--- 中学時代、高校時代、音楽に熱中するタイプではなかったですよね?
そうですね。音楽には本当に興味がなくて、卒業して大学に入ってからですね。音楽ってよりも、ただ“うた”を褒められちゃって調子に乗ったっていうのが一番正解かなと思うんだけど。
--- その“うた”を歌ったっていうのは?
そのとき既に芸能事務所みたいな所に入っていたんだけど、オーディションで歌わなきゃいけなくて。“うた”ってなんだよとか思いながらね。
“うた”は下手なんですよ。自分でも解るんですけど。ただ何か一生懸命歌ったものに対して「君は上手い下手は関係ないね」「そのままで内側がぐっと揺れるんだよ」といった事を仰ってくれた方がいて、すごく嬉しかったですね。その人が握手を求めながらそう言ってくれた瞬間に、「あっ、“うた”ってありなのか」っていう気持ちがして。
私は、小さい頃から、絵を描いたり、物を創ったりするのが凄く好きだったから、
「“うた”を褒められたから歌の練習をしよう」ではなくて「“うた”を褒められたから“うた”を創ってみよう」って思ったんです。内側が自分でも揺れるような“うた”をね。で曲創りを始めたので、とても音楽っていう素養からは遠いんです。
--- 一番最初に歌った“うた”っていうのは、自分が創った“うた”ではなかったんですか?
オーディションの時に、唯一邦楽で知っていたのがCHARAさんだったので、CHARAさんの“うた”を歌って。
数年前、ご本人にお会いしたときに、歌ったんですっていう話をさせてもらって。
--- そのときCHARAさんはなんて言ってました?
「えー、じゃーあたしのトリビュートは裕子ちゃんその曲ね」って
--- それ聴いてみたいですね!いずれ!音楽はそんなに聴く方でもなかったですよね?
今も聴かない。
--- じゃあ、お手本みたいなのはなく、自分の思いを楽曲にぶつけていく様な感じです?
思いっていうか、
とにかく創るのが好きなんだなーって思います。あんまりメッセージも持たないし、誰かに何かを解って欲しいとも思わない。
ただただ創るのが楽しくて、創った先に自分の感情が動いて、それが自分にとってすごく心地のよい作業だから。
それを共有する仲間を探している所はきっとあるかも。
--- 音楽を創るのは、まずは自分のため?
基本はやっぱりそこがスタートです。
--- 安藤裕子の音楽って歌詞にとても魅力があって、そこに共感している人も多いと思うのですが、そこを目的にしているわけではないのですね。
歌詞はいつも何かを考えて書いたりはしないから。
音楽に対してはすごく衝動的だと思うんです。
創る時、創るというよりは歌うんだけど。“うた”のなかに勝手にストーリーがあって。
B型ゆえの創り方なのかしら?書いて構築したりもしないのね。
例えばお風呂とかで機嫌が良くて歌っちゃったりするじゃないですか?その時にたまねぎが嫌いだったら、たまねぎの歌みたいなのを自分で創っちゃったりみたいな事。ほんとにその延長というか…
何か、ふぁーと歌って出て来るフレーズが自分は好きだから、その曲を何回も歌ってると、大きくなってAメロだけだったのが、Bメロが増えて、その先にCメロが生まれてくる。だから歌うことで、メロディーも詩も同時に完結していくというか。
--- ピアノとかギターを使った曲創りは?
それもやりますよ。コードを弾くとそれなりに楽なんですよ。簡単にメロディーが呼ばれるから。ただ、自分があんまりコードを知らないから、楽器を持つと、スタート→展開Bくらいまでは行くんですけど、サビのメロディ展開に楽器の指の動きがついて行かないんです。そういう時は途中で楽器を捨てて、アカペラに切り替えていったりとかしますね。
--- そういった楽器も元々やってなかったですよね。
全然やってないです。
--- それは自分が創ろうとする所から覚えていったのですか?
そうですね。やっぱり「あったほうが便利だろうな」と思って。でも、誰かに習ったりだとか本を読んで学ぶ性格ではないので、適当に弾くだけなんだけど。
だから
コードに自分で名前をつけちゃったりして、イメージで。
本当にそのコードがあるのかどうかも解らないんだけど、勝手に押さえて鳴ってる音が好きだから、それに名前をつけちゃうみたいなことを昔はやってましたね。
--- 歌詞に出てくる登場人物は自分ですか?
ここはねえ、自分自身でもよく解らないんです。創っている最中は他人事に思える事もあるし、かといってやはりどこか共通項があるはずで、その曲に共感するわけ。それが自分自身かっていうと、そうじゃない事もある。数年後に、例えばその曲と似たような出来事が自分の身にふりかかって、「この曲の意味、今ならよく解る」って思う事もある。だから常に自分の事かっていうとそうでもない。
とはいえ自分から漏れ出ている物であることは間違いないので、
自分の持っている素養の中にある物だとは思う。
--- なかなか難しいねぇ。
表現しづらいんだけど、大げさな事ではないんですよ。本当にシンプルな事で。
きっと自分の中で曲があらかじめ存在していて、それが表現のツールである声を通してコピー機のようにビーっと出てくるようなイメージ。それが特殊な事かっていうと、そうじゃないと思う。それは誰にもきっとあると思うんだけど。
なんか、教科書の端っこに落書きをしてたら大作になっちゃったっていう時あるじゃないですか。そういう事にも近い気がするし、キッチンで包丁のリズムで歌っちゃうみたいな事にも近い気がする。
--- 歌詞はもちろん、my room(安藤裕子のブログ)で書いてる文章一つとっても、とても詩的だなと感じますが。
ありがとうございます。(照笑)
基本、文章ってリズムだと思っていて、音楽はさらにリズムなんだけど。
勢いと流れっていうのは、物を書く際にとても大事にしているので、
韻を踏むとかとは別な点において詩的になっている部分はあるかもしれない。
--- 物を書くという事に関しては昔からやってました?例えば日記を書くみたいな。
中学生くらいになると女の子は手帳を持ちたがったりするでしょ。そういうので支離滅裂な日記とかは確かに書いてたんですけど・・・
文章を書くようになったのは高校に入ってから、一人で小説みたいなものを書いたりとかはしてましたね。誰にも言わなかったけど。
--- そうなんですか?確かにそれは知らなかったです。
なんだか、よく思うんだけど、ずっと小学校から同じ学校で、子供の頃からずっと同じ環境で育ってきたわけじゃない?
そうやってずっと仲良くして来た子が、実はこんな顔も持ってるんだな、とか最近気が付いたりするんですよ。
その子の本質的なところ、感情的なところ、抱えている傷、実は今まで知らずにただヘラヘラと心地よく傍にいただけなんじゃないかなって。
この歳になっていろんな事がみんなの生活にある中で、「実はね」っていう話の中で初めて知った
りすることも多い。自分も誰にも言わない事がたくさんあったし、みんなもそうだったんだっていう思いもあります。
だから逆に最近は、改めて自分のことを外に出すっていう作業を違和感なくやれてる気がする。
「みんなでべたべたすること」と「その内側を解りあうこと」はイコールではない気がしてるしね。
--- 相手のことを解ってあげようっていう気持ちかな?
人と対峙したときに自分の事を話して、その人と距離を縮めるって言う事よりは、その人の話に耳を傾けて、その人のそばに寄りたいというタイプだと思いますね。
--- 話し手よりも聞き手であると。
その方がしっくりくるというのはきっとある。
さらに続きます