細野晴臣 INTERVIEW
--- 今回「細野晴臣の歌謡曲〜20世紀BOX」という6枚組のBOXセットをリリースされる訳ですが、監修されて、改めてご自身の提供曲を聴き直した感想をお願いします。また、選曲からリマスタリングまで全て、自ら監修なさっていますが、どのような所に一番こだわりましたか?
自分の作品とはいえ、提供曲という資料的意味を重視しました。極力自我を抑え、相談しながら選曲をしましたが、結果には満足してます。苦労したのは曲の並びと、一枚に収める曲数とデータの量でした。
--- このBOXの中で、特に思い入れの強い曲、思い出深い楽曲はありますか?
楽曲にはそれぞれ思い出があります。特に80年代という近いような遠いような、まだ距離を測りかねない時代の仕事にはいろいろな思いがわき起こります。
--- 細野さんにとって、歌謡曲とはどういったものなのでしょうか?
実はぼくの関わった歌が歌謡曲なのかどうか、よくわかりません。例えば「月がとっても青いから」(唄・菅原都々子・作詞/清水みのる・作曲/陸奥明・1955)のような歌が歌謡曲だと思ってます。そういうものを作りたいけど、時代的な背景や要請がないと出来ないものです。
--- 歌謡曲を書く「職業作曲家」としての細野さんと、オリジナル作品をリリースする「アーティスト」としての細野さん。一番大きな違いはどういったところでしょうか?
音響でもビートでもなく、メロディとコードに集中した作曲が「職業作曲家」の面です。しかも音域的にも歌詞の上でも自分では歌えないものです。ソロの場合は自分の声や身体が総動員してつくります。
--- 楽曲制作の依頼があった際に、その依頼を受ける・受けないの基準はあったりしますか?
「受け」というのは仕事の基本です。依頼というのは天の声のようなものなので。でもそういう仕事は結構大変で、もうやめようと思うこともありましたが、つらいことは忘れちゃうものです。
--- 今、楽曲提供するとしたら誰にどんな曲を提供したいですか?
そういうことを考えて作ったことがありません。これから考えてみるのも楽しいかもしれない。
--- 逆に、この人の作った曲を歌ってみたいという人はいますか?
カヴァーはいっぱいやりたい。世の中にはいい歌が尽きぬほどありますから。内外を問わず、特に40~50年代の歌。
--- デビューしてから40年間、音楽業界をご覧になってきたと思いますが、細野さんの目から見て、日本の音楽業界はどのように変わってきましたか?
変わったのはCDという媒体になって「商品化」が顕著になったこと。そしてそれもまた変わろうとしています。
--- 最後に、音楽業界の現状をご覧になって、どのように感じてらっしゃいますか?
デビューした頃から業界には疎く、政治的、経済的仕組みはいまだによくわかりません。ただ、昔の業界人は音楽好きの理想家が多かったと思います。そういう人たちのおかげで辺境音楽家と言われたぼくも活動を続けることができたわけです。今は・・よくわかりません。。