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「地獄の音楽院」

Thursday, May 1st 2008

連載 許光俊の言いたい放題 第143回

「地獄の音楽院」

 先日東京で行われたコンヴィチュニー演出『アイーダ』公演は、高めの価格設定によるのだろうが、売り切れなかった(一昨年行われた、もっと地味だがお手頃な二期会の『ティト』はほとんど売り切れだった)。予想されたことだけれど、客の反応が二分されたようでおもしろかった。私の知り合いでも、オペラ初心者が涙を流して感動したり、ほとんどオペラを見たことがない人がオペラが大好きになったと宣言したり。その一方で、感情的なまでに演出を否定する人たちもいた。虚心に舞台を受け取れる初心者が素直に感動した一方、「オペラはこういうもの。私のオペラの見方はこう」と固まってしまっている人々は拒否反応を示したようだ。むろん、例外はあるけれど。
 私自身はグラーツに続いて二度目に見たが、細部の詰め方の徹底、最後のショックの与え方など、やはり大したものだと思った。もうばらしてもいいだろうが、最初からずっと、主人公たちは小さな室内に閉じこめられてそこで演技したり歌ったりしている。いよいよ最後、怒りのあまり暴れ始めたアムネリスが、その部屋の壁を壊すと、外界が開ける。そこに見えるのは思いがけず高層ビルや通勤電車といった都会の風景なのだ。そう、主人公たちを残酷に翻弄してきた運命とは、要するにまさにこの社会、私たちが生きている社会に他ならなかったのだ。
 それにしても、この次コンヴィチュニーの演出を日本で見せるときには、ぜひとも小さいホールでやって欲しいものだ。オーチャードホールや東京文化会館の遠い席では、おもしろさはほとんど伝わらないのではないか。

 ロジェストヴェンスキーがBBC交響楽団を指揮したロシア作品集が発売された。曲目は渋いが、どうしてこれが魅力的な1枚なのである。
 まずはリムスキー・コルサコフの「ロシアの復活祭」序曲。はっきり言って、ものすごい名作と言うわけではない。「シェエラザード」などからもうかがい知れるように、この作曲家らしくいくつかの印象的な旋律を何度も繰り返す音楽である。下らない演奏で聴くと、本当にうんざりするような作品だ。
 ロジェストヴェンスキーの手にかかると、イギリスのオーケストラから何とも言えないロシアっぽい匂いが立ちこめてくる。これが不思議。確かに音色の明るさや響きの軽さといったものは典型的にイギリス風だ。しかしながら、金管楽器、打楽器の目立たせ方、ワイルドな熱気、ソロ楽器の節回しといったところから、濃厚なロシア情緒が醸し出される。そして最後には絢爛たる黄金色の祝祭空間が開けるのだ。こんな曲を楽しく聴かせてしまうとは、さすが名匠と感心するほかない。
 ラフマニノフの交響曲第1番も、とうていイギリスのオーケストラとは思えない凶暴な響きで開始される。暗鬱さもたっぷりだ。この作品、初演されたときには、「地獄に音楽院があったら、ラフマニノフは優等生だろう」とまで酷評された音楽である。ピアノ協奏曲第2,3番や交響曲第2番といったラフマニノフの有名な作品ではとにかく流麗で感傷的な旋律がこれでもかと繰り出されるのに比べ、もっと固いし、響きも先鋭的だ。若くてやりたいことがたくさんあったのだろう、やや未整理の印象がないとは言えない。が、破天荒で、整理されない生命のエネルギーや情念がふつふつとたぎっているような感じが魅力でもある。最後のほうはまるで地獄落ちのようなすさまじさで、初演を聴いた人は肝をつぶしたかも。ロジェストヴェンスキーの演奏は、そのあたりを丸めず、生で出していく。しかもやたらと熱っぽい。こうした演奏で聴くと、おもしろい作品だと首肯できる。初演時の指揮者はグラズーノフだったが、彼が相当酔っぱらっていたのも失敗の原因と言われている。聴いてみればわかるように、とてもじゃないが酩酊状態では指揮できないような作品だ。もちろん、われらがロジェストヴェンスキーにその心配は無用。
 CDの最後に入っている「戦争終結へのオード」は、「やっと戦争が終わった。嬉しい!」という感じが全然しないのがおもしろい。新古典主義の作風で、わかりやすいのはいいのだが、何か気が抜けているのだ。交響曲第5番のフィナーレをもうちょっと愉快に軽くした感じと言えばいいか。そういえば、先日ドイツ文化センターで行われたコンヴィチュニーの講演会で「国家はあらゆる手段を用いて英雄を引き留めようとする」というコメントがあった。長く東側で暮らした人ならではの発言だが、こんなプロコフィエフ作品を聴いていると、そうした言葉が思い浮かんでくる。

 シノーポリとドレスデンのマーラー。しばらく前に発売された第9番が非常に印象的な演奏だった。最近出た第4番は、あれの約2年後の演奏だが、曲の性格もあってか、激しい没入で圧倒というタイプではない。第1、2楽章は複合的なおもしろさで聴かせる。オーケストラの洗練はあいかわらずで、室内楽的なアンサンブルが気持いい。それに、おもしろいものであの響きで聴くとひなびた素朴な味がおいしい。考えてみれば、これまで明るい音色で名技丸出しでガンガン行くマーラー演奏が大半だったというのもおかしな話である。
 第3楽章は、一転して旋律線にこだわる。神経質な感じがいかにもシノーポリらしい。しかしそこはドレスデン。そのあたりのエキセントリックなところを適度に丸めてくれる。マーラーというと、個々のソロ楽器が華やかに浮き上がってくるものだが、このオーケストラの場合は違う。重々しく暗い重量感も、他の楽団ではなかなか聴けないもの。テンポの動きがたいへん大きいが、あまりわざとらしい感じはしない。シノーポリがどんなことをしようとも余裕で受け止めているように見えてしまうのがすごい。一見わかりやすいハデな魅力というものではないが、ちゃんと耳を傾けるほど、高度な演奏だということがわかるはずだ。
 その第3楽章から第4楽章への移行は異様に甘美で陶酔的。最後は、極度に速度を落とし、纏綿とやる。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

* Point ratios listed below are the case
for Bronze / Gold / Platinum Stage.  

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