クララ・シューマン ブラームス 友情の書簡(本)
Friday, February 15th 2013
クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス 友情の書簡編:ベルトルト・リッツマン
編訳:原田光子
クララ・シューマンとヨハネス・ブラームスの往復書簡が公にされたのは1927年のこと。20歳のブラームスが作曲家となる希望を抱いてデュッセルドルフのシューマン家を訪れた1853年からクララの死の直前の1896年までに交わされた800通余りをリッツマンが編んだ書簡集から、207通を精選したのが本書である。
R. シューマンの悲劇的な病と死ののち、クララは7人の遺児を育てながら休みなく演奏旅行を続け、ブラームスは地理的にはクララから隔たりながらも彼女をつねに支え、また支えられて、己の天才を開花させていった。高名な音楽家の未亡人であるスター・ピアニストと14歳年下の作曲家――彼らの友情のために用意された道はけっして平坦なものではなかったが、音楽という共通の人生の糧を分け合う心の往還は44年にわたって途絶えることはなかった。
訳者は昭和16年に『真実なる女性 クララ・シュウマン』を上梓した原田光子。70年以上読み継がれてきたこの評伝に続いて、本書の翻訳原稿を完成させてまもなく、若くして世を去った。一度は本になったものの、ながらく手に入らなくなっていた、待望の復刊。(みすず書房)
【ベルトルト・リッツマン】
Berthold Litzmann。キールに生まれる。キール、イエーナ、ついでボン大学においてドイツ文学史教授。1906年にボン文学史協会を設立. 専門の著作のほか、本書に次いでクララ・シューマンの書簡と手紙を編んだ3巻本も編纂。著書 Das deutsche Drama in den litterarischen Bewegungen der Gegenwart, 1894, Goethes Faust, 1904, Das Tragische in Gerhart Hauptmanns Dramen, 1908, Clara Schumann. Ein Kunstlerleben. Nach Tagebuchern und Briefen, 1920.
【原田光子】
はらだ・みつこ。1909-1946。東京生まれ。東洋英和女学校2年在学中、14歳の時に2年間ドイツに留学。帰国後は自由学園英文科に学ぶ。ピアノはコハンスキーおよびロランシュに師事した。30歳の時、訳書『愛国の音楽者 パデレフスキー自伝』(第一書房、1940)を刊行し、翌年、著書『真実なる女性 クララ・シューマン』(第一書房、1941)を上梓。ほかに著書『大ピアニストは語る』(レコード音楽社、1942)『フランツ・リストの生涯』(第一書房、1944)編訳書『天才ショパンの心』(第一書房、1942)。昭和21年病没。没後にエッセイ『美の愉しさ』(北斗書院、1947)、編訳書『クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス 友情の書簡』(ダヴィッド社、1950)が刊行される。※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
【目次】
凡例
訳者によるまえがき――ヨハネス・ブラームスとクララ・シューマンの友情
クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス 友情の書簡
付録1 クララからヴィルヘルミネ・シュレーダー=デフリーントへの書簡(1859年1月28日)
付録2 ブラームスからクララへの書簡(1868年9月12日)
作品リスト
人名索引
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クララ・シューマンヨハネスブラームス友情の書簡
ベルトルト・リッツマン
Price (tax incl.): ¥4,950
Release Date:January/2013
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