若松孝二セレクション
2007年7月27日 (金)
若松孝二って、どんな人?
1936年4月1日、宮城県遠田郡に生まれ、高校二年時に上京、様々な職を転々としながら、テレビ映画の制作助手、助監督を経て、『甘い罠』(63)で、ピンク映画デビューを果たす。
1965年、若松プロダクションを設立、第一作『壁の中の秘事』(65)が世界的な話題を集め、ピンク映画を更なる自由な創造の場へと変革するために、大和屋竺、足立正生、沖島勲、小水一男ら、新しい才能を積極的に登用し、性と暴力を徹底的に描いた数々の傑作を生み出す。
1971年、カンヌ映画祭の帰途でベイルートへ向かい、『赤軍−PFLP・世界戦争宣言』(71)を、次いで、最初のATG映画となる『天使の恍惚』(72)を完成させる。足立がパレスチナへと旅立った後も、ピンク映画を量産していくが、その一方では、大島渚『愛のコリーダ』(76)、 山下耕作『戒厳令の夜』(80)、神代辰巳『赤い帽子の女』(82)のプロデューサーを務める。
内田裕也を起用した『餌食』(79)、『水のないプール』(82)から、一般商業映画に活躍の場を移し、『キスより簡単』(89)、『我に撃つ用意あり』(90)、『寝取られ宗介』(92)、『エンドレス・ワルツ』(95)など、様々な話題作を撮っていく。
また、少年と風景の対話をのみ描いた異色の映画『17歳の風景』(04)も、大きな注目を集めた。
ピンク映画から一般映画、ドキュメンタリーからテレビドラマまで、100本以上にも及ぶ作品を送り出している、最も多作で、最もパワフルで、最もスキャンダラスな映画監督として、欧米を中心に本格的な再評価も始まっている。
『新宿マッド』
この街を裏切った、新宿を売っちゃった・・・・・・だから死んだ。
資本主義成熟時代における、新宿の混沌とした姿を独特の視点で
描いたドラマ。
『性賊:セックスジャック』
じゃあ、天誅って知っていますか?
70年代を生きた、青年テロリストたちの孤独な闘いを描いたドラマ。
『天使の恍惚』
またどこかの戦場で会いましょう
公開答辞に、上映反対キャンペーンが起こるなど、各地でさまざまな
波紋を呼んだ犯罪ドラマ。
『狂走情死考』
地の果てまで僕らは来たんだね
封建的な思想の残る日本社会で、自立していく女性の姿を描いた。
↑の4作品が、近日リリースされます。モノクロ世界による、性や暴力、社会風刺を覗かせ、 内面を抉り、迫ってくる映像郡。そしてまず、ジャケットがすばらしいです。音楽で、ジャケ買いってありますが、あれって結構、当たってませんか?このジャケットや写真にクラっとされた方、きっと、お好みのはずです。 ATGアーカイヴスが堪らない方にはもちろん、当時の時代背景や空気に触れるという意味でも、遡る価値あり。
また、監督や作品と縁のある方や、ちょっと意外なあの人・・・のエッセイが解説リーフレットにも、含まれておりますので、こちらもぜーひ。
若松孝二
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ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。
新宿マッド
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性賊: セックスジャック
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天使の恍惚
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狂走情死考
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