山崎浩太郎 「陋巷に暮らす作曲家」
Friday, July 18th 2003
第31回 今月のナクソス・ヒストリカル
「陋巷に暮らす作曲家」
1月のある日、彼はさるみごとなオペラが届いたと言った。
「ピアノ・スコアではそれほどの確信も湧かなかったが、フル・スコアはドラマチックで光っている。まさに完璧だ。これはパリで今シーズンのヒットだったんだ」
それはシャルパンティエの《ルイーズ》だった。
(『グスタフ・マーラー』アルマ・マーラー/石井宏訳/中公文庫)
1903年、ウィーン宮廷歌劇場音楽総監督のグスタフ・マーラーは、3年前の1900年2月にパリのオペラ・コミーク座で初演され、たちまち凄まじい人気を得たオペラ、《ルイーズ》をウィーンで上演した。
上の引用は、マーラーの妻アルマによる回想である。この年にはベルリンでも《ルイーズ》は上演され、1908年にはメトロポリタン歌劇場で、翌年にはコヴェント・ガーデン歌劇場でも上演、その音楽は欧米各地に響くことになった。初演から4年後には、オペラ・コミークで早くも200回目の上演を祝ったというから、パリでの人気の凄まじさがわかるだろう。
ギュスターヴ・シャルパンティエは1860年生まれ、パリ音楽院でマスネーに学び、フランスの作曲家の登竜門であるローマ大賞を得て、組曲《イタリアの印象》を1891年に初演しているが、その後の実績はほとんどなかった。ウィーン初演を監修するために同市を訪れたとき、自身がアルマに語った回想によると、オーケストラ奏者をして食いつないでいたが、《ルイーズ》の作詞作曲を始めてからはそれにかかりきりになり、書きあげたときにはほとんど無一文になっていたという。
その《ルイーズ》の大成功によって、シャルパンティエは一夜にして底辺から頂点へと飛躍したわけである。ウィーン初演の頃は、まさしく得意の絶頂であった。
しかしそれから23年後の1926年、アルマがシャルパンティエにふたたび会おうとパリを訪れたとき、事情は一変していた。誰に聞いても「ずいぶん前に死んだよ」と言われるばかり。オーストリア大使館がようやく見つけてくれた住所は、貧しい場末の街だった。 あいにく不在で会うことはできなかったが、他の人からは、死んだ方がましなほどの状態だと聞かされた。
シャルパンティエは《ルイーズ》1曲だけの作曲家だったのだ。《ルイーズ》初演から13年後に、かれは続編《ジュリアン》を作った。鳴り物入りでオペラ・コミークとメトロポリタン歌劇場で上演されたが、惨憺たる大失敗に終わり、それとともにかれの作曲家生命も終わった。
だがアルマは、陋巷に身を置く、その後のシャルパンティエの生きざまを「自分が生きたいように生きているからだろう。常識的な人たちにはそれは理解できない」(前掲書より)と書き、理解しようとしている。シャルパンティエは1956年、95歳で死んだ。
今回ここでご紹介する録音は、1935年にパリでつくられた抜粋である。作曲者自らも監修に加わったもので、当時のフランス最高の歌手陣が組まれている。独唱に関するかぎり、いまだに最高の一組だろう。マーストンによる覆刻は生気と澄明さにあふれ、「ベル・エポックの花」を甦らせている。
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Louise(Short Version): Bigot / Paris Raugel.o & Cho, Vallin, Thill, Pernet, Etc
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