第3回「ラ・マンマ・モルタ」
Friday, September 2nd 2005
はんぶる・ドットこらむ 山崎浩太郎第3回
「ラ・マンマ・モルタ」
花にさまざまの咲きかたがあるように、人間の運命もまた、人それぞれに花ひらく。
イタリアのソプラノ、リーナ・ブルーナ=ラーザの歌手としての開花は早く、また華々しいものだった。
1907年にミラノで生まれ、生地で学んだかの女は、1927年、20歳になるかならずでデビューすると、この年11月のミラノ・スカラ座のシーズン開幕公演《メフィストフェレ》のエレナ役に抜擢され、トスカニーニの指揮でこの歌劇場に初登場した。
その歌いぶりは注目を集め、早くもシーズンの終わりの28年5月には、《アンドレア・シェニエ》のヒロイン、マッダレーナを歌っている。共演のシェニエはペルティレ、ジェラールはガレッフィと、スカラ座の誇る看板歌手が顔をそろえる舞台(指揮はパニッツァ)での、堂々の主役デビューだった。2年後の30年4月にスカラ座が再演したときにも歌っているから、この若いソプラノのマッダレーナはよほど高く評価されたのだろう。
さらに31年1月には《カヴァレリア・ルスティカーナ》のサントゥッツァを歌って、大成功する。このとき指揮をしたのは、作曲者のマスカーニだった。かれがブルーナ=ラーザの演唱に惚れこんだこともあって、そのサントゥッツァ歌唱は、この役の当代最高のものと見なされることになる。
当時マスカーニは、トスカニーニが去った後のスカラ座を支配しようと、躍起になってファシスト政権に接近していた。その企ては失敗したものの、35年にはムッソリーニの肝煎りにより、かれの新作《ネローネ》がスカラ座の総力を結集して初演されている。作曲者が自らタクトを握ったこの公演にも、ブルーナ=ラーザは当然のように参加した。
しかしこの年、その後のかの女の運命を大きく左右する出来事が起こる。
母の死である。
このことをきっかけにかの女の心は大きくバランスを崩し、ついに精神分裂病と診断される。そして衝撃的な事件が37年に起きる。
オペラの公演中にかの女はオケ・ピットに身を投げ、自殺を図ったのだ。
もちろん、オケ・ピットの深さでは死にはしない。その後も活動を続け、事件の翌38年にはオランダなどに演奏旅行し、マスカーニの指揮で《カヴァレリア・ルスティカーナ》を歌っている(ライヴ録音が現存し、CD化されている)。
さらに40年、この作品の初演50周年を祝ってスカラ座で記念公演が行なわれたとき、かの女も参加した(はっきりしないが、おそらくサントゥッツァを歌ったはずだ)。公演と前後して行なわれたEMIによるSP全曲でも、作曲者の指揮でジーリと共演して、この十八番の役を録音している。
マスカーニの胸中にはおそらく、かの女の心とともに失われつつある無二の才能への愛惜と、再起を願う祈りの念とが、あふれていたに違いない。しかし願いは虚しく、とうとうこの年、かの女は精神病院に入る。
5年後、マスカーニはファシスト政権の崩壊とともに全てを失い、貧窮のうちに死んだ。ブルーナ=ラーザはその後も、時おりコンサートに出演したというが、その火のような情熱が舞台に甦ることは、ついになかった。
今回の《シェニエ》の全曲は31年、この悲運のソプラノがスカラ座でサントゥッツァを歌った直後のものであり、また付録のアリアなどは、28年に初めてマッダレーナを歌っている時期に、録音されたものである。
激しく熱い、南国の早咲きの花。
for Bronze / Gold / Platinum Stage.
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Andrea Chenier: Molajoli / Milanscala Opera House
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