A=415Hz! ガット弦とバロック弓によるペルト作品の新境地
アルヴォ・ペルト:フェスティーナ・レンテ、スターバト・マーテル、ベルリン・ミサ、トリサギオン、シルーアンの歌
エストニア・フィルハーモニー室内合唱団、トヌ・カリユステ、コンチェルト・コペンハーゲン
【概要】
◆ペルト作品のスペシャリストとしても知られるエストニア・フィルハーモニー室内合唱団が、古楽アンサンブルのコンチェルト・コペンハーゲンと共演した注目盤。
◆アルヴォ・ペルトの合唱はノン・ヴィブラートが上手くいくと魅力がさらに増しますが、ここでは弦楽オーケストラの方もノン・ヴィブラートでやっています。しかも「フェスティーナ・レンテ」は通常よりも極度に遅いテンポを採用し、逆に「トリサギオン」では速めのテンポで演奏しているので、響きもまったく異なることから新鮮な驚きがあります。
【収録作品】
◆弦楽オーケストラ伴奏声楽曲「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」と「ベルリン・ミサ」をアルバムの最初と最後に置き、中間に弦楽オーケストラ曲「フェスティーナ・レンテ(ゆっくり急げ)」、「トリサギオン(聖三祝文)」、「シルーアンの歌(わが魂は神を慕う)」を配置した構成。
【演奏者】
◆エストニア・フィルハーモニー室内合唱団は、エストニアの指揮者、トヌ・カリユステが1981年に創設した合唱団。トヌ・カリユステは1953年生まれのエストニアの指揮者で、ペルト作品の熱心な紹介者でもあります。コンチェルト・コペンハーゲンは1991年創設のピリオド楽器オーケストラ。
【録音】
◆2024年8月にエストニアの首都タリンにある聖ニコラス教会内で、宗教美術作品を展示するニグリステ博物館で収録。
【製品仕様】
◆装丁はデジパック仕様で、ブックレットは36ページあり、カリユステらによる解説(英語・ドイツ語)のほか、歌詞と英訳も掲載されています。
関連レーベル
Berlin Classics ・
Neue Meister ・
Brilliant Classics ・
Piano Classics
演奏者情報
トヌ・カリユステ(カルユステ、カリュステとも)
トラックリスト (収録作品と演奏者)
CD 74'37
アルヴォ・ペルト (1935- )
スターバト・マーテル(混声合唱と弦楽オーケストラのための) (1985/2008)
1. 22'22
フェスティーナ・レンテ(弦楽オーケストラのための) (1986/1990)
2. 10'16
トリサギオン(聖三祝文)(弦楽オーケストラのための) (1992/1994)
3. 09'49
シルーアンの歌(弦楽オーケストラのための) (1991)
4. 05'07
ベルリン・ミサ
5. キリエ 03'01
6. グロリア 4'00
7. クリスマスのための第一と第二のアレルヤの詩 02'50
8. 聖霊来たりたまえ 05'33
9. クレド 04'11
10. サンクトゥス 04'21
11. アニュス・デイ 02'29
マリー・ロース(ソプラノ)
ダニラ・フラントゥ(カウンターテノール)
トゥーマス・トーヘルト(テノール)
エストニア・フィルハーモニー室内合唱団
マイ・シムソン(合唱指揮)
トヌ・カリユステ(芸術監督兼首席指揮者)
コンチェルト・コペンハーゲン
録音:2024年8月26〜30日、エストニア、タリン、ニグリステ博物館(聖ニコラス教会)
Track list
Arvo Pärt
1. Stabat Mater 22'22
for mixed choir and string orchestra (1985 / 2008)
Soloists: Marie Roos (soprano), Danila Frantou (countertenor), Toomas Tohert (tenor)
2. Festina lente 10'16
for string orchestra (1986 / 1990)
3. Trisagion 09'49
for string orchestra (1992 / 1994)
4. Silouan's Song 05'07
for string orchestra (1991)
5. Berliner Messe – Kyrie 03'01
for mixed choir and string orchestra (1990 / 1991 / 2002)
6. Berliner Messe – Gloria 04'00
for mixed choir and string orchestra (1991 / 2002)
7. Berliner Messe – Erster und Zweiter Alleluiavers zum Weihnachtsfest 02'50
for mixed choir and string orchestra (1991 / 2002)
8. Berliner Messe – Veni Sancte Spiritus 05'33
for mixed choir and string orchestra (1991 / 2002)
9. Berliner Messe – Credo 04'11
for mixed choir and string orchestra (1991 / 2002)
10. Berliner Messe – Sanctus 04'21
for mixed choir and string orchestra (1991 / 2002)
11. Berliner Messe – Agnus Dei 02'29
for mixed choir and string orchestra (1991 / 2002)
Estonian Philharmonic Chamber Choir
Soprano
Yena Choi
Mirell Jakobson
Eleri-Kristel Kuimet
Annika Lohmus
Kristine Muldma
Marie Roos
Laura Štoma
Alto
Maarja Helstein
Ave Hannikainen
Annely Leinberg
Kristel Marand
Marianne Parna
Anni Marie Rea
Catly Talvik
Tenor
Danila Frantou
Kaido Janke
Raul Mikson
Miguel Goncalves Silva
Kaarel Telgmaa
Toomas Tohert
Bass
Geir Luht
Kristjan-Jaanek Molder
Kim Sargsyan
Aarne Talvik
Henry Tiisma
Rainer Vilu
Choir Master: Mai Simson
Artistic Director & Chief Conductor: Tonu Kaljuste
Concerto Copenhagen
Violin I
Fredrik From
Alison Luthmers
Karin Samuelsson
Kanerva Juutilainen
Tinne Albrectsen
Johanna Andersson
Violin II
Hannah Tibell
Gabriel Bania
Hanna Ydmark
Stefanie Barner-Madsen
Merete Bjorndal Steffensen
Viola
Antina Hugosson
Mikkel Schreiber Thomsen
Mika Svensson
Marie Stockmarr Becker
Cello
Judith-Maria
Blomsterberg
Hanna Loftsdottir
Thomas Pitt
Bass
Megan Adie
Hen Goldsobel
Recorded: 26th to 30th of August 2024
at Niguliste Museum (St Nicholas' Church) in Tallinn, Estonia.
Total time: 74'37
作曲者情報
アルヴォ・ペルト(作曲)
エストニアの地と幼少期(1935-1953)
◆1935年9月11日、エストニアのパイデで、父アウグストと母リンダ・アネッテの間に一人息子として誕生。彼が2歳の時に両親は離別し、1938年には再婚した母と共にラクヴェレという小さな町へ転居。
◆ラクヴェレの家庭には、母の再婚相手である義父が持ち込んだピアノがありましたが、この楽器は中音域の鍵盤が故障していました。少年時代のペルトは、この壊れたピアノで鳴らすことができる高音域と低音域の極端な対比を楽しみ、その響きの実験に没頭しました。この「限定された条件の中で音を探求する」という経験が、後に彼が提唱する「音の最小単位への凝縮」という思想の萌芽となった可能性があります。
◆1945年、9歳の時にラクヴェレ音楽学校でイル・マルティンの下で本格的なピアノ学習を開始したペルトは、十代の頃には既に作曲も試みるようになります。
◆ラクヴェレ第1中等学校に入学後は、吹奏楽団でオーボエやフルート、ダンスオーケストラでピアノや打楽器も演奏。
教育、兵役、初期キャリア(1954-1963)
◆1954年、ペルトはより高度な教育を求めて首都タリンへと向かいます。タリン音楽学校ではハッリ・オッツァ、次いで高名な作曲家ヴェリヨ・トルミスに師事しましたが、その学業はソ連軍への兵役義務によって中断されました。◆1954年から1956年にかけての軍役期間中、彼は軍楽隊でオーボエ、打楽器、ピアノを演奏しましたが、この時期に健康上の理由で早期除隊を余儀なくされています。
◆除隊後の1957年、タリン州立音楽院(現在のエストニア音楽演劇アカデミー)に入学した彼は、エストニア音楽界の重鎮ヘイノ・エッレルのクラスで学びます。エッレルの指導スタイルや仕事に対する倫理観、そして高潔な人格は、若きペルトに深い感銘を与えました。この時期のペルトは極めて多産であり、学生でありながら既にプロフェッショナルな作曲家としてのキャリアを歩み始めていました。
◆1958年から1967年にかけて、彼はエストニア放送の音響技師として勤務していました。この職務は、彼に音の微細なニュアンスや録音技術に関する深い洞察を与えただけでなく、演奏家たちがどのように音を作り上げるかという心理的なプロセスを学ぶ貴重な機会となりました。この時期、彼は50本以上の映画や演劇、人形劇の音楽を手がけ、その報酬によって経済的な基盤を確立していきました。
【初期キャリアにおける主な仕事と役職】
◇1954–1956年:ソ連軍軍楽隊員(オーボエ、打楽器、ピアノ)
◇1956–1959年:タリン宮殿劇団(ピアノ伴奏者、子供向け楽曲の作曲)
◇1958–1967年:エストニア放送職員(音響技師、録音監督)
◇1961–1968年:エストニア国立人形劇場(人形劇7作品の音楽制作)
◇1961–現在:エストニア作曲家同盟会員(1961年加入)
ソビエト・アヴァンギャルドとしての台頭と葛藤(1964年-1968年)
◆1960年代、ペルトは「ソビエト・アヴァンギャルド」の旗手の一人として、急速にその名を轟かせました。当時のソ連では、ショスタコーヴィチやプロコフィエフのような社会主義リアリズムに沿った作風が公式に奨励されていましたが、若きペルトは西側諸国から秘密裏に流入する十二音技法(ドデカフォニー)やセリエリズムといった前衛的な手法に強く惹かれていました。
◆1960年に発表された「ネクロログ(死者略伝)」は、エストニアにおける最初の十二音技法を用いた管弦楽曲として歴史に刻まれました。しかし、この先駆的な試みはソ連当局から「西側の退廃的な影響」であるとして激しい糾弾を受けることになります。皮肉なことに、この批判がかえって彼の名を西側諸国に知らしめる結果となりました。◆1963年には、ヴェリヨ・トルミスらと共にワルシャワの秋現代音楽祭に出席し、ルイジ・ノーノなどの前衛作曲家と親交を結び、自らの音楽的言語を研ぎ澄ませていきました。
◆しかし、前衛的な実験を繰り返す中で、ペルトは次第に複雑化する音楽構造に虚無感を感じるようになります。その葛藤が頂点に達したのが、1968年に発表された「クレド」です。この作品は、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻第1番のプレリュードを美しく引用しながら、それを十二音技法の不協和音で破壊し侵食するという作品で、当局は即座にこの曲の演奏を禁止しています。
8年の沈黙と内省―ティンティナブリ様式の誕生(1969年-1976年)
◆「クレド」の後、ペルトは自らの音楽的言語を完全に失ったと感じ、1968年から1976年までの約8年間、作曲活動をほぼ全面的に停止しました。この期間は「沈黙の時代」と呼ばれますが、実際には後の飛躍のための、極めて濃密な充電期間でした。
◆彼は自らを隠者のように書斎に閉じ込め、単旋律のグレゴリオ聖歌、ノートルダム楽派、そしてルネサンス期のポリフォニー音楽を徹底的に研究しました。彼は「2つ、あるいは3つの音を繋げるという芸術の背後に、宇宙的な神秘が隠されている」と悟り、音楽の「原子」とも言える最小単位にまで遡る旅を続けたのです。
◆1972年、ロシア正教会に入信。宗教との関わりは、彼の音楽に「永遠」という時間軸をもたらしました。そして1976年、彼は一つの小さなピアノ曲「アリーナのために」を携えて、沈黙から帰還します。ここで初めて、彼は自らの新しい音楽言語を「ティンティナブリ(Tintinnabuli、ラテン語で「小さな鈴」の意)」と名付けました。
【ティンティナブリ様式の構造的原理】
ティンティナブリ様式は、極めて厳格かつ数学的なロジックに基づいています。この様式において、楽曲は常に2つの「声部」の対話として構成されます。
1.M声部(Melodic Voice):特定の中心音の周りを、音階に沿ってステップ状に(隣り合う音へ)動く主旋律の声部。
2.T声部(Tintinnabuli Voice):常に主和音(トライアド)の構成音のみを演奏する声部。この声部は、M声部の動きに対して厳密なアルゴリズムに従って配置されます。
ペルトにとって、M声部は人間の不完全な歩みや罪、苦悩を象徴し、T声部は神の永遠の許しや救い、静謐を象徴しています。これら2つが融合することで、音楽は一つの不可分な全体(1+1=1)となり、聴衆に深い瞑想的な体験をもたらすのです。
祖国を離れて―亡命、ウィーン、ベルリンでの生活(1980年-2009年)
◆1970年代後半、ティンティナブリ様式によって生まれた「タブラ・ラサ」や「フラトレス」といった作品は、エストニア国内のみならず、西側諸国でも大きな注目を集め始めました。しかし、彼の音楽の宗教的な性格はソ連当局にとって依然として不快なものであり、家族への圧力も強まっていきました。
◆1980年1月、ペルトは妻ノーラと二人の息子と共に、ソ連を離れることを決意します。建前上はユダヤ系であるノーラの出自を利用したイスラエルへの移住でしたが、実際にはウィーンを経てドイツへ向かう亡命でした。ブレスト駅の国境検問所での緊迫した荷物検査の際、彼は録音テープを没収されそうになりましたが、検問官に「カントゥス」を聴かせることで奇跡的に通過できたという逸話が残っています。
◆ウィーンでの短い滞在を経て、1981年にはDAAD(ドイツ学術交流会)の奨学金を得て西ベルリンに移住しました。以後、約30年間にわたりベルリンを拠点に活動することになります。
◆この時期に重要な役割を果たしたのが、ECMレコードの創設者マンフレート・アイヒャーとの出会いです。アイヒャーはペルトの音楽に深い精神的共鳴を感じ、1984年にアルバム「タブラ・ラサ」をリリースしました。これが世界的な大ヒットとなり、ペルトは「現代で最も演奏される作曲家」としての地位を確立しました。
【賞歴】
◆1962年、全ソ連若手作曲家コンクール第1位(「私たちの庭」に対して)。
◆2008年、レオニー・ソニング音楽賞
◆2011年、フランス・レジオン・ドヌール勲章フランスシュヴァリエ(騎士)
◆2014年、高松宮殿下記念世界文化賞(賞金1,500万円)
◆2017年、ラッツィンガー賞(バチカン神学・宗教芸術への貢献)
◆2020年、BBVA財団フロンティア・オブ・ナレッジ賞(スペイン音楽・現代音楽部門)
◆2023年、ポラー音楽賞。(賞金100万クローナ/約1,400万円)
【年表】
1935年(0歳)
◆9月11日、エストニアのパイデで誕生。父アウグスト、母リンダの唯一の子。
1936年(1歳)
◆エストニア独立共和国の平穏な時期。
1937年(2歳)
◆両親が別離。母リンダと共に生活を始める。
1938年(3歳)
◆母と共にラクヴェレへ移住。母が再婚。義父は看板描き。
1939年(4歳)
◆故障した中音域を持つ古いピアノに親しみ始める。独ソ不可侵条約締結。
1940年(5歳)
◆ソ連によるエストニアの第一次占領。
1941年(6歳)
◆ドイツ軍によるエストニア占領開始。
1942年(7歳)
◆音楽教育の手ほどきを受け始める。
1943年(8歳)
◆ラクヴェレでの戦時下の生活。
1944年(9歳)
◆ソ連によるエストニア再占領。エストニア・ソビエト社会主義共和国の成立。
1945年(10歳)
◆ラクヴェレ音楽学校入学。イル・マルティンにピアノを師事(〜1953年)。
1946年(11歳)
◆初めての作曲の試み(現存せず)。
1947年(12歳)
◆ソ連の検閲体制下での音楽学習。
1948年(13歳)
◆ジダーノフ批判。形式主義への攻撃が始まるが、地方都市では比較的平穏。
1949年(14歳)
◆エストニア人のシベリア強制連行(3月)。社会的不安の中での音楽修行。
1950年(15歳)
◆ラクヴェレ第1中等学校入学。吹奏楽団でオーボエを担当。
1951年(16歳)
◆ダンスオーケストラでピアノと打楽器を演奏。
1952年(17歳)
◆ラクヴェレ音楽学校でピアノ伴奏者としての仕事を始める。
1953年(18歳)
◆3月、スターリン死去。社会にわずかな「雪解け」の兆し。
1954年(19歳)
◆タリン音楽学校に入学、ハッリ・オッツァに師事。数週間後、ソ連軍に徴兵。
1955年(20歳)
◆ソ連軍楽隊員としてオーボエ、打楽器、ピアノを演奏。
1956年(21歳)
◆健康上の理由で除隊。ヴェリヨ・トルミスのクラスで復学。
1957年(22歳)
◆タリン州立音楽院入学。ヘイノ・エッレルに師事(〜1963年)。
1958年(23歳)
◆エストニア放送で音響技師として勤務開始(〜1967年)。
◆作品:「パルティータ」。
1959年(24歳)
◆作品:「ピアノ・ソナチネ第1番」、「子供のためのカンタータ「私たちの庭」」。
1960年(25歳)
◆作品:十二音技法を用いた管弦楽曲「ネクロログ」。当局の批判を浴びる。
1961年(26歳)
◆エストニア作曲家同盟に加入。人形劇音楽の制作を開始。
1962年(27歳)
◆モスクワ若手作曲家コンクール第1位。当局からの評価と批判が交錯。
1963年(28歳)
◆音楽院卒業。
◆作品:「交響曲第1番「ポリフォニック」」、「無窮動」。
1964年(29歳)
◆ワルシャワの秋現代音楽祭出席。
◆作品:「B-A-C-Hによるコラージュ」。
1965年(30歳)
◆「無窮動」がワルシャワで再演、絶賛される。
1966年(31歳)
◆健康問題で長期入院。
◆作品:「交響曲第2番」、チェロ協奏曲「賛と否」。
1967年(32歳)
◆エストニア放送を退職、フリーランスに。
◆作品:「アリーナの癒しにもとづく変奏曲」。
1968年(33歳)
◆「クレド」初演。熱狂と禁止。最初の妻ヒルデとの別離、沈黙の期間へ突入。
1969年(34歳)
◆タリンのレコード店でグレゴリオ聖歌に出会う。古楽の徹底研究を開始。
1970年(35歳)
◆アニメーションやドキュメンタリー映画の音楽制作で生計を立てる。
1971年(36歳)
◆ノーラと再婚。
◆作品:「交響曲第3番」。古楽研究の成果が見え始める。
1972年(37歳)
◆ロシア正教に入信。
1973年(38歳)
◆映画「ウクアル」音楽制作。後に名曲「ウクアル・ワルツ」として知られる。
1974年(39歳)
◆内省の深化。作曲の試行錯誤が続く。
1975年(40歳)
◆極限の単純さを追求する日々。
1976年(41歳)
◆ティンティナブリ様式の確立。
◆作品:「アリーナのために」、「パリ・インテルヴァロ」。
1977年(42歳)
◆驚異的な作曲の年。
◆作品:「タブラ・ラサ」、「フラトレス」、「カントゥス」。次男マイケル誕生。
1978年(43歳)
◆作品:「鏡の中の鏡」、「スンマ」。
1979年(44歳)
◆ソ連当局との対立が激化。亡命を検討し始める。
1980年(45歳)
◆1月、ソ連を離れる。ウィーンへ。
◆作品:「デ・プロフンディス」。
1981年(46歳)
◆DAAD奨学金を得て西ベルリンに移住。
1982年(47歳)
◆バイエルン放送の委嘱により「ヨハネ受難曲(Passio)」を完成。
1983年(48歳)
◆マンフレート・アイヒャー(ECM)との共同作業開始。
1984年(49歳)
◆アルバム「TabulaRasa」(ECM)発売。世界的センセーション。
◆作品:「テ・デウム」。
1985年(50歳)
◆作品:「スターバト・マーテル」。ウィーンでの初演。
1986年(51歳)
◆「ヨハネ受難曲」の英国初演。
1987年(52歳)
◆アルバム「Arbos」(ECM)発売。
1988年(53歳)
◆エジソン賞受賞。
◆作品:「フェスティーナ・レンテ」。
1989年(54歳)
◆作品:「マニフィカト」、「ミゼレーレ」。
1990年(55歳)
◆作品:「ベルリン・ミサ」、「至福」。
1991年(56歳)
◆エストニア独立回復。母国との絆を再構築。
◆作品:「シルーアンの歌」。
1992年(57歳)
◆亡命以来初めてエストニアを訪問。
1993年(58歳)
◆アルバム「TeDeum」発売。国際的な評価がさらに高まる。
1994年(59歳)
◆作品:「連祷(Litany)」。
1995年(60歳)
◆ラクヴェレ名誉市民。
1996年(61歳)
◆作品:「我はまことの葡萄の樹」。アメリカ芸術文学アカデミー名誉会員。
1997年(62歳)
◆作品:無伴奏合唱の大作「痛悔のカノン」。
1998年(63歳)
◆作品:「水を求める鹿のように」。エストニア国章勲章第2級。
1999年(64歳)
◆作品:「聖歌(Cantiquedesdegrés)」。
2000年(65歳)
◆
◆作品:「東洋と西洋(Orient&Occident)」。ヘルデ賞(独)受賞。
2001年(66歳)
◆作品:「ヌンク・ディミティス(今こそ主よ、僕を去らせたまわん)」。
2002年(67歳)
◆
◆作品:「ラメンターテ」。ロンドンでの初演。
2003年(68歳)
◆
◆作品:「イン・プリンチピオ」。クラシックBRIT賞受賞。
2004年(69歳)
◆作品:「主よ、平和を与えたまえ(DapacemDomine)」。
2005年(70歳)
◆ミュージカル・アメリカ「コンポーザー・オブ・ザ・イヤー」。
2006年(71歳)
◆アンナ・ポリトコフスカヤへの哀悼を捧げる宣言。
2007年(72歳)
◆「Dapacem」でグラミー賞受賞。
2008年(73歳)
◆作品:「交響曲第4番「ロサンゼルス」」。レオニー・ソニング音楽賞。
2009年(74歳)
◆アーカイブのエストニア移送開始。エストニア生涯功労賞。
2010年(75歳)
◆エストニアへ完全帰国。アルヴォ・ペルト・センター設立。
◆作品:「アダムの嘆き」。
2011年(76歳)
◆ローマ教皇庁文化評議会委員に任命。
2012年(77歳)
◆エストニア音楽評議会作曲賞。
2013年(78歳)
◆最も演奏される存命の作曲家に選出(3年連続)。
2014年(79歳)
◆日本より「世界文化賞」受賞。アルバム「Adam'sLament」でグラミー賞。
2015年(80歳)
◆映画祭「ペルト&フィルム」開始。
◆作品:「小さな連祷」。
2016年(81歳)
◆オックスフォード大学名誉博士号。
2017年(82歳)
◆バチカンのラッツィンガー賞受賞。
2018年(83歳)
◆10月、アルヴォ・ペルト・センター新社屋開館。
2019年(84歳)
◆ドイツ音楽著作者賞。
2020年(85歳)
◆フロンティア・オブ・ナレッジ賞受賞。パンデミック下の静謐な活動。
2021年(86歳)
◆ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字星章。
2022年(87歳)
◆ルクセンブルク、エストニアの外務省から勲章。
2023年(88歳)
◆ポラー音楽賞受賞(スウェーデン)。
◆作品:「Passio」サックス版。
2024年(89歳)
◆RPSゴールドメダル授与。モナコ、英国からの高い評価。
2025年(90歳)
◆90歳記念祝典。世界各地(エストニア、ニューヨーク、ロンドン、パリ等)で大規模公演。
2026年(91歳)
◆記念イヤーの継続。パリ・フィルハーモニー等での演奏会が予定。

商品説明詳細ページ一覧
作曲家
【中世〜バロック】
◆
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン (1098-1179)
◆
バルベッタ (c.1540-1623?)
◆
バード (c.1540-1623)
◆
スウェーリンク (1562-1621)
◆
モンテヴェルディ (1567-1643)
◆
ファゾーロ (c.1598-c.1664)
◆
ロッシ (1602-1656)
◆
カッツァーティ (1616-1678)
◆
レグレンツィ (1626-1690)
◆
ルイ・クープラン (1626-1661)
◆
クープラン一族
◆
ブクステフーデ (1637-1707)
◆
マッツァフェッラータ (c.1640–1681)
◆
マンネッリ (1640-1697)
◆
ムルシア (1673-1739)
◆
グリューネヴァルト (1673-1739)
◆
ダンドリュー (1682-1738)
◆
J.S.バッハ (1685-1750)
◆
B.マルチェッロ (1686-1739)
◆
ゴットリープ・ムッファト (1690-1770)
◆
モルター (1696-1765)
◆
シャフラート (1709-1763)
◆
コレット (1709-1795)
◆
スタンリー (1713-1786)
◆
ヨハン・エルンスト・バッハ (1722-1777)
◆
ビンダー (1723-1789)
◆
グラヴィエ (1723-1799)
【古典派&ロマン派】
◆
ハイドン (1732-1809)
◆
ミスリヴェチェク (1737-1781) (モーツァルトへの影響大)
◆
ボッケリーニ (1743-1805)
◆
ギロヴェッツ (1763-1850)
◆
モンジュルー (1764-1836) (ピアノ系)
◆
ベートーヴェン (1770-1827)
◆
クラーマー (1771-1858)
◆
ジャダン (1776-1800) (ピアノ系)
◆
ソル (1778-1839) (ギター系)
◆
リース (1784-1838)
◆
ブルックナー (1824-1896)
◆
ルビンシテイン (1829-1894)
◆
キュイ (1835-1918)
◆
マルトゥッチ (1856-1909)
◆
マーラー (1860-1911)
◆
トゥルヌミール (1870-1939)
◆
ルクー (1870-1894)
◆
レーガー (1873-1916)
◆
ラフマニノフ (1873-1943)
【近現代】
◆
シェーンベルク (1874-1951)
◆
ウォルフ=フェラーリ (1876-1948)
◆
カイパー (1877-1953)
◆
レスピーギ (1879-1936)
◆
レーバイ (1880-1953) (ギター系)
◆
ピツェッティ (1890-1968)
◆
マルティヌー (1890-1959)
◆
カステルヌオーヴォ=テデスコ (1895-1968)
◆
ミゴ (1891-1976) (ギター系も)
◆
レブエルタス (1899-1940)
◆
サントルソラ (1904-1994) (ギター系も)
◆
ショスタコーヴィチ (1906-1975)
◆
ラングレー (1907-1991) (オルガン系)
◆
アンダーソン (1908-1975)
◆
メシアン (1908-1992)
◆
グアスタビーノ (1912-2000) (ギター系)
◆
デュアルテ (1919-2004) (ギター系)
◆
ピアソラ (1921-1992) (タンゴ系)
◆
プレスティ (1924-1967) (ギター系)
◆
テオドラキス (1925-2021)
◆
ヘンツェ (1926-2012)
◆
スハット (1935-2003)
◆
ペルト (1935-)
◆
ヴァスクス (1946-)
◆
坂本龍一 (1952-2023)
【複数】
◆
女性作曲家たち
◆
Piano Classics スラヴ・エディション
◆
Piano Classics フレンチ・エディション
◆
Piano Classics アメリカ・エディション
◆
Piano Classics スペイン・エディション
◆
オランダのピアノ協奏曲集
◆
オランダのチェロ協奏曲集
◆
イタリアのヴァイオリン・ソナタ集
◆
イタリアのチェロ・ソナタ集
オーケストラ
◆
ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
指揮者
【ドイツ・オーストリア】
◆
アーベントロート
◆
エッシェンバッハ
◆
カラヤン
◆
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィル、
ベルリン・フィル、
ミュンヘン・フィル、
国立歌劇場管、
レジェンダリー)
◆
クラウス
◆
クリップス
◆
クレンペラー (VOX&ライヴ、
ザルツブルク・ライヴ、
VENIASボックス
◆
サヴァリッシュ
◆
シューリヒト
◆
スイトナー (ドヴォルザーク、
レジェンダリー)
◆
フリート
◆
フルトヴェングラー
◆
ヘルビヒ (ショスタコーヴィチ、
マーラー、
ブラームス)
◆
ベーム
◆
メルツェンドルファー
◆
ヤノフスキー
◆
ライトナー
◆
ラインスドルフ
◆
レーグナー (ブルックナー、
マーラー、
ヨーロッパ、
ドイツ)
◆
ロスバウト
【ロシア・ソ連】
◆
アーロノヴィチ
◆
ガウク
◆
クーセヴィツキー
◆
ゴロワノフ
◆
ペトレンコ
◆
マルケヴィチ
【アメリカ】
◆
クーチャー(クチャル)
◆
スラトキン(父)
◆
ドラゴン
◆
バーンスタイン
◆
フェネル
【オランダ】
◆
オッテルロー
◆
クイケン
◆
フォンク
◆
ベイヌム
◆
メンゲルベルク
【フランス】
◆
パレー
◆
モントゥー
◆
レイボヴィッツ
【ハンガリー】
◆
セル
◆
ドラティ
【スペイン】
◆
アルヘンタ
【スイス】
◆
アンセルメ
【ポーランド】
◆
クレツキ
【チェコ】
◆
ターリヒ
【ルーマニア】
◆
チェリビダッケ
【イタリア】
◆
トスカニーニ
【イギリス】
◆
バルビローリ
【ギリシャ】
◆
ミトロプーロス
【日本】
◆
小澤征爾
鍵盤楽器奏者
【ピアノ(ロシア・ソ連)】
◆
ヴェデルニコフ
◆
グリンベルク
◆
ソフロニツキー
◆
タマルキナ
◆
ニコラーエワ
◆
ネイガウス父子
◆
フェインベルク
◆
フリエール
◆
モイセイヴィチ
◆
ユージナ
【ピアノ(フランス)】
◆
ウーセ
◆
カサドシュ
◆
ティッサン=ヴァランタン◆
ハスキル
◆
ロン
【ピアノ(ドイツ・オーストリア)】
◆
キルシュネライト
◆
シュナーベル
◆
デムス
◆
ナイ
◆
レーゼル (ブラームス、
ベートーヴェン)
【ピアノ(イタリア)】
◆
フィオレンティーノ
【ピアノ(ハンガリー)】
◆
ファルナディ
【ピアノ(南米)】
◆
タリアフェロ
◆
ノヴァエス
【チェンバロ】
◆
ヴァレンティ
◆
カークパトリック
◆
ランドフスカ
弦楽器奏者
【ヴァイオリン】
◆
オイストラフ
◆
コーガン
◆
スポールディング
◆
バルヒェット
◆
フランチェスカッティ
◆
ヘムシング
◆
リッチ
◆
レナルディ
◆
レビン
【チェロ】
◆
カサド
◆
シュタルケル
◆
デュ・プレ
◆
トルトゥリエ
◆
ヤニグロ
◆
ロストロポーヴィチ
管楽器奏者
【クラリネット】
◆
ウラッハ
◆
マンツ
【ファゴット】
◆
デルヴォー(ダルティガロング)
【オーボエ】
◆
モワネ
歌手
◆
ド・ビーク (メゾソプラノ)
室内アンサンブル
【三重奏団】
◆
パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】
◆
フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】
◆
ヴェーグ四重奏団
◆
グリラー弦楽四重奏団
◆
シェッファー四重奏団
◆
シュナイダー四重奏団
◆
ズスケ四重奏団
◆
パスカル弦楽四重奏団
◆
ハリウッド弦楽四重奏団
◆
バルヒェット四重奏団
◆
ブダペスト弦楽四重奏団
◆
フランスの伝説の弦楽四重奏団
◆
レナー弦楽四重奏団
楽器
◆
アルザスのジルバーマン・オルガン