The Ordinary Boysインタビュー【1】
2015年11月26日 (木)

サミュエル・プレストンはどこまでも強い。そして、間違いなく音楽とポップに愛されている。そう思わずにいられないのが、まさかのオーディナリー・ボーイズ再結成、そして、タイトルにバンド名を冠し、リリースされたばかりの4thアルバム『ジ・オーディナリー・ボーイズ』だ。しかも、9年ぶりの来日公演が決定した。何度転んでも起きる。何度間違ってもへこたれない。これぞプレストン・ルールズであることを証明する再出発ドラマだと言える。
2004年の1stアルバム『オーヴァー・ザ・カウンター・カルチャー』以降の彼らの3枚のアルバムは、乱暴に言うと、それぞれが「パンク」、「インディ」、「ポップ」とタグづけ出来るような内容だったと言えるだろう。と同時に、ロックンロール・リヴァイヴァル/ガレージ・リヴァイヴァル全盛期に、それとは一線を隠す社会的/政治的なメッセージを盛り込んだパンク・バンドとしてデヴューしたバンドが、数あるインディ・バンドと十羽ひとからげにされることで次第に迷走し出し、やがてプレストンのソロ・プロジェクトへと変貌を遂げていくという道程を刻み込んだものでもある。
2006年、2nd アルバム・リリース後に行き詰まったバンドを救うため、プレストン自身がリアリティTV番組『セレブリティ・ビッグ・ブラザー』(※日本の『テラスハウス』の元ネタ番組)に出演することで起死回生を図り、一躍プレストンがセレブリティとなったことで、その後の3rdアルバムは見事に成功を勝ち取る。だが、激変したプレストンの環境のせいもあって、次第にバンド・メンバーとの距離が開いていき、雪なだれ式にバンドは解散。その直後にプレストンのソロ・プロジェクトが始動。スージー&ザ・バンシーズの代表曲“ハッピー・ハウス”を大胆にサンプリングしたエレクトロ・チューン“ドレスト・トゥ・キル”をシングルとしてリリースするものの、その後に予定されていたアルバムはリリース中止。一度はポップ・シーンの表舞台からは完全に姿を消してしまったかに見えた。
だが、サミュエル・プレストンは戻ってきた。最新作4thアルバム『ジ・オーディナリー・ボーイズ』は、初期のストレートなパンク・サウンドに回帰。よりアグレッシヴながら、バンド解散後、プロのソングライターとして全英No.1ヒットを飛ばしたプレストンならではのポップ・センスが光る好盤になった。
そこで9年ぶりの来日公演を祝すべく、解散から現在までのオーディナリー・ボーイズの道程を今一度振り返り、新作『ジ・オーディナリー・ボーイズ』の内容を読み解く、最新のプレストンの肉声を3回に分けてお届けすることにしたい。
我らがプレストンは、パート1ではオーディナリー・ボーイズ解散へと至る詳細なドラマを、パート2ではソロ・プロジェクトの失敗から売れっ子ソングライターとしての成功、オーディナリー・ボーイズ再結成までの道程を、パート3では4thアルバム『ジ・オーディナリー・ボーイズ』の内容と12月の来日公演でのセットリストや意気込みについて語っている。
往年のファンには懐かしく、新規のファンにとっては新鮮にうつるだろう、開けっ広げで無防備な打ち明け話と、容 赦ない毒舌がないまぜになったプレストン独自の語り口と同時に、その時々の彼らのサウンドを改めて楽しんで欲しい。
インタビュー&文:田中宗一郎( http://thesignmagazine.com )
バンド解散後、アメリカに移住して、3年ほど暮らしたんだ。で、いろんなパンク・バンドとつるむようになったんだ。
--まず最初にこの質問をしなきゃと思ってたんです。バンドを解散させてから、以前よりかなりタトゥーが増えましたよね? 新しく入れたタトゥーのモチーフと、そのモチーフを入れた理由を教えてくれますか?
サミュエル・プレストン(以下、プレストン)「今あるタトゥーのほとんどはバンド解散後に入れたタトゥーだよ。当時はまだ、こんなにはタトゥーを入れてなかったからね。まあ、特にやることがなかったから、暇をつぶすために何かをやらなきゃって思ったんだろうな(笑)。入れ始めの頃は、定番のツバメや錨のタトゥーを入れたいと思うものなんだけど、だんだんぶっ飛んだものとか入れくなってくるんだ。最近はさすがに大きいのは入れなくなったけど、当時バンドが解散した直後は調子に乗って色々入れたよ」
--(笑)
プレストン「俺、バンド解散後すぐにフィラデルフィアに引っ越したんだよ。フィラデルフィアとNYに合わせて3年くらい住んだ。ていうのも、俺、アメリカ人だからさ。親がアメリカ人で、イギリスに移住したから。でも、面白いよね。俺たちってずっと“典型的なブリティッシュ・バンド”って思われてたのに、俺自身はアメリカ人だっていう(笑)。そんなわけで、俺はアメリカに渡って、いろんなパンク・バンドやハードコア・バンドの連中とすごく仲良くなったんだ。ExplosionやAmerican Football、American Nightmareといったバンドさ。彼らとつるむようになって、タトゥーを入れるようになった。それがきっかけだね」
--でも、かなり増えましたよね?
プレストン「タトゥーって、入れれば入れるほど自分のテイストが出てくれるものでさ。実はピー・ウィー・ハーマンのタトゥーも入れてるんだ。彼の大ファンなんだよ。あと、Wayne Whiteっていうアーティストを知ってる? アメリカ中のリサイクルショップとかで超安物の風景画を手に入れて、そこにデカくスローガンを描く人なんだけど。一番有名なのが、“Beauty is embarrassing”っていうスローガンで、他にも“Fuck It”とだけ描いてあるのもある。それを美しいステンシル・レタリングで描くんだけど。彼の作品がとにかく好きなんだけど、彼が実はピー・ウィー ・ハーマンのテレビ番組用にパペットを作ってるんだよ。その番組がとにかく最高でさ。それで、大きなピー・ウィー・ハーマンのタトゥーを足に入れたんだ(笑)。で、もう一つ、“I know you are but what am I”っていうピー・ウィー・ハーマンの決めセリフも入れてる。
それ以外にも腕に格子じまの靴下のタトゥーもあってさ。これは当時、付き合っていた彼女と一緒に入れたタトゥーなんだ。俺、Bouncing Soulsの『The Good, The Bad, and The Argyle』ってアルバムが大好きでさ。彼らの曲に“Plaid is Rad”という曲があって、(※実際は“You’re So Rad”)格子じまの靴下について歌っている歌なんだ。
あと、当時、付き合っていた彼女の名前のタトゥーも入れたね(笑)」
--じゃあ、今も当時のガールフレンドの名前のタトゥーが入ったままなんですか?
プレストン「いや、彼女の名前が4文字だったんだけど、その娘と別れてから、その上からブラック・フラッグのロゴのタトゥーをかぶせたんだ。ちょうど4本の長方形だからね。俺が知る限り、ブラック・フラッグのタトゥーを入れている奴らは、そのほとんどが別れた彼女の名前を隠すために入れているんだよ。真っ黒で、ちょうどいいからさ(笑)。だから、ブラック・フラッグのタトゥーを入れている奴を見つけると、それを指差して『ねえ? 元カノのタトゥー入れてた?』って聞くんだ。すると、たいていみんな、『まあな』って言うっていうね(笑)」

デビューした頃は、とにかく最高の時代だね。実際、「俺たちは不滅なんだ!」って思えた瞬間だった。
--(笑)では、まずは、バンド解散から再結成へと至る間の、あなた自身、少しばかり思い出したくないだろうことから、いくつか訊かせて下さい。2006年、あなたがリアリティTV番組『セレブリティ・ビッグ・ブラザー』に出演したことで、バンドは初めて『NME』のカヴァーになるなど、英国内ではバンドに対するアテンションが格段に高まりました。
プレストン「そうだね」
--ただ、当時のあなた自身のそうした選択、あるいは、その後、あなたが主体となった3rdアルバムの方向性について、今、あなた自身が間違ってなかったと感じる部分、あるいは、後悔を感じている部分のそれぞれについて教えて下さい。
プレストン「まず、後悔のない人生なんて生きてたって面白くないって俺は思うわけ。だから、後悔してもいいと思っている」
--なるほど。
プレストン「君なら知ってると思うけど、今の俺は他のアーティストに曲を提供するソングライターとして、もっぱらポップ・ソングを書いてる。エンリケ・イグレシアスやシェール、ジョン・ニューマンといったポップ・シンガーに曲を提供して生計を立てているんだよ。で、2006年頃っていうのは、ちょうどその辺りの音を研究してた時期でさ。そもそも昔からセレブリティ・カルチャーに強い興味があったんだ。ほら、デビュー・アルバムの歌詞にもそれは色濃く出てただろ? で、2006年頃は、『自分もその世界に入ってみたら面白いんじゃないか?』って思ってた。『内側から見て批評して解体してみよう』ってね。ただ、いざポップ・カルチャーにどっぷり入ってみて気づいたのは、例えば、発行部数の多い影響力のある雑誌のインタビューで、自分なりの文化論を語ったり、人の意識を変えようと政治や宗教について語ったところで、結局すべて編集されて、『プレストンは、『シンプソンズ』が大好きで、一番好きな色はブルー』みたいな記事にしかならないんだよ(笑)。要するに、彼らにいいように利用されるだけで、自分ではどうすることも出来ない。ま、それが学べただけでも良かったけどね。自分には関係のない世界だってわかったし。うん、だから、アメリカに移住したんだ」
--では、デビューから2ndアルバムまでの時期、3枚目のアルバムを出した時、そして、現在ーーその時々において、オーディナリー・ボーイズというバンドがどういう状態だったのか? それについて教えて下さい。
プレストン「まずデビューした頃は、とにかくツアー三昧で、メンバー同士もすごく仲が良かった。うん、最高の時代だね。まあ、もう一度やれと言われたら、正直しんどいけどね(笑)。でも、もしあの時期をそのまま凍結させることが出来るんだったら、ホント最高だけどね。実際、『自分たちは不滅なんだ!』って思えた瞬間だった。
だって、デビュー作で、自分たちらしさを完全に確立して、自信に満ちていたからね。『自分が何者なのか?』についての確信があるってのは最高だよ。で、2ndから3rdアルバムのの時期は、『自分たちが何者なのか?』ってことがまったくわかっていなかった。もがき苦しんでた時期だね。だからこそ、俺は日本のファンに対して、すごく敬意を抱いているんだ。っていうのも、イギリスでは2ndアルバムの方がヒットしたけど、日本では1stアルバムが一番支持されたからね。俺は1stアルバムの方が遥かにいいアルバムだと思っているから。そこを日本のファンは わかってくれてるんだ。だから、本当に嬉しいんだよ。で、今の俺たちはと言うと、ようやく余計なことは気にせず、好きなことをやってやる自分たちに戻れたってこと」
2ndアルバムが完成した段階でもう解散の兆しはあったんだよ。で、3rdを作った後、俺たちはバンドとして完全に 孤立していた。
--では、バンドを解散させると決めた時のことを出来るだけ詳しく教えて下さい。
プレストン「実はかなり早い段階でその兆しはあったんだよ。悲しいことだけどね。2作目が完成したタイミングだった。1作目とは音楽的方向性が違うアルバムだっただろ? よりダークで、インディっぽい音だった。当時のギタリスト、ウィル(・ブラウン)がそういう方向性を持っていた結果だと思う。うん、ちょうどポール・ウェラーとツアーをしていた時期だね。とにかく俺たちはあのツアーは楽しめなかったんだよ。もともと俺たちのライヴはとんでもなくうるさくて、アグレッシヴな演奏をする。だろ? で、あの時も俺たちがライヴを始めようとした時に、ポール・ウェラーのバンドにいたスティーヴ・クラドックがステージ脇に立っていたんだけど、“オーヴァー・ザ・カウンター・カルチャー”の最初のコードを演奏した瞬間、彼は耳を指で塞いで立ち去ったんだ。それを見て、『あいつ、マジかよ?』って思ったのを今でも覚えているよ(笑)
バンドとしてスタートした時から、俺たちはいつだって自分達がアウトサイダーだと思ってた。ずっとそれを誇りに思っていたけど、ある日、気づいたら、完全に孤立してたんだ。最初はパンク・バンドだったのに、2作目でインディになってパンク・ファンが離れていった。そこから今度は3枚目のアルバムでポップになったらインディ・ファンが離れていった。で、今はポップ・パンク・バンドになって、また裏切られたと思っている人もいるはずさ。まあ、やってる方としては最高に気持ちいいんだけどね。だって、俺たちはいつだってアウトサイダーでいたいからさ。『自分達4人対世界』みたいな感じでね(笑)。誰にも媚びを売るつもりはない。むしろ混乱させたい、ていうね。その裏には『人の予測を裏切り続けて、型にはまらないものを作り続けたい』という気持ちがあるんだよ。で、ごめん、質問は何だったっけ?(笑)」
--解散を決めた時のこと、ですね。
プレストン「そう、とにかく、当時、ポール・ウェラーとのツアーの時は、誰も楽しんでいなかったんだよ。で、レコード会社とも話し合ったんだ。彼らは遠慮なく何でも言ってくれるから。今でも俺はソングライターとして同じレーベルに所属しているくらいだし。12年間ずっと同じ人たちと働いてるんだよ。彼らと組んで新しいビジネスを始める話もあるくらいでさ。でも、当時は『このままじゃダメだ』とはっきり言われたんだよ。2作目がイギリスでヒットしていたにもかかわらず、ね。正直、俺たちは契約を切られるんじゃないかと不安だったし、ツアーも楽しめていなかった。それが2005年の話だね。デビューしてから1年ちょっとだ」
--たった1年の間なのに、かなり目まぐるしい展開ですね。
プレストン「ああ。俺たち自身は10歳くらいからずっと一緒に音楽をやってきていたんだけど、当時の俺たちは、『やっちまったな』と思ってた。俺も『大学に行ったら、何を勉強しよう?』って考えたし、もう終わりだって思ってた。そこに、例のテレビ番組に出演しないかって話が来たんだ。まあ、半ばヤケクソだよね(笑)。で、『まあ、もうバンドはヤバい感じだし、やるだけやってみるか』と思って、メンバーにも話したんだ。『番組に出るから、最後に1枚アルバムを出さないか?』って。つまり、2作目の後ですでに一度解散しかけたんだけど、もう1枚アルバムを作ることになったんだよ。でも、バンド全体の雰囲気としては、正直、『もうどうなったっていい、どうにでもなれ』って感じだったね」
3rdアルバムは、日本のいろんなカルチャーから影響を受けたんだ。でも、メンバーからは「俺たちのバンドをどうしてくれたんだ?!」って言われた。
--では、その3枚目があなたが主体になった、エレクトロニック色の強いポップ・アルバムになったのは?
プレストン「さっきも話したけど、ちょうどその頃、俺はポップ・ミュージックに関心が傾いていて、プロダクションも手掛けるようになってたんだ。そうだ、そもそも俺がプロダクションやポップ・ミュージックに興味を持つようになって、後にオリー・マーズに提供してNO.1ヒットを書くようになったきっかけって、ポリシックスやPlus-Tech Squeeze Boxみたいな日本のバンドだったんだよ。カットアップ・サウンドっていうのかな? 彼らのプロダクションがすごく面白いと思ったんだ。パフュームみたいなグループの存在も刺激になった。日本に行って、そういう日本のポップ・カルチャーを吸収したのが大きかった。ほら、日本の音楽ってキラキラしているよね? 明るくて、聴いた瞬間に満たされる即時性がある。日本の漫画やゲームにも通じると思うけど、カラフルで、とにかくわかりやすいんだよ。『ゼルダ』のゲームの静止画を見ただけで、十分満たされるものがあるだろ? でも、イギリスのものって、理解しようと努力しなきゃいけないん。どちらがいいのかはわかんないけど。でも、東京に行くと、どこを見ても色鮮やかなポップさで溢れている。当時の俺はそれをアルバムに取り入れようと思ったんだ」
--レコーディング自体はどうだったんですか?
プレストン「制作は大変だったよ。みんなバンドから完全に心が離れていたから。だから、結局、俺一人であのアルバムを作る羽目になった。もしかしたら、3枚目のアルバムって、俺のソロとして出した方が良かったのかもしれない。まあ、イギリスでは3曲もトップ10シングルが生まれたから、成功したアルバムとも言えなくはないんだけど。でも、ジ・オーディナリー・ボーイズらしさはまったくなかった。俺たちならではの攻撃性は微塵もなかった。で、結果的に他のメンバーからは『俺たちのバンドをどうしてくれたんだ?!』って言われることになった。で、バンドは解散したってわけ。それで、仕方なく俺はアメリカに行くことにして、他のメンバーは大学に戻って、普通の仕事に就くことにしたんだよ」
来日情報
2015/12/14(月)原宿アストロホール(東京都)
OPEN 18:00 / START 19:00
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ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。
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