藤竜也 職業=ダンディ。
Tuesday, February 19th 2008

「和ジャズ復刻」でおなじみのThink!「和ボッサ」シリーズより届けられた最新盤は、あの藤竜也がブラジル・カラー一色に染まった1984年名盤『Carnaval -饗宴』と、植田ひとみ77年の傑作セカンド・アルバムにして、難攻不落の「和ボッサ」幻盤『人生はカルナバル』。
ここでは、不屈のダンディ俳優、藤竜也の作品にスポットを当ててご紹介していきたいと思います。作家陣には、加藤和彦、松岡直也、大野雄二、宇崎竜童、バックには、杉本清志(g)、村上秀一(ds)、高橋ゲタ夫(b)、清水信之(pf)ら豪華な顔ぶれが、彼の世界観をアシスト。そして、何といっても、10曲中、本人作詞が8曲という、藤の名ストーリー・テラーぶりに舌鼓を!ブラジリアン・フレイヴァ・ミュージックの総力ディスク・ガイド「Brisa Brasileira(ブリザ・ブラジレイラ)」認定、クラブ・ジャズ系リスナーも秒殺の超サウダージ・アルバムです!
-- 待って、1984年って?--
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今から24年前。世界中が、ロサンゼルス・オリンピックに沸いた1984年(昭和59年)。第2次中曽根康弘改造内閣が発足された日本では、グリコ・森永脅迫事件、大相撲・高見山の引退、広島東洋カープ日本一、宮崎駿監督映画「風の谷のナウシカ」公開、ファミコンの一般家庭への本格普及、「福沢諭吉」、「新渡戸稲造」、「夏目漱石」の新紙幣発行といったできごとに、人々が一喜一憂したのでした。
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三菱自動車のCMでエリマキトカゲが大流行し、また、「私は、コレで会社を辞めました」、「ちゃっぷい、ちゃっぷい、どんとぽっちぃ」といった、日本CM史に残る名フレーズが次々と生み出されたのも、まさにこの年。それを受けたカタチで、新語・流行語大賞の記念すべき第1回目が行なわれ、新語部門の金賞には、「オシンドローム」、流行語部門 では、「まるきん まるび」、「す・ご・い・で・す・ネッ」(所ジョージ)、「教官!」(スチュワーデス物語)などが選ばれました。
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歌謡音楽界では、チェッカーズが、「涙のリクエスト」をはじめ次々にヒットを飛ばし、中・高生を中心とした空前の狂騒曲を巻き起こしたのでした。そのほか、わらべ「もしも明日が」、松田聖子「ピンクのモーツァルト」、小泉今日子「ヤマトナデシコ七変化」、中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」、吉川晃司「モニカ」、中原めいこ「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」 といったヒット・ソングが生まれ、アイドル時代、ニューミュージック時代が、今まさに最高沸騰点を記録しようとしていました。
そんな「混乱」とも、「お気楽」ともつかない時代に、ひっそりとリリースされたのが、藤竜也のアルバム『Carnaval -饗宴』なのです。藤竜也。任侠でも、ジゴロでも、ましてやピンプなイメージが纏わりついた俳優ではない。ただひとつ当てはまる、冠、それは「ダンディ」。コッテリと撫で付けた髪に、レイバンのサングラス。そして、「優しさ」と「危なさ」が同居するその口髭。「ちょいワル」では全く言葉足りない。「ダンディ」一本で飯を食ってきた男の、実にニヒルでリリカルで、ロマンチックなブラジル慕情。それでは、ご紹介致しましょう。
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本名、伊藤龍也。1941年8月27日北京生まれ、神奈川県横浜市育ち。日本大学芸術学部演劇学科卒業。
大学在学中にスカウトされ日活に入社、1962年映画『望郷の海』でデビュー。数多くの映画に出演した。硬派・コミカル・シリアス・バラエティとあらゆる役幅を持っており、演技力は自在。
70年代前半までは凶悪犯や用心棒などの悪役・敵役を演じる機会も多かった。近年は、黒沢清監督の『アカルイミライ』など若手監督の作品にも意欲的に出演し、味のある演技でファンを魅了している。
2004年には、『村の写真集』(三原光尋監督)で、第8回上海国際映画祭最優秀男優賞を受賞。 妻は元日活女優の芦川いづみ。また、陶芸についても才能を発揮、陶芸好きから映画『KAMATAKI』で吉行和子と競演、テレビドラマ『汚れた舌』でも陶芸家の役で出演している。 現在、スポーツジム等で身体を作る俳優は多いが、藤竜也はその先駆者とも言える。テレビ・ドラマの「時間ですよ」や、「寺内貫太郎一家」で人気を博した頃より後、彼の肉体はいつしか鍛え上げられたものへと変貌し、藤の役者としてのプロ意識・美学が窺われる。 |
ジャズを含めた、和製レア・グルーヴ復刻作業も、一応にひと段落着いたかと思った矢先に掘り起こされた、お宝品。それが今回の藤竜也『Carnaval -饗宴』と、植田ひとみ『人生はカルナバル』。
藤竜也に限って言えば、82年ワーナーからのAORアルバム『In the Mellow Wind』、さらに遡って74年、「昭和ダウナー・サイケ語り」の極位として伝説化したRCA盤『藤竜也』(題字・横尾忠則)などの復刻も、早急に待たれているはずです。とにかく、まだまだお宝盤は、人知れず、ひっそりと「寝床についたまま」ということなんです。
現在、中古LP市場、とりわけ「和モノ」市場を賑わせているのが、このようなベテラン役者達が、勇んで吹き込んだアルバムだったりするのです。
70年代後半から80年代半ばを跨ぐ、今回の藤作品と同類項と呼べるものの中には、林隆三『ピアノマン』('85)、草刈正雄『ラブ・シャワー』('78)なんていう隠れた名作もあるのです。特に前者における、大野雄二を担ぎ出したタイトル曲は、「和ボッサ」、「和ライト・メロウ」系ともいえる実に爽やかなテイストを撒き散らす名曲。「たけしくん、ハイ!」の菊次郎役でみせた怒号は何処へやらの、ウルトラ・ジェントリー盤。
また、こちらはとっておきのキラー・コンテンツ。シンガーとしての評価もそのスジでは高い、渡瀬恒彦の85年曲「静かにマイウェイ」や、大のジャズ・キチとしても知られ、晩年の夢は「ジャズ・ツアーを企画し、日本全国を大型バスでまわること」と語っていた藤岡琢也の「Jazz Bar」(「女性たちへの伝言」のB面曲)といったカルト(?)盤にも、復刻の触手が伸びることを願ってやみません。
ちなみに藤岡は、その昔、ジャズ・ミュージシャンを目指していた頃があったそうです。また、同じ姫路出身のジャズ音楽評論家(兼ラジオ・パーソナリティー)の人見恭一郎との親交もあり、そのジャズへの造詣の深さから、NHKラジオ「ときめきジャズ喫茶」で、写真家・浅井慎平と共に司会を務めていたことでも有名です。
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