【インタビュー】22-20s

Tuesday, May 18th 2010

interview

INTERVIEW with Martin Trimble

ブルーズも、確かに鳴ってはいる。しかしそれは、かつてそうだった主軸としての役割を果たすブルーズだけでなく、時には通奏低音のごとくアルバムをひそやかに繋ぐ役割に徹するかのように、ブルーズが「使われている」曲もある。つまりは、このバンドにとっては歴史を現在に鳴らすことが目的でないことが、わかりやすくついに明らかになったわけだ。英国の若き白人男性たちによるブルーズ・バンドとして話題になりつつ、1枚のアルバムを残し22‐20sが解散したのは約4年半前のこと。「ブルーズ」にカテゴライズされすぎ、意にそぐわぬほど中高年齢層の前でのライヴを繰り返させられたりと、解散を表明する直前の彼らは、自分たちにとってのブルーズはこれではない、という想いとともに疲れ切っていた。

 取材に答えてくれたマーティン・トリンブル(Vo&G)によれば、疲れと絶望をいやしたバンドはごく自然に、再結成への道を歩んだようだ。ブルーズから離れようと思った時期もあったが、幼いころから親しみ憧れ、そこに自由な思考と伸びやかな感情の発露を感じた彼らにとっては、最終的に導かれるかのように、ブルーズ的な曲へと戻っていったことは興味深い。新メンバーとしてギタリストを加え、胸をかきむしるようなミドル・テンポの曲など曲調もより多彩になり、そして全員の演奏が怒りから慈しみまで幅広い感情を体現している。ようやく20代半ばになったばかりの4人が作った『シェイク/シヴァ/モウン』を前に、この才能が消えずして良かったと心から感謝せずにはいられない。今年のフジ・ロックでの来日も決定、あのプレイを伝説のままにしておく手はない。目撃せよ。

(インタヴュー:妹沢奈美)


--- 具体的に、どの段階でどういうきっかけで、このメンバーで一緒に再び音楽をやろう、というモードになったんでしょう。

「(解散してからも)グレン(・バータップ:B)とはずっと連絡を取り合っていたよ、昔からの親友だからさ。バンドが解散してからもオレはギターでチョコチョコ曲作りを続けていて、グレンと二人でイギリスに戻り、いくつかの曲のレコーディングをしてみた。その時の原形は、今作にも入っている。先を見据えてというよりは、やりたいからやったんだけどね。真面目に取り組んでいたというよりは、楽しんでた。その後もまたイギリスに戻ってきたときに、元のマネージメントが所有しているスタジオを使わせてもらってジェームス(・アーヴィング:Dr)に声をかけてみたんだ。仲たがいしたわけじゃなかったし。それで来てもらい、新曲をいくつか演奏したらかなり良くて、まあそこから始まった感じだ。ジェームスは当時、別のバンドに入っていたからそっちも続けながらオレたちとも時々演奏しているうちに全てがうまくはまって。クサイかもしれないけれど、活動休止していたのがウソのようだった。そんな感じで再結成したんだ」

--- この新作は、ティーンエイジ・ファンクラブやザ・スミスにもつながるポップさもあり驚く半面、すでに血肉となっているブルーズの要素も豊かに響きます。では、改めて伺いますが、今のあなたにとっての「ブルーズ」と、5年くらい前のそれとは、どういう違いがあるんでしょうか?

「今回のレコーディングに入るとき、オレたちはとにかくギター・バンドなんだという意識を強く持った。影響を受けた要素は数知れないからね。ビッグ・スターみたいなバンド、それからモータウンやソウルを聴いてきたから、何かが生まれるとしたらそこから生まれるはずで、そういう全てを結びつける要素が、ヴォーカルや演奏などからなんらかの形で出てくるだろうとふんでいた。あえてブルーズ・アルバムを作るか、それともより冒険心のある、表現力に富んだ作品に挑んで、統一感が自然と生まれ作品になることに賭けるか−−結果的に、アルバムを繋ぐ鍵となる曲は出来上がった。つまり、例えば”シェイク、シヴァ・アンド・モウン”は今後オレたちが進みたいと思う道を示している。つまり、両方の要素を加えている曲だし、前作よりもブリティッシュなサウンドさ。もちろん演奏からはアメリカから受けた影響も見られるけどね」

--- 現在はツイン・ギターのバンドになっています。ツイン・ギターだからこそできることは、具体的に何だと思っていますか?

「難しい質問だな。俺の視点から言うと、ギター一本、キーボード一台、そしてドラムとベース編成だったころも、ブルースブレイーカーズや60年代のアニマルズ的なサウンドを目指したわけじゃないんだ。70年代のロックに近すぎるかな、なんて心配もして。だけどツイン・ギターだと、可能性が広がる。俺はヴォーカルや曲作りに集中できるし、リフベースの演奏に徹することができるからね」

--- 新作ではあなたの歌声が、本当に柔らかくなりました。歌うということに対する意識が変化した?

「そうだね。そうだと思う。1stでは俺の声に合わせて曲作りをしていた。つまり、歌いなれた一定の歌い方にね。以前はヴォーカルにあまり気を配っていなかったんだよ。曲作りをして、グルーヴがキマッていたらヴォーカルはそれに合わせた。だけど今は逆に、ヴォーカル・ラインが曲を引っぱるような作り方をしているんだ。どんなジャンルでも……例えばソウルでもカントリーでも、やっぱり曲の中心はヴォーカルだ。それに、同じようなヴォーカル・スタイルに合わせた曲作りでは、限界がある。音楽的にも、そしてヴォーカル・アプローチ的にも、新たな可能性を見出したよ。今作のプロデューサーのイアンもヴォーカルにうるさい。デモもヴォーカル入りじゃなきゃならないし、しかも曲はヴォーカル主動であることも条件。彼と仕事して、ヴォーカルに対する考え方がだいぶ変わったよ」

--- では、最後の質問です。もし解散を決めた頃のあなたに今、アドバイスができるとしたらどういう声をかけてあげたいですか?

「でも、結果的には同じ道を歩んだと思う。あのまま続けるべきではなかった。もし続けていたとしてもアルバムは出来なかっただろうし、作ったとしても急かされて作ったつまらない作品になっただろう。この世界から2年離れ、寂しい想いをして、バンド生活や仲間との活動がなくなると辛いんだということに気付くことが重要だった。ソロを出してもきっと孤独だったと思う。自分にとって何が大切かを知るために必要な時間だったよ。だからそういう選択があったとしても、何も変えなかったと思う。  もちろん後悔はある。ネット上に解散がらみの発言は載せなければよかったと思っている。あの時はきっと腹が立っていたんだろうな。怒っているときは(仕方がない)。でもそういうことはよくあるさ。活動休止していた2年〜2年半も含めてオレたちの物語であり、それがあったからこそカムバックを果たせた。その経験があったからこそハングリー精神を取り戻すことが出来た。金がなくてプレスからプレッシャーがかけられなくなって初めて自分たちにとって何が重要かがわかった。それが何かというと自分たちのコアファンの前でライヴ演奏をすること。アルバムを作ってツアーに出たいという気持ちさえあれば、それで満足だ」

profile

2001年結成。およそ15レーベルからオファーを受け、争奪戦が繰り広げられ、最終的にマニック・ストリート・プ リーチャーズ等が所属していたへヴンリー・レコーズと契約。 04年5月、ライブEP『05/03』の日本盤をリリース。このEPは予約段階でソールド・アウトに。7月にはフジ・ロック・フェスティヴァルで初来日を果たす。8月25日、日本では本国よりも1ヶ月早く、デビューアルバム『22-20s』をリリース。まだバンドは20歳前後だったにもかかわらず、ブルースをベースにしたその本格的なサウンドが大きな話題となり、日本でも大ブレイク。驚異的なアルバム・セールスを記録する。11月末〜12月には単独ジャパン・ツアーで再来日。東京2公演(渋谷クラブ・クアトロ)と大阪(心斎橋クラブクアトロ) はチケットがソールド・アウト。 その圧巻のライヴも大きな話題となった。しかし06年、バンドは絶頂期の中、突如、解散を発表。今後の動向に注目が集まっていた。そして09年、バンドはオリジナルの3人に新しいギタリストを加えた4人編成で再び活動を開始。今年の1月に、年内中に新しいアルバムをリリースすることを発表した。(メーカーサイトより抜粋)

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