[連載] DJ PMX 002

2011年6月22日 (水)

DJ PMX 「LocoHAMA CRUISING」を科学する002 [1981〜1990年]西海岸ラップ黎明期〜NWAへと向かう中でのBEST BEAT!

[連載] DJ PMX 「LocoHAMA CRUISING」を科学する 002

[1981〜1990年]
西海岸ラップ黎明期〜NWAへと向かう中でのBEST BEAT!selected by DJ PMX

●C.I.A / MY POSSE
1987年にリリースされたDR DREプロデュースの一枚。
収録アーティストはICE CUBE、SIR JINX、K-DEEサウンドはリズムマシーンとSCRATCHで構成された当時のDEF JAMサウンド(LL COOL J、BEASTY BOYS等)に代表されるタイプのハーコーな音。
●WORLD CLASS WRECKIN' CRU / THE FLY
DR DREがN.W.A結成以前に在籍していたグループ。リリースは1986年。当時はクラブというより、DISCOでよくかかってました。
●ICE T / COLORS
LAの2大ギャンググループ、BLOODS&CRIPSをテーマにした映画、『COLORS』のテーマソング。
●KING TEE / BASS
BRASS CONSTRUCTIONをネタにしたキャッチーな一曲。
ビーチに大量のウーハーは積み上げてライブするシーンが印象的でした。
●N.W.A / STRAIGHT OUTTA COMPTON
DR DRE、EAZY E、ICE CUBEが在籍していた伝説のグループ。The Wolrd Most Dangerous Groupのキャッチで登場し、GANGSTA RAPというあたらしいジャンルを生み出した。

[1981〜1990年] 西海岸ラップ黎明期を考察

「ウェッサイ」と称され、日本でもそのサウンドやスタイル、カルチャーが全国津々浦々に広く浸透しているアメリカ西海岸のヒップホップ。その起源を辿っていくとEAZY-E、DR. DRE、ICE CUBEらによるコンプトンの伝説的なグループ、N.W.A.が大きな源流となっていることは疑いの余地はないと思うのだが、N.W.A.以前にもローカルなレベルでシーンは既に存在しており、N.W.A.の中にもグループ結成以前からキャリアを積んでいたメンバーが居た、というのは有名な話。
その代表格であるDREは、ラジオDJとしても活躍する傍らディスコティックなエレクトロ・ヒップホップ・グループ、WORLD CLASS WRECKIN’ CRU(以下、WCWC)の一員として活動(N.W.A.のDJ YELLAも所属)し、N.W.A.以前からLAローカルでは既に知られた存在だったようで、WCWCとしてレコード・デビューも果たしている。一方、同時期にICE CUBEもC.I.A.というグループで活動しており、WCWCの首謀者だったLONZO WILLIAMSのレーベル、KRU-CUTからレコード・デビュー。作品にはDREも関与していた。
そのふたりを首謀者のEAZY-Eがフックアップする形(元々はEAZYのソロ作リリースのため、だったらしいが)で始動したN.W.A.は、EAZYの設立したレーベルRUTHLESSから87年にデビューすると、翌年には大手配給会社PRIORITYと契約してフル・アルバム『Straight Outta Compton』をリリース。“Fuck The Police”を始めとする過激なリリックとDREの手掛ける多彩なサウンドが大きな話題となり、社会現象にまで発展していった。90年にはメイン・ラッパーのICE CUBEが脱退するもその勢いは衰えることなく、91年にリリースされた問題作『Efil4zaggin』は見事全米ナンバー・ワンを獲得。ギャングスタ・ラップは一般層にまで認知されることとなった。

 そんなN.W.A.の動きとはやや異なるベクトルではあるが、80年代前期からこちらもLAローカルで活躍していたICE-Tも西海岸シーンのオリジネイターのひとりとして忘れてはならない存在だろう。ギャング・グループ、CRIPSにも所属していたキャリア(?)があり、ハードボイルドなギャングスタ・ライフを綴ったリリックで人気を博したICE-Tも、N.W.A.とほぼ同時期の87年にアルバム『Rhyme Pays』でメジャー・デビュー。並行して活動していた俳優業の方も「ニュー・ジャック・シティ」を始めとする多くの作品に出演して注目を集め、またデニス・ホッパー監督作の「カラーズ 天使の消えた街」の主題歌として“Colors”を提供したことも大きな話題となった。
 N.W.A.と同郷コンプトン出身であり、90年代後半から00年代前半にかけてはDREのレーベル、AFTERMATHに所属していたKING TEE(KING T)もウェッサイ・シーン黎明期の要人。そのICE-TのフックアップもあってインディペンデントのTECHNO HOPからレコード・デビューし、88年には早々とアルバム『Act A Fool』でメジャー・デビューを果たしている。
 そのTECHNO HOPを経営していたDJ UNKNOWNが同じコンプトンのラッパー、MC EIHTらと組んでいたグループ、COMPTON’S MOST WANTEDもTECHNO HOPからのシングル・リリースを契機にメジャー・ディールをゲット。WCWCのLONZO WILLIAMSが仕切ったフッド・コンピレーション『The Compton Compilation』への参加を挟んで90年にはアルバム『It’s A Compton Thang』でデビューしている。

 他にも、ベイエリアのシーンではTOO SHORTが早々と確固たるステイタスを築き、チカーノのシーンでは(KID)FROSTのメジャー・リリース“La Raza”がスマッシュ・ヒットを記録。後にサイプレス・ヒルの一員として大きな脚光を浴びることとなるDJ MUGGSも7A3なるグループでメジャー・フィールドで活躍(前述「カラーズ 天使の消えた街」のサントラにも“Mad Mad World”を提供)等々、様々な地域での同時多発な動きが、来たる90年代のウェッサイ・ムーブメントへ繋がっていくのであった…。

text by 升本 徹