CD Import

Helikon : Danae Dorken(P)Kornilios Michailidis / Staatskapelle Weimar

Theodorakis, Mikis (1925-2021)

Item Details

Genre
:
Catalogue Number
:
0303863BC
Number of Discs
:
1
Format
:
CD
Other
:
Import

Product Description


テオドラキスの大迫力作品をドルケンが録音

テオドラキス:ピアノ協奏曲「ヘリコン」、ピアノと管弦楽のための組曲第1番、他
ダナエ・ドルケン、ミハイリディス指揮シュターツカペレ・ヴァイマール


ギリシャ系ドイツ人ピアニストのダナエ・ドルケンが、ギリシャの作曲家テオドラキスの生誕100周年を祝ってきわめて力強いトリビュート・アルバムを制作。
  神話の国ギリシャの第2次大戦後は政治的混乱で内戦などひどいことになっており、テオドラキスもその渦に巻き込まれて大変な目に遭ってもいました。しかし創作活動は若い頃から旺盛で、アルバム冒頭のピアノと管弦楽のための組曲第1番は、1957年のモスクワ青年音楽祭で金メダルを獲得していました。審査員長はショスタコーヴィチ、審査員はハンス・アイスラー、ハチャトゥリアン、マルティヌーなど非常に豪華なコンクールです。
  1952年作曲のピアノ協奏曲「ヘリコン」は、ディオニュソスがヘリコン山でニンフたちと過ごす様子に着想を得た作品。
  ほかの曲はテオドラキスの作曲によりギリシャでヒットしたポピュラー・ソングのピアノ演奏で、メロディーがすぐに覚えられる親しみやすいものばかりですが、ギリシャの戦後史と切っても切れないテオドラキスだけに、いろいろなことを考えさせられもします。
  装丁はデジパック仕様で、ブックレット(英語・20ページ)には、ドルケンによる解説やテオドラキス自身の情報が掲載されています。

Berlin ClassicsNeue MeisterBrilliant ClassicsPiano Classics
 演奏者情報

ダナエ・ドルケン(ピアノ)
1991年、ヴッパータールで誕生。7歳の時にすでにユーディ・メニューインに励まされていたダナエ・ドルケンは、早くからヨーロッパの一流コンサートホールで注目を集め、ハノーファー音楽アカデミーでカール=ハインツ・ケマリングに師事した後、ハノーファー音楽演劇大学でラース・フォークトに師事。
  以後、ソリスト、デュオ・ピアニスト、室内楽奏者としてヨーロッパ各国、アメリカなどで演奏。
  CDは、Berlin Classics、Ars Produktion、La Dolce Volta、Genuinなどから発売。


シュターツカペレ・ヴァイマール

コルニリオス・ミハイリディス(指揮)

 トラックリスト (収録作品と演奏者)

CD  62'38
ミキス・テオドラキス

ピアノとオーケストラのための組曲第1番「クレタ島とパリ、1949-55年」
1. 第1曲 プレスト  2'36
2. 第2曲 アンダンテ・モデラート  4'09
3. 第3曲 アンダンテ・ソステヌート  3'20
4. 第4曲 プレスト  9'34
5. 第5曲 レント  3'18

ピアノ協奏曲「ヘリコン」 (1952)
6. 第1楽章 アレグロ・コン・フオコ  13'18
7. 第2楽章 ラルゴ  9'19

11月18日の物語
8.   0'54

笑う少年
9.   1'29

マルガリータ・マイオプーラ
10.   2'07

一羽のツバメ
11.   1'36

雅歌
12.   5'02

正義の太陽
13.   2'24

ベッドを整えよう
14.   3'21

ダナエ・ドルケン(ピアノ)
シュターツカペレ・ヴァイマール
コルニリオス・ミハイリディス(指揮)
録音:2024年7月23〜26日、プローベザール・デア・シュターツカペレ・ヴァイマール

 Track list

Mikis Theodorakis
Suite No. 1
For piano and orchestra
Crete and Paris, 1949-55
1. 1. Movement 2'36
2. 2. Movement 4'09
3. 3. Movement 3'20
4. 4. Movement 9'34
5. 5. Movement 3'18

Helikon
For piano and orchestra
Athens, 1952
6. 1. Movement 13'18
7. 2. Movement 9'19

8. Itan 18 Noemvri 0'54
On the eighteenth day of November

9. To gelasto paidi 1'29
The laughing boy

10. Margarita Magiopoula 2'07
Margarita daughter of May

11. Ena to Helidoni 1'36
This one swallow

12. Asma Asmaton 5'02
Song of songs

13. Tis Dikeosinis Ilie 2'24
Sun of justice

14. Strose to Stroma sou 3'21
Make your bed

Danae Dörken
Staatskapelle Weimar
Kornilios Michailidis

Recorded: 23.-26.7.2024, Probensaal der Staatskapelle Weimar


 作曲家情報

 テオドラキス年表


 1925年〜 キオス島

 1925年〜 キオス島

1925年
◆7月29日、ミハイル・テオドラキス、ギリシャのキオス島に誕生。
1933年
◆学校でビザンチンの賛美歌を歌い、両親、祖父母、叔母からギリシャ民謡を伝授。
1937年
◆合唱団で歌い、ヴァイオリンのレッスンと作曲も開始。
1939年
◆メタクサスの全国民族主義青年組織に所属。
 1940年〜 戦争

1940年
◆トリポリスに転居。
ギリシャ・イタリア戦争勃発。
1941年
◆民族主義青年組織のメンバーとして、町の病院で負傷者の世話に従事。
ドイツ国防軍がギリシャに侵攻。これでギリシャは、イタリア、ドイツ、ブルガリアの3つの占領地域に分割。テオドラキスの住んでいたトリポリスはイタリアが占領。
ギリシャ共産党は国民解放戦線(EAM)を組織。
アテネとテッサロニキを中心にギリシャが飢餓状態となり約30万人が死亡。
1942年
◆最初の詩集「シアオ」をペンネーム、ディノ・マイスで出版。
◆典礼用の賛美歌「カッシアニ」を作曲し、トリポリスで大成功。
◆「ザカリア船長の歌」を作曲。ギリシャの海上レジスタンスの歌になります。
1943年
ギリシャ共産党は、武装組織である国民解放軍(ELAS)とギリシャ青統一組織(EPON)を設立。
◆ギリシャ独立戦争の英雄、コロコトロニスの墓前でデモに参加していたところ、イタリア軍将校を殴打したとして逮捕され拷問。
◆刑務所では仲間からマルクス主義理論を指南。釈放後、ギリシャ共産党に入党。レジスタンスに参加することが自分の義務と判断。
◆トリポリスのイタリア警察署長であるフェストゥッチョによって逮捕。ほどなく釈放
◆アテネに転居。
◆ギリシャ青年統一組織(EPON)に所属。過激派のミルト・アルティノグルーと出会います(10年後に結婚)。
◆アテネ音楽院に入学。
1944年
◆父が内務省に就職。
◆機密文書を所持していたところ逮捕。友人は目の前で拷問死したものの、テオドラキスは身分証明書に「作曲家」と書いてあったことでドイツ軍人に気に入られて釈放。
◆国民解放戦線(EAM)に所属。
夏、ギリシャのレジスタンスは、国の4分の3を支配。
◆国民解放軍(ELAS)がギリシャのドイツ空軍を武装解除し、クセナキスが所属していたグループに武器を引き渡します。
イギリス軍がギリシャに上陸。レジスタンスが彼らの命令に従うことを要求しますが、レジスタンスは戦前の状態に戻ることを拒否。
◆イギリス軍に対する大規模なデモ発生。テオドラキスも参加。イギリス軍は非武装の群衆に向けて発砲し30人が死亡、124人が負傷。テオドラキスは死んだ同志の血にギリシャの旗を浸し、バリケードに向かって歩き、イギリス兵のライフルの銃床で殴打されて負傷。br> ◆レジスタンスのメンバー7,500人がイギリス軍に逮捕され、リビアの収容所に送致。
ゼネスト。パパンドレウ辞任。
国民解放軍(ELAS)は部隊をアテネに派遣。6週間の攻防。
1945年
ギリシャ政府と国民解放戦線(EAM)は、すべてのレジスタンスを武装解除し、占領軍に協力した者を裁判にかけるという合意に署名。
ギリシャ政府が国軍構築を開始。しかし、君主主義者の将校と占領軍に協力した者が採用され、国民解放戦線(EAM)は除外されています。占領軍協力者の裁判も軽いものでした。
1946年
◆テオドラキスは、ギリシャ青年統一組織(EPON)の会議で、文化的抵抗政策に関して説明。
国民解放戦線(EAM)は、議会選挙のボイコットを要求しデモを実施。
◆テオドラキスは「ザカリア船長の歌」を歌う群衆の先頭に立ってアテネのデモに参加。しかし、警察の大部隊によって暴行・連行され、テオドラキスも殴打されて気絶し、目覚めた時には遺体安置所に横たわっていました。友人が彼を安全な診療所に運び、そこで頭蓋骨骨折の手術を受け、2か月間入院することになります。
国王ゲオルギオス2世が帰国し復位。国民投票の僅かな差での過半数獲得によるものです。赤狩りが強化されます。
ギリシャ共産党とその同盟者は、民主軍を組織。戦後のギリシャ内戦の開始。内戦そのものは、ドイツ占領時にドイツ製兵器を装備した約1万4千人の「傀儡政府軍」が、ギリシャのレジスタンス攻撃をおこなっていたときに始まっています。彼らは戦後の裁判でも殆ど罪に問われませんでした。
1947年
国王ゲオルギオス2世崩御。弟のパウロス1世が即位。
「トルーマン=ドクトリン」により共産圏国家に対する封じ込め政策が稼働したため、イギリスによるギリシャ内戦での利権独占は終わり、アメリカがより大きな力で介入して軍需利権などを獲得。
◆1万人の抵抗勢力がアテネで逮捕され、テオドラキスもそこにいました。逮捕者はエーゲ海のプシタリア島に移送され、2週間後にはトルコの海岸近くの島、イカリア島に移送。ある程度自由の認められた生活だったので作曲活動もおこなえ、トルコの影響を受けた大衆歌曲レベティコにも親しんでいます。
◆テミストクレスとソフーリスの連立政権が成立し、テオドラキスらは恩赦。
マルコス・ヴァフィアディスの指導のもと、山岳地帯に臨時民主政府が樹立。内戦が本格化。

1948年
◆内戦本格化直後は、捜索、暗殺、処刑が続発。テオドラキスは指名手配されていたため、岩場や建設現場で冬の夜を過ごし結核に罹患。
◆回復後、メリーナ・メルクーリが主役を演じるピレウスの劇場で仕事を見つけたほか、アテネ音楽院でもピアノを弾いたり、合唱団のリハーサルをおこなったりします。
◆アテネ中心部の両親を訪ねた際、数時間後に警察が訪れてテオドラキスを逮捕。同時期に逮捕された友人のパブロスは過酷な拷問によって脊椎骨を骨折させられたうえ死刑宣告。テオドラキスは後に彼を偲んで「死んだ兄弟の歌」を作曲。
◆テオドラキスはイカリア島に再び送致され、そこで親友ヴァシリス・ザンノスの死を知り、また、トリポリス時代の友人であるマキス・カルリスの死も知ります。テオドラキスは交響曲1番をこの2人の犠牲者に捧げています。
イカリア島に送致され、「悔恨の宣言」に署名せず、兵役を終えていない者は、マクロニソス島の共産主義者のための「再教育センター」に移送。
1949年
◆「再教育センター」に移送。収容者は3万人で多くの人が拷問・処刑。3月25日のギリシャ独立戦争の記念日にはザクセン生まれの元ヒトラー・ユーゲントで親ナチ的発言の多いフリデリキ王妃が訪問。
◆政府軍に入隊するために必要なギリシャ政府への忠誠宣言に署名するよう促されるものの拒否し、10時間にわたって拷問、顎を脱臼させられ、右足を折られています。
◆アテネの第401陸軍病院に移送され、病院でも殴打されますが、2か月後に退院。
◆再びマクロニソス島に送致。「再教育センター」での生活が再開し、生き埋めにされて殺されかけたほか、拷問で意識を失い放置されたこともありました。
◆父ヨルゴスの尽力で、テオドラキスは病人としてクレタ島に移送。しかしここでも足の裏を執拗に攻撃される「ファランガ」という拷問を受けます。
ギリシャ内戦が終結。アメリカとイギリスが支援したギリシャ政府軍の勝利。
 1950年〜 兵役など

1950年
◆アテネ音楽院を首席で卒業。
◆「アシゴニアの饗宴」初演。
◆兵役のため音楽家仲間と一緒にアレクサンドルポリスに移送。
◆2週間後、過去の罪状を知った上官が、テオドラキスを丸刈りにさせて独房入りを命じ、さらにマクロニソス島に送致すると脅迫。
◆自暴自棄になったテオドラキスは、火薬を食べて自殺を図り、テッサロニキの病院に移送されて精神科病棟に収容。病棟では患者への暴力が常態化していましたが、父ヨルゴスにより救出されて兵役に復帰。アテネからクレタ島に移され、そこで補給所を担当。
1951年
◆統一民主左翼(EDA)結成。
1952年
◆兵役終了。陸軍を除隊後もしばらくはクレタ島に滞在。
◆アテネで「アヴギ」の音楽評論家として活動を開始。また、ピアノ協奏曲「ヘリコン」、バレエ音楽「オルフェウスとエウリュディケ」「ギリシャの謝肉祭」を作曲。
陸軍元帥のアレクサンドロス・パパゴス、首相に任命。
ギリシャ、NATOに加盟。
1953年
◆ギリシャ映画「はだしの大隊」と「エヴァ」の音楽を作曲。
◆18,000ドラクマを貯め、医学研究を終えたミルト・アルティノグルーと結婚。テオドラキスは彼女の最初の患者になります。10年間に及ぶ収容所を出たり入ったりの拷問・虐待生活の影響は甚大で、収容所での滞在を思い出しただけで麻痺が始まり、病床に伏すこともしばしばという状態が数年間続きます。

 1954年〜 パリ留学など

1954年
◆1953年に受け取った奨学金でパリに留学。パリ音楽院で音楽分析をオリヴィエ・メシアンに、指揮をウジェーヌ・ビゴーに師事。妻のミルトもパリに滞在し、放射線科医としてキュリー研究所で研究。
1955年
パパゴス首相の死去に伴い、国王パウロス1世はカラマンリスを首相に任命。パパゴスの左派弾圧は凄まじかったので、それに較べればカラマンリス政権の8年間は平穏に見えましたが、相変わらず収容所と刑務所は政治犯だらけでした。
1956年
◆イギリス映画、パウエル&プレスバーガーの「クレタ島の夜」の音楽を作曲。初の外国映画の依頼で、テオドラキスはドイツ車オペルを購入。
 1957年〜 モスクワの作曲コンクールで金メダル

 1957年〜 ハーグ王立音楽院

1957年
◆ピアノとオーケストラのための組曲第1番を作曲。テオドラキスはモスクワ青年音楽祭のギリシャ代表団のメンバーで、この作品によりモスクワでで金メダルを獲得。
◆アテネ音楽院での恩師、フィロクティデス・イコノミディス(1889-1957)死去。テオドラキスは「オイディプスのティラノス」を師に献呈。
1958年
◆組曲第2番と第3番、ヴァイオリンとピアノのためのソナティナ、「おお、キクロス」を作曲。
◆ロンドンのコヴェントガーデンから「アンティゴネ」、パリのリュドミラ・チェリーナから「テルエルの恋人たち」と「火薬の火」という計3つのバレエ音楽が委嘱。
1962年
◆テオドラキスの結核が発症。ロンドンで2か月、アテネ近くの療養所でさらに2か月療養。退院後、30人編成のアテネ・リトル・シンフォニー・オーケストラを結成。

 1963年〜 ランブラキス青年団代表から議員へ

1963年
◆平和運動のためのマラソン行進が当局により禁じられ、テオドラキスら数千人の参加者が逮捕。民主左翼同盟党首のグリゴリス・ランブラキスは議員特権に守られて、ひとりで最後まで歩き通します。
◆テッサロニカでの平和の集いの後、ランブラキスが、サイドカーに乗った右派の男により棍棒で殴られ、脳挫傷により5日後に死去。その場にいた統一民主左翼(EDA)副代表のツァルーカスも殴られて頭蓋骨を骨折。
◆50万人がアテネのランブラキスの墓参りに参列。「ランブラキスは生きている!」と絶叫。ランブラキス暗殺にカラマンリス政権が関わっていることは誰の目にも明白でした。
◆日刊紙『アティナイキ』にテオドラキスによる記事「暗殺者が犠牲者の血で溺死するのは法律で決まっていることだ。この犯罪の背後にいて、我々国民の血を飲んでいるマフィアは致命的なミスを犯した。ランブラキスを犠牲者に選んだことで、彼らは裁判官と復讐者を選んでしまったのだ。1人のランブラキスは、彼ら全員を墓場へ送るに十分すぎるほどの存在だ。ランブラキスは失われたが、何千ものランブラキデスは、彼の記憶を照らす何千もの太陽を勝ち取り、彼を生かし続けるだろう。」
◆記事掲載の翌日、カラマンリス首相が辞任し、パリに亡命。
◆ギリシャの科学者、芸術家、労働者、学生、ジャーナリストが20人集まり、「ランブラキデス(ランブラキス青年団)を設立。テオドラキスは代表に選出。
1964年
G.パパンドレウ、首相に就任。
パウロス1世崩御。息子のコンスタンティノス2世が即位
◆テオドラキスが議会選挙でピレウスで当選。
◆カコヤニス監督の映画「その男ゾルバ」の音楽を作曲。
◆オラトリオ「アクシオン エスティ」初演。
1965年
国王コンスタンティノス2世が、国防省の統制をめぐりパパンドレウ首相と対立、解任。これにより大規模なデモが発生。
ランブラキス青年団は木を植え、教会を修復し、文化施設や図書館を開き、コンサートを開催。
1966年
◆国王コンスタンティノス2世が新年の挨拶で、共産主義者が政治的扇動に責任があると述べた結果、テオドラキスの音楽がギリシャで放送禁止となります。
何千人ものギリシャ人と外国人が、ランブラキス暗殺の3周年に、マラトンからアテネまでの平和行進に参加。
国王と政府の行動に対する反議会デモが多発。結局、国王は野党の圧力に屈し、1967年5月28日に議会選挙を行うことを約束。
 1967年〜 逮捕・収監

1967年
4月21日、パパドプロス大佐らによる軍事クーデター勃発。軍事政権の権力掌握は、NATOのプロメテウス計画に従って実施。CIAが支援。
戒厳令。何千人もの人々が逮捕。
◆陸軍命令第13号によりテオドラキスの音楽と歌を複製または演奏することを禁止。東ドイツのパウル・デッサウは、テオドラキスに敬意を表してこの文書をもとに、ナレーター、混声合唱団、および9つの楽器のための音楽として作曲。
◆逮捕。治安警察本部に連行され収監。
◆ハンガーストライキ10日目で意識を失い、アヴェロフ刑務所病院に移送。
国王コンスタンティノス2世がクーデターを起こそうとするものの失敗し、ローマに逃亡。
パパドプロス大佐が首相に就任。
◆首相は100人の囚人に恩赦を与え、テオドラキスも含まれていたもののすぐには釈放されません。
1968年
ニクソン政権がギリシャ軍事政権を正式に承認。
◆釈放。ただし生活は治安警察の監視下に置かれます。
◆テオドラキスと家族は治安警察によってアルカディアの山村ザートゥナに移送。
G.パパンドレウ元首相の葬儀で50万人が反政府デモ。
◆ギリシャ共産党が、主流派である国外派(ソ連派)と、国内派(欧州共産主義派)に分裂。テオドラキスは国内派を選択したため、東ドイツでは作品が演奏禁止となります。
1969年
◆オロポス刑務所に移送。
◆ショスタコーヴィチとバーンスタインが連帯運動を開始。

 1970年〜 フランスに亡命

1970年
◆スカンジナビア議会の代表団が、テオドラキスの医療援助を目的としてデンマークの肺専門医と共にギリシャに行きますが、アテネ空港で足止め。
◆結核が再発したため、ソティラ刑務所病院に移送が決定。
◆フランス急進党書記でジャーナリストのジャン=ジャック・セルヴァン=シュライベルが移送中のテオドラキスと出会い、パリのル・ブルジェ空港まで同行。家族は翌月にパリに到着。
◆ワールド・ツアーを開始。テオドラキスのコンサートはパパドプロス大佐に対する「宣戦布告」のような意味合いもあり、軍事政権へのレジスタンスの象徴となります。
◆南米チリで、サルバドール・アジェンデ大統領と会い、同国の詩人パブロ・ネルーダの「カント・ヘネラル」に基づいた作品のプロジェクトを思いつきます。
1971年
◆レジスタンスEAS国民評議会を設立。デュッセルドルフで最初の会議を開催。
1972年
◆ギリシャ共産党(国内派)を離党。
◆コンサートツアー開催。
1973年
◆コンサートツアー開催。
パパドプロス首相、国民投票によって君主制を廃止。
パパドプロス、ギリシャ共和国の大統領に就任。
チリで軍事クーデター勃発。爆撃と砲撃の中、アジェンデ大統領が自殺。CIAとニクソン政権の支援により、ピノチェト将軍の独裁が開始。
チリの軍事クーデターの2週間後、詩人パブロ・ネルーダが退院から数時間後に死去。退院直前に注射されていました。
パパドプロス大統領により戒厳令。
イオアニデス軍事治安警察(ESA)長官らによるクーデター勃発。パパドプロスが失脚し、ギジキス将軍が臨時大統領に就任。
 1974年〜 ギリシャに帰還

1974年
ギリシャ軍事政権はキプロス島でギリシャ系民兵に暴動を起こさせ、大統領のマカリオス3世を暗殺しようとしますが失敗。
キプロス島の暴動により、トルコ軍がトルコ系住民保護の名目でキプロス北部に出兵。
ギジキス将軍が民政への移行を決定。フランスに亡命していたカラマンリスを呼び戻し首相に指名。
◆ギリシャに帰還、アテネで英雄としての歓迎。ギリシャで7年ぶりとなるコンサートも開催。
ギリシャ、国民投票によりNATO脱退。
1975年
◆ギリシャでコンサート・ツアーを開始。
1967年のクーデター首謀者に対する裁判により軍事政権幹部は死刑を宣告。
1977年
◆ヨーロッパ・ツアー。
◆欧州社会主義に賛同し、クレタ島でシンポジウム「社会主義と文化」を開催。オラトリオ「アクシオン・エスティ」を指揮。
◆アテネのリカベトスの丘で「テオドラキス・フェスティヴァル」が開催。1960年から1977年までのテオドラキスの全作品を演奏。
1978年
◆アテネの市議選にギリシャ共産党の無所属候補として出馬。得票率は16%。
1979年
◆テオドラキスの人気オラトリオ「アクシオン・エスティ」のテキストの作者、オデュッセウス・エリティスがノーベル文学賞を受賞。これを記念し、テオドラキスは「アクシオン・エスティ」のツアーを実施。
 1980年〜 パリに移住

1980年
ギリシャ、NATOに再加盟。
フランス共産党との連帯宣言を発表。欧州社会主義との関係を終わらせます。
ラマンリスが共和国大統領に選出。
ギリシャ国内での中傷キャンペーンに激怒し、パリに移住。
1981年
ギリシャは、欧州共同体(EC)に加盟。
◆ネルーダの詩によるオラトリオ「カント・ヘネラル」と、交響曲第2番、第3番を完成。
◆東ベルリンで「カント・ヘネラル」全曲初演。
◆「カント・ヘネラル」をメインにツアー開催。
◆フランソワ・ミッテランが大統領就任式に、テオドラキスを招待。
◆「カント・ヘネラル」がキューバとニカラグアで何千人もの歌手と共に上演。
◆全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が選挙に勝利。メリナ・メルクーリとテオドラキスが選出。メルクーリは文化大臣に就任。
1982年
◆東ベルリンの共和国宮殿で、ピアノ協奏曲と交響曲第2番を初演。シプリアン・カツァリス独奏。
◆東ベルリンのコーミシェ・オーパーで交響曲第3番を初演。
◆ライプツィヒのゲヴァントハウスで「アクシオン・エスティ」ドイツ語版初演。
1983年
◆東ベルリンのメトロポール劇場で「サドカイ派の受難」を初演。
◆10月6日、レーニン賞を受賞。
◆フレミーヒ指揮ドレスデン十字架合唱団により「典礼第2番」初演。


 商品説明詳細ページ一覧

【複数作曲家】
女性作曲家たち
Piano Classics スラヴ・エディション
Piano Classics フレンチ・エディション
Piano Classics アメリカ・エディション
オランダのピアノ協奏曲集
オランダのチェロ協奏曲集
イタリアのヴァイオリン・ソナタ集
イタリアのチェロ・ソナタ集
ファゴットとピアノのためのロマン派音楽

【バロック作曲家(生年順)】
バード (c.1540-1623)
スウェーリンク (1562-1621)
モンテヴェルディ (1567-1643)
ファゾーロ (c.1598-c.1664)
カッツァーティ (1616-1678)
レグレンツィ (1626-1690)
ルイ・クープラン (1626-1661)
クープラン一族
ブクステフーデ (1637-1707)
マッツァフェッラータ (c.1640–1681)
ムルシア (1673-1739)
グリューネヴァルト (1673-1739)
ダンドリュー (1682-1738)
J.S.バッハ (1685-1750)
B.マルチェッロ (1686-1739)
スタンリー (1713-1786)
ヨハン・エルンスト・バッハ (1722-1777)

【古典派&ロマン派作曲家(生年順)】
ハイドン (1732-1809)
ミスリヴェチェク (1737-1781) (モーツァルトへの影響大)
ボッケリーニ (1743-1805)
モンジュルー (1764-1836) (ピアノ系)
ベートーヴェン (1770-1827)
クラーマー (1771-1858)
ジャダン (1776-1800) (ピアノ系)
リース (1784-1838)
ブルックナー (1824-1896)
マルトゥッチ (1856-1909)
マーラー (1860-1911)
トゥルヌミール (1870-1939)
ルクー (1870-1894)
レーガー (1873-1916)
ラフマニノフ (1873-1943)

【近現代作曲家(生年順)】
レーバイ (1880-1953) (ギター系)
マルティヌー (1890-1959)
ミゴ (1891-1976) (ギター系も)
サントルソラ (1904-1994) (ギター系も)
ショスタコーヴィチ (1906-1975)
ラングレー (1907-1991) (オルガン系)
アンダーソン (1908-1975)
デュアルテ (1919-2004) (ギター系)
プレスティ (1924-1967) (ギター系)
テオドラキス (1925-2021)
ヘンツェ (1926-2012)
スハット (1935-2003)
坂本龍一 (1952-2023)
【オーケストラ】
ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

【指揮者(ドイツ・オーストリア)】
アーベントロート
エッシェンバッハ
カラヤン
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィルベルリン・フィルミュンヘン・フィル国立歌劇場管レジェンダリー)
クラウス
クリップス
クレンペラー (VOX&ライヴザルツブルク・ライヴVENIASボックス
サヴァリッシュ
シューリヒト
スイトナー (ドヴォルザークレジェンダリー)
フリート
フルトヴェングラー
ヘルビヒ (ショスタコーヴィチマーラーブラームス)
ベーム
メルツェンドルファー
ヤノフスキー
ライトナー
ラインスドルフ
レーグナー (ブルックナーマーラーヨーロッパドイツ)
ロスバウト
【指揮者(ロシア・ソ連)】
アーロノヴィチ
ガウク
クーセヴィツキー
ゴロワノフ
ペトレンコ
マルケヴィチ
【指揮者(アメリカ)】
クーチャー(クチャル)
スラトキン(父)
ドラゴン
バーンスタイン
フェネル
【指揮者(オランダ)】
オッテルロー
クイケン
フォンク
ベイヌム
メンゲルベルク
【指揮者(フランス)】
パレー
モントゥー
【指揮者(ハンガリー)】
セル
ドラティ
【指揮者(スペイン)】
アルヘンタ
【指揮者(スイス)】
アンセルメ
【指揮者(ポーランド)】
クレツキ
【指揮者(チェコ)】
ターリヒ
【指揮者(ルーマニア)】
チェリビダッケ
【指揮者(イタリア)】
トスカニーニ
【指揮者(イギリス)】
バルビローリ
【指揮者(ギリシャ)】
ミトロプーロス
【指揮者(日本)】
小澤征爾
【鍵盤楽器奏者(楽器別・生国別)】

【ピアノ(ロシア・ソ連)】
ヴェデルニコフ
グリンベルク
ソフロニツキー
タマルキナ
ニコラーエワ
ネイガウス父子
フェインベルク
フリエール
モイセイヴィチ
ユージナ
【ピアノ(フランス)】
ウーセ
カサドシュ
ティッサン=ヴァランタン
ハスキル
ロン
【ピアノ(ドイツ・オーストリア)】
キルシュネライト
シュナーベル
デムス
ナイ
レーゼル (ブラームスベートーヴェン)
【ピアノ(イタリア)】
フィオレンティーノ
【ピアノ(ハンガリー)】
ファルナディ
【ピアノ(南米)】
タリアフェロ
ノヴァエス
【チェンバロ】
ヴァレンティ
カークパトリック
ランドフスカ
【弦楽器奏者(楽器別・五十音順)】

【ヴァイオリン】
オイストラフ
コーガン
スポールディング
バルヒェット
フランチェスカッティ
ヘムシング
リッチ
レビン
【チェロ】
カサド
シュタルケル
デュ・プレ
トルトゥリエ
ヤニグロ
ロストロポーヴィチ
【管楽器奏者】

【クラリネット】
マンツ

【ファゴット】
デルヴォー(ダルティガロング)
【オーボエ】
モワネ
【歌手】
ド・ビーク (メゾソプラノ)
【室内アンサンブル(編成別・五十音順)】

【三重奏団】
パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】
フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】
グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
ズスケ四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
バルヒェット四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
フランスの伝説の弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団
【楽器】
アルザスのジルバーマン・オルガン

Customer Reviews

Comprehensive Evaluation

☆
☆
☆
☆
☆

0.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0

Recommend Items