リッキー・マーティン インタビュー
2011年3月9日 (水)
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「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」 (1999年) のメガ・ヒットで世界の大舞台へ上がったラテンポップ界のスーパースター、リッキー・マーティン。以降も多くの作品をリリースし圧倒的な歌とパフォーマンス、揺るぎない存在感をアピールしてきた彼が6年ぶりに放つニューアルバム 『ミュージック + ソウル + セックス MÚSICA + ALMA + SEXO』 は、優しくエモーショナルにメローなソウルを歌い上げたスケールの大きな作品。全身全霊をささげた本作への思い、これまでのこと、そしてこれからのことなどをリッキーがたっぷりと語ってくれました。
インタビュー: Aiko Ishikawa
- --- こんにちは。今日はお会いできてとても嬉しいです。よろしくお願いします。
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ありがとう。来てくれてありがとう。僕も気持ちは一緒だよ!
- --- ここ数年、ライブ・アルバムやコンピのリリースはありましたが、実は今作は2005年の 『LIFE』 以来、初のスタジオ・アルバムなんですよね。この6年間で起きた、あなたにとって一番大事な出来事を3つ挙げてください。
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父親になったことが、まず一番。これは本当に、本当に重要だった。それから本を書いたことも、すごく大事だったね。すごく気持ちが晴れたし、浄化作用があって、すごく特別な経験だった。本当にすごく。それと、長い旅に出れたこと。いろんな国に行ったんだ。バックパック背負って歩き回って、いろんなことに感動しながらさ。素晴らしい経験だったよ。本当にすごく良かった。
- --- リッキー・マーティンという人がバックパック背負って旅行っていう図は想像し辛いですが(笑)。
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インド、タイ、カンボジアにも行ったんだよ。本当に! すごい楽しかったし、最高の経験だったんだ。
- --- 何人ぐらいのクルーで旅してたんですか?
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(笑)一人のこともあったし、長年の友達が一緒の時もあったよ。ターバン巻いて、髭も剃らないでいたりしてね。すごく心に残る経験 ―僕にとって必要な、健康的な経験になったんだ。
- --- 以前なにかのインタビューで、あなたはその旅がきっかけで父親になりたいと思うようになったと聞きましたが?
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前から子供は絶対欲しいって思ってたんだ。以前はどうしたら実現できるかわからなかったんだけど、その方法を見つけたってわけ。僕自身、父とはすごく素晴らしい間柄を築いてきたから、それをそこで止めておしまい、って形にはしたくなかったんだ。父が僕に与えてくれたものをすべて、僕も誰かに与えてあげたいって思ってた。僕は、子育てってそういうものだって考えてるんだ。僕が授かったものや愛を継続させて、そのプロセスの中で、僕もまた子供に戻ったような気分になれる。
- --- 今作 『MÚSICA + ALMA + SEXO』 はそんな経験を経たからあなただからこそ、といった内容になっていると思いますが、新作への構想を練り始めたのはいつ頃でしたか?
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2年ぐらいスタジオ通ってたんだよ。最初はまっさらな状態から取りかかったんだ。さあ飛ぼう、って。そのためには、敏感にものごとを感じ取るようにしなきゃいけない。自己探索しながら、自分はどんな人間なんだろう、って考えたんだ。なにに怒りを感じて、なにに興奮するんだろう、って。たっくさんいろんなもの見つけたよ (笑) 。いろんな面白いものを見つけて、それが音楽になった。音楽的には楽しめるものを作りたかった。楽しまなきゃって思ってた。踊る時は踊って、ロマンチックだったりノスタルジックな気分の時はロマンチックだったりノスタルジックになりたかったし、考えに耽る時や哀しい気持ちがあってもいいって思ってた。それも人生の一部だもんね。そんな感じで、すごく、すごくリアルなものになってる。
- --- アルバム全体を通して、ハッピーだけれど落ち着きのある印象になっていますね。これまではもっと派手で爆発的なエネルギーが目立つものが多かったと思うのですが、今回の雰囲気は作り込んだというより、製作してるうちにたどり着いたものですか?
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時間をかけてそうなったかな。考える時間を持って、自問したり、その答えを見つけたりしてるうちに、自分を素直に受け入れることができるようになったんだ。でね、そうやって自分を認められるようになると、すべてがうまく回るようになるんだよ。なにかが青なら青で、赤なら赤で、それを無理に緑に変えようとも思わなくなる (笑) 。今の僕は (精神的に) そういう場所にいるんだ。だからまっすぐでいられる。無理になにかをしようともしない。感じるままのことを、みんなと分かち合いたい。お説教じみないように気をつけながら (笑) 。みんなに自分がどんな考え方してるかっていうのを教えてあげたいんだ。
- --- アルバム制作にあたり、何十曲も作ってから収録曲を選ぶというタイプのアーティストと、逆に少しずつ制作しながら1枚を作り上げるというタイプのアーティストもいますが、あなたはどちらのアプローチで取りかかりますか?
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このアルバムの制作に最初に取りかかった時は、15、16、17・・・20曲ぐらい書いたけど、そこからは2曲しか選ばなかったんだ。で、次に (プロデューサーの) Desmond Childと一緒に作業を始めた時は、はっきりした目的があったんだ。「なにかアップテンポの曲を作ろう」って。で、そこに集中しようって取りかかって、それが形として出来上がるまで諦めなかった。だから結果的に両方のアプローチを取ったことになるね。
- --- Desmond Childといえば “Livin' La Vida Loca” “The Cup of Life” “She Bangs” など、あなたの大ヒットシングルを手がけてきたプロデューサー兼作詞家ですが、今回の彼の参加は後半になってから決まったのですか?
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いや、プロデュースに関しては最初から彼が手がけてくれることになってたよ。でも僕自身の中では、最初に曲を書き始めた時と、彼が一緒に作業を始めてくれてからの2つのステージがあったって意味。
- --- 今作の中で、あなたが最初から絶対に伝えたいと思っていたメッセージを含んだ曲はどれですか?
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えっと、2曲あるんだけど、いい? 2曲。ひとつは “Mas” つまり 「More (もっと) 」 っていう曲。これは人生にもっとなにかを求めようっていう曲。僕は今の人生、幸せだし、これまでいろんなものを見て、いろんな場所を訪れることができたこともありがたく思ってる。健康や家族についても、文句なしだけど、もっとなにかを望んでもいいと思うんだ。違う言い方をすると、中途半端で満足することはないよってこと。もうひとつは “Basta Ya” 。バラードで、 「Enough (充分) 」 って意味。これは鏡の前で自分と向き合って、己に対するプライドと尊厳を持って強さを取り戻すぞ、って曲なんだ。 「もう(嘘は)充分、自分をもっと大事にするぞ」 って言ってるわけだね。
- --- ちなみにアルバムタイトルも、ジャケ写にもあるとおり、略すると 『MAS』 となりますが、これは意識的に決めたものですか?
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アルバムタイトルはその前から MÚSICA + ALMA + SEXO にしようって決めてたんだけど、後から 「おおっ、 “Mas” って曲あるじゃん!」 って気づいた (笑) 。
- --- ファースト・シングル “The Best Thing About Me Is You” はどんな内容の曲なのか、あなたの言葉で改めて説明してくれますか?
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愛は、幾千という形で存在すると思うんだ。ビデオでもいろんな文化の人たちが集まって 「私の最高な部分はキミの存在だね、だってキミと私は同じなんだもん」 って言ってるわけ。アジア人だろうと、アフリカ系だろうと、南米系だろうと、みんなケガすれば血を流すし、その血はみんな赤い。みんな同じ。だからこの曲は平等を訴える曲でもあり、簡単に人を判断しちゃいけないってことでもあり、単純に 「キスしよう!」 って意味もある曲 (笑) 。みんなキス、したいものじゃない?
- --- この曲はすごくリラックスムードですね。
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うん、すごくカリビアン風だね。ビーチでピナコラーダ飲んでるような (笑) 。すごくレゲエ調。
- --- Desmondとは最初からこういうサウンドを取り入れようと話し合っていたのですか?
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この曲を作り始めた時はどんなものになるかもまったくわかんなかったんだけど、 (彼が) ツッチャカ、ツッチャカってやってるのを聞いて、 「あ、そのまま! それ好きだな。それ、もうちょっと進めてみよう」 って言ったんだ。そこから似合うメロディーを考えて、 “…the best thing about me is you…” ってのが出てきたから、 「よし、そのノリそのままで・・・!」 ってやって生まれたんだ。どうなるかって最初はわかんないんだけど、ピンと来るものが生まれてくると、もう肌で感じちゃうんだ。この曲はそんな風に生まれたものなんだよ。実は正直言うと、これがファーストシングルになるとは思ってもなかったんだ。だってほら、これまでは、 “Livin’ La Vida Loca” とか “The Cup of Life” みたくもっとテンポ早くて、躍動的で、チャ、カカカ!って感じのものがパターンだったでしょ。なのにいきなりこんなの聞かせることになったわけだから。自分でもぜんぜん予期してなかったけど、反響はすごくポジティブでね。うれしいよ。
(次項へ続きます)
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- 17
- 2008
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- Black And White Tour
- 2008
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- Life
- 2005
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- Sound Loaded
- 2000
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- Ricky Martin
- 1999
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- Vuelve
- 1998
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- A Medio Vivir
- 1995
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- Me Amaras
- 1993
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- Ricky Martin
- 1991

リッキー・マーティン Ricky Martin
グラミー賞と複数のラテン・グラミー賞を受賞したリッキー・マーティンは、この世代のラテン・ミュージック界の中心的人物である。彼の生まれ持ったリズム感、パフォーマンスへの情熱、そして寛大な思いやりの心は、世界中のファンに愛されている。
メヌードの一員として過ごした5年間の間に既にスポットライトを浴びることに慣れていたリッキー・マーティンは、1991年にセルフ・タイトルのソロ・デビュー作をリリースし、独自の音楽の道を歩み始めた。初期の2作がスペイン語圏におけるスーパースターとしての地位を瞬く間に確立した中、マーティンの人を惹きつけるパフォーマンス能力が、当時ラテン・ミュージック・アーティストに存在すると思われていた限界を超えたところのオーディエンスを魅了するようになるまで時間はかからなかった。1995年の〈マリア〉や、世界的ヒットとなった1998年のワールド・カップ賛歌〈ラ・コパ・デ・ラ・ヴィダ(ザ・カップ・オブ・ライフ)〉など、シングルの画期的な成功を次々と収めてきたマーティンは、真のグローバル・スーパースターや生まれながらのパフォーマーのレベルへと一気に上りつめ、迫り来ていた文化的革命を先導するようになる。
「話題を席巻する」決定的な例として挙げられるのが、1999年2月24日の夜に行われた、第41回グラミー賞授与式での〈ザ・カップ・オブ・ライフ〉の歴史的パフォーマンス。リッキー・マーティンがアメリカ人音楽ファンの意識に飛び込んだときだった。ニューヨーク・タイムズ紙は、そのグラミー賞の名場面を「ポップ・ミュージック界の火口(ほくち)に火を点けた」と絶賛し、瞬く間に地位を確立したマーティンを「アメリカのラテン・カルチャーにおける新たなメインストリームのシンボル」と称した。
ビルボード誌に「世界的ポップ・アイコンにしてラテン音楽界のグローバル・アンバサダー」と称され、ラテンレコード協会からは史上最年少で「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の栄誉を与えられたリッキー・マーティンは、これまで6,000万枚のアルバムを売り上げており、現在も世界中のスタジアムやアリーナを埋め尽くすオーディエンスに向けて演奏活動を行っている。マーティンはそのキャリアの功績と幅広い慈善活動を称えられ、名誉ある国際的な賞を数十回受賞している。
マーティンはそのペルソナと音楽への愛情に不可欠な一部分として、リッキー・マーティン財団(RMF)のプログラムを通じて幅広いチャリティ活動にも同様に献身的である。同財団は社会正義、教育、健康などの重要な分野において子供たちの幸福を支援している。マーティンは議会でのスピーチをはじめ、児童売買という恐ろしいものへの対策を語り合う世界政策会議におけるスピーチ、ユニセフの世界大使、ビル・ゲイツ氏とマイクロソフト社との提携によるラテン・アメリカの子供たちのためのオンライン・セーフティ・プログラムの開発、人身売買された子供たちのための国際シェルターへの個人的訪問など、この分野において数々の実績を上げている。RMFは最近はハビタット・フォー・ヒューマニティへの長年にわたる支援をさらに深めており、ハイチとチリでの壊滅的大地震からの再建活動を支える主要パートナーとなっている。
双子の息子、マッテオとヴァレンティーノを育てるため、この2年半近く音楽業界から遠ざかっていたリッキー・マーティンは、個人的・音楽的人生への理解をさらに深め、芸術的スポットライトの下という本来いるべき場所に帰ってくる。高い評価を博した自伝「ME」がニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストに登場したリッキー・マーティンの待望の12作目のアルバムは、海外で2011年1月にリリースされた。マーティンはその後間もなくアリーナやスタジアムのステージに再び上がり、年内は長期にわたるワールド・ツアーで駆け回る予定である。
(Sony Music オフィシャルサイトより)
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