奈良のひと、河P直美。
Wednesday, September 20th 2006
河P直美って、どんな人?
奈良市紀寺町生まれの、日本の映画作家。
映画監督というよりも、映画・映像作家、という呼び名が似合う。
奈良市立一条高等学校、大阪写真専門学校映画科卒。
平城遷都1300年記念事業協会評議員。
大阪写真専門学校卒業後に、同校の講師を務めながら、
8mm作品『につつまれて』(1995年)や、『かたつもり』(1997年)を制作し、注目を集める。
実父と生き別れ、祖母に育てられた自らの境遇を、いわば、私小説的にフィルムに収めた、
ドキュメンタリー作品で、シネ・フィルとしての経験をもたないどころか、さほど、映画を観ることなく、
制作された作品の独自性が、評価されたものだった。
初の、35mm作品である、と同時に、最初の商業作品として、
1996年に制作された、『萌(もえ)の朱雀』で、
1997年カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を、史上最年少で受賞。
その時の、審査委員長であった、ヴィム・ヴェンダースを、
「誰、あのおっさん?」と、周りの人に尋ねたのは、有名なエピソード。
『萌の朱雀』の後に、再びドキュメンタリーの世界に戻り、『杣人(そまうど)物語』を制作。
『萌の朱雀』までは、ドキュメンタリーと劇映画の違いはあっても、実質的に、自分自身もしくは自分の経験を作品としたものだったが、
この作品は、河Pが育ち祖母と繰り返し歩いた、奈良の山中に住む林業に勤しむ人々を撮した作品だった。
その後、劇映画の『火垂(ほたる)』(2000年)、『沙羅双樹(しゃらそうじゅ)』(2003年)を制作し、
世界各地の映画祭で、多数の賞を受賞している。
黒沢清、 塩田明彦、 青山真治、 塚本晋也らと並ぶ、 国際的な知名度も高い、期待の若手作家の一人。
『萌の朱雀』と『火垂』は、いずれも、後に監督自らが、活字の物語に焼きなおして、幻冬舎から出している。映像作家といわれる、由縁である。
また、作品の対象や舞台も自分が生まれ育った奈良に、極めて強い、執着を持ち続けている。
彼女の作品は、映像を借りて、監督自らが語っていく「ことば」であり、他の既成の映画監督の作品とは、
一線を画した、独自の映像世界をつくっている。
『沙羅双樹』
第56回 カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品作品
スタッフ
監督:河瀬直美
製作:「沙羅双樹」製作委員会、日活株式会社、読売テレビ放送株式会社、学校法人ビジュアルアーツ専門学校、リアルプロダクツ
制作:リアルプロダクツ
配給:日活、リアルプロダクツ
推薦:奈良県教育委員会、奈良市教育委員会、(財)ならまち振興財団
特別協力:奈良県、奈良市
製作総指揮:中村雅哉
製作:高原 健二、安達暁子、猿川直人
製作・プロデューサー:長澤佳也
脚本・監督: 河瀬直美
撮影:山崎裕
照明:佐藤譲
録音:森英司
衣装:小林身和子
メイク:小林志保美
編集:安樂正太郎、三條知生
音楽:UA
キャスト
福永幸平、 兵頭祐香、 河瀬直美、 生瀬勝久、 樋口可南子ほか
ストーリー
奈良の旧市街地(ならまち)で、代々墨職人を受け継いできた麻生家は、旧家に暮らす4人家族。
クラクラするように暑い地蔵盆の日、双子の兄が、“神隠し”にあったように、行方不明になってしまう。
残された家族の「刻」は、その日を境に止まってしまった。
まるで、悠久の歴史が蓄積された“奈良”の、刻のうねりに呑み込まれたかのように。
5年後、17歳になった双子の弟・俊は、美術部に在籍する高校生。
等身大のキャンパスに、忘れることのできない、兄への想いを描きつづけている。
幼馴染みの夕とは、言葉にならない淡い気持ちを共有しながらも、どこかぎこちない。
俊と夕、そして家族たちは、行き場のない思いを抱えつつも、それぞれに出口を探そうと、懸命に生きていた。
やがて、夕に明かされる出生の秘密。そして、明らかになった兄の消息。
お互いが失ったものを、じっと胸に秘めつつ、いま、俊と夕は前に進もうとしていた。
『沙羅双樹』
2003 カラー 99分
ドキュメント沙羅双樹「2002年の夏休み」(約67分)、劇場予告編、TVスポット
奈良ということばを聞くと、河P直美さんを自然と思い浮かべる。連想ゲームのように。
芸能ごとと呼ばれるものは、特別なものとして扱われなかった遠い過去。少し、視点を変えてみる。
自分のルーツや環境を、あえて頭で考え、感じてみる。路地を曲がれば、打ち水をする、お隣さん。
おはようございます、季節のごあいさつ。生まれ育った土地で、呼吸をするということ。
木が天に向かって、枝を伸ばすように、わたしたちも、大地に足をつけ、循環させる。
濃い霧が立ちこめる中、目を閉じ、大きく伸びをしてみる。山を俯瞰するシーン。
どんな気持ちになるだろうか。UAの声が空気と溶け合い、共鳴し、わたしの体にこだまする。
生命ということばをいつも強く感じさせてくれるから、感じる、ということを忘れずに、
大人になれるような、そんな心を呼び覚ませてくれるから、わたしは彼女の作品が大好きです。
5年後、10年後、年の節目ごとに、もう1度、体に反芻させたいと思える映像作品。
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