Saturday, April 10th 2010
栄光と波乱の60年代を乗り切ったローリング・ストーンズ。新時代の幕開けに向けて大きくカジをきるシーズンに直面したのもちょうどこの時期で、1970年7月には、デッカ・レコーズとの契約およびロンドン・レコーズのアメリカにおけるライセンス契約が切れた。前年から続くニュー・アルバム(『Sticky Fingers』)用のスタジオ・セッションにも参加していたボビー・キーズ、ジム・プライス、2人のホーン陣営と、この時期のレギュラー・ピアニスト、ニッキー・ホプキンスを連れ立った夏のヨーロッパ・ツアー終了後には、引き続きイギリスのオリンピック・スタジオ、イギリスのバークシャーにあるミックの別荘スターグローヴスで録音が行われた。ライ・クーダー、ジャック・ニッチェらも遊撃的にバックアップしているこのレコーディングでは、『Exile On Main Street』に収録されることとなる半数近くの楽曲の骨格はすでにでき上がっていたという。1971年4月、おなじみの“ベロ・マーク”をロゴとした自らのレコード・レーベル、ローリング・ストーンズ・レーベルの設立を発表し、キニー・グループ(傘下のアトランティック・レコード配給)とのディストリビュート契約を交わしたことも全世界にアナウンスされた。翌週、移籍第1弾アルバムとなる『Sticky Fingers』は、アンディ・ウォーホールが手掛けたジャケット・デザインとともに姿を現した。
時を同じくして、2週間のイギリス・ツアーを大盛況に終えたバンドは、イギリスの税金が高いということを理由に、フランス移住を計画。『Sticky Fingers』発表直後には、メンバー全員が南フランスに住居を構える手筈を終えていた。次なるアルバム『Exile On Main Street』用の残りのマテリアルの録音セッションは、“タックス・エグザイル”として選んだ南フランス、ニースとモンテカルロの中間部に位置するヴィルフランシュ・シュル・メールにキースが借りた邸宅ヴィッラ・ネルコート、その地下室で行われることとなった。
夜になっても平均気温が25℃を観測する日もあるという初夏の南フランス、しかもその地下室でのスター・バンドの奮闘となれば、はからずも酒池肉林、日々是謝肉祭の様相を呈して・・・と予想するのがセオリーなのだが、どうも勝手は違っていたよう。60年代末からLAのスワンプ〜カントリー・ロック界隈の人脈に音楽的な刺激を強く受けていたバンド。その中でも特にキースは、ボビー・キーズ、グラム・パーソンズ、あるいはライ・クーダーとの交流の中でこれまでになかった自らの方向性や曲作りにおけるヒントなど多くの発奮材料を得て、さらにそれを効果的にバンドに取り入れようと考えていた。60年代ストーンズの核であったブライアン・ジョーンズを失い、後釜のブルース・ギター小僧は腕は確かだがまだまだ存在的には心許ない。そうした状況をふまえ、あらためてバンドでの立ち位置を見直した結果、よく知らぬ片田舎の地下という閉鎖された環境で再度バンドとしての集中力やつながりを高めようと、録音場所の提供をはじめとするタクト役を買って出たのではないだろうか?
地下にあったキッチンは常に多くの機材で埋め尽くされ、その中で妊娠中であったキースの妻アニタが時を問わずに20人分もの食事を作ったり、メンバーが空けたワイン・ボトルを片づけたり、幼い息子マーロンを寝かしつけたりと、いくら夫が天下のローリング・ストーンズのギタリストであっても、セッションに費やされた三ヶ月間毎日こんなプレッシャーと衣食住を共にしていたと思うと、他人事ながらゾッとしてしまう。また、蒸し暑さも常軌を逸していたようで、アルバムにおけるギターのチューニングが若干甘いのはそのせいだという指摘もある。それでもキースは「しょうがねぇ、ウチでやるか。カミさんにはうまく言っとくよ」とオーケーを出したのだから、よほどこの作品に、これからのストーンズに懸ける思いは強かったのだろう。そんな奉仕精神(?)もあって、ボブ・ディランとザ・バンド「ベースメント・テープス」のストーンズ版とも呼ばれる突出した1枚が生まれることと相成ったのは事実だ。また実際には、ヴィルフランシュ・シュル・メールが地中海を見下ろす丘の上にあるということで、メンバーは息抜きにしばしば水遊びに興じていたり、キースが息子マーロンを寝かしつけるために席をはずした数時間を利用して近郊のニースやモンテカルロで夜の街を楽しんだということだから、イギリス在住時とは比べものにならないぐらいリラックスした雰囲気の生活は送れていたようだ。
キース邸がパーティーとはまた異なるてんやわんやの一方で、1971年5月にフランス人モデル、ビアンカ・ペレス・モレノ・デ・マシアスを人生の伴侶に迎え入れたミック・ジャガーは、完全に新婚ボケともいえる行動に出て、キースをはじめレコーディング・メンバーたちをしばしば失意させていたようだ。曲作りも大詰めとなったところで、やおらレコーディングを抜け出し、パリにいるビアンカのもとに鼻の下を伸ばしてすっ飛んでいく・・・キースとミックの軋轢は当然ながら表面化してゆく。「キースはミックを単純にバンドの一員としてしか見なくなったんだ。2人の衝突はこの頃から始まったんじゃないかな」とは、当時を知るイアン・スチュワート。前作『Sticky Fingers』でオープンGチューニングを完全に体得したキースが、さらに発展的にそのスタイルを投じることができると考えれば、おのずと新曲作りに力も入り、イニシアチヴを握ろうとするのはごく自然なこと。「Rocks Off」、「Rip This Joint」、「Tumbling Dice」、さらには自身がリード・ヴォーカルをとる「Happy」といった “必殺のリフ”が駆け巡るその後のバンドの代表曲となるものは、完全にキースの主導でイチから作られていると捉えることができる。「このアルバムは完全にキースのものといえるだろうね」とは、プロデューサー、ジミー・ミラーの弁。さらには、リードをとった「Happy」はもちろん、「Rocks Off」、「Casino Boogie」、「Sweet Black Angel」、「Loving Cup」など多くの曲でハーモニー・ヴォーカルを付けている、歌うことへの積極性も見逃せない点のひとつだ。
ミックも新婚おのろけ気分が一息着いたと思われる同年11月、LAはハリウッド・スタジオでの最終ミックス時には冴えたアイデアをバンバン投入し、ある種のコンセプトを持たせた作品に仕立て上げることに貢献している。アルバムを全18曲の2枚組として発売することはもちろん、「Rocks Off」中間部のサイケな展開や「Ventilator Blues」から「彼に会いたい」にいたるつなぎの仕掛け、細部のエフェクト処理など、「バンド内での冷静な状況判断やマーケティング・センスはやっぱりオレにしかできない」といった具合の緻密に練られたシュアな最終アレンジを加えている。ここに、骨組みをキース、最終仕上げをミックというセルフ・プロデュース・チーム=グリマー・ツインズの方法論の輪郭がおぼろげながらに浮かび上がってきている。
ハリウッド・スタジオでのミックス作業には、ご当地ウエスト・コースト系のミュージシャンたちも多勢駆けつけ、ビリー・プレストン、アル・パーキンス、ビル・プラマー、グラム・パーソンズ(ネルコートにも訪れている)、Dr. ジョン、タミ・リン、クライディ・キング、ヴェネッタ・フィールズ、キャシー・マクドナルドらが、ブルース、ゴスペル、カントリー、ニューオリンズ・ミュージックにどっぷり漬かったストーンズのアメリカン・ルーツ・ミュージック探求旅行のゴールを見事にサポートしている。同時に、「ストーンズは周りにいる人間の使い方がうまい」という声も多くあるが、それも彼らの才能のひとつだということは間違いない。アルバム・ジャケットには、スイス・チューリッヒ出身の写真家で、自らも放浪の旅をしながらアメリカの日常を撮り続けていたロバート・フランクによる”フリークス”写真を全面にコラージュしたものを採用。フランクは、翌72年からの北米ツアーを記録し、「Cocksucker Blues」というドキュメンタリー映画としてまとめ上げてもいる(未公開)。また、ミュージック・フォトグラフの巨匠ノーマン・シーフが撮り下ろし、ディレクションをも務めた12枚綴りのポスト・カードの封入も、視覚的な仕掛けに抜群の効果をもたらした。
こうして1972年5月12日に発表された『Exile On Main Street』は、当時のバンドの勢いからすれば当然のごとく英米で1位を獲得するも、シングル・カットされた「Tumbling Dice」やキースの「Happy」、当初第1弾シングル候補にあった「All Down The Line」を除けば、チャートに常駐するようなキャッチーな楽曲は見当たらない。むしろ初心に帰ったかのように、大好きなブルース、カントリーなどと好きな時に好きなだけ戯れている、かなりメンバー個々の嗜好に実直でナード感たっぷりの出来ばえという印象さえもある。
しかし、「ストーンズ版ベースメント・テープス」とも呼ばれるその”南仏密室芸”こそがこの作品の特徴であり本領でもある。蒸し風呂のような地下室での仕込みで発酵に発酵を重ねたベーシックなトラックは、時に地中海の潮風にさらされながら、大らかな時の流れを経てじっくりと熟成されたものばかり。ほどほどの雑味の中にある吟醸香がたまらない。LAで何人もの匠の技によりトータル的にコクのあるものに整えられた『Exile On Main Street』は、ならず者(≠国外追放者)たちが夢見る豊穣な音楽畑への憧憬が、豊潤な地において一大叙事詩のようなものとして形成されていくという、商業主義もへったくれもないひとつの人間くさいストーリーとして見事に結実。少なくとも僕は、そんな過程の一部始終を想像しただけでただただうっとりさせられてしまう。『Beggars Banquet』と同じくバンドにとって一番大事な時期のアルバムを、家族との時間を犠牲にしてまで精根込めて作り上げたキースが後に語っている。「これでやっとガキ相手のバンドから脱皮することができたぜ」。

キースのリフによって導かれる、期待どおりのオープニング。中盤にかけての盛り上がりをバックアップするのは、生粋の南部男ふたり、ボビー・キーズ(ts)とジム・プライス(tp)によるテキサスの荒馬ホーンズ。「Brown Sugar」、「Bitch」でのグルーヴがストレートに受け継がれている曲で、序盤から中盤にかけて徐々にアクセルをふかしはじめる ”のらりくらり感” がストーンズならでは。ミックとキースによるけだるいヴォーカル・ハーモニーも扇情感たっぷり。幻の来日記念盤として1973年に日本のみでシングル・カットされている。
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間髪入れずに畳み掛けられるハイスピードなブギ。キースのたくましいカッティング・ギターとニッキー・ホプキンスの激しいブギ・ピアノが2分間絡み合い転がり続け、ビル・プラマーが弾き出すアップライト・ベースの太い低音もグルーヴを性急なものにさせている。「アメリカ全土を大騒ぎして踊りながら回ろうぜい」と青スジを立てながら怒鳴り散らすミックに呼応するかのように、ボビー・キーズも向こう見ずなブロウを炸裂させる。
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原題「Shake Your Hips」。オリジナルは、ルイジアナのブルース・マン、スリム・ハーポの1966年のナンバー。デビュー・アルバムで「I'm A King Bee」を取り上げて以来2度目となるハーポ曲へのチャレンジ。チャーリーのリム・ショット、ミックのマウスハープ、キースのカッティングなど原曲に忠実なラインをなぞっているものの、仕上がり的には50sやロカビリーのスタイルに程なく近いものとなっている。全体を泥くさくシェイクさせているミックのヴォーカルが頭から離れない。ピアノはイアン・スチュワートで、この時期ニッキー・ホプキンスに”6番目のストーンズ”の座を奪われかけていただけに、面目躍如のファイン・プレイで存在を大いにアピールしている。
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よく聴き込んでいる人でなければ忘れ去られてしまいそうな曲だが、伝統的なブルースの手法に則りながらもストーンズならではのパンチを十分に効かせている。「不眠」、「スカイ・ダイバー」、「カンの切り口にキス」、「100万ドルの悲しみ」、「もう時間がない」・・・と短いフレーズのみを羅列させたミックの秘密めいた詞が、キースの超高音コーラスと重なって妖気を生み出す。ロバート・フランクによって撮影されたフリークス・カットをコラージュした本作のアルバム・ジャケットを眺めながら聴いていると、ある種のシンクロニシティが作用し、ぐいぐいとこの曲の世界に引き込まれてしまう。ベースをキース、ピアノをニッキー・ホプキンスが担当している。
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アルバム発売に先がけた1972年4月に第1弾シングルとしてリリース。オリンピック・スタジオあるいはネルコートにおけるワーキング・タイトルは「Good Time Women」。「All Down The Line」と最後まで第1弾シングルの座を争ったようだが、最終的なミックスでクライディ・キング、ヴェネッタ・フィールズ、さらに一部諸説ではグラム・パーソンズらによる最高にアーシーなバック・コーラスが加わったことで、こちらに軍配が上がった。また、キースの5弦ギターによるフレーズも当然後押しとなっている。ベース、スティール・ギターはミック・テイラーで、もう1本のギターはミック・ジャガーによるもの。
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グラム・パーソンズとの交流によりカントリー&ウエスタンにどっぷりと浸かっていたネルコート・セッションでのキース。合間の食事休憩中においてもジョージ・ジョーンズやマール・ハガードらのカウボーイ・ソングを夢中になって弾いていたというのだから、その傾倒ぶりはよほどのものだったことが窺え、また、曲のエンディングでかすかに聴こえる拍手や笑い声がネルコート・セッションの充実ぶりをよく表している。ピアノはイアン・スチュワートで、目立たないながらも安定したプレイで好サポートしているのは見逃せない。ミックのマウスハープもいつも以上に郷愁的に鳴り響いてゆく。
| その他のヴァージョンはこちらで |
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≫廃盤 |
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アコースティックな純正カントリー・ソングに続くのは、スワンプ・テイストを少量盛り込んだカントリー・ロック調のロード・ソング。フライング・ブリトー・ブラザーズのアル・パーキンスによるペダル・スティールのメロディが一気に曲の輪郭を浮き立たせている。オルガンをジム・プライス、ベースをミック・テイラーという変則的な布陣。1972年の北米ツアーでは、カナダはバンクーバー、パシフィック・コロシアムのステージで唯一ライヴ演奏されている。
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原題「Sweet Black Angel」。アメリカの黒人解放運動の女性活動家アンジェラ・デイヴィスに捧げ作られた。アコースティック・ギターのシンプルなコード・ストロークに、グィロ、カウベル、マウスハープ、マリンバの音色が次々と重ねられ、カリビアン・ミュージック的な色彩をも放つ。「Tumbling Dice」のシングルB面に収められたということで、この一種独特のサウンドがいち早くファンの耳に届いたというのも面白い。1972年のツアーでは、6月3日シアトルのステージでこの日釈放されたアンジェラに捧ぐライヴ演奏が行われた。
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「Give Me A Drink」というワーキング・タイトルとしてすでに1969年のオリンピック・スタジオでベーシックな録音がされており、ブライアン・ジョーンズ追悼コンサートとなった同年7月5日のハイド・パーク・フリー・コンサートでも(とてもラフなヴァージョンだが)披露されている。最終的にネルコートで肉付けが行われた最終形のオリジナル・ヴァージョンは、ニッキー・ホプキンスのマジック・タッチによって紡がれたピアノが、ストーンズのイントロ史上トップクラスの美しさを誇るものと語られるようになり、厳かで牧歌的なゴスペル・トラディショナル、サイケなニュアンス、ブラス・ロックの迫力といった様々な要素の隠し味を取り入れ、母体を膨張させながらゴールにたどり着く、「無情の世界」にも似たスケールの大きい1曲となった。
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”キース・リチャーズ見参” を意気揚々と宣言。「座って半畳 寝て1畳」。キーフらしさ全開のシンプルで間違いのない幸福論。愛器”ミカウバー”(53年製テレキャスター)を颯爽と構えマイクの前でがなり倒し、ブリッジ〜サビで1本のマイク・スタンドをミックと分け合うというシーンがあまりにも有名な72年北米ツアーのライヴ映像は、是非オフィシャルでリリースされてほしいもの(翌73年のヨーロッパ・ツアーにおける「Happy」は、ミック・テイラーのスライド・ギターが凄まじい!)。スタジオ盤は変則的なパーソナルで録音され、ベースもキース、ドラムをジミ・ミラー、パーカッションをボビー・キーズが担当している。アメリカでは第2弾シングルとして発売され、最高22位を記録した。
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勢いよく飛び出すマウスハープに急き立てられるかのように、チャーリーのブラシ、ビル・プラマーのアップライト・ベースがぐんぐんと速度を上げる。ニッキー・ホプキンスのブギ・ピアノの転がり方もかなりごきげん。後半のミックのシャウトまで息つくヒマもなし。毎秒ごとに放射される熱量の多さは収録曲の中でダントツ。
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ストーンズ楽曲の中にミック・テイラーの名前が共作者としてクレジットされた唯一の作品として知られる粘っこいブルース・ナンバー。「Ventilator」とは「送風装置」のことで、殺伐とした世の中に対し「もっと風通しをよくする必要がある」とミック・ジャガーがドスの利いたブルース・シャウトを繰り返す。主なメロディ・ラインを作り上げたというミック・テイラーのスライド・ギター、ニッキー・ホプキンスのピアノ、ボビー・キーズ&ジム・プライスのホーン・セクションが三位一体となってネルコート地下室のうだる様な蒸し暑さに拍車をかける。
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原題「I Just Want To See His Face」。前曲のフェイド・アウトに交差しながらフェイド・インしてくる呪術的な1曲で、どこか隣の部屋あたりから漏れてきているようなくぐもった音質がネルコートの地下室を連想させる。LAの最終ミックスで、クライディ・キング、ヴァネッタ・フィールズ、ジェリー・カークランドのクワイアが「Relax Your Mind」とブ厚いコーラスを乗せて不気味な高揚感を演出している。レイドバックしたエレクトリック・ピアノをキース、アップライト・ベースをミック・テイラーとビル・プラマー、パーカッションをジミー・ミラーが担当している。ちなみに、言わずと知れたアメリカのジャム・バンド、フィッシュが昨年のハロウィン週に開催した「Festival 8」という3日間のイベントの中日で、「Exile On Main Street」を丸ごと演奏(曲順もそのまま)するというセットを敢行し、ストーンズ・ファンのド肝を抜いたのは記憶に新しいところだろう。このセットの中で、特に再現が難しいと言われる(本家も1度もライヴ演奏はなし)この「彼に会いたい」を、バックアップ・シンガーを交えた10分近い長尺ジャム・アレンジでキメてくれた。
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『Exile On Main Street』がセッション陣営の強力バックアップによって成り立っていることが最もよく判るゴスペル・バラード。ヴェネッタ・フィールズ、タミ・リン、シャーリー・グッドマン(シャーリー&リー)、さらには、Dr. ジョンことマック・レベナックのコーラスが、本隊だけでは決して出すことのできないエモーショナルでふくよかなフィーリングを作り出し、曲全体を温かく包み上げている。カーティス・メイフィールドからの影響がモロに出ているキースのフェイザーをかけたギターも美しい。
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アルバムからの第1弾シングルとして「Tumbling Dice」と最後まで争ったストーンズらしいアップ・ビート・ナンバー。1969年の時点でアコースティック・ヴァージョンとしてその骨組みはすでに出来ていたが、キースのキャッチーでしぶといリフの応酬にミック・テイラーのシャープなスライド・ギターによる合いの手という、「Brown Sugar」で確立された新たなギター・コンビネーションを前面に出すことによってドライヴ感が増し、ネルコートにおいて完成に漕ぎ着けられた。アメリカでのシングル「Happy」のB面に収められたテイクは、アルバム・ヴァージョンとは若干異なり、ピアノが全面的にフィーチャーされ、キャシー・マクドナルド(『Insane Asylum』でおなじみの)のコーラスがより前面に出たミックスを施したものを採用している。また、アルバム発売を2週間後に控えた1972年4月の最終週には、イギリスの音楽新聞ミュージカル・エクスプレスに、ピアノの伴奏をバックにミックがアルバムに収められる曲名を組み合わせて歌ったダイジェスト・ソノシート「Exile On Main Street Blues」が付録として付き、「All Down The Line」、「Tumbling Dice」、「Shine A Light」、「Happy」の5曲もダイジェストで併録されている。
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原曲は、「Love In Vain(むなしき愛)」と同じく1937年6月に吹き込まれた伝説のブルース・マン、ロバート・ジョンソンのオリジナル・ブルース。ややヘヴィなブルース・ロック〜R&B解釈のアレンジが施されているが、イアン・スチュワートのピアノとミックのマウスハープのスウィング感が絶品のうまみダシとなり得ている。70年代に入るとロバート・ジョンスン再評価の動きと共に多くの退屈なブルース・ロック・カヴァー(ロバート・ジョンソンに限らず)が氾濫することにもなるが、やはりストーンズのロバート・ジョンソンに捧げる愛は格別。初めてロバート・ジョンソンのレコードをブライアン・ジョーンズのアパートで聴いた日から当時で10年。キースはその時のことを鮮明に憶えていた。「ただのブルースとは違う。上の方からモーツァルトが、下の方からバッハが聴こえてきた」と19歳のキースは震え上がり、と同時にバンドを結成してロンドン中にブルースを広める理想に燃えた。
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一昨年日本でも公開されたマーティン・スコセッシ監督の同名タイトル映画により、ストーンズの有名曲リストで赤丸急上昇と相成った名バラード。ピアノとオルガンの両刀プレイは、前作の「I Got The Blues」で見事な”メンフィス・ロングトーン”でソウル・オヤジを号泣させてくれたビリー・プレストン。ビートルズの「Get Back」セッションでロック界隈でも有名になったが、ビリー本来の持ち味を引き出したのはやはりストーンズだろう。ファンキーなソウル系オルガン・プレイヤーというよりは、ゴスペル・フィーリングをたっぷりしみ込ませたピアニストとしての役回りの方がビリーの重厚なタッチにぴったりだと思うのだが、どうだろう? ミックのふりしぼるような熱いヴォーカルとクライディ、ヴェネッタ、ジェリーらによるクワイア・コーラスとの掛け合いがとてつもなくダイナミック。この曲の雛形にミック、レオン・ラッセル、リンゴ・スターらによる1969年のリハーサル・テイク「(Can't Seem To) Get A Line On You」というものがあり、そちらをボーナス収録したレオン・ラッセル『Leon Russell』のGold CD 24 Karat盤は、1996年に突如リリースされストーンズ・ファンをアッと言わせたが、現在は廃盤で中古市場でも高値を付けている。乞・再プレス!
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「Shine A Light」の感動的な余韻を残しつつ、いよいよアルバムのラストへ。キースは職人気質なギター・リフと手数の多いベース・ラインで骨格を作ることに専念し、ミック・テイラーに主役の座を譲る。意気に感じたミック・テイラーも「うん、わかったよ」とばかりにボトルネックを軽快に滑らせる。「Gonna Be The Death Of Me (あんたはオレを死ぬほど苦しめる) 」という思わせぶりなパンチラインをシャウトするミック・ジャガーは、退廃的なロック・スターと明日を夢見るソウル・シンガーの狭間をバー毎にあくせく行き来する芸達者ぶりで、この時代の王道ともいえるストーンズ・サウンドを盛り上げている。
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「Exile On Main Street」のプロモーションをかねた北米ツアーは、1972年6月3日のカナダはヴァンクーバーを皮切りに、全29都市51公演というかなり大規模なものとなった。「レディース・アンド・ジェントルメン」は、6月24日のフォートワース公演と25日のヒューストン公演両日の昼夜のステージをを捉えた記録映画だ。記録映画といってもドキュメンタリー的な性格や演出などはほぼ皆無となる純粋なライヴ・フィルムなのだが、ストーンズの絶頂期とも言われるこの時期のライヴ映像は、公式なものとしてはこれでしか目にすることができないというのだから資料的にも価値は高い。しかも1974年にアメリカで劇場公開され、80年代にはオーストラリア盤でビデオ化されたにも関わらず、日本では今だ陽の目を見ずにいるのは残念にほかならない。
グラム度の高い毒々しいメイクとラメラメの衣装に身を包んだミック。苦心の末に作り上げた大作を世に放ち解放感に満ちた面持ちで「Happy」をがなるキースは、ミック・テイラーとのギター・コンビネーションもいよいよ軌道に乗る。サポート・メンバー、ボビー・キーズ、ジム・プライス、ニッキー・ホプキンスを有機的に交えた絶好調のバンド・アンサンブルに体をくねらすこと必至の最上のパフォーマンス。現在のストーンズにはない異様な妖気と背徳感がステージの中央で塊となってこちらを睨んでいるかのようだ。また、このツアーではスティーヴィー・ワンダーのレビューが前座を務めていたが、スティーヴィーの「Uptight」と「(I Can't Get No)Satisfaction」をメドレー形式の共演でアンコール披露する公演もいくつかあった。この模様は、ロバート・フランクが撮影した未公開フィルム「コックサッカー・ブルース」に収められている。
ストーンズ絶頂期のライヴ映像が今の今まで公式に世に出ることがなかったのはかなり不本意だが、この度リリースされる『Exile On Main Street』のデラックス・スーパー・エディションには、この2本のフィルムからの抜粋映像を収録したDVDが付属される。完全版ではない(いずれ?)にしろ、やはりこのディレクションには素直に拍手を送りたい。 (字が小さくてごめんなさい・・・)
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