エルガーお気に入りのヴァイオリニストによる記念すべき録音を復刻
ヴァイオリニストとして音楽家のキャリアを始めたエルガーにとってヴァイオリン協奏曲の作曲は夢のひとつ。最初の構想は1890年にさかのぼりますが、実現したのは1910年、フリッツ・クライスラーの求めに応じてでした。そのクライスラーは初演したものの、その後はさほど好んで弾いた形跡も見当たらず、録音もありません。代わってこの曲を広めるのに貢献したのがアルバート・サモンズでした。サモンズは1914年にこの曲を弾いて一躍英国音楽界の注目を集め、その後も折に触れて演奏し、世界初の録音も行いました。また弦楽四重奏団の一員としてエルガーの弦楽四重奏曲とピアノ五重奏曲を初演。ヴァイオリン・ソナタは初演こそ逃したものの、繰り返し演奏しています。エルガーは感謝のしるしに自身が持っていたジェームズ・ダブスの弓をサモンズに進呈しました。
サモンズは1886年にロンドン西部の靴職人の家に生まれました。熱心なアマチュア・ヴァイオリニストだった父と兄の手ほどきにより7歳からヴァイオリンを始めるとめきめきと頭角を現し、12歳の時には学校を卒業してアールズ・コートのオーケストラのリーダーに就任。その後も演奏を続けながらイザイの弟子アルフレード・フェルナンデスらにヴァイオリンを学び、カザルス、ティボー、シマノフスキらの知遇を得ました。後にイザイからはトゥルトの弓を贈られ、1911年には英国王ジョージ5世の王室付き音楽家となります。
1914年にヴァシリー・サフォノフ指揮ロンドン交響楽団とエルガーのヴァイオリン協奏曲を演奏したサモンズを「サンデー・タイムズ」が「第一級のソリストが突然姿を現した」と絶賛してブレイク。病を得て1948年に引退するまで英国楽壇を代表するヴァイオリニストとして活躍し、ディーリアスのヴァイオリン協奏曲やアイアランドのヴァイオリン・ソナタ第2番を初演、バントックやグーセンスの第1ソナタを献呈されています。また彼がリーダーを務めていたロンドン弦楽四重奏団にはヴォーン・ウィリアムズやブリッジが作品を献呈しています。
ここに収められたエルガーのヴァイオリン協奏曲は2種類。(3)はSPレコード2枚(4面)に収めるためにカットされた短縮版で、これが同曲の最初のレコードとなりました。(1)は全曲盤でサモンズの代表盤と呼べるもの。43分台の演奏時間は歴代の同曲録音の中では短い方で、エルガー特有の憂愁を漂わせつつもそれに溺れることなく、格調高く緊張感のある中に歌心と抒情を湛えた名演奏となっています。ヘンリー・ウッドの指揮も様々な楽想を描き分けつつ音楽を大きな流れの中に収めていて見事。年代を考えると音質が良好なのも嬉しいところです。ハイフェッツが1949年に同曲を録音した際、それに先立ってサモンズを訪ねて話し込んだと伝えられていますが、作曲家直伝の解釈を伝える歴史遺産という意義を越えて、同曲録音が増えた今聴いても価値のある演奏と言えるでしょう。(輸入元情報)
【収録情報】
1. エルガー:ヴァイオリン協奏曲ロ短調 Op.61
アルバート・サモンズ(ヴァイオリン)
ニュー・クイーンズ・ホール管弦楽団
サー・ヘンリー・ウッド(指揮)
録音:1929年3月18日
初出:Columbia L 2346/50 (Matrices WAX 4785/94)
2. エルガー:ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 Op.82
アルバート・サモンズ(ヴァイオリン)
ウィリアム・マードック(ピアノ)
録音:1935年2月2日
初出:Columbia 68392/94 (Matrices CAX 7421/26)
3. エルガー:ヴァイオリン協奏曲ロ短調 Op.61(短縮版)
アルバート・サモンズ(ヴァイオリン)
管弦楽団
サー・ヘンリー・ウッド(指揮)
録音:1916年3月14日
初出:Columbia L 1071/2 (Matrices WAX 6780/83)
【エルガー・プロフィール】
近代イギリスを代表する作曲家、サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(Sir Edward William Elgar)は、1857年6月2日、イギリス中西部ウスター近郊のブロードヒースで生まれました。経済的に恵まれなかったため正規の音楽教育を受けることができず、ほとんど独学で勉強したそうですが、ピアノ調律師で楽器商を営んでいた父親のウィリアムは、生業のかたわら聖ジョージ・ローマ・カトリック教会のオルガニストを務めていたそうですから、やはりその血の中には音楽家の資質が備わっていたということなのでしょう。
ヴァイオリン教師、ピアノ教師として収入を得るようになると、若きエルガーはロンドンへ足しげく通ってはさまざまな音楽に接し、シューマン、ワーグナーの作品にはとりわけ強く影響を受けたとされています。1889年にピアノを教えていたキャロライン・アリス・ロバーツと結婚しますが、作曲家としてはまだ地元の合唱音楽祭から作品を委嘱される程度にとどまっていました。
1899年、そんなエルガーに大きな転機が訪れます。代表作のひとつである『エニグマ(謎)』変奏曲(1898年)が7月19日にロンドンのセント・ジェームズ・ホールでハンス・リヒターの指揮によって初演され、当時既に42歳だったエルガーは一躍世の注目を集めます。翌1900年にはオラトリオ『ゲロンティアスの夢』が完成、リヒャルト・シュトラウスがこの作品を絶賛したことで、その名声はヨーロッパ中に広まります。
エルガーのもっともポピュラーな作品である行進曲『威風堂々』第1番は、1901年に作曲されました。中間部の有名な旋律は、時のイギリス国王エドワード7世のために書かれた『戴冠式頌歌』(1901年)でも再び用いられ、今日『希望と栄光の国』として愛唱され、イギリス第2の国歌とまで称されています。
これ以降、オラトリオ『使徒たち』(1903年)、オラトリオ『神の国』(1906年)、交響曲第1番(1908年)、ヴァイオリン協奏曲(1910年)、交響曲第2番(1911年)、交響的習作『フォールスタッフ』(1913年)、チェロ協奏曲(1919年)等々、近代音楽史上の傑作を矢継ぎ早に発表、1904年(47歳)にはナイトに叙されるなど、エルガーはイギリスを代表する作曲家として自他共に認める存在となります。
しかし1920年に夫人と死別してからは創作意欲を失い、指揮者、演奏家としての活躍に重心を移します。この当時マイクロフォンによる電気吹き込みの技術が新しく開発され、エルガーは自身の代表作を次々とレコーディング、有名なEMIのアビー・ロード・スタジオで初録音をおこなったのはエルガーでした。1924年(67歳)に「国王の音楽師範」(Master of the King's Musick)の称号を受け、1931年(74歳)には准男爵にも叙されるなど、その声望が衰えることはなかったようです。
晩年には再び作曲活動に挑み、交響曲第3番、歌劇『スペインの貴婦人』、ピアノ協奏曲などの大作を手掛けますが、いずれも完成させることなく、1934年2月23日に世を去りました。(HMV)