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【ヴィヴァルディの手稿譜の歴史】全27巻の手稿譜は、1745年にはヴェネツィアの元老院議員、ヤコポ・ソランツォ伯爵の書庫にあったことが証明されています。おそらく、伯爵は、ヴィヴァルディの作品を印刷販売する法的権利を有していた弟のフランチェスコ・ヴィヴァルディから楽譜を購入したものと考えられています。ソランツォ伯爵の死にともない、手稿譜全27巻は、ジャコモ・ドゥラッツォ伯爵の手に渡ります。彼は、ヴェネツィアの大運河「カナル・グランデ」に沿った館にその全27巻を死に至るまで保管し、その後、ドゥラッツォ伯爵の甥で、前ジェノヴァ総督でもあるジェローラモが、それをジェノヴァの邸宅に移送、一世紀のあいだ大事に扱われますが、1893年、全27巻はマルチェッロとフラヴィオのドゥラッツォ兄弟に遺贈され、等しく分割されてしまいます。その後マルチェッロは、死に際して、自分の相続した手稿譜を、カザーレ・モンフェラート近郊サン・カルロにあるサレジオ会の学校に寄贈します。
 しかし1926年、学校の聖職者は、建物を修理するための資金を得るために手稿譜を売却することを決定、まずトリノ国立図書館にコンタクトをとりますが、断られてしまったため、聖職者は、友人で裕福な銀行家だったロベルト・フォに打診、彼は、息子を追悼する記念図書館のためにこの手稿譜を購入します。 残りの半分は、まだ、ジェノヴァにありましたが、長い交渉の末、ドゥラッツォ一族の相続者が売却に同意したので、二つに分かれていた手稿譜は、再び一つにまとめられることになります。なお、この時(1930年)、資金を提供したのは羊毛商のフィリッポ・ジョルダーノという人物でした。その後、アントニオ・ヴィヴァルディの手稿譜専門図書室が、トリノ国立図書館内にその本拠を移しますが、そこは現在、「マウラ・フォ=レンツォ・ジョルディーナ・コレクション」という名称で知られています。
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