衝撃を与えます。
◆コレンテ 第1番 - 第10番 コレンテ (舞曲) 活発なリズムと軽快な対位法が特徴です。当時のイタリアで流行していた舞曲形式を、高度な芸術作品へと昇華させています。
◆ラ・ロマネスカによる変奏曲 パルティータ (変奏曲) 有名な旋律「ロマネスカ」に基づく変奏曲です。写本として伝えられており、ロッシの即興的な変奏技術の高さを示しています。
◆ベルセッティ (第5旋法) 宗教曲 オルガン演奏のための短い楽曲集です。典礼における実用的な側面を持ち合わせています。

ロッシのトッカータにおける最大の特徴は、和声的な「裏切り」にあります。安定した調性感を予感させた直後に、突如として遠隔調への転調や、激しい半音階的進行を挿入することで、聴き手の情動(アフェット)を激しく揺さぶります。これは、単なる鍵盤楽器の演奏技術の誇示ではなく、当時流行していたマドリガーレにおける「言葉による劇的表現」を、器楽の世界で再現しようとした試みでもありました。この革新的な様式は、後のヨハン・ヤーコプ・フローベルガーらによってドイツやオーストリアへと運ばれ、後のJ.S.バッハに至る幻想様式(スティルス・ファンタスティクス)の源流の一つとなりました。

CD1 [46'41]
1. トッカータ 第1番 [4'06]
ハ長調。華やかなパッセージで幕を開け、模倣的な中間部を経て、重厚に終止。

2. コレンテ 第6番 [1'31]
ト長調。流れるような音型で、軽やかさも際立ちます。

3. トッカータ 第2番 [5'08]
イ短調。憂鬱な性格を持ち、細かい音価の下降音型と、複雑なシンコペーションが特徴。

4. コレンテ 第4番 [1'16]
イ長調。鋭いリズムと、時折見せる半音階的な陰影が特徴。

5. トッカータ 第3番 [5'19]
ホ短調。聖体挙揚のためのトッカータに近い性格。和声的な停滞と、突発的な装飾音の対比が印象的。

6. トッカータ 第4番 [4'54]
ト短調。短い動機の模倣が緻密に積み重なり、建築的な堅牢さを感じさせます。

7. トッカータ 第5番 [5'33]
ハ長調。快活で外向的な技巧が要求される名技的作品。

8. コレンテ 第2番 [1'27]
ニ長調。快活で躍動感があり、跳躍進行が旋律に活気を与えています。

9. トッカータ 第6番 [4'12]
ト長調。明るい色彩。舞曲的なリズムの断片が即興的なパッセージの中に出現。

10. トッカータ 第7番 [5'15]
ニ短調。個性的傑作。終盤における持続的な半音階の滑走に驚かされます。

11. コレンテ 第9番 [2'43]
イ短調。重厚な3拍子。舞曲というよりは、情緒的な小品としての趣。

12. トッカータ 第8番 [5'10]
変ロ長調。ゆったりとした呼吸の中で和声が展開。
CD2 [43'36]
1. トッカータ 第9番 [4'47]
イ短調。トッカータ第2番の憂鬱さがさらに深化。二重対位法的なセクションが楽曲を複雑化させています。

2. コレンテ 第3番 [1'15]
ハ長調。第1番をより洗練させた変奏的な性格。

3. トッカータ 第10番 [6'40]
ヘ長調。最も規模が大きく、華麗なカデンツァを伴う終結部を持ちます。

4. コレンテ 第8番 [1'25]
ト長調。技巧的なパッセージが後半に現れます。

5. トッカータ 第11番 [3'04]
ヘ長調。大胆な転調と大規模な構造を持ちます。

6. コレンテ 第1番 [1'02]
ハ長調。明快なリズムの曲。

7. トッカータ 第12番 [5'58]
イ短調。より古い様式(1620年代)を感じさせる簡潔なトッカータ。

8. コレンテ 第10番 [2'05]
ニ短調。堂々とした歩みの曲。

9. トッカータ 第13番 [4'06]
ニ短調。断片的なセクションが頻繁に交替する作品。

10. トッカータ 第14番 [1'51]
ハ長調。素朴な小曲。

11. コレンテ 第5番 [1'06]
ニ短調。哀愁を帯びた旋律が、トッカータ第7番との情緒的な繋がりを示唆する。

12. ルイージ氏のパッサカリア [3'12]
イ短調。ローマの巨匠ルイージ・ロッシの手による作品。

13. 2つのヴェルセット [1'59]
第5旋法。典礼における歌唱の合間に挿入される短いオルガン曲。

14. コレンテ 第7番 [1'33]
ト長調。素朴で民族舞曲的な力強さを持つ曲。

15. ロマネスカによるパルティータ [3'23]
「ロマネスカ」の低音主題に基づく変奏曲。伝統的な形式の中にロッシ流の装飾が光る作品。
マヌエル・トマディン(オルガン&チェンバロ)
使用オルガン:G.B.ガヴィネッリ(17世紀製作)
使用チェンバロ:アンドレア・マイオ(2006年製作/G.B.ジュスティ1681年モデル)

録音(オルガン):2024年4月17〜18日
場所(オルガン):イタリア共和国、ピエモンテ州、ノヴァーラ県、ベッリンツァーゴ・ノヴァレーゼ、聖アンナ教会
録音(チェンバロ):2024年11月1〜2日
場所(チェンバロ):イタリア共和国、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、ゴリツィア県、ポッジョ・テルツァ・アルマータ村、聖パオリーノ司教教会

 作曲者情報
 ミケランジェロ・ロッシの生涯

 ジェノヴァ時代(音楽的基礎の形成)

ロッシの音楽的キャリアの背景には、スペイン王室への融資により栄えた金融都市ジェノヴァにおける教会音楽の安定した伝統がありました。1602年に生まれたロッシは、当時のイタリア音楽界で一般的だった世襲制の職人コミュニティの中で育ち、叔父のレリオ・ロッシにより音楽家になる道が決定づけられます。
  レリオ・ロッシはセルヴィテ修道会の修道士であり、ジェノヴァの象徴である聖ロレンツォ大聖堂の首席オルガニストを30年以上にわたって務めた人物。ミケランジェロ・ロッシは、この叔父の傍らでオルガンの奏法、対位法、そして当時最先端であった「第二の書法(セコンダ・プラティカ)」の基礎を学んでもいます。
  1616年、14歳の時にルッカへの演奏旅行に同行している事実は、ミケランジェロ・ロッシの実力が認められていたことの証でもあり、1620年には大聖堂の助手に任命されてもいます。

1602年(0歳)
◆ジェノヴァで、カルロ・ロッシの息子として誕生(1601年説もあり)。当時のジェノヴァ共和国は、金融と貿易の中心地として繁栄していました。

1608年(6歳)
◆マウリツィオ・サヴォイアが15歳でパウルス5世により枢機卿に任命。後のロッシの重要なパトロンとなる人物の台頭。

1615年(13歳)
◆ローマでニコロ・ボルボーニ(ボルボーネとも)がフレスコバルディ:トッカータ集の楽譜の彫版を開始(1637年まで活動)。ボルボーニは後にロッシの出版活動に関わります。

1616年(14歳)
◆叔父レリオ・ロッシ(ジェノヴァ大聖堂オルガニスト)と共にルッカへ赴き、聖十字架挙揚の祝日で演奏。これがロッシの記録に残る最初の音楽家活動です。

1618年(16歳)
◆マウリツィオ枢機卿がパリへ赴き、フランス王室との姻戚関係を通じた外交交渉を開始。

1620年(18歳)
◆ジェノヴァの聖ロレンツォ大聖堂で、叔父レリオの助手に任命され、オルガニストとしてのキャリアを本格化。

1621年(19歳)
◆再び叔父と共にルッカを訪れて演奏。ルッカは当時、宗教音楽の演奏が盛んな都市でした。

1623年(21歳)
◆枢機卿マッフェオ・バルベリーニが、教皇ウルバヌス8世として選出。ロッシの後の全盛期を支えるバルベリーニ時代の幕開けです。


 ローマ・トリノ時代(サヴォイア家への奉公)

1624年頃、ローマへ降り立ったロッシは、サヴォイア家のマウリツィオ枢機卿の宮廷という、外交と芸術が交差する最前線に身を置くことになりました。この時期のローマは、教皇ウルバヌス8世のバルベリーニ家が権勢を強めつつあり、あらゆる国々の王室が、枢機卿を通じて教皇庁への影響力を競っていました。サヴォイア家は、フランス王室との強い結びつきを背景に、極めて洗練された文化サロンを形成していました。
マウリツィオ枢機卿の宮廷で、ロッシは二人の決定的な音楽家と遭遇しました。一人は、後期マドリガーレの大家シジズモンド・ディンディアであり、もう一人は鍵盤音楽の巨匠ジローラモ・フレスコバルディです。ディンディアからは、言葉の持つ劇的な感情を音楽に写し取る技法、特に不協和音を大胆に使用する「アフェッティ」の表現を学びました。現在バークレーやモントリオールに残されている32曲のマドリガーレは、この時期のディンディアとの交流、あるいは彼への対抗意識から生まれたものと推測されています。
一方、フレスコバルディとの出会いは、ロッシの鍵盤楽器に対するアプローチを根本から変えたと言えるでしょう。直接的な師弟関係については議論の余地があるものの、ロッシがフレスコバルディの『トッカータ集』の書法を徹底的に研究し、それを土台として自身の独自のスタイルを構築したことは、作品の分析からも明らかです。しかし、ロッシはフレスコバルディの厳格な様式に留まることはありませんでした。彼はそこに、ヴァイオリニストとしての自身のヴィルトゥオーゾ的な感性を融合させ、より幻想的で、時には暴力的なまでの半音階主義を導入したのです。

1624年(22歳)
◆ローマへ移住し、マウリツィオ・サヴォイア枢機卿の宮廷で雇われます。ここでシジズモンド・ディンディアやフレスコバルディと出会います。

1625年(23歳)
◆枢機卿の宮廷音楽家として、マドリガーレの作曲に着手したと考えられます。この時期、ジェズアルドの影響を強く受けた作風が形成されました。

1627年(25歳)
◆ マウリツィオ枢機卿がトリノへ帰還しましたが、ロッシはローマに残り、ヴァイオリニストとしての名声を高めました。

1629年(27歳)
◆ 1月、枢機卿の招きでトリノを訪問しましたが、関係が悪化し短期間で離脱しました。7月までにローマへ戻り、11月からサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会のオルガニストに就任しました(1632年まで)。



 ローマ時代:バルベリーニ家の寵愛とオペラの成功

1630年、ロッシは当時のヨーロッパで最も強力なパトロンの一つであったタッデオ・バルベリーニ公爵の奉公に入りました。タッデオは教皇の甥であり、ローマの世俗的な祝祭を統括する立場にありました。バルベリーニ家は、芸術家を単なる雇い人ではなく、自らの王朝の偉大さを宣伝するための「舞台装置」の一部として機能させていました。
この時期のロッシの活動で最も特筆すべきは、1633年のオペラ『ジョルダン川のエミニア』の成功です。これは、タッソの叙事詩に基づいた壮大な音楽劇であり、バルベリーニ宮殿の劇場で上演されました。ロッシは単なる作曲家としてではなく、自らヴァイオリンを手に太陽神アポロとして舞台に登場し、観衆を圧倒しました。このエピソードは、彼が「ヴァイオリンのミケランジェロ」と呼ばれた所以を象徴しており、音楽の力によって地上の支配者を神格化するという、バロック的スペクタクルの中核を担っていたことを示しています。
このバルベリーニ時代、ロッシは社会的な地位と経済的な安定を手に入れました。彼の給与は月額制で、家族と共に暮らすための住居も提供されていました。この安定が、彼に鍵盤楽曲集『トッカータとコレンテ』の編纂を促したと考えられます。最新の研究では、この曲集の初版は1657年ではなく、この1630年代のローマで既に出回っていたことが示唆されています。彼のトッカータに見られる「大胆不敵な」和声感覚は、バルベリーニ家の自信に満ちた華やかさと、当時のローマに漂っていた知識的好奇心の反映であったと言えるでしょう。

1630年(28歳)
◆ タッデオ・バルベリーニ公爵の奉公に入り、高い給与と住居を保障されました。バルベリーニ家は、音楽を通じた権威の誇示を推進していました。

1632年(30歳)
◆ 息子フランチェスコが誕生しました(1648年の調査記録より推測)。教会のオルガニスト職を辞し、宮廷活動に専念します。

1633年(31歳)
◆ 2月、バルベリーニ宮殿にてオペラ『ジョルダン川のエミニア』を初演しました。ロッシ自身がアポロ役でヴァイオリンを演奏しながら舞台に立ちました。

1634年(32歳)
◆ マザラン枢機卿のパリ行きの随行員としてローマを出発しましたが、途中のレッジョでモデナ公フランチェスコ1世・デステの誘いを受け、モデナに留まることとなりました。



 モデナ・フェッラーラ時代(北イタリア宮廷での活躍)

1636年(34歳)
◆ 息子カルロが誕生しました(1648年の調査記録より推測)。モデナ宮廷にてヴァイオリニストおよび作曲家として活動。

1637年(35歳)
◆ ローマにて『ジョルダン川のエミニア』のスコアが出版されました。この頃、鍵盤楽曲集の初期版も準備されていた可能性があります。

1638年(36歳)
◆ フェッラーラにて、貴族の婚礼祝祭のためにオペラ『アンドロメダ』を作曲・上演しました。音楽は現存しませんが、大規模な舞台であったとされます。

1639年(37歳)
◆ パルマ公オドアルド・ファルネーゼがローマを訪問し、タッデオ・バルベリーニと衝突。後のカストロ戦争への火種となりました。

1641年(39歳)
◆ 第1次カストロ戦争が勃発。タッデオ・バルベリーニが教皇軍総司令官として軍を率いました。

1644年(42歳)
◆ 教皇ウルバヌス8世が死去。後継にパンフィーリ家のインノケンティウス10世が選出され、バルベリーニ家は横領の疑いでフランスへ亡命しました。



 ローマ時代(教皇庁奉職と終焉)

ロッシの後半生は、イタリア半島の勢力図を塗り替えた「カストロ戦争(1641年–1649年)」という歴史的事件と切っても切り離せない関係にありました。この紛争は、教皇ウルバヌス8世(バルベリーニ家)とパルマ公オドアルド・ファルネーゼの間の、些細な儀礼的対立から始まったと言われています。
バルベリーニ家は、カストロの領地を占領し、教皇庁の威信をかけて戦争を継続しましたが、これは多額の戦費と市民の反発を招きました。1644年にウルバヌス8世が死去すると、新教皇インノケンティウス10世(パンフィーリ家)は、バルベリーニ家による公金横領の調査を開始しました。ロッシの以前のパトロンであったタッデオ・バルベリーニらは、追及を逃れてフランスへ亡命する事態となります。
このような「政権交代」の嵐の中で、ロッシがいかにして自らの地位を守り抜いたかは驚嘆に値します。彼はバルベリーニ家の重要人物であったにもかかわらず、1640年代末にはローマへ戻り、あろうことかバルベリーニ家の宿敵であったパンフィーリ家の宮廷に受け入れられたのです。1649年に「侍従」という宮廷職を得たことは、彼の個人的な人脈の広さと、新しいパトロンが彼の音楽的な卓越性を党派的な対立よりも重く見たことを示しています。

1656年のペストとミケランジェロ・ロッシの終焉 ロッシの死が訪れた1656年は、イタリアの歴史において「黒死病の再来」として記憶されている年です。ナポリで発生したペストは、瞬く間に中央イタリアへと広がり、ローマの街を死の恐怖で包みました。当時の政府は、市門を閉鎖し、感染者の家を焼却し、街角で燻蒸を行うなど、必死の防疫措置をとっていましたが、それでも人口の約2割が犠牲となりました。 ロッシが1656年7月7日に亡くなった際、ローマの街はペスト流行の混乱の最中にありました。公式な死因についての記録は明確ではありませんが、ペストによる急死、あるいは都市閉鎖に伴う生活環境の悪化が、54歳という比較的早い死に影響を与えた可能性は極めて高いと言えます。 彼は、ローマのサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に埋葬されました。この教会は、当時多くの芸術家やスペイン系住民が集まる場所にあり、彼が最期までローマの国際的な芸術コミュニティの一員として生きたことを象徴しています。没後翌年の1657年に、彼を悼むかのように『トッカータとコレンテ』の再版が行われた事実は、彼が同時代人にとって、一つの時代を象徴する音楽家であったことを物語っています。


1647年(45歳)
◆ ローマへの帰還を計画。ジェノヴァのドゥラッツォ邸に滞在した記録があります。タッデオ・バルベリーニがパリで死去しました。

1648年(46歳)
◆ ローマのバンキ地区に移住。未亡人の姉カミッラ、息子二人(フランチェスコ、カルロ)と同居していました。

1649年(47歳)
◆ 教皇インノケンティウス10世の「学外侍従(cameriere extra muros)」に就任しました。第2次カストロ戦争によりカストロの街が完全に破壊されました。

1651年(49歳)
◆ 教皇の養甥カミッロ・アスタッリ・パンフィーリ枢機卿の宮廷で活動。レリオ・コリスタらとトリオを組んで合奏を行いました。

1655年(53歳)
◆ 教皇インノケンティウス10世が死去。パトロンの交代により官職を失い、グレゴリアーナ通りの借家に転居しました。

1656年(54歳)
◆ 7月7日、ローマにて死去しました。サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に埋葬されました。この年、ローマでペストが猛威を振るっていました。

1657年(没後1年)
◆ローマのCroce di Genovaより「トッカータとコレンテ」の記念碑的な版が出版。


 演奏者情報

マヌエル・トマディン(オルガン、チェンバロ)
【生地】
◆1977年5月28日:イタリア共和国、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、ゴリツィア県で誕生。

【学業】
◆トリエステ「G. タルティーニ」音楽院。ピアノ、オルガン、オルガン作曲、チェンバロを学び、学位を取得。
◆2001〜2003年:バーゼル・スコラ・カントルム。ジャン=クロード・ツェンダー、アンドレア・マルコンに師事。
◆マスタークラス:ミヒャエル・ラドゥレスク、ルカ・スカンダーリ、ピーター・プラニャフスキー、オリヴィエ・ラトリー、ルドガー・ローマン、ハンス・ファユス、ピーター・ファン・ダイクなど。

【賞歴】
◆ドイツ、フュッセン・ブライテンヴァング・ミッテンヴァルト国際オルガンコンクール。第1位。
◆2006年:オーストリア、インスブルック・パウル・ホーフハイマー賞。第2位(第1位は該当者なし)。
◆2010年:オーストリア、インスブルック・パウル・ホーフハイマー賞。第2位(第1位は該当者なし)。
◆2011年:オランダ、アルクマール・シュニットガー国際オルガン・コンクール。第1位。
◆2012年:スイス、ECHO。年間最優秀若手オルガニスト。
◆その他:イタリア国内のコンクールで4つ、国際コンクールで計6つの賞を獲得。

【仕事】
◆2004〜2008年:トリエステ市民大聖堂。オルガニスト。
◆ウーディネ音楽院。講師。
◆トリエステ福音ルーテル教会。オルガニスト。
◆トリエステ「G. タルティーニ」音楽院。オルガンおよびチェンバロを指導。
◆ウーディネ国際オルガン・フェスティヴァル、およびトリエステのアントニオ・ヴィヴァルディ・フェスティヴァルの芸術監督を兼任。

【録音】
◆CDは、Brilliant Classics、Dynamic、Bongiovanni、Dynamic、Stradivarius、Tactusなどから発売。


 トラックリスト

CD [90'17]

ミケランジェロ・ロッシ(1602-1656)
「オルガンとチェンバロのタブラチュアによるトッカータとコレンテ集」(1657)

CD1 [46'41]
1. トッカータ 第1番 [4'06]
2. コレンテ 第6番 [1'31]
3. トッカータ 第2番 [5'08]
4. コレンテ 第4番 [1'16]
5. トッカータ 第3番 [5'19]
6. トッカータ 第4番 [4'54]
7. トッカータ 第5番 [5'33]
8. コレンテ 第2番 [1'27]
9. トッカータ 第6番 [4'12]
10. トッカータ 第7番 [5'15]
11. コレンテ 第9番 [2'43]
12. トッカータ 第8番 [5'10]

CD2 [43'36]
1. トッカータ 第9番 [4'47]
2. コレンテ 第3番 [1'15]
3. トッカータ 第10番 [6'40]
4. コレンテ 第8番 [1'25]
5. トッカータ 第11番 [3'04]
6. コレンテ 第1番 [1'02]
7. トッカータ 第12番 [5'58]
8. コレンテ 第10番 [2'05]
9. トッカータ 第13番 [4'06]
10. トッカータ 第14番 [1'51]
11. コレンテ 第5番 [1'06]
12. ルイージ氏のパッサカリア [3'12]
13. 2つのヴェルセット [1'59]
14. コレンテ 第7番 [1'33]
15. ロマネスカによるパルティータ [3'23]

マヌエル・トマディン(オルガン&チェンバロ)
使用オルガン:ジョヴァンニ・バッティスタ・ガヴィネッリ(17世紀製作)
使用チェンバロ:アンドレア・マイオ(2006年製作/ジョヴァンニ・バッティスタ・ジュスティ1681年モデル)

録音(オルガン):2024年4月17〜18日
場所(オルガン):イタリア共和国北西部、ピエモンテ州、ノヴァーラ県、ベッリンツァーゴ・ノヴァレーゼ、聖アンナ教会
録音(チェンバロ):2024年11月1〜2日
場所(チェンバロ):イタリア共和国北東部、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、ゴリツィア県、ポッジョ・テルツァ・アルマータ村、聖パオリーノ司教教会

 Track list

Michelangelo Rossi 1602-1656
Toccate & Corenti
for Organ & Harpsichord

Toccate e Corenti d'intavolatura
d'Organo e Cimbalo (1657)
CD1 46'41
1. Toccata Prima 4'06
2. Corrente Sesta 1'31
3. Toccata Seconda 5'08
4. Corrente Quarta 1'16
5. Toccata Terza 5'19
6. Toccata Quarta 4'54
7. Toccata Quinta 5'33
8. Corrente Seconda 1'27
9. Toccata Sesta 4'12
10. Toccata Settima 5'15
11. Corrente Nona 2'43
12. Toccata Ottava 5'10

CD2 43'36
1. Toccata Nona 4'47
2. Corrente Terza 1'15
3. Toccata Decima 6'40
4. Corrente Ottava 1'25
5. Toccata XI 3'04
6. Corrente Prima 1'02
7. Toccata XII 5'58
8. Corrente Decima 2'05
9. Toccata XIII 4'06
10. Toccata XIV 1'51
11. Corrente Quinta 1'06
12. Passacaille del seigr. Louigi * 3'12
13. 2 versetti 1'59
14. Corrente Settima 1'33
15. Partite sulla Romanesca 3'23

* Manuscrit Bauyn, c. 1660. Bibliothèque nationale de France Rés. Vm7 675, f. 60 v.

Manuel Tomadin organ & harpsichord
Organ G.B. Gavinelli (sec. XVII) at the S. Anna Church in Bellinzago Novarese
Harpsichord from G. B. Giusti 1681 by Andrea di Maio (2006)
at the San Paolino Vescovo Church in Poggio III Armata (GO)

Recording: Organ 17-18 April 2024, S. Anna Church in Bellinzago Novarese;
Harpsichord 1-2 November 2024, San Paolino Bishop Church, Poggio III Armata (GO), Italy

Customer Reviews

Comprehensive Evaluation

☆
☆
☆
☆
☆

0.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0

Recommend Items