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【HMV インタビュー】 SHINGO★西成

Wednesday, November 10th 2010

interview

SHINGO★西成

SHINGO★西成の一連の作品を聴いて感じるのは"人情"ではなかろうか?どの楽曲からも、熱さと温かさが溢れ出ているようで、それだけでスペシャルなものだ。そんな"人情"の男、SHINGO★西成にインタビューをさせて頂いた。昭和レコード(般若主宰のレーベル)からリリースされる『I・N・G』に合わせたインタビューだ。取材現場に到着し、少々緊張をしている僕に、気さくに話しかけてくれたのは、紛れも無くSHINGO★西成その人だった。やはりね。僕が彼の作品から感じる"人情"はホンモノだ。それは正にSHINGO★西成の人柄が溢れた結果なのだ。SHINGO★西成がコレまで経験してきた様々な事柄、出会った様々な人。その一つ一つが、彼の引き出し(その引き出しの数はIKEAよりも多いらしい)に大事にしまわれている。SHINGO★西成のラップは、その全てが詰め込まれているんだ。僕がぶつける質問の一つ一つに、真剣に、そして気さくに答えるSHINGO★西成は、本当に温かい男だった。3ページに渡るロングインタビュー。SHINGO★西成の人に対する思いやりや感謝、その人柄をじっくりと感じて頂きたい。

取材・文:HMV ONLINE マツイ

今、昭和で時代が止まった街で育った男が...泥臭い昭和の男が、昭和を愛して常に進行形で進化していこうと今の時代も思っているレーベルで出したという話

--- HMV ONLINE初登場と言うことになりますので、SHINGOさんがどのような人なのか?という所から伺っていければと思います。まず、SHINGOさんが育った西成という街。そこがどのような街なのか、改めて教えて頂けますか?

俺の育った西成は、昭和の匂いが色濃く残った所で、人情もあるし、住みやすい街やと思います。その中に、裏返せば、社会の掃き溜めって言われたりして、今の日本の縮図やと言われてるぐらい問題も多いし、不況不況と言われる前に一番に皺寄せが来る所です。

--- 人情、人との繋がりは、他の街よりも強いと感じますか?

そうですね。困ってる人見たら放っておけない。そういう街なんで、すごく親しみやすいというか、人と人との距離感、知らん人同士でも、その距離感は近いと思いますね。今の時代やったら、それが足らない部分、減ってきてる部分だと思うんで余計にそう思いますね。

--- 特に都市部では、隣に住んでいる人の顔も知らなかったりしますしね。

俺らやったらちょっと、ありえへん話ですね。

--- その街の中で、SHINGOさんがHIP HOPに出会ったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか?

音楽はとにかく溢れてる街なんで、朝から晩まで。夜勤から帰ってきたおっちゃんが、カラオケのある飲み屋さんに行って、俺が小学校に通学する時間でも歌ってるみたいな。天王寺公園には青空カラオケってのがあって、朝から晩まで踊って歌って、っていうのもやってるし。本当に音楽は溢れてるんですよ。それこそ飲んで疲れてぶっ倒れたおっちゃんが鼻歌で歌ってる哀愁ある歌も、言うたら俺の今表現してる音楽に影響あると思います。
HIP HOPっていう音楽に出会ったんは、そのルーツであるソウルとかファンクとかブルースとかが、きっかけやと思うんですよ。それは西成の朝市ってあるんです。まぁ言葉悪いですけど、みんなは泥棒市とか言います。俺はそう呼ばないですけど。その朝市で俺が出会ったんが、スティービー・ワンダー『Key of Life』かな。その日本盤を手に入れて。小学校の時に、売ってるおっちゃんに「イケてるヤツどれなん?」って言うたら、おっちゃんが「これ買うとけ。」って。

--- そのおっちゃんの店って言うのはレコードばっかり扱ってるわけでは・・・

じゃないです。朝市なんで、それこそアディダスの片一方とか。(笑)
シャンプー半分減ったんとか、バナナとかの中に、レコードがあるんすよ。どういう経路で、そのおっちゃんに辿り着いたかは、わからないです。(笑)

--- そのおっちゃんに「これ買うとけ。」って薦められたのは運命的ですね。

そうですね。それとやっぱり、街自体に、ジョン・コルトレーンとかサッチモとかベニー・グッドマンとか、そういう音楽が溢れてるんですよね。普通に。屋外で、発電機でレコードプレイヤー回して、おっちゃんがレコードかけてるんですよ。売りもんなんかと思ったら、ただおっちゃんらが聴きたいからかけてる。横で売ってんのは、中古の電気ストーブとか、テレビとかを売ってるんすよ。かけてる音楽が何かは、小学生の頃はわからないですけど、とにかく日本人じゃない人の音楽がかかってるなと。その中で、さっき言ったアーティストの曲がかかってるんすよね。もちろん9割ぐらいは演歌ですよ。カセットテープかレコードの時代。俺は今、三十fucking八歳、昭和47年製の1972年製なんで。そこの部分で、時代が時代やし。

--- 『Key of Life』に出会った後、RAPにはどのように繋がっていくのでしょうか?

HIP HOPっていうのを、初めて意識して聴いたのはRUN DMCですね。もちろん「Walk this Way」ですけど。MTV世代なんで、エアロスミスじゃメタリカじゃAC/DCじゃa-haじゃトンプソン・ツインズ、カルチャークラブじゃ、いっぱいそういうジャンルの音楽を聴いたりしながら、その中の一曲がRUN DMCの曲だった。明らかに自分が「また、も1回聴きたいな」と思ったんがそれだったんですよね。
それと同時期に渡辺美里も聴いてるし、岡村靖幸も聴いてるし、いとうせいこうさんがRAPを始めたのも聴いてたなと思って。そういう聴き方。レコード屋さんとか行ったりして「RAP頂戴」って言って。「お好み頂戴」とか「アイス頂戴」っていうのと同じノリで。それで出てきたものから、影響を受けてると言うか。

--- SHINGOさんが実際にRAPをやろうと思ったのは何故ですか?

もともとDJをやりたかったんですよ。でも、家が貧乏で、ターンテーブルが買えなかったんで。レコードプレーヤーしか無かったんですよ。それで聴いてて、どんどんHIP HOP、RAPの世界に入れば入るほど、自分の表現というか、したい方向がマイク持つ方になっただけで。

--- マイクを持つようになったのはいつ頃のことですか?

22歳の頃ですかね。それまではDJやりたかったし、ラグビーやってたし。でもガキの頃、13の頃からHIP HOPには出会ってて、その延長には日本の音楽も聴いてるし。今考えたらよかったなと思いますね。ずっとHIP HOPだけだったら、今自分の表現がどうなってたかわからないです。ラフィンノーズじゃコブラじゃセックスピストルズじゃをドンスバでハマって聴いてたし。音楽を絶やす事はなかったですね。

--- 22歳でRAPを始めてからはずっとRAPで。

そうですね。継続はしてますけど。ラグビーやりながらやんちゃな事もしてた頃に、神戸の大震災があって。産んでくれたおかんが、「人生何が起こるかわからんから、人の為になる事せい」って大震災の朝=おかんの誕生日に言ったんで。それで、ちょっと人の為になることしようと思って、就職先を決めたんが、福祉の仕事なんですね。老人ホームとか、保育園の引率とか、ハンディキャップ持ってる子のケアとかを7年間してたんですよね。だから、そこの部分でサラリーマンを経験してるし、その時、中小企業の担当とかもやってたんで、そこで働くおっちゃんのしんどさも知ってる。自分もそうやったし。そういう経験もあるからこそですね。

--- HIP HOPだけではなく、福祉の仕事など様々な経験をしてきた事が、今作品に反映されているんですね。

そうやと思います。

--- 福祉の仕事を辞めてから、もう一度HIP HOPを志して『SPROUT』をリリースという流れなんでしょうか?

そうですね。でも、福祉の仕事を辞めてから、すぐじゃないですよ。そっから、自分売り込みに色んな会社に自分で行ってましたから。それで、フラレまくって、結局どうすんねんっていう時に、Libra Record が世話してくれて。
そっから、もっとこうしたいっていう事があって今、昭和で時代が止まった街で育った男が...泥臭い昭和の男が、昭和を愛して常に進行形で進化していこうと今の時代も思っているレーベルで出したという話で。

profile

まるでタイムスリップしたかのように"昭和の香り"が色濃い、おっちゃんのキャップ(着用)率西日本最高の大阪のイルなゲットー=ドヤ街「西成」、釜ヶ崎は三角公園近くの長屋で生まれ育つ。10代前半でヒップホップと出会い、ラッパーとしての活動はちょうど『さんピンCAMP』で日本語ラップの新たな夜明けが見えた96年から。臭い物にはすぐに蓋をする現代社会のしわ寄せが痛々しく残るその町"西成を通じた現実"を、「今に見とけよ!」精神と冷静な視点、自らの体験を元に「間」を活かした独自のソウルフルなべしゃり芸で表現する超オリジナルな世界観は、層が厚く、キャラの濃い関西シーンの中でも突出していた('00年代前半からは420FAMILYのメンバーとしても活躍)。彼が語るストリートとは、若者しかいない場所のことではなく、生きるか死ぬかの瀬戸際さえも見える"社会の縮図"としての現実であり、「人生は苦しいのが9で楽しいのが1」という持論を展開しながらネガをポジに転写する、そして時にはお上に"MCらしく捻りを効かせて"物申す姿は、所謂ヒップホップ・ヘッズ以外からも支持を集めている。

06年3月には自己名義では初のミニ・アルバム『Welcome To Ghetto』をリリースし、同年末にはYOSHI(餓鬼レンジャー)、MISTA O.K.I、DJ FUKU、446と結成した「大阪咲かそう」さながらの"いてまえ打線"的スーパー・ユニット=ULTRA NANIWATIC MC'Sでもアルバム『THE FIRST』を発表。そして07年4月、自身初となる名刺代わりのフル・アルバム『Sprout』で、そのキャリア上での"発芽"を全国に知らしめることに。同作収録の「ILL西成BLUES」のPVは朝日新聞や産経新聞が取材、また大阪毎日放送の夕方のニュースで特番が組まれるなど、TVニュース等ではモザイクや規制が入り写されなかった「生の西成」を写した完成度の高い作品として話題を呼ぶ(YouTubeでも確認できるように、彼は地元での社会活動でも知られる"ほんまもんのフッドスター"である)。同年は、サイプレス上野&ロベルト吉野から、Romancrew、CHIEF ROKKA、DOSMOCCOS、NG HEAD、LARGE PROFITS、ARIA、INFINITY16、SHING02、大西ユカリらとのコラボ仕事も連発。中でも武道館公演でも完全ロックしたKREVA「アグレッシ部(Remix) feat. KOHEI JAPAN & SHINGO★西成」は語り草に。MSCのPRIMALとの東西ユニット=鉄板BOYZでのEP「鉄板BOYZ」のリリースもあった08年以降もその勢いは留まる事を知らず、14年ぶりに復活したMICROPHONE PAGERや、日本レゲエ界のハーデストワーキン・バンド =Home Grown、さらには"西成繋がり"の赤井英和とのユニットに、ナニワエキスプレスの清水興が指揮を執ったbjリーグ大阪エヴェッサの公式応援ソング「Go Evessa!」を香西かおり、大西ユカリと唄ったり、日本最高峰のレゲエ野外イヴェント『Highest Mountain2010』(2度目の客演参加)では2万5000人の大観衆を沸かせたり・・・と、軸のブレないスタイルながらも常にニュー・スラングやニュー・フロウを発信し続ける真の「こてこてライマー/しゃべくりメッセンジャー」である彼は、そのクロスオーバーな資質、ユニークであったかい人間性ゆえに"ジャンルを超えた存在"(にしてRep西成、HipHop)として注目され続けている。そんな今や完全なる"大阪名物"のSHINGO★西成が、前々からシンパシーを感じていたというラッパー = 般若が立ち上げた"昭和レコード"に移籍し、満を持して放つ次なる一手は?「油断すな!!」

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