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「ベルリン・フィル・ラウンジ」第115号:ムーティ、R.シュトラウスとリヒテルを語る(前半) ベルリン・フィル・ラウンジへ戻る

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2015年5月28日 (木)

ベルリン・フィル&HMV提携サイト
 アーティスト・インタビュー

リッカルド・ムーティ(前半)
「リヒテルは、王道よりも横道を行くことを好みました」
聞き手:ダニエーレ・ダミアーノ
2015年4月17日

【演奏曲目】
シューベルト:イタリア様式による序曲ハ長調
モーツァルト:交響曲第35番《ハフナー》
R・シュトラウス:《イタリアより》

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:リッカルド・ムーティ

 4月にベルリン・フィルに6年ぶりに客演したリッカルド・ムーティのインタビューをお届けします。前半では、プログラムのR・シュトラウスの《イタリアより》について多くのことが語られています。興味深いのは、この曲を演奏するきっかけとなったのが、リヒテルの忠言による、ということ。彼と親しかったムーティならではの見解も聞かれ、興味深い内容となっています。

ダニエーレ・ダミアーノ 「ムーティさんは、我々のオーケストラの歴史のなかで、特別な位置を占めていらっしゃいます」

リッカルド・ムーティ 「それは私にとってのベルリン・フィルと同じです」

ダミアーノ 「将来は、より頻繫に来ていただけると嬉しいですね。あなたとの共演では、毎回新しいことが学べます。それは、長い年月の間で忘れていたことで、あなたと共演することで思い出す、という側面もあると思います。今回のプログラムでは、イタリアからたくさん太陽の光を持ってきてくださいましたね。リヒャルト・シュトラウスの《イタリアより》です。この作品は、イタリア的なものと、ドイツ的、ロマン主義的なものの合一と言えます。ムーティさんは、修行時代、さらに指揮者としてのキャリアのなかで、両方の世界を身につけてこられました。作品の背景についてお話しいただけますか」

ムーティ 「それについてお話しする前に、まずあなたが最初におっしゃった“学ぶ”ということについて振り返ってみたいと思います。私は若者としてベルリン・フィルやウィーン・フィル、その他の素晴しいオーケストラから学んだことを、再びお返ししているのです。私はベルリン・フィルとの共演から学び、それは私の音楽的教養をより深いものにしました。そしてそれは今、私の音楽的アイデンティティの一部となっているのです。そして40年後にベルリン・フィルに再びやって来た時には、以前学んだものを、より成熟した形でお返ししているのだと思います。
 ベルリン・フィルは1972/73年シーズンに私が初めて指揮した時よりも、変化しています。今は、若い音楽家で溢れた素晴しいオーケストラです。しかし重要なのは、オーケストラの伝統が後代に伝えられることです。それがこの楽団のアイデンティティを作り出すのですから。オーケストラとは、ある国の伝統を象徴するものです。ですからそれを維持することは、文化において、重要な課題のひとつだと思います。
 今回のプログラムについては、ふたつのイタリアへの関わりがあります。後半に演奏するシュトラウスの《イタリアより》、そして最初に演奏するシューベルトのイタリア様式による序曲です。真ん中に演奏するのは、モーツァルトの《ハフナー》ですが、彼はイタリア文化から多大な影響を受けた作曲家でした。彼の重要なオペラの多くは、イタリア語で作曲されています。彼はザルツブルク生まれですが、イタリアと文化的なつながりを持っていたのでした。このように、今回のプログラムでは、イタリアがひとつのキーワードとなっています。
 私の持っている《イタリアより》のスコアには、“1968年4月”という書き込みがあります。もう随分昔のことです。この時まで、私はこの作品が存在することさえ知りませんでした。私がフィレンツェ五月音楽祭管を初めて指揮した時、ソリストはスヴャトスラフ・リヒテルでした。彼はモーツァルトとブリテンのコンチェルトを弾き、私はモーツァルトのシンフォニーとブリテンの《ピーター・グライムズ》の〈4つの海の間奏曲〉を指揮しました。これは私のキャリアの始まりで、後にフィレンツェ五月音楽祭の音楽監督になりました。リヒテルとはそれから何度か共演し、レコードも録音しています。この最初の演奏会の後、彼は私は言いました。“あなたはシュトラウスの《イタリアより》を演奏しなければいけませんよ”。私は作品の名前さえ知らず、スコアを取り寄せました。それが、この1968年4月のスコアなのです。
 私はリヒテルのことをよく知っていました。彼は少し変わった、有名でない作品に対する強い関心を持っていました。王道というよりは、横道を選んだのです。ちょっとした小路を行くことの方が、ずっと面白いと思っていた。普通(音楽とは別に)人に“イタリアの好きな町は?”と聞くと、大抵は、ローマやヴェネツィア、フィレンツェといった答えが返ってきますよね。しかし彼は、“ノルチアやトラーニが好きだ”と言ったのです。いずれもメインストリームから離れた、美しい小さな町です。それゆえ私にも、《ドン・ファン》や《死と変容》などの、一般的な作品を勧めませんでした。“いや、ぜひ《イタリアより》を勉強しなさい”と。そして実際に学んでみると、素晴しい作品だと分かりました。
 シュトラウスは、この作品をイタリア旅行中に書いた時、20代初めでした。彼はローマのカンパーニャ、フォノ・ロマーノや古代の遺跡に見せられました。そしてやや南のソレントの美しさにも。例えばラヴェッロ(ソレントよりやや南の町)には、《パルジファル》の魔法の園のモデルとなった場所があります。そこにはワーグナーの引用(「クリングゾールの魔法の園は見つかった!」)が書かれた記念碑があるくらいです。旅は最後には、ナポリへと向います。
 音楽は、この4つの場所の雰囲気をよく伝えています。彼は誤解を防ぐために、次のように記しています。つまり彼はこの作品で、それぞれの場所を描写しようとしたのではないと。音楽で物事を描写することはできない。そうではなく、彼が“これらの素晴しい町を体験した時の感情”を映し出したものなのです。第1曲〈カンパーニャにて〉は、旋律の美しさが際立っています。最初は静かで、風景の広がりを暗示しています。二つ目の主題(歌う)は、シュトラウスは自然と思いついたと言っていますが、実に巧妙に展開されています。シュトラウスが天才的な作曲家であることが分かります。第2曲〈ローマの遺跡で〉では、失われた時代へのノスタルジーとそこはかとない悲しみが表現されています。最初のテーマはどちらかというとヒロイックなもので(歌う)、もうひとつのテーマは、静かな祈りのような調子をもっています(歌う)。ここでは古典的な形式が意識に用いられ、古代を現代に蘇らせようとする意図が感じられます。第3曲〈ソレントの浜辺で〉は、トリルが多用され、鳥のさえずりが聴こえます。弦や木管のパッセージにですね。渡り鳥や葉のさざめきを連想させられます。それは非常に天才的なのですが、すでに印象主義を感じさせる音楽になっています。ラヴェルやドビュッシーより早く書かれていますが、それを予見しているのです。これらのトリルによって、ナポリ湾が日の光の中で輝いているようです。
 第4曲〈ナポリの人々の生活〉では、オーケストラが様々な色彩を作り出しますが、ナポリの生き生きとした様子を描き出しています。技術的にも非常に演奏するのが難しく、一流のオーケストラを必要とするところです。彼はナポリの忙しい様子に感銘を受けたのですが、それを表現するために、パガニーニのカプリースのような難しいパッセージをそこらじゅうに散りばめたのですね(後半に続く)」

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 最新のDCHアーカイブ映像

ユジャ・ワンのベルリン・フィル・デビュー。指揮はP・ヤルヴィ
2015年5月16日

【演奏曲目】
シューマン:序奏、スケルツォとフィナーレ
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番

ピアノ:ユジャ・ワン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

 2013年、中国人ピアニストのユジャ・ワンはベルリン・フィルの主催によるデビューリサイタルを行ない、目が覚めるような卓越したテクニックと響きのニュアンス感覚を聴衆に披露しました。そのワンが今回ソリストとしてベルリン・フィルと初共演を果たしました。演目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番。彼女は、ヴィルトゥオーゾ風の色彩の鮮やかさと音楽的な深みが合わさったこの作品を、見事に弾ききっています。
 指揮者のパーヴォ・ヤルヴィは、2013年4月の客演で久々にベルリン・フィルにカムバックし、話題を集めました。今回指揮するショスタコーヴィチの交響曲第1番は、作曲家が19歳のときにレニングラード音楽院の卒業制作として書いたものです。プロコフィエフを手本にした跡が見られるこの作品には、反抗的な笑いと激情とが同居し、すでに後年のショスタコーヴィチの創作の特徴を見て取ることができます。1926年、ニコライ・マルコの指揮によって初演された本作は大成功を収め、ショスタコーヴィチは交響曲の新たな歴史を切り開いていくことになりました。交響曲の新しい形を試みたという意味では、シューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ」についても当てはまります。彼は当時流行していた「浅薄な序曲スタイル」に対抗する形で、この佳作を書き上げたのでした。シューマンにも熱い想いを寄せるヤルヴィの鋭敏な解釈でお聴きください。

P・ヤルヴィの演奏会をDCHで聴く

ノセダがベルリン・フィルにデビュー
2015年5月24日

【演奏曲目】
ペトラッシ:パルティータ
R・シュトラウス:4つの最後の歌
チャイコフスキー:交響曲第4番

ソプラノ:カミッラ・ニュールント
ベルリン・フィルハーモー管弦楽団
指揮:ジャナンドレア・ノセダ


 1877年に書かれたチャイコフスキーの交響曲第4番は、作曲家の個人的な事情が色濃く反映されています。この年の初頭、チャイコフスキーは資産家の未亡人メック夫人と手紙のやり取りを交わし、その中で夫人は作曲家に創作のための財政的な援助を約束しました。直後、チャイコフスキーは彼を崇拝していた女性と結婚をしますが、わずか数週間で破局を迎え、深刻な鬱に陥ったのでした。第1楽章冒頭の切羽詰まったようなファンファーレを作曲家が「運命の」主題と呼んだため、この交響曲は後にチャイコフスキーの「運命交響曲」として解釈されるようになりました。
 指揮をするのは、ジャナンドレア・ノセダ。1964年にミラノで生まれたこの指揮者にとって、今回の演奏会は、ベルリン・フィル・デビューでした。ノセダは長年マリインスキー劇場の首席客演指揮者を務め、現在はトリノ王立歌劇場の音楽監督の任にあります。さらに、BBCフィルハーモニックの名誉指揮者、イスラエル・フィルの首席客演指揮者の立場にあるなど、オペラとコンサートの両方の分野で国際的に活躍中です。今回の演奏会では、シュトラウスの4つの最後の歌(アンゲラ・デノケの代役でカミッラ・ニュールントが登場)のほか、2003年に亡くなった同国人の作曲家ゴッフレード・ペトラッシの作品が取り上げられるのが注目されます。ノセダが録音したペトラッシの合唱作品集は、2014年1月にBBCミュージック・マガジン賞にノミネートされています。なお、ベルリン・フィルは当コンサートを、昨年逝去したクラウディオ・アバドへの思い出に捧げています。

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 これからのDCH演奏会

ハイティンクのシューベルトとショスタコーヴィチ
2015年5月31日(土)日本時間午前2時

【演奏曲目】
シューベルト:交響曲第5番
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ベルナルト・ハイティンク

 ベルリン・フィルとこれまで50年以上に渡る共演歴を持ち、この3月にオール・ベートーヴェン・プログラムを指揮したベルナルド・ハイティンクが再び登場します。今回指揮するシューベルトの交響曲第5番とショスタコーヴィチの交響曲第15番は、どちらもベルリン・フィルとは初共演となる演目です。
 「出発と終着点」、今回の演奏会はこのように位置づけられるかもしれません。1816年秋に完成したシューベルトの交響曲第5番は、ハイドンやモーツァルトの伝統的な形式をモデルに作曲家が19歳のときに書き上げた作品で、若々しい雰囲気に満ちています。主題の跳ね回るような軽快さ、楽器グループ間の心地よい対話、透明なオーケストレーションは、疑いもなくモーツァルト風の性格を示していますが、時に意表を突く和声進行にシューベルトのロマン的な響きの美学がすでに顔を覗かせています。
 光と快活さは、ショスタコーヴィチの最後の交響曲である第15番でも聴き取ることができます。しかし、ここでの快活さはあくまで表面的なものに過ぎません。ショスタコーヴィチはアイロニーと多義性を用いて、自作と他の作曲家の作品(ロッシーニの《ウィリアム・テル》序曲やワーグナーの《ワルキューレ》など)から引用、さらに独自の十二音技法も使いながら、音楽的なだまし絵、もしくは意味深な象徴関係を張り巡らした編み細工のような作品を完成させました。この最後の交響曲を通して、ショスタコーヴィチは音楽的な自叙伝を残したと言えるでしょう。

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バレンボイムがベルリン。フィルに客演
2015年6月7日(日)日本時間午前2時

【演奏曲目】
ヴィットマン:《トイフェル・アモール》
チャイコフスキー:交響曲第6番《悲愴》

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ダニエル・バレンボイム


 ダニエル・バレンボイムは、指揮者として、ピアニストとして、また次世代の音楽家を育てる教育者として、現代におけるもっとも重要な芸術家の一人に数えられるでしょう。弱冠10歳でソリストデビューを果たした後、イゴール・マルケヴィッチの指揮法のクラスに最年少の受講生として学びました。ベルリン・フィルには、1964年6月にバルトークのピアノ協奏曲第1番にてソリストとして、1969年6月にはハイドン、ベートーヴェン、シューマンの作品で指揮者としてデビューを果たしました。以来、当団とは半世紀以上に及ぶ芸術的パートナーシップで結ばれています。1991年から2006年まで音楽監督を務めたシカゴ交響楽団では終身名誉指揮者の立場にあり、ベルリン・シュターツカペレからは2000年に終身音楽監督に任命されました。
 今回バレンボイムがベルリン・フィルを指揮するのは、イェルク・ヴィットマンの「トイフェル・アモール」とチャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》。ヴィットマンの「トイフェル・アモール」は、シラーによる同名の詩に触発されて書かれた作品で、2012年にアントニオ・パッパーノ指揮ウィーン・フィルによって初演されました。メイン演目の《悲愴》は、バレンボイムがこれまで繰り返し指揮してきた愛奏曲。近年力を入れているウェスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラとも名演を残しており、ここでは濃厚なロマンティシズムにあふれた演奏が期待できるでしょう。

バレンボイムの演奏会をDCHで聴く

 ドイツ発最新音楽ニュース

本コーナーでは、ドイツおよび欧米の音楽シーンから、最新の情報をお届けします。

カンブルランがシュトゥットガルト国立劇場の契約を延長
 シルヴァン・カンブルランが、シュトゥットガルト国立劇場との音楽総監督契約を2018年まで更新した。オペラ・インテンダントのヨッシ・ヴィーラーによると、「今後もたくさんのプロダクションを彼と予定している」という。
 カンブルランは、1993年から97年までフランクフルト・オペラの音楽総監督、99年から2011年までSWR放送響の首席指揮者を務めていた。現在は、読売日本交響楽団の首席指揮者のポストにもある(写真:今年3月の読売日本交響楽団ベルリン公演で指揮するカンブルラン© Peter Adamik)。

ジュリアード四重奏団のチェロ奏者が引退
 ジュリアード四重奏団のチェリスト、ジョエル・クロスニクが、2015/16年一杯をもって引退することになった。後任は、ジュリアード音楽院出身でマサチューセッツ大学の教授を務めるアストリード・シュウィーン。クロスニクは1974年にアダム・クラウスの後任として入団し、42シーズンにわたって演奏し続けた。今後は、ジュリアード音楽院で引き続き教授を務めるという。

次号の「ベルリン・フィル・ラウンジ」は、2015年6月12日(金)発行を予定しています。

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