モーツァルトに続く魅力ある作品群!
フェルディナント・リース:フルート四重奏曲集(2CD)
ジネーヴラ・ペトルッチ(フルート)、ダーヴィド三重奏団
2023年にベートーヴェンのフルート室内楽作品全集(
BRL96494)をリリースしていたジネーヴラ・ペトルッチが、今度はベートーヴェンゆかりの人物であるフェルディナント・リースのフルート四重奏曲をに取り組みました。共演は2024年にウォルフ=フェラリの弦楽三重奏曲(
BRL96816)をリリースしていたダーヴィド三重奏団。
ブックレット(英語・12ページ)には、演奏のペトルッチによる解説などが掲載。
モーツァルトに続く力作群
フルート四重奏曲は古典派時代にはモーツァルト以外にも、カンナビヒ、アーベル、シュターミッツ、ヴェントリング、トエスキの作品などがありましたが、どれも無名に近い存在だったため、協奏曲的な力強さも兼ね備えたフェルディナント・リースの6作品が普及すれば、フルート四重奏のジャンルとしての存在感も高まりそうです。
ロンドン時代の3作品
CD1、Op.145の3曲は、リースがロンドンに住んでいた1814年と1815年に作曲。当時のロンドンではフルートが大変人気がありました。リースの四重奏曲は、特に協奏的な性質により、特別な意味を持っています。フルートには素晴らしいパッセージがいくつかありますが、テーマと展開は 4 つの楽器すべてに共通しています。
これらの作品の表現力豊かな個性と、主人公たちの間の独創的で一貫した対話により、これらの作品はレパートリーの中でも注目すべき位置を占め、おそらくモーツァルトの作品に次ぐこのジャンルの最高の作品の1つとなっています。
ドイツ時代のWoO35の3曲
CD2、WoO35の3曲は、リースがドイツに帰国した晩年(といっても40代)に作曲。最初の四重奏曲はゴーデスベルクで、他の2つはフランクフルトで作曲。ドレスデンの有名なフルート奏者兼ソリストで、ヴェーバーの友人でもあったアントン・ベルンハルト・フュルステナウ(1792-1852)のために書かれたものと推測されています。
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作曲家情報
1784-1797 ボン (ケルン選帝侯領→フランス領) (約13年)
◆1784年11月28日、ケルン選帝侯領の首都ボンで誕生し、翌日受洗。両親はカトリック信徒のフランツ・アントン・リース(1755-1846)とアンナ・ゲルハルディーナ・リース(旧姓:ホルスト)(1761-1805)。長男。
◆父:フランツ・アントン・リース(1755-1846)は、14歳で選帝侯宮廷楽団の第1ヴァイオリン奏者になり、19歳で楽団長、25歳で年俸400グルデン(約200万円相当)、36歳で選帝侯音楽監督に就任。少年時代のベートーヴェンにヴァイオリンを教えたほか、ベートーヴェン家を支援。
◆祖父:ヨハン・リース(1723-1784)は、選帝侯宮廷楽団で、トランペット奏者、ヴァイオリン奏者を務めたほか、テノール歌手、作曲家としても活動。狩猟愛好家のケルン選帝侯で大司教のクレメンス・アウグストのために、狩猟音楽「聖フーベルトゥスのミサ曲」(1756)なども作曲。
◆末弟:フーベルト・リース(1802-1886)は、ヴァイオリン奏者、作曲家。
◆リースは5歳から父にピアノと音楽全般の指導を受けたほか、父の同僚でチェロの名手であるベルンハルト・ロンベルク(1767-1841)にチェロを師事。
◆1794年、フランス革命軍がボンを占領。
◆1794年、宮廷組織解体により失業した父は、フランス軍占領下で、徴税人、ヴァイオリン教師などさまざまな仕事をおこなって家計を維持。
◆1797年、父は知人のオルガン奏者にヴァイオリンなどを師事させるため、リースをアルンスベルクに向かわせます。
♪ メヌエット、弦楽四重奏曲
1797-1798 アルンスベルク (ヴェストファーレン公国) (約9か月)
◆1797年12月頃、父の知人のオルガン奏者からオルガン演奏と通奏低音の指導を受けるよう師事され、ケルン選帝侯領のアルンスベルクに到着。
◆リースは子供の頃からオルガンを弾いていたため教わることがなく、ヴァイオリンの指導などを受けていました。
◆アルンスベルクはボンの北東約100kmに位置。1794年からケルン大聖堂参事会の避難拠点となっており宝物庫も移されていました。
1798-1801 ボン (フランス領) (約3年)
◆1798年9月頃、ボンに帰還。
◆1799年、ハイドンのオラトリオ「天地創造」と「四季」、及びモーツァルトのレクイエムをピアノ編曲し、ボンのシムロック社から出版。
1801-1802 ミュンヘン (バイエルン王国) (約1年)
◆ミュンヘンの宮廷音楽家で作曲家のペーター・フォン・ヴィンター(1774–1825)に作曲を師事し、写譜師として生活費と旅費を工面。バイエルン王国はカトリック。
◆1802年12月、ウィーンに向けて出発する際に、バイエルン王国宮廷音楽監督のカール・カンナビヒ(1771-1806)が、ウィーンのピアノ製作者アンドレアス・シュトライヒャー宛に紹介状を書いています(署名は12月29日)。
1803-1805 ウィーン (オーストリア大公国→オーストリア帝国) (約3年)
◆1803年1月頃、神聖ローマ帝国オーストリア大公国の首都ウィーンに到着。オーストリアはカトリック。
◆ベートーヴェンにピアノを師事。
◆アルブレヒツベルガー(1736-1809)に作曲を師事。ベートーヴェンの師。
◆レッスン料代わりに、交渉役などマネージャー業務もこなし、難聴になりつつあったベートーヴェンの生活を補助。
◆ベートーヴェンのパトロンのために各地でピアノ演奏。
◆1804年8月1日、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番で公開演奏会デビュー。カデンツァは自作の技巧的なものを用意し成功。
◆1804年8月11日、フランツ1世がオーストリア皇帝として即位。オーストリア帝国が成立。
◆1805年11月、故郷ボンなどラインラント地方を11年も占領しているフランス軍からのボン市民向け徴兵通知がウィーンに到着。
♪ ピアノ・ソナタ WoO 11(1803)。2つのピアノ・ソナタ Op.1(1804)。弦楽四重奏曲 WoO.10(1805)。
1805-1807 ボン (フランス領) (約1年)
◆1805年11月、1794年からフランス領になっていたコブレンツで適性検査。視力に問題があり兵役不適格で難を逃れます。コブレンツはボンの南東約55kmに位置。
◆兵役検査後、ボン近郊のマリエンフォルスト修道院に向けて出発。同修道院はすでに世俗化されており、1802年にその広大な敷地の一部を父が購入し、農場を経営して家族を養っていました。
◆ボンのフリーメーソンにジムロック[1751-1832]などと入会。フランス占領下の1805年5月24日に、フランスの大組織「グラン・オリエント・ド・フランス」に属する団体として正式に設立されたばかりの組織でロッジ名は「勇気ある兄弟会」。メンバー構成はドイツ人が約7割(政治家、出版関係者、音楽家等)、フランス人が約3割(軍人等)。の1815年にボンがプロイセン軍の攻撃で陥落するとロッジは解散。
♪ ボンのフリーメイソンのためのカンタータ WoO 9(1805)。
カンタータ「朝」Op.27(1806)。
歌曲「メーソンの祝典」 Op.44-2(1806)。
6つのドイツ歌曲 Op.7(1806)。
3つのヴァイオリン・ソナタ Op.16(1806)。
ピアノ協奏曲 Op.123(1806)。
1807-1808 パリ (フランス共和国) (約1年半)
◆1月、戦勝景気に沸くフランスの首都パリに到着。フランスはカトリック。
◆ピアノ四重奏曲、ヴァイオリン・ソナタやピアノ・ソナタなど作曲するもののパリでは出版先が見つからず、演奏や教育の仕事にも就けず。
♪ ピアノ三重奏曲第1番 Op.2(1807)。
2つのヴァイオリン・ソナタ Op.8(1807)。
チェロ・ソナタ Op.21(1807)。
2つのピアノ・ソナタ Op.11(1807)。
2つのピアノ・ソナタ Op.9(1808)。
チェロ・ソナタ Op.20(1808)。
幻想的ソナタ「不運」Op.26(1808)。
ピアノ四重奏曲 Op.13(1808)。
七重奏曲 Op.25(1808)。
1808-1809 ウィーン (オーストリア帝国) (約1年)
◆1808年8月、ウィーンに3年ぶりに戻ってベートーヴェンと再会。
◆1809年5月、ナポレオン軍がウィーンに無血入城。
◆1809年7月、リースは情勢不穏なウィーンを出立。
♪ ピアノ四重奏曲 Op.17(1809)。
1809-1811 ボン (フランス領) (約1年半)
◆1809年7月、ボンに帰還。
◆父とコンサートを開催。
♪ 交響曲第1番 Op.23(1809)。
ピアノ協奏曲 Op.115(1809)。
クラリネット・ソナタ Op.29(1809)。
ヴァイオリン協奏曲 Op.24(1810)。
ヴァイオリン・ソナタ Op.19(1810)。
ピアノ三重奏曲第2番(クラリネット三重奏曲) Op.28(1810)。
1811-1813 大ツアー (約2年)
◆1811年春、マールブルク、カッセル、ハンブルク、コペンハーゲン、ストックホルムを経由してロシアに向かうツアーを開始。
◆ロシア帝国では、トゥルク、リガ、レーヴェリ (現・タリン)、ヴィテプスク、キエフ、サンクトペテルブルクなどで演奏。
◆1811年12月頃、サンクトペテルブルクで、かつてのチェロの師ベルンハルト・ロンベルクと再会。ロシア西部のコンサートで共演。
◆1812年、モスクワに向かう途中でナポレオン軍に遭遇したため、ロシア滞在を断念。
◆1813年3月、ストックホルムのスウェーデン王立音楽アカデミーのメンバーに選出。
♪ 2台のホルンのための協奏曲 WoO.19(1811)。
ピアノ協奏曲 Op.42(1811) 。
3つのヴァイオリン・ソナタ Op.38(1811)。
弦楽五重奏曲 Op.68 (1811年)。
ピアノのための12の小品 Op.58(1812)。
ロシア歌曲変奏曲 Op.72(1812)。
ヴァイオリン・ソナタ Op.71(1812)。
ピアノ協奏曲 Op.55(1812)。
交響曲第5番 ニ短調 Op.112(1812)。
スウェーデンの国民歌による変奏曲 Op.52(1813)。
1813-1824 ロンドン (グレートブリテン及びアイルランド連合王国) (約11年)
◆1813年4月、 ロンドンに到着。ピアノ教師として活動を開始。
◆1814年3月、指揮者としてデビュー。
◆1814年7月25日、29歳のリースは、17歳のハリエット・マンジョン(1796-1863)と結婚。のちに5人の子共をもうけます。ハリエットの父はフランス王国ロレーヌ地方生まれの裕福な人物。
◆1815年、ジョージ・スマート卿と、父と祖父の同僚奏者だったヨハン・ペーター・サロモン(1745-1815)との支援を受けて、ロンドン・フィルハーモニック協会の理事となり監督にも任命。
◆1817年、リースはロンドンでベートーヴェンと連絡を取り続けており、この年、正式にフィルハーモニック協会から交響曲第9番の作曲を委嘱。
◆1818年、第1子、ヨゼフィーネ・マウト(1818-1900)が誕生。
◆1819年、第2子、ファニー・アネッテ(1819-?)が誕生。
◆1820年、第3子、エミリー・ハンナ(1820-1859)が誕生。
◆1823年、第4子、フェルディナント・ジェームス(1823-1848)が誕生。
♪ 夢 Op.49(1813)。
ピアノ協奏曲 Op.120(1814)。
交響曲第2番 Op.80(1814)。
クラリネット・ソナタ Op.169(1814)。
フルート・ソナタ Op.169(1814)。
フルート四重奏曲集 Op.145(1814)。
六重奏曲 Op.142(1814)。
交響曲第3番 Op.90(1815)。
序曲「ドン・カルロス」Op.94(1815)。
鳥の序曲 WoO 24(1815)。
ピアノのための変奏曲 Op.66-1(1815)。
ピアノ三重奏曲第3番 Op.63(1815)。
五重奏曲 Op.74(1815)。
ピアノ・ソナタ Op.45(1816)。
4手ピアノのためのソナタ Op.47(1816)。
八重奏曲 Op.128(1816)。
六重奏曲 Op.100(1817)。
交響曲第4番 Op.110(1818)。
フルート・ソナタ Op.87(1819)。
ピアノのための幻想曲 Op.97(1820)。
ピアノ四重奏曲 Op.129(c.1820)。
シラーの詩による幻想曲 Op.109(1821)。
2つのピアノ・ソナチネ Op.5(1821)。
交響曲第6番 Op.146(1822)。
交響曲第8番 WoO.30(1822)。
序奏とポロネーズ Op.119(1822)。
ピアノ・ソナタ Op.114(1823)。
ピアノ協奏曲 Op.132(1823)。
チェロ・ソナタ Op.125(1823)。
序奏とロシアの踊り Op.113(1823)。
3つの弦楽四重奏曲 Op.150(1823)。
1824-1827 バート・ゴーデスベルク (プロイセン王国) (約3年間)
◆1824年7月、妻と子共たちとともに、ボンに隣接するバート・ゴーデスベルク(現在はボン市域)に移住。バート・ゴーデスベルクはケルン選帝侯が開発した、ライン川沿いの風光明媚な温泉保養地。
◆選帝侯宮廷楽団が毎週火曜日に演奏会を開いていた会場「ルドゥーテ」の隣には父フランツが建てた家があり、すでに資産家となっていたリースは自費で購入して居住。
◆当時のバート・ゴーデスベルクやボンは、1814年1月にフランス軍が撤退したのち、ウィーン会議を経て1815年にプロイセン領となり、カトリックの街だったボンにプロテスタントのプロイセン人の入植が進められています。
◆1825年、夏に開催されるニーダーライン音楽祭の指揮者に任命。リースはベートーヴェンの交響曲第9番をドイツ初演。この音楽祭は、カトリック地域のアーヘン、ケルン、デュッセルドルフで開催され、この年はアーヘンでした。
◆1826年、初のオペラ「盗賊の花嫁」の作曲を計画。
◆1827年、第5子、エレオノーラ(1827-1829)が誕生。
♪
4手ピアノのためのソナチネ Op.6(1825)。
ピアノ・ソナタ Op.141(1825)。
フルート四重奏曲集 WoO 35(1826)。
「ルール・ブリタニア」による変奏曲 Op.116(1825)。
序奏と華麗なるロンド Op.144(1825)。
ピアノ三重奏曲第4番 Op.143(1826)。
ピアノ協奏曲 Op.151(1826)。
ポルトガルの讃歌による変奏曲Op.152-1(1826)。
1827-1838 フランクフルト・アム・マイン (自由都市) (約11年間)
◆1827年4月、家族とともにフランクフルトに移住。同地にはフランクフルト国民劇場がありました。
◆1828年10月、初のオペラ「盗賊の花嫁」初演。成功を収め、1829年に出版し、隣接するヘッセン大公国のルートヴィヒ1世に献呈。ロンドン、アーヘン、ライプツィヒ、ケルンなど各地で上演が続き、1830年のヴァイマール上演はゲーテが観劇しメンデルスゾーンに報告。1831年のベルリン上演ではプロイセン国王も列席。
◆1831年、ダブリン音楽祭の指揮者として招かれ、ロンドンに数カ月間滞在。
◆1832年、翌年にかけてイタリア演奏旅行に出かけ、ヴェネツィア、ミラノ、ローマ、ナポリを訪問。その間、ピアノ協奏曲 Op.177)、ピアノソナタ Op.176)、弦楽四重奏曲 WoO 48などを作曲。
◆1834年夏、ニーダーライン音楽祭の監督に任命され、指揮者としても高い評価を獲得。
◆1836年、翌年にかけてパリに滞在。劇的序曲「幻影」WoO 61など作曲。
◆1837年3月、ロンドンでフィルハーモニック協会のコンサートを指揮。
◆1837年夏、アーヘンのニーダーライン音楽祭の監督に任命され、オラトリオ「イスラエルの王たち」を作曲・初演し成功。ボンのモンプール社から出版。
◆1837年、ベートーヴェンの若い頃からの友人でもあったフランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー(1765-1848)と共同で、ベートーヴェンの伝記を翌1838年にかけて執筆。
◆1838年1月13日、フランクフルトで急死。53歳。
◆1838年、リースとヴェーゲラーの共著「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの伝記」が、ヴェーゲラーの暮らすコブレンツで出版。
♪ 弦楽四重奏曲 WoO.37(1827)。
6つのドイツ語歌曲 Op.154(1827)。
オペラ「盗賊の花嫁」 Op.156(1827)。
オラトリオ「信仰の勝利」 Op.157(1829)。
序曲「メッシーナの花嫁」Op.162(1829)。
4手ピアノのためのソナタ Op.160(1831)。
大祝典序曲と勝利の行進曲 Op.172(1831)。
オペラ「魔女」 Op.164(1831)。
ピアノ・ソナタ Op.176(1832)。
ピアノ協奏曲 Op.177(1832)。
序奏と華麗なる変奏曲 Op.170(1833)。
序奏とポロネーズ Op.174(1833)。
弦楽四重奏曲 WoO 48(1833)。
ノットゥルノ第1番 WoO 50(1834)。
オペラ「レバノンの夜」 WoO 51(1834)。
3つの合唱曲 Op.180(1835)。
序奏と華麗なるロンド WoO 54(1835)。
交響曲第7番 Op.181(1835)。
ノットゥルノ第2番 WoO 60(1836)。
劇的序曲「出現」WoO 61(1836)。
オラトリオ「イスラエルの王たち」 Op.186(1836)。

演奏家情報
ジネーヴラ・ペトルッチ (フルート)
1989年、ローマで誕生。幼少からサンタ・チェチーリア音楽院教授の父ジャン=ルーカに学び、サンタ・チェチーリア音楽院で修士号を得ると、パリのエコール・ノルマルでピエール=イヴ・アルトーに師事して高等ディプロムを取得。ストーニーブルック大学では音楽芸術の博士号を取得し、さらにイェール大学ではジョージ・クラム、スティーヴ・ライヒ、ベッツィ・ジョラスらと交流し、サーリアホの「テレストレ」をアメリカ初演。イェ―ルでは音楽の修士号とアーティストのディプロマも取得し、木管楽器演奏における最高水準の賞であるトーマス・ダニエル・ナイフェンガー賞を受賞。
ペトルッチは現在、ニューヨーク室内管弦楽団の首席フルート奏者および運営マネージャーを務めながら、ソリスト、室内楽奏者として、ヨーロッパ、南北アメリカ、日本、中国、中東など世界的に活動しています。
CDは、Brilliant Classics、Da Vinci、Dynamicなどから発売。

ダーヴィド三重奏団(トリオ・ダーヴィド)
2020年に結成。メンバーは、室内楽の研究に情熱を傾け、弦楽三重奏曲のようなオリジナルなレパートリーを掘り下げ、発見しようという若手音楽家たち。イーモラ国際アカデミーおよびフィエーゾレ音楽学校で腕を磨いたほか、プロメテオ四重奏団の指導も受けています。
彼らはイタリア各地のほか、クロアチアやトルコでも演奏。
CDは、Brilliant Classicsなどから発売。

トラックリスト (収録作品と演奏家)
CD 134'56
フェルディナント・リース (1784-1838)
CD1 65'11
フルート四重奏曲 ハ長調 Op.145-1
1. 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ 6'00
2. 第2楽章 ラルゲット・カンタービレ 5'01
3. 第3楽章 スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ 4'33
4. 第4楽章 アレグロ・アレスパニョーラ 4'16
フルート四重奏曲ホ短調 Op.145-2
5. 第1楽章 アレグロ・モデラート 7'40
6. 第2楽章 アンダンテ 5'51
7. 第3楽章 メヌエット モルト モデラート 3'48
8. 第4楽章 ロンド、アレグロ・モデラート 5'34
フルート四重奏曲イ長調 Op.145-3
9. 第1楽章 アレグロ・モデラート 7'40
10. 第2楽章 スケルツォ、ヴィヴァーチェ 3'38
11. 第3楽章 アダージョ 5'36
12. 第4楽章 アレグロ 5'04
CD2 69'45
フルート四重奏曲ニ短調 WoO35-1
1. 第1楽章 アレグロ 8'50
2. 第2楽章 アダージョ・コン・モート 5'30
3. 第3楽章 スケルツォ、ヴィヴァーチェ 6'34
4. 第4楽章 フィナーレ、アレグロ・モルト 8'26
フルート四重奏曲ト長調 WoO35-2
5. 第1楽章 アンダンテ 2'50
6. 第2楽章 アレグレット 6'15
7. 第3楽章 アダージョ・コン・モート、カンタービレ 3'54
8. 第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ 5'12
フルート四重奏曲イ短調 WoO35-3
9. 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ 6'40
10. 第2楽章 ラルゴ 4'32
11. 第3楽章 メヌエット、モデラート 4'26
12. 第4楽章 ロンド・グラツィオーゾ、アレグレット 6'03
ジネーヴラ・ペトルッチ(フルート)
ダーヴィド三重奏団
録音:2023年10月26〜29日、2024年3月12〜14日、イタリア王国、ローマ、ベス・レコーディング・ストゥーディオ
Track list
Ferdinand Ries 1784-1838
Quartets for Flute & Strings
CD1 65'11
Quartet in C Op.145 No.1
1. I. Allegro con brio 6'00
2. II. Larghetto cantabile 5'01
3. III. Scherzo, Allegro vivace 4'33
4. IV. Allegro all'espagnola 4'16
Quartet in E minor Op.145 No.2
5. I. Allegro moderato 7'40
6. II. Andante 5'51
7. III. Menuetto molto moderato 3'48
8. IV. Rondo, Allegro moderato 5'34
Quartet in A Op.145 No.3
9. I. Allegro moderato 7'40
10. II. Scherzo, Vivace 3'38
11. III. Adagio 5'36
12. IV. Allegro 5'04
CD2 69'45
Quartet in D minor WoO35 No.1
1. I. Allegro 8'50
2. II. Adagio con moto 5'30
3. III. Scherzo, Vivace 6'34
4. IV. Finale, Allegro molto 8'26
Quartet in G WoO35 No.3
5. I. Andante 2'50
6. II. Allegretto 6'15
7. III. Adagio con moto, Cantabile 3'54
8. IV. Allegro vivace 5'12
Quartet in A minor WoO35 No.3
9. I. Allegro non troppo 6'40
10. II. Largo 4'32
11. III. Menuetto, Moderato 4'26
12. IV. Rondo grazioso, Allegretto 6'03
Ginevra Petrucci flute
Trio David
Recording: 26-29 October 2023 & 12-14 March 2024, Beth Recording Studio, Rome, Italy