舞踏家 大野一雄という人
2006年11月28日 (火)
御歳100歳になる今年。
陰ながら、ワインで祝杯をさせて頂きたい。
大野一雄舞踏研究所主宰者であり、日本の舞踏家、大野一雄氏。
舞踏家という名にふさわしい、まさに生ける芸術。美しい。
1906年10月27日、函館の弁天町に生まれた。
生家は、北洋を漁場にする網元で、父はロシア語を話し、冬はカムチャッカまで漁に出た。
母は西洋料理を得意とし、琴は六段の名手、オルガンも弾いた。
母の弾くオルガンで兄弟たちは、『庭の千草』を歌ったという。
中学に入り、まもなく一雄は、母方の秋田の親戚白石家にあずけられる。
白石家には子供がいなかった。一雄は旧制大館中学では、
陸上部に所属、400メートルの秋田県記録を更新した。
1926年、日本体育会体操学校(現日本体育大学)に入学。
在学中、貧乏学生だった一雄氏は、寄宿舎の寮長に伴われ、帝国劇場の三階席から、
ラ・アルヘンチーナの公演を観た。アルヘンチーナは、「カスタネットの女王」とも呼ばれ、
詩人ロルカも絶賛した20世紀のスペイン舞踊の革新者であった。
彼は、アルヘンチーナの舞踊に深い感銘を受けた。体操学校を卒業し、
横浜のミッションスクール関東学院に体育教師として赴任する。
踊りを始めた直接のきっかけは、その後捜真女学校に転任となった時、
体育の科目でダンスを教えなければならなくなったからだった。そこで、
1933年に石井漠の門を叩き、さらに1936年には江口隆哉、宮操子の研究所に入った。
しかし、1938年に召集を受け、戦中の九年間は、中国、ニューギニアで従軍した。
第1回現代舞踊公演は、1949年、東京の神田共立講堂で行われた。
このとき43歳、これが最初のリサイタルだった。ニューギニアのマノクワリで終戦となり、
1年間の捕虜生活のあと復員し、すぐに舞踊家としての活動を再開した。
『クラゲの踊り』という踊りを、50年代の公演のときに踊っている。
ニューギニアから帰る航海の船上で、栄養失調や病気で亡くなったひとたちを水葬して見送った体験から、
そのときの海に浮かぶクラゲの踊りを踊りたかったのだという。
50年代の終わりに、土方巽氏と出会い、彼の踊りは、大きな転機を迎える。
2人の出会いは、「舞踏」、海外でも「BUTOH」として知られるスタイルを創造した。
西洋の影響を強く受けたモダンダンスから、日本人の内面的な問題を扱う身体表現への転換であった。
大野一雄 氏がソロで踊り、土方巽氏が演出した 「ラ・アルヘンチーナ頌」は、1977年に初演された。
この作品は大野氏自身の代表作であり、また舞踏の代表作でもある。
1980年に、フランスのナンシー国際演劇祭に招かれ、『ラ・アルヘンチーナ頌』を踊る。
彼の独創的な表現は、西欧の同時代の芸術家たちに、衝撃をもって受け入れられることになった。
これははじめての海外公演だったが、このあと、70歳代、80歳代の活動は、
欧州、北米、中南米、アジア各国に広がり、また、世界中から多くの研究生が、
彼の稽古場に集まって来た。90歳を越えてなお、第一線での活動は続いた。
最後の海外公演は、1999年12月ニューヨーク、「20世紀への鎮魂」である。
しかしこの年、目を患い、体力の衰えも顕著になった。そんな中、老いをダンスの糧とするかのように、
彼の踊りは続いている。1人で立って歩くことが出来なくなると、支えられて踊った。
支えられても立てないときは、座ったまま踊った。足が不自由になると手だけで踊った。
頭がもやもやするとひとりいざって、人はその背中を見て感動した。
踊るとき、輝きを放つ存在になる。普通の老人が、人に力を与える存在に変貌する。
そのような繰り返される事実が、彼に対する関心を支えている。
長く生きて、人を感動させる。 大野一雄 氏は、人間の可能性を拡げた芸術家だ、と評されている。
『美と力』 Beauty and Strength
2001年 110分
大野氏は、60年代末から70年代にかけて、16ミリ映画を3部自主製作している。
また、94年から始めた、大野一雄全作品上演計画は、ベータカムカメラで収録してきた。
一方、NHKは85年の『死海』初演より、芸術劇場や報道番組で、
たびたび取り上げてきている。研究所とNHKの所有する100時間を超える映像資源に加えて、
ダニエル・シュミットから贈られたフィルム、2000年10月末の新撮16ミリ素材などから、
110分のビデオ/DVDを編集した。だから、踊りだけでなく、
インタビューや手書きの舞踏譜の映像も入っている。
そういう全部が彼にあっては、踊りの世界そのものである。
ナマの代わりに映像を見るのではなく、ナマでは絶対に見られないものが映像だから見られる。
残像まで掬い取って見届けたい。何となく見て終わりじゃない。
同時代に生きる特権として、なんとしても伝えたい映像を集成した、とある。
収録映像
アルヘンチーナ舞踊映像 1936年
1929年大野一雄氏 は、スペインの女性舞踊家ラ・アルへンチーナの舞台に出会う。
彼を語るに欠かせない彼女の、舞踊映像を収録。
『バラ色ダンス』1965年(土方巽作品)
映画『O氏の肖像』 1969年
『O氏の曼陀羅』 1971年
『O氏の死者の書』 1975年
『ラ・アルへンチーナ頌』 1977/1994年
大野一雄の代表作。ここでは1977年の貴重な初演映像から、
その華々しいオープニングを飾った、『ディヴィーヌ抄』『日常の糧』『天と地の結婚』を収録。
自身が“最高の踊り”と自賛する『鳥』は、77/94年の両ヴァージョンを収める。
『お膳』 1980年・リハーサル風景
『死海〜ウインナー・ワルツと幽霊』 1985年
『花鳥風月』 1991年
ダニエル・シュミット撮影映像 1995年
ダニエル・シュミットが映画『書かれた顔』のために撮影した本編未収録映像。
『わたしのお母さん』 1995/1998年
もう1つの代表作。お膳で踊る『母の夢』、
お母さんの遺言についてのインタヴューと『鰈のダンス』、そして『愛の夢』を収録。
幼稚園のクリスマス会:サンタクロースの大野一雄 1999年
『宇宙の花』 2000年(リハーサル風景)
2000年・94歳 稽古場の踊り 2000年
10月28日、94歳の誕生日を迎えた翌日に、16mmフィルムで撮影。
撮影の後、研究生や知人たちが集まっての、誕生パーティーが開かれた。
DVD特典:Bilingual(英字幕)、データ集(自身の言葉や作品紹介で構成)収録
4 大野一雄
4大野慶人(一雄氏の息子であり、舞踏家) 『ヨコハマメリー』にも出演。
→メリーさんのNEWS、読む。
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