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2011年12月13日 (火)


当時わずか200枚のみプレスされたというアナログ盤は、オークションで5万円という高額で取引。そしてmixiなどネット上での盛り上がりに端を発し、耳の肥えたシュガーベイブ&山下達郎ファン、和モノDJ諸氏を震撼させた幻のアルバム、so nice『LOVE』が30年の時を経てついにCD化(にして初のリリース)。
今回は、そのso niceの中心メンバーである鎌倉克行さん、松島美砂子さんにインタビュー。
バンド結成のいきさつや、この歴史に埋もれた名盤『LOVE』のレコーディング秘話などを、年期の入った達郎フリークぶりを交えつつお話していただきました。それではドウゾ!
1度は聴いてくれたんだと思いますけど…評価は不明です(笑)
- -- 資料によると結成が76年ということなんですけれども、お2人とも日大の芸術学部出身なんですか?
松島 そうですね。
- -- 授業はどのようなことをされてたんですか?
松島 2人とも放送学科だったんですね。2人とも同じコピーライターのコースを取っていて。 なので、一般教養や専門科目のほか、CMのコピーを書いたりとか、実際に作ったりとかを実習でやって。でも、やっぱり何が楽しかったと言えば、フォークソングクラブの活動なので、半分は“フォークソング学科”の学生だったかもしれないです。
鎌倉 僕たちは授業もマジメに出る方でしたけど、気持ち的には学校に行くのは(フォークソング)クラブに行くため、みたいな(笑)。-
-- (笑)。そのクラブにお2人とも在籍していて結成と。
そもそもの話なんですけども、この“so nice”というバンド名はどうして付けられたんですか? 鎌倉 これはですね、細野晴臣さん作曲の「ラムはお好き?」(吉田美奈子『Flapper』収録)の歌詞から取りましたね。語呂も良いなと思って。
私がティン・パン・アレーやはっぴいえんど、あの辺が大好きでLiveを観に行ったんですよ。その時の前座がシュガーベイブで。すごく感動してその場でアナログ盤…幻のエレック盤をサイン入りで買って。 で、「こういうのをやりたいんだけど」とクラブのメンバーに貸していく内にフォークソング・クラブの中にシュガーベイブが浸透して。
最初は音楽学科の女の子と2人で始めたんですけど、2年生の始めにあったコンサートの前に、その女の子が病気で田舎に帰っちゃったんですよ。 それで急遽、他のバンドをやっていた松島さんにピアノをお願いして。以降、一緒にやるようになったと。
松島 その時はアコースティックだったんですよ。私がピアノで、(鎌倉さんが)アコースティック・ギターで。
鎌倉 当時のテープを聴くと細野晴臣さんのカヴァーをしたりしてましたね。「終わりの季節」とか。
松島 私はどっちかっていうとフォークソングが好きで。自分でも曲を作ったりしてましたし。 だからそんなにエレキがやりたいとか思ってなかったんですよ。だからしばらく2つのバンドを並行してやってて。
鎌倉 僕も高校の時はクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングとかガロとか、ああいったハーモニーをやってて、ラジカセ2台のピンポン録音で1人でガロのカヴァーをしたりしてて。綺麗なメロディーラインと綺麗なコードが好きだったんですけど。 そこにガツンとロックが入ってきたのがシュガーベイブで。そこからずーっとかぶれて何十年ですね(笑)。
そのうち他のメンバーも集まって、最初はシュガーベイブとか達郎さんのカヴァーをしてたんですけど、そのうちオリジナル曲もやるようになって。初めに作った曲は今回のCDにも入っている「LOVE SICK」という曲でしたね。
so niceは正式には私と松島さんと中村弘美さんという女の子の3人で、他のメンバーは流動的にお願いしてたんですよ。曲は私と松島さんの2人で作って。
松島 でも実際には彼の作品の方が全然多いですね。- -- 曲のアレンジはバンドのセッションで固めていく、みたいな感じだったんですか?
鎌倉 いや、最初に私が作っちゃいましたね。メンバーには自分で作ったデモテープを渡して。
- -- その辺りのアレンジは、やはり達郎マナーに則って?
鎌倉 そうですね。例えば、達郎さんが吉田美奈子さんに「ラストステップ」を作った時の話をLiveで聞くわけですよ。そうするとその作り方を意識して自分でもやってみようと。「ベースラインから作る」というのをラジオで聞けば、それを試してみたりとか。
- -- 達郎さんは完全に先生だったわけですね。確かに10曲目に収録の「Dancing All Night Long」とかは“シュガーベイブ感”みたいなのがよく分かりますね。
鎌倉 そうですね。ただ、シュガーベイブみたいに複雑なことは出来なかったですね、リズムのはじけ具合とかアレンジとか。うちらはカヴァーはしたけども、そこから活かせたのはコード進行ぐらいですかね。あの独特なコードのとり方。
このアルバムとは別ですけど、3年ほど前に作った「しあわせになろう」(HMV ONLINEオリジナル特典CD-Rに収録)っていう曲は、完全にシュガーベイブのオマージュとして作ったモノです。- -- プロになろうっていう気持ちはなかったんですか?
鎌倉 もう完全になかったですね。譜面が読めなかったこともコンプレックスでしたから。「プロになるんだ」と言ってた同期の友達が譜面をペラペラペラーっと書くんですよ。それを見て、私の気持ちの中では完全に線を引いてましたね、(自分は)アマチュアだと。
松島 それこそ『イカ天』とかなかった時代ですし、バンドが珍しくはなかったけども、「プロになる」っていう人が多い、今みたいな空気では全然なかったですね。私も彼もレコード会社の人に声かけられたことはあったんですけども、全然そういうことは考えてなかったんで。
鎌倉 演奏もほとんど学校でしかやってなかったですし。やっぱりコンテストだったり、外に出るのが怖かったんですね、臆病者だったし。
大学4年生の時に出たビクター主催の『大学対抗フォークソング・コンテスト』も、必ずフォークソング・クラブからひと組出場するっていう恒例行事だったので、半ば仕方なくという感じで。だからまさか優勝するなんて僕ら自身、まったく思ってませんでした。- -- 他の出場バンドはどういう曲をやられてたんですか?
鎌倉 僕たちと同じようにオリジナル曲を持って来てる人達が多かったですね。
松島 フォークソング・コンテストだったのに、フォークっぽいのはあまりなかったよね?ロックっぽい感じのオリジナル曲で。- -- コンテストの審査員はどういう方達だったんですか?
鎌倉 ビクターのプロデューサーや杉真理さんとか、全部で5人でしたね。
予選の審査の時に「ヴォーカルの彼(鎌倉さん)はちょっと腹筋が足りない」とか言われたんですけど、決勝で杉真理さんが「僕はナイーブで良いと思います」と言ってくださって。すっごい杉さん好きになって(笑)。 審査員5人全員一致で「1位はso nice」って言ってもらえたのも嬉しかったし、自信になったかな。
去年やっと杉さんにお会い出来たんですよ。その時のことをお話したら憶えてらして、30年以上前のことなのにと感動しました。- -- そのコンテストで優勝したことがアルバム制作のきっかけになったということですか?
鎌倉 毎年優勝したバンドはシングルレコードをメンバー全員分作ってもらえる、って先輩から聞いてたんですけども、いざ優勝が決まったらビクターの方に「今年は絵皿時計です」って言われて。
- -- (笑)。
鎌倉 今でも持ってますよ、絵皿時計は(笑)。でもやっぱり卒業前の記念にという意味でもレコードを作りたかったので、「うちらで音源を持ってくるんで、実費で作ってもらうことは可能でしょうか?」と、その時のプロデューサーに言ったら「じゃあそれはお約束します」と言って下さって。
それでレコードを作ることになったんですけども、折角ならアルバムを作ろうかという話になって。- -- それがこのアルバムということですね。リリースしようとは思わなかったんですか?
鎌倉 予算の都合で考えたところ200枚しか作れなかったんですよ。それをどうこうしようとも全く思ってなかったですし。
でも私はやっぱり達郎さんには渡したくて。 ドラムを担当していたメンバー(森信英)もポンタさん(村上秀一さん)に憧れて、おっかけをやっているうちに可愛がってもらえるようになって、リハ見せてもらったりとかしてたので、彼に頼んで、なんとか達郎さんとポンタさんに渡すことは出来ました。- -- 反応はどうだったんですかね?
松島 ラジオのディレクターをしていた友人の話によると、ラジオ局のレコードライブラリでこのアルバムを聴いてた時に、たまたま通りかかった達郎さんとポンタさんが「オレこれ持ってるよ」「オレも持ってるよ」って言っていたそうなので、1度は聴いてくれたんだと思いますけど…評価は不明です(笑)。



2011年12月14日 発売
[収録曲]
01. so nice
02. 光速道路
03. Last kiss
04. 陽だまり
05. Tight Night
06. Love sick
07. かけぬける風
08. Earth Mover
09. 別離 わかれ
10. Dancing all night long
- ボーナストラック -
11. so nice〜光速道路 (Live version)
12. Love Sick (Live version)
13. 私のほほにも流れ星 (未発表曲)
14. 77サンセット (未発表曲)
15. Dancing All Night Long (Live version)
16. so nice (KARAOKE)
【HMV ONLINEオリジナル特典】
こちらの商品をお買い上げの方に先着で「未発表音源収録CD-R」をプレゼント!※先着ですので、なくなり次第終了となります。
※特典の有無は商品ページにてご確認ください。
[収録曲]
01. 「Dancing All Night Long」(詞曲・鎌倉克行)
日本ビクター主催『大学対抗フォークソングコンテスト』(1978年12月開催)で優勝した翌年の1月に行われた、コンテスト上位3組によるライブでの演奏。
02. 「光速道路」(詞曲・鎌倉克行)
1979年2月、大学の近くにあったライブハウス・江古田マーキーで行われた、so niceラストライブでのアンコール・テイク。
03. 「声〜Arrive My Voice」(詞曲・鎌倉克行)
鎌倉克行が音楽活動を再開した後の2009年12月、身障者の方の詞に曲をつけて発表する『すまいるコンサート』に出品した作品。2編の詞を読み感じたイメージから作詞(歌詞に出てくる車は車椅子)。音源は鎌倉自身がギター、ベース、ストリングスを弾き、唄い、現・so niceメンバーの笹川加代がエレピを演奏し、音楽ソフト『Garage Band』で制作。
04. 「Earth Mover」(詞曲・鎌倉克行)
上記「Dancing All Night Long」と同じく、1979年1月に開催された日本ビクター主催『大学対抗フォークソングコンテスト』上位3組によるコンサートでの演奏。
05. 「しあわせになろう」(詞・田下謙吾/鎌倉克行 曲・鎌倉克行)
「声〜Arrive My Voice」と同じ『すまいるコンサート』に、2008年12月に出品した作品。当時、鎌倉克行が所属していたバンド『blue jam』による演奏。
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[so nice]
1975年5月24日、日本大学芸術学部1年生だった鎌倉克行が、ティンパンアレイ・カーニバルの前座を務めていたsugar babeに感銘を受け、会場でアルバム『songs』を購入し、コピーを開始。 翌年、所属していたフォークソング・クラブの定期演奏会直前、デュオを組んでいた相方が病に倒れたことから、ピンチヒッターとして出演した松島美砂子とのアコースティック・デュオ『so nice』がスタート。秋にはドラム、ベースなどを加えてプラグド・バンドとなり、学園祭でWindy lady、Down townなどを演奏。その後もsugar babeやソロとなった山下達郎氏の楽曲を次々カバーする。翌年には、ボーカル&コーラスの中村弘美が加入。この頃からコーラスワークを重視したオリジナル作品の制作に着手。最初に誕生した楽曲は、アルバムにも収録されている『LOVE SICK』。その翌年の定期演奏会には全曲オリジナルで臨む。同年12月、日本ビクター主催の『大学対抗フォークソングコンテスト』に出場し、優勝。1度だけ呉服店の催事で演奏した以外、定期演奏会と学園祭にしか出演したことのなかったバンド『so nice』が成し遂げた、まさかの快挙であった。これをひとつのきっかけとして卒業記念アルバム『LOVE』を制作。約2ヶ月かけて、大学のスタジオや部室、メンバーの自宅、ミキサーを務めた友人・松浪豊のホームスタジオなどで収録。ジャケットデザインはクラブの後輩の知人であった片岡修壱氏に、200枚のプレスはビクターに依頼。完成したLP盤をメンバーが1枚ずつジャケットに入れるという、まさに"手作り"の作品となった。2007年、その中の1枚がオークションに出品されたことをきっかけに『LOVE』は再び注目される存在に。著名DJ各氏からも高い評価を受け、2011年12月、CDでのリイシューに至る。
【メンバー】
鎌倉克行、松島美砂子、中村弘美
【セッション・メンバー】
坪井正彦、森信英、竹内嘉章、長南秀明、吉田浩二、松浪豊 他