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「ベルリン・フィル・ラウンジ」第6号:ラトル、ロマン派の概念について語る

Wednesday, October 7th 2009

ドイツ銀行 ベルリン・フィル
ベルリン・フィル&HMV提携サイト
 ベルリン・フィル関係ニュース

デジタル・コンサートホールに学割導入!
 デジタル・コンサートホールでは、26歳までの 青少年(生徒・学生)を対象に、学生割引を導入することになりました。学生証・生徒手帳等の身分証明をスキャンしてお送りいただくと、30%の割引が適用 されます。手続きは以下の通り。Eメールに英文で住所・氏名・年齢・生年月日・学校名を記入、身分証明(できれば英文で書かれたもの。国際学生証でも可) のファイルを添付した上で、Please send me a student discount code.と書いてdch@berliner-philharmoniker.deま でお送りください。折り返し割引コードが送られてきますので、これをチケット支払いの際に入力します(日本語による登録・ログインの手引き7頁参照)。コードを入力すると、シーズン会員券は149ユーロから104.30ユーロ、30日券は39ユーロから27.30ユーロ、1回券は9.90ユー ロから6.93ユーロに値引きされます。
 なお割引は、学校や大学で授業用にデジタル・コンサートホールを使用する教員の方々にも適用されます。所属団体の身分証明か、担当学科が分かる学校のウェブサイト・リン ク等をお送りください。

 次回のデジタル・コンサートホール演奏会

ビシュコフがシェーンベルクとショスタコーヴィチで再登場!ソロはブラウンシュタイン
(日本時間10月10〜11日深夜)
 セミョン・ビシュコフは、ベルリン・フィルに定期的に客演し(2002、04、07、08年)、《悲愴》や《アルプス交響曲》で名演を聴かせてくれました。2002年の登場時は、急逝したギュンター・ヴァントの代役であったことが思い出されますが、確実にベルリン・フィルの信頼を獲得してきた指揮者です。今シーズンは、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキー、シェーンベルクという玄人好みのプログラムでカムバック。後期ロマン派を得意とする彼のこと、《浄夜》での耽美的な表現が期待されます。またもうひとつの目玉は、ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」で、第1コンサートマスターのガイ・ブラウンシュタインが登場することでしょう。彼は近年、ベルリン等でリサイタルやコンチェルトを弾き、ソリストとして注目されています。なお本作は、ショスタコーヴィチの作品中でも特に密度が高く、ユダヤ的色彩と苦悩が渾然一体となった傑作です。

【演奏曲目】
ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲(1947年版)
シェーンベルク:浄夜(1943年版)
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番

ヴァイオリン:ガイ・ブラウンシュタイン
指揮:セミョン・ビシュコフ


放送日時:10月11日(日)午前3 時(日本時間・生中継)

この演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く!

 アーティスト・インタビュー

サー・サイモン・ラトル
「私はロマン主義を、ドイツに限定したくありません」
ラトル、社会学者ヴォルフ・レペニースとロマン派の概念について語る(第1回)

聞き手:ユルゲン・オッテン(音楽評論家)

 昨シーズン、ラトルはシューマ ン、ブラームスというロマン派を代表する作曲家を集中的に取り上げましたが、それを機会にドイツの社会学者ヴォルフ・レペニースとロマン派の概念について 議論しています。内容は、文学と音楽の出会いをめぐる極めて専門的かつ高尚なものですが、「ベルリン・フィル・ラウンジ」では、今号から3号にわたってそ の全文をノーカットで紹介してゆきます。第1回では、イギリス人のラトルがロマン主義をドイツ・ロマン派に代表させることを拒否している点が興味をそそり ます(映像は今年5月28日に収録された《神々のたそがれ》の<ジークフリートのラインの旅>。写真は©Markus Weidmann)。

ユルゲン・オッテン 「ドイツ理想主義が提唱した最も本質的な美的テーゼは、シラーの“人間はその真の本性に達したとき、自由になることができる。そして自由になった時、本当に人間となり得る”というものです。おふたりにお聞きしたいのですが、この理想像は、今日の社会でどの程度実現されていると思われますか?」

サイモン・ラトル 「あなたは今“ドイツの”理想主義とおっしゃいましたが、それは問題のある言い方ですね。私はイギリスで育ちましたので、ドイツに限定するような言い方はしたくないと思います。むしろ次のように問うことにしましょう。“ロマン的なるものの本質は、どこにあるのか”と。イギリスの詩人ワーズワースは、ロマン的なものは自発性と感情の深さに結びついている、と言っています。おそらくそれは、シラーが言おうとしたこととかなり似ているのですが、ワーズワースの言葉の方が、シラーのそれよりもずっと率直で自然ですね」

ヴォルフ・レペニース 「あなたが冒頭からワーズワースを引用されるのは、とても興味深いことです。リューディガー・ザフランスキはロマン派を、“ドイツ固有の問題”と呼んでいます。ひょっとするとドイツ人は、ロマン主義的な発想を極限まで突き詰めたと言えるかもしれません。しかしこれはむしろ、今日に至るまでヨーロッパ全般に当てはまる現象でしょう。それについては、カール・ダールハウスとノルベルト・ミラーが、ロマン主義音楽に関する著作で詳細に扱っています。いずれにしてもワーズワースは、ロマン派が汎ヨーロッパ的な現象であったことを示す最良の例です。あるイギリスの批評家は、“ワーズワースの読者は、本物の水仙など一度たりとも見たことがないのに、彼の詩<水仙>を誉めている”と言っています。つまり、ロマン的に美化された世界と、現実世界の差を指摘しているわけですが、音楽においてはロマン派はリアリズム(写実主義)とどのように関わっているのでしょうか。ロマン的な音楽はありますが、リアリズム的な音楽というのは存在しますか?」

ラトル 「(笑いながら)そうですね。おそらく典型的な例はビゼーの《カルメン》でしょう。このオペラは、当時の人にとっては大きなショックでした。ビゼーがロマン的なものに浸りきっていた人々に、まったく新しい世界像を提示したからです。同様に、19世紀において奇妙に思われるのは、ワーグナーの諸傑作がブラームスのそれよりも、ずっと先に書かれたという事実です。ロマン主義は何か、という問題を考える時、多くの場合ワーグナーとブラームスの違いが語られます。幸いなことに両者は、音楽的に敵対陣営の方向に発展することはありませんでした。私は、ドビュッシーがワーグナーについて言ったことが、的を得ている思います。つまりワーグナーの音楽は、“夜明けまで続く、素晴らしい夕暮れである”と。ある意味でワーグナーは、ロマンの発展とその終わりを体現していた言えるかもしれません」

レペニース 「ワーグナーと決別した後のニーチェは、ビゼーを対抗馬に立てます。ニーチェのワーグナー批判は、リアリズム陣営からのロマン派批判と言えるでしょうか?」

ラトル 「それは私にははっきりと分かりません。ただ言えるのは、フランス人がワーグナーに対してとても微妙な関係を持っていたということです。それは熱烈な愛と同時に、拒絶反応の形で表れました。しかし少なくとも彼らは、この音楽に深く動かされていたのです」

レペニース 「今日フランスでワーグナーを指揮される時、フランス人のワーグナーへの愛憎関係を感じますか?」

ラトル 「さあ、どうでしょうか。そのことはよく聞かれるのですが、私はワーグナーの上演を聴いて何も感じない、まったく反応しないという人はいないと思います」

オッテン 「いやはや。お話が始まって数分も経たないうちに、ロマン派の到達点(ワーグナー)に行き着いてしまいましたね。少し戻って、ドイツ・ロマン派の始まり、19世紀初頭に戻って考えてみましょう。フィヒテは当時、人々の自我の意味が増し、人間が集団としてではなく個人として自立するようになったと指摘しています。一方で19世紀初頭は、皇帝ナポレオンがヨーロッパ大陸を席巻した時代でもありました。そこで質問ですが、当時の政治的状況は、芸術、とりわけ音楽にどのような影響をもたらしたでしょうか?」

ラトル 「その質問には、次のようにお答えしましょう。E・T・A・ホフマンは、彼にとっての3大ロマン派作曲家は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンであると言っています。これは驚くべき答えです。ここではロマン派の概念が、我々の考え方とはまったく別の形で捉えられています。それは、この20年間でアメリカにおける自由の概念が急変したのと同じくらい違っていると言えるでしょう。音楽に戻って言いますと、この時代で、真の意味でヒロイックな作曲家は、ベートーヴェン唯ひとりです。ベートーヴェンが素晴らしいのは、彼が音楽の意味を完全に変化させたからだと思います。あの圧倒的な、勝利の賛歌のような調子!それは世界で起こっている(悲惨な)ことに対抗し、別の世界を作り上げるエネルギー、力を持っています。私にとってベートーヴェンの最も説得力に満ちた楽想は、交響曲第1番終楽章の終結部です。ベートーヴェンの曲の作り方は、ある意味で他の作曲家を打ちのめし、何もできなくしてしまいました。一方、私が真のロマン的作曲家だと思うのは、ベートーヴェンではなくシューベルトです。晩年に近づくにつれて、シューベルトの音楽は暗く、懐疑的で絶望的なものになってゆきます。それは、彼の作品に時折出てくる輝かしい音調とは、まったく相反するものです。交響曲第9番のような作品でさえ、表面的な勝利の裏に虚脱感が隠れています。とりわけフィナーレのコーダは、きわめて両義的な性格です。最近、彼の弦楽四重奏第15番を何度か聴いたのですが、この作品は凄惨な夢の連続だという印象を受けました。私は交響曲第9番と弦楽四重奏第15番が、我々の心を不安にし、警鐘を鳴らすもの、つまりロマンティックなものだと思います。実は今日、キーツのある言葉をメモしてきましたので、おふたりにお聞かせしたいと思います。“苦しみと混迷の世界においては、知性を磨き、そこから魂を作りだす必要がどれほどあることでしょう”。これは1790年に書かれた言葉ですが、まったくイギリス的でない発想だと思います」

オッテン 「同様に次の言葉も、まったくイギリス的ではありません。“美はそれだけで自足している。それは芸術のためだけに存在するのである”。これはコールリッジが書いた文句です。コールリッジはワーズワースの同時代人・友人であり、引用は1810年の『趣味について』から来ています。この発想は、ロマン主義の理想に特に当てはまるものではないでしょうか。そこでは個人は、美により社会から開放されるとされています」

ラトル 「その言葉は、典型的にロマン派的とは言えないように思います。ストラヴィンスキーもきっと同じようなことを言ったでしょう」
(第2回に続く)

ワーグナー《神々のたそがれ》抜粋の演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く!

 ベルリン・フィル演奏会批評(現地新聞抜粋)

定期演奏会(2009年4月18・19日)
曲目:ドヴォルザーク:《真昼の魔女》
チェロ協奏曲
マルティヌー:交響曲第4番
チェロ:スティーヴン・イッサーリス
指揮:アラン・ギルバート

 今号より演奏会批評コーナーでは、各紙の相違する意見、賛否両論を意識的に取り上げてゆきます。これにより、現地での演奏会の評価を、より生き生きと、ダイナミックにお伝えしてゆく方針です。
 4月18・19日の演奏会で指揮したアラン・ギルバートは2006年、ベルナルド・ハイティンクの代役でベルリン・フィルに初登場しています。今回の演奏会は、定期への正式なデビューに当たるものですが、評価は新聞によってやや割れています。ベルリン批評界の大御所クラウス・ガイテル氏は手放しの賛辞を送っていますが、若手音楽評論家のカーステン・ニーマン氏は比較的厳しい論調です。ベルリンの批評家は、他の都市で評価を得ている音楽家に点が辛いものですが、ニューヨークで大抜擢を受けたギルバートにも、そうした懐疑の眼差しが向けられているのかもしれません。

「アラン・ギルバートはニューヨーク・フィルの首席指揮者に選ばれたが、これはこのオーケストラにとってたいへん良い選択のようである。彼は数年前、ベルリン・フィルに代役で初登場したが、今回再出演してその能力を十全に示した。ギルバートは、才能は認められてはいるがポピュラーとは言えないマルティヌーのイメージを破り、交響曲4番の力強さ、偉大さ、独自性を証明したのである。(略)そこでは、内容の濃い音楽的パノラマが出現したが、ギルバートはこれを、意欲に溢れたベルリン・フィルと共に、最高の密度で押し広げたのだった(2009年4月21日付け『ベルリナー・モルゲンポスト』紙、クラウス・ガイテル)」

「スティーヴン・イッサーリスとアラン・ギルバートによるドヴォルザークのチェロ協奏曲は、彼らの力を出し切ったとは言えないものだった。もちろん第1楽章のふたつ目のソロ・パッセージでは、ベルリン・フィルとイッサーリスは実に美しいピアノを聴かせた。しかしソリストを引き立たせるためには、オーケストラは抜き足差し足で音量を下げなければならない、といった感じであった。終楽章の終わりに至ってやっと、ガイ・ブラウンシュタイン(コンサートマスター)がソロと密度の高いデュオを聞かせ、イッサーリスの真価を引き出した。後半のマルティヌーでも、指揮者とオーケストラは、“優れた演奏”以上の特別な成果を上げることができなかった(2009年4月20日付け『ターゲスシュピーゲル』紙、カーステン・ニーマン)」

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 ドイツ発最新音楽ニュース

本コーナーでは、ドイツおよび欧米の音楽シーンから、最新の情報をお届けします。

『オーパンヴェルト』誌、今年の最優秀オペラ・ハウス賞はバーゼル劇場
 『オーパンヴェルト』誌の年間オペラ賞は、ドイツ語圏オペラ上演のトレンド指標として定着しているが、今年の最優秀オペラ・ハウスにはバーゼル劇場が選ばれた。スイスの歌劇場がこの賞を受賞するのは、今回が初めてである。一方最優秀歌手は、アニア・ハルテロスとヨナス・カウフマンのふたり。最優秀プロダクションは、バイロイト音楽祭の《パルジファル》(シュテファン・ヘアハイム演出)である。最優秀指揮者は、ウィーンでの《インテルメッツォ》、フランクフルトでの《パレストリーナ》、ミュンヘンでの《イエヌーファ》が評価されたキリル・ペトレンコ。最優秀オペラ録音には、ルネ・ヤーコプス指揮の《イドメネオ》が選ばれた。最も腹立たしい出来事は、シュトゥットガルト国立劇場の混迷人事であった。

キルステン・ハルムス、ベルリン・ドイツ・オペラの契約非更新を発表
 ベルリン・ドイツ・オペラのインテンダント、キルステン・ハルムスが2011年以降の契約を更新しない声明を発表した。演出家としても活躍するハルムスは、マネージメントや演出で失敗が続き、ベルリンのジャーナリズムから批判にさらされていた。ベルリン州政府は過去1年以上、彼女の契約更新に関する決定を下さずにきたが、声明はしびれを切らせたハルムスが先手を打った形になる。

レヴァイン、手術のため秋の公演を全てキャンセル
 dpa(ドイツ通信)によると、ジェームズ・レヴァイン(66)が椎間板の手術のため、11月一杯までの全ての公演をキャンセルすることになった。これはメトロポリタン・オペラが発表したもので、レヴァインは同劇場の《トスカ》と《ばらの騎士》の指揮を降板するという。彼は、2006年に舞台から転落して大怪我をしたほか、昨年は肝臓腫瘍の摘出手術を受けている。復帰予定は、12月3日のメットにおける《ホフマン物語》プレミエだそうである。

リアリティ・イベント、「高層ビルの《ボエーム》」がテレビ生中継
 9月29日、スイスのベルンで、本物の高層ビルのアパートとショッピング・センターを舞台とした《ボエーム》がテレビ放映され、話題を呼んだ。これは昨年の「チューリヒ中央駅の《椿姫》」の成功にあやかったもので、ゴールデン・タイムにドイツ語圏全体で生中継。ショッピング・センターでは、一般の買い物客が「エキストラ」としてミミとロドルフォの悲劇を見守っている。


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