【追悼】B.B.King

戦後ブルースの革新者、ブルースという言葉と音を広く知らしめた「キング・オブ・ブルース」ことB・B・キングが5月14日ラスヴェガスの自宅にて亡くなりました。 御冥福をお祈りいたします。

【B・B・キング】
1925年ミシシッピ州のプランテーションで生まれ(本名ライリー・B・キング)小さな頃からプランテーションでの厳しい生活を送る。14歳の頃、教会でギターを弾いていた 叔父に習ってギターを始める。またゴスペルを歌う一方、街頭でブルースを演奏し小遣いを稼いだりもした。

1949年メンフィスへ向かい、従兄弟のブッカ・ホワイトの世話で昼の仕事を得、週末のみの演奏活動を開始する。その後サニー・ボーイ・ウィリアムソンUの紹介でジューク ・ジョイントでの仕事を取り、メンフィスのラジオ局でDJと生演奏の番組を持つようになる。ザ・ビール・ストリート・ブルース・ボーイが当時の芸名。このブルース・ボ ーイが縮まり、B・Bとなった。

1949年初録音(ブリット・レーベル)。1950年にはモダン/RPMと契約。以降1962年頃までがモダン/RPM/ケント時代。この時代のB・Bは正にブルース革新者。エレ クトリック・ブルース時代の新たなギター奏法を開発し、洗練されたブルースを完成させた。またチョーキングやヴィブラートもB・B・キングの偉大なる発明。また唱法で はゴスペル風のメリスマを取り入れた独特のスタイルを作った。

1962年にはケントを離れ、メジャーのABCと契約し、新たな一歩を踏み出す。大手レーベルということでチャート・ヒットを望まれたが、しかしそれほどの結果は出なかっ た。後に「ザ・スリル・イズ・ゴーン」をヒットさせ、同曲は1970年度グラミー賞を獲得した。この辺りを機にロック・ミュージシャンとの競演、フィラデルフィアに行った りとブルースの枠組に捕われない幅広い活動をしていく。レオン・ラッセルらをバックに従えたIndianola Mississippi Seeds(1970年)、ピーター・グリーン、アレクシス・ コーナーといったイギリスのミュージシャンを中心にセッションを繰り広げた B.B.King In London (1971年)などで、そうしたロック系ミュージシャン達との競演が聴ける。

1981年発表の『There Must Be A Better World Somewhere』でグラミー賞を受賞。これは音的にはAOR路線ともいえるもの。1988年、U2のメンフィス巡礼をドキュメンタリー で描いた映画『魂の叫び』で、彼らと競演。再びロック・ファンの間で脚光を浴びたのだ。

そして1990年、B・B・キング復活を印象付けた作品、 『Live At San Quentin』発表。1991年に好盤『There Is Always One More Time』を、また1993年に新旧ブルースの 豪華ゲストが参加した『Blues Summit』、1994年にはジャズ歌手のダイアン・シューアとの競演アルバム、『Heart To Heart』といったところをリリース。1997年にエリック ・クラプトンやボニー・レイット、そしてミック・ジャガー、ロン・ウッドらストーンズ勢も参加した『Deuces Wild』を発表。1998年には初のセルフ・プロデュース作 『Blues On The Bayou』、1999年にジャンプ・ブルースの王様、ルイ・ジョーダンに捧げる作品、『Let The Good Times Roll』を発表と、コンスタントにブルース感覚とコ マーシャル性の両方を兼ね備えた作品を出していった。2000年にはエリック・クラプトンとのアルバム『Riding With the King』を発表した。

1987年にロックの殿堂入りを果たす。


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