バイエルン放送交響楽団 in Japan 来日記念特別提携マガジン第1号
Friday, November 14th 2014
バイエルン放送響がHMV ONLINEでオンライン・マガジンを展開

11月後半のツアーを機会に全3号掲載。多彩な情報をお届けします!
11月21日から27日まで、マリス・ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団が日本公演を行います。クリスティアン・ツィメルマンをソリストに、東京、川崎、京都、西宮の4都市で開催されますが、楽団ではこの機会に、HMV ONLINE上で日本のファンのためのオンライン・マガジンを展開します。11月14日から12月11日の期間、全3号にわたり、バイエルン放送響に関する様々なニュース、ツアー・レポート、自主レーベルBR Klassik関連の話題などを発信。バイエルン放送響をより多面的に楽しむサイトとして、ぜひご利用ください。
また11月から12月にかけてHMV ONLINEでは、BR Klassikレーベルのマリス・ヤンソンス旧譜を、セール価格でご奉仕します。この機会に、BR Klassikの名録音の数々をお楽しみください(写真:©Ackermann)。
バイエルン放送響広報部長ペーター・マイゼルよりご挨拶マリス・ヤンソンスとバイエルン放送響は、度重なる来日公演を行っていますが、日本の聴衆は、我々のオーケストラにとって極めて重要な位置を占めています。2012年に引き続き、今回もHMV ONLINEの協力のもと、このマガジンを展開することになりましたが、日本の皆様に、我々のオーケストラをさらに親しく、友人のように感じていただけたら、と考えております。
バイエルン放送響の自主レーベル、BR Klassikは、今年で5周年を迎えました。この秋には、ヤンソンスの《英雄の生涯》&《ドン・ファン》、ヴェルディ「レクイエム」のほか、ハーディングによるシューマン「ファウストからの情景」、ハイティンクによる《天地創造》等の新タイトルが発売されます。ツアーの演奏会と共に、こちらもぜひお楽しみください(写真:© BR)。
日本ツアー中に、ツイッターで日本語による最新情報を発信!バイエルン放送響では、11月中旬よりツアーの終了まで、ツイッターで日本語による最新情報をお届けしています。舞台裏や団員のプライベートの様子、コンサートの写真などを、リアルタイムでキャッチしませんか。
アクセスは、www.twitter.com/BR__SO/から。リツイート大歓迎です!
バイエルン放送響ツアー・ツイッター(日本語)
11月5日、ヤンソンス&ツィメルマンがブラームス「ピアノ協奏曲第1番を演奏日本公演の直前、ミュンヘンではマリス・ヤンソンスの指揮で、ツアーと同じプログラムの演奏会が行われました。ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」(下記のリガにおけるアルヴィド・ヤンソンス生誕100周年演奏会で演奏)と共に喝采を浴びたのは、クリスティアン・ツィメルマン独奏によるブラームス「ピアノ協奏曲第1番」。写真は、カーテンコールの模様です(© Robert Haas/SZ)
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BR KLASSIK レーベル
輸入盤 ショスタコーヴィチ:交響曲第6番、チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』 ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団(2013) |
発売日: 2014年05月29日 |
輸入盤 ベルリオーズ:幻想交響曲、ヴァレーズ:イオニザシオン ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団(2013、2010) |
発売日: 2014年03月26日 |
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来日直前!11月7日、「アルヴィド・ヤンソンス生誕100周年記念演奏会」 in Riga
マリス・ヤンソンス&バイエルン放送響が、父アルヴィドの生誕100周年を祝うために、生地ラトヴィアのリガに客演。演奏は、オンディマンド・ストリーミングで聴けます!
日本公演に先立つ11月7日、ヤンソンスとバイエルン放送響は、ラトヴィアのリガで演奏会を行いました。ヤンソンスは、この町の出身。2014年は、父で指揮者のアルヴィド・ヤンソンスが生誕100周年を迎え、客演演奏会は、この枠で開催されました。
ヤンソンスは、リガ生まれではあるものの、10代からは父がレニングラード・フィルの指揮者となったことを受けて、レニングラード(現サンクトペテルブルク)に移住しました。現在もサンクトペテルブルクに住んでおり、ラトヴィアに帰郷することは、比較的稀です。しかし今回は、上記の枠で、手兵バイエルン放送響との演奏会が実現しました。彼がラトヴィアで指揮するのは、2007年のロイヤル・コンセルトヘボウ管の客演以来となります。
アルヴィド・ヤンソンスは、日本の音楽界にとっては、伝説的な存在です。レニングラード・フィルと来日しただけでなく、60年代に東京交響楽団等のオーケストラに客演し、名演奏を披露。当時黎明期だった日本のオケ界に大きな刺激を与えました。その演奏は、「鉛の響きを金に変えた」と称され、多くの音楽ファンを魅了しています。日本に縁の深い人物ですが、日本公演の直前にこの演奏会が行われたことは、偶然ではないように思われます。
当日のプログラムは、ドヴォルザーク「交響曲第9番《新世界より》」、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」というもの。会場は、かつてアルヴィドが指揮者を務め、母イライダがオペラ歌手として活躍していたラトヴィア国立歌劇場でした。ラトヴィアの聴衆は、終演後熱狂的な喝采を送り、会場は総立ち。たくさんの花束が舞台に寄せられ、ラトヴィアでヤンソンスがいかに愛されているかをうかがわせました。本人は、演奏会後に在リガ・ドイツ大使館でのレセプションで挨拶。聴衆の暖かい歓迎ぶりに、感銘の言葉を述べています。
この演奏会の全体は、BR Klassikのラジオ・ウェブサイトにおいてオンディマンド・ストリーミング(無料・登録等不要)としてお聴きいただけます!ぜひご利用ください(写真:© BR)。
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アーティスト・インタビュー
マリス・ヤンソンス父アルヴィドの思い出、少年時代を語る
「私にとって、父が有名な指揮者であることは、重荷でした」
マリス・ヤンソンスが、ラトヴィア・ツアーを機にバイエルン放送のために行ったインタビューを訳出します。彼の少年時代については、これまであまり知られていませんでしたが、ここでは、その様子がかなり詳細に語られています。
――リガに旅すると、どのような気持ちになりますか。
「毎回、とてもエモーショナルになります。子供時代を過ごした場所ですから、学校や音楽学校の思い出、先生たち、そしてオペラ・ハウスの記憶が蘇ってくるのです。とくにオペラ・ハウスは、懐かしい場所です。というのは、3歳の時から、まるで自分の家のようにずっと居たからです。そこでは父母をはじめとする家族や友人たちが、働いていました」
――今回の演奏会は、お父様のアルヴィド・ヤンソンス(1914年10月24日生まれ)の生誕100周年を記念するものです。彼はラトヴィアとソ連で、有名な指揮者でした」
「そうです。彼は元々ヴァイオリニストでしたが、戦後指揮をするようになり、リガのオペラ・ハウスで振っていました。指揮者コンクールで第2位になったことをきっかけに、1952年にエフゲニー・ムラヴィンスキーの招きでレニングラードに移り、レニングラード・フィルで彼のアシスタントになりました。当時、母と私はリガに残っていました。しかし56年に父に続いて、レニングラードに移住したのです。父はレニングラード、そしてソ連で高く評価され、32年間にわたってここのオケの指揮者を務めました。私は、この時期にレニングラードで学び、音楽文化に触れることで、非常に刺激を受けました。というのは、この街の文化的、音楽的水準はきわめて高かったからです」

――お父様は、リエパヤ生まれだそうですね。
「リエパヤは、ラトヴィア第2の都市で、北海に面した港町です。父は、若い頃から家族を養うために働かなければなりませんでした。祖父が若くして亡くなり、4人兄弟だったので、父が家計を助けなければならなかったのです。彼はオーケストラでヴァイオリンを弾いていましたが、祖母は、子供たちが良い教育を受けることを重視していました。そのため、父の兄弟は貧しい状況でも、高い教育を受けたのです」
――彼が指揮者になったのは、どういうきっかけからですか。当時リガでは、ナチス・ドイツを逃れて亡命していたレオ・ブレヒが指揮していたたそうですね。
「ブレヒは、リガのオペラ・ハウスの首席指揮者でした。父は、彼やエーリヒ・クライバー、ヘルマン・アーベントロートのもとで数多く演奏しました(ちなみに父は、こうした偉大なドイツの指揮者たちの書き込みが入ったスコアをたくさん持っていました。現在は、私がそれを使っています)。ある時、指揮者が病気になって、代役が見つからず、劇場事務局が彼に指揮するように頼みました。それは父が指揮の勉強をする前のことでした。それ以来、劇場でオペラやバレエ、コンサートを数多く指揮し、オペラ・ハウスの主要指揮者となったのです」
――ヤンソンスさんは、戦争中の43年に生まれています。
「私自身は、戦争のことは覚えていません。なにしろ、戦争が終わったときは、2歳でしたから。思い出せる最初の記憶は、家で楽器を演奏したことです。おもちゃのような楽器でした。私の家庭は、当然のことながら非常に音楽的な環境でした。出入りする人々も音楽家や文化関係者が多かったのです。もちろん子供の私に彼らの芸術議論が分かるはずもありませんでしたが、そうした雰囲気が、その後の私に影響を及ぼしたことは間違いないでしょう」――3歳の時からは、オペラ・ハウスで過ごした、ということですね。
「父も母もオペラ・ハウスで働いていたので、当然の帰結でした。私はそこで、数々のオペラ、コンサート、そしてバレエを観ました。リハーサルから本番まで、すべてです。その時は、バレエがとても好きで、音楽だけでなく、振り付けまで全部覚えていました。家に帰ってくると、舞台での舞踏を思い出しながら、ひとりで真似して踊っていました。オペラについても同様ですが、家での典型的な遊びは、歌手やダンサー、オーケストラ奏者の役割を交互に演じながら、オペラやバレエを“上演”することだったのです。実は当時は、普通の男の子がするように、兵隊の人形で遊んだりはしませんでした。劇場の世界を自分で演じることが、一番の楽しみだったのです」
――指揮者になるのは、自明なことだったのですね。
「当時はそれを意識していなかったのですが、今思うと、芽はすでに出ていました。父が最初に教えてくれたのは、ヴァイオリンです(彼は私にとって、最初の教師でした)。父がオペラで指揮し、リハーサルする姿が、自然に自分のなかで熟していったのですね。もちろんヴァイオリンやピアノもやりましたが、レニングラードに行ってからは、すぐに合唱指揮者として活動するようになり、音楽大学では指揮を正式に学んでいます」
――52年から56年までの間は、お父様がレニングラードで「単身赴任」し、家族は引き続きリガに住んでいました。
「それは母にとって、苦労の多い時期だったと思います。しかし彼女は、父にとってレニングラードに行くことが、キャリアの上でも音楽的なレベルでも、良いことだと理解していました。彼女は当時、もう歌手としては活動していていなかったのですが、戦後間もないリガで私をひとりで育てたのです。当時は、女手ひとりで暮らしてゆくのは、今日とは比べられないほど大変だったと思います。そうした母の献身的な姿が非常に印象に残っており、私は彼女のことをとても立派だと感じています」――お父様は1984年、つまり丁度30年前に亡くなっています。つまり今年は、没後30周年にも当たるわけですが、亡くなったのはマンチェスターのハレ管に客演している時でした。この日のことを語っていただけますか。
「彼が倒れた日、母がマンチェスターからオスロに電話をよこし、“父が、心臓発作を起して病院に運ばれた”と言いました。それから7日間、治療を受けていたのですが、私は毎日彼と話しました。亡くなったのは、私がオスロ・フィルと最初の海外公演、つまりイギリス・ツアーをし、最初のコンサートを行う日でした。12公演が予定されていましたが、私はイギリスに着いたばかりでした。母が電話をよこして、父が亡くなったと言いました。私は愕然として、その日の公演はとても指揮できないと思いました。しかし、オーケストラにとっては、重要なコンサートでした。首席指揮者としての最初のツアーですし、招聘元や聴衆に対しても責任があったのです。そして、指揮することを承諾しました。舞台に立つ前は、父のことが思い出されて、考えがまとまりませんでした。なんだか、雲の上をさまよって、5メートル先が見えないような雰囲気です。実際、その日の演奏のことは、全然覚えていないのです」
――カルロス・クライバーは、父エーリヒの存在を意識して、悩んだと言います。似たような状況が、お父様との間でもありましたか。
「私にとっても、父が有名な指揮者であることは、重荷でした。“苦しんだ”というのは言いすぎかもしれません。でも、父がいることで自分に対して大きなプレッシャーを感じたのは事実です。しかし、これにはいい面もあります。というのは、それによって私は、“自分は自分だ。自分の芸術に対して自分の個性と責任を持たなければ”と思うようになったのです。それは辛い作業でしたが、同時にとても勉強になりました。それは私の現在の音楽性に、影響を及ぼしていると思います」(写真:© BR)
日本ツアーの速報をツイッターでキャッチしよう!(日本語)
バイエルン放送響2014/15年シーズンの演奏会
バイエルン放送響は、ドイツを代表するシンフォニー・オーケストラとして、高い評価を受けています。2008年の英『グラモフォン』誌のオーケストラ・ランキングでは、世界第6位に選出。また同年、『レコード芸術』誌では、シカゴ響、ドレスデン・シュターツカペレ、ロンドン響等を押さえて、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管に続き、世界第4位にランクされています(40人の批評家により選出)。2014/15年シーズンは、首席指揮者マリス・ヤンソンスの他、ヘルベルト・ブロムシュテット、ベルナルド・ハイティンク、サー・ジョン・エリオット・ガーディナー、サー・サイモン・ラトル、エサ=ペッカ・サロネン、フランツ・ヴェルザー=メスト、ダニエーレ・ガッティ、ダニエル・ハーディング、ヤニック・ネゼ=セガン、パブロ・エラス=カサド、アンドリス・ネルソンス、グスターボ・ドゥダメル、リオネル・ブランギエが客演。ソリストには、クリスティアン・ツィメルマン、ラン・ラン、フランク・ペーター・ツィンマーマン、リサ・バティアシュヴィリ、アントワン・タメスティ、マティアス・ゲルネ、クリスティアン・ゲルハーヘル等が登場します。
プログラムのハイライトは、ヤンソンス指揮の《スペードの女王》(演奏会形式)、ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」、ブルックナー「交響曲第6番」、ハイティンク指揮のベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」、ラトル指揮の《ラインの黄金》(演奏会形式)、ハーディング指揮のブラームス「交響曲第1番」、モーツァルト「後期三大交響曲」、ドゥダメル指揮のベートーヴェン「交響曲第7番」、ランラン独奏、ネルソンス指揮のチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」となります。以下のリンクから、シーズン・プログラムがご覧いただけます(写真:10月11日に上演されたヤンソンス指揮《スペードの女王》演奏会形式上演より。© BR)。
バイエルン放送響2014/15年シーズン・プログラム
BR Klassik特別プレゼント:HMVでCDをご購入の方に超レア・アイテムを!
賞品は、ヤンソンスのサイン入りCDや非売品のマーラー《復活》CD等本オンライン・マガジンでは、HMV OnlineでBR Klassikのタイトル(新譜・旧譜不問)をご購入された方に、特別プレゼントを実施します。
賞品は、マリス・ヤンソンスのサイン入りのBR Klassik CD(3名様。タイトルはお任せください)、ヤンソンス指揮バイエルン放送響によるCDマーラー「交響曲第2番《復活》」(定期会員用非売品ライブ盤。5名様)、バイエルン放送響2014/15年シーズン・プログラム(約120ページ。5名様)。
ご住所・ご氏名、BR Klassikのタイトルをご購入された際の注文番号をご記入の上、2014年12月11日までに info@amadigi.com までお送りください(メールアドレスはこのキャンペーンだけに使用されるもので、他の目的では使われません。なお、必ず実名でご応募ください)。たくさんのご応募をお待ちしております。
プレゼント応募はこちらから
マリス・ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団来日公演スケジュール
川崎公演/ミューザ川崎シンフォニー・ホール
2014年11月21日(金)19:00
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15 <ピアノ:クリスティアン・ツィメルマン>
ムソルグスキー(ラヴェル編):《展覧会の絵》
京都公演/京都コンサート・ホール
2014年11月22日(土)15:00
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 《新世界より》
R・シュトラウス:交響詩 《ドン・ファン》 作品20
同:《ばらの騎士》組曲
東京公演/サントリー・ホール
2014年11月24日(月・休) 14:00
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15 <ピアノ:クリスティアン・ツィメルマン>
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 《新世界より》
東京公演/サントリー・ホール
2014年11月25日(火) 19:00
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15 <ピアノ:クリスティアン・ツィメルマン>
R・シュトラウス:交響詩 《ドン・ファン》 作品20
同:《ばらの騎士》組曲
西宮公演/兵庫県立芸術文化センターKOBELC大ホール
2014年11月27日(木)19:00
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15 <ピアノ:クリスティアン・ツィメルマン>
ムソルグスキー(ラヴェル編):《展覧会の絵》
マリス・ヤンソンス(指揮)
バイエルン放送交響楽団
次号の「バイエルン放送交響楽団 in Japan来日記念特別提携マガジン」は、2012年11月23日(日)発行を予定しています。
実施協力:株式会社ジャパン・アーツ
©2014 Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks, all rights reserved.



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