マルコ・マラッツォーリはアントニオ・バルベリーニ枢機卿や教皇アレクサンデル7世らに仕え、主にローマで活躍した17世紀の作曲家、ハープ奏者、テノール歌手。枢機卿に従いイタリア各都市やパリなどヨーロッパ各地を巡り、オペラやオラトリオ、カンタータを作曲しました。中でもカンタータはマラッツォーリにとっての得意ジャンルであり、それらはイタリアだけでなくフランスでも人気を博しました。本録音では6声の声楽、2本のヴァイオリン、そして通奏低音のためのカンタータに焦点が当てられており、この形式で現存する7曲中5曲が収録されています。その内容は祝祭や戦争の終結、教皇によってもたらされた平和の称賛といったもので、独唱に加え合唱や器楽合奏などが導入された小さなオペラのようです。
生前の高い評価にもかかわらず、マラッツォーリのカンタータは現在ではあまり顧みられることがありません。その理由は、現存する自筆楽譜が判読不能な部分が多いためだと言われています。ヴァチカンのアーカイヴに残された自筆譜は、取り消し線で消された部分、書き直された部分、誤った音符、判読不能な小節、解読不能なテキスト、通奏低音部の小節の欠落などが随所に見られ、現代の演奏譜とするには様々な困難があります。その音楽はポリフォニックな展開に重点が置かれており、同時代の他の音楽には見られない数多くの不協和音が見られます。今回の録音ではその不協和音をあえて修正せず、そのまま音楽的な効果として受け入れて演奏しています。
『ラ・ヴェンデンミア(ぶどう収穫祭)』(台本:不詳)はぶどうの収穫祭が題材となっており、主人公は葡萄酒の神でもあるバッカスです。登場人物たちが次々と自分のお気に入りのイタリア・ワインを称賛するという一風変わった内容で、17世紀イタリアで飲まれていたワインの「カタログの歌」と呼べそうです。
『ラ・ゼノビア』(台本:カルロ・フェスティーニ)は、タキトゥスの「古代ローマ年代記」に基づくラダミストとゼノビアの物語が題材。ヘンデルほかのバロック・オペラで数多く取り上げられた人気の題材で、アルメニア人たちに追いつめられるラダミストとゼノビアの壮絶な運命がマラッツォーリの音楽によって表現されています。
『イル・リポーゾ』(台本:セバスティアーノ・バルディーニ)は「休息」を意味する言葉。マラッツォーリが仕えた教皇アレクサンデル7世の静養所カステル・ガンドルフォがあるアルバーノ湖畔を舞台とした作品で、登場人物の「休息」は、ローマの喧騒や争いを避け、美しいアルバーノ湖の静寂を満喫する教皇を示しています。教皇による戦争の仲介が象徴的に語られています。
『死すべき運命の人よ、暗い夜に生きる者たちよ』(台本:ジョヴァンニ・ロッティ)は、1659年11月に調印された「ピレネー条約」によるフランス・スペイン戦争の終結を記念するものです。この条約は教皇アレクサンデル7世の仲介によってなされたもので、歌詞にはパリのセーヌ川やスペインのエブロ川への言及があり、教皇による和平が象徴されています。
『戦争と平和』(台本:ルカントニオ・カシーニ)は、ピレネー条約締結の推進役である教皇アレクサンデルを称える一連の作品の最終章。教皇が「戦争」に武器を捨てて「平和」の側につくように説得するという内容です。教皇を古代ギリシアやローマの偉人になぞらえて「新たなアレクサンダー大王」「新たなアウグストゥス」として称賛し、幕を閉じます。
こうした小さなオペラのような様相を呈するカンタータを演奏する際、マラッツォーリは自らテノール歌手として歌い、ハープ奏者として特別に製作された大型のトリプル・ハープを弾いていたとされています。彼が使用していた楽器はローマの楽器博物館に所蔵されており、またマラッツォーリと同時期にローマで活躍した画家ジョヴァンニ・ランフランコによって絵画に描かれています。このCDのジャケットにはその絵画「ハープを弾くヴィーナス」が用いられています。
ボストン古楽音楽祭声楽&室内アンサンブル(管弦楽団)は、1980年にアメリカのボストンで始まった同音楽祭の楽団として長年アメリカとヨーロッパを中心に活動し、現在はポール・オデットとスティーヴン・スタッブスという撥弦楽器の大御所2人が音楽監督を務めています。特に気鋭の研究家たちと共同でバロック時代の知られざる劇音楽の復興に力を注ぎ、音楽史的に重要な作品を数多く復活上演するなど目覚ましい成果を上げています。充実した器楽合奏に古楽の分野で活躍する精鋭歌手たちが加わった当盤は、歴史に埋もれたマラッツォーリの再評価を促すこと必至の注目盤です。
ジャケット絵画:ジョヴァンニ・ランフランコ「ハープを弾くヴィーナス」ローマ、バルベリーニ宮殿古典絵画館(輸入元情報)
【収録情報】
Disc1
マラッツォーリ:
● カンタータ『ラ・ヴェンデンミア』
バッカス・・・マウロ・ボルジョーニ(バリトン)
カルロッタ・コロンボ(ソプラノ)
ダニエレ・ロイター=ハラー(ソプラノ)
アリッサ・マギー(ソプラノ)
アーロン・シーハン(テノール)
ジェイムズ・リース( テノール)
● カンタータ『ラ・ゼノビア』
語り・・・ダニエル・ロイター=ハラー(ソプラノ)
ラダミスト・・・ジェイムズ・リース(テノール)
ゼノビア・・・カルロッタ・コロンボ(ソプラノ)
アルメニア人1・・・アーロン・シーハン(テノール)
アルメニア人2・・・ジェシー・ブルムバーグ(バリトン)
アルメニア人3・・・マウロ・ボルジョーニ(バリトン)
Disc2
● カンタータ『イル・リポーゼ』
休息・・・ジェシー・ブルムバーグ(バリトン)
休息の信奉者・・・ジェイムズ・リース&アーロン・シーハン(テノール)
湖・・・マウロ・ボルジョーニ(バリトン)
ニンフ・・・カルロッタ・コロンボ&ダニエレ・ロイター=ハラー(ソプラノ)
● カンタータ『死すべき運命の人よ、暗い夜に生きる者たちよ』〜1660年のスペインとフランスの和平に
ダニエレ・ロイター=ハラー(ソプラノ)
カルロッタ・コロンボ(ソプラノ)
アリッサ・マギー(ソプラノ)
アーロン・シーハン(テノール)
ジェシー・ブルムバーグ(バリトン)
マウロ・ボルジョーニ(バリトン)
● カンタータ『戦争と平和』
戦争・・・ダニエレ・ロイター=ハラー(ソプラノ)
平和・・・カルロッタ・コロンボ(ソプラノ)
アリッサ・マギー(ソプラノ)
アーロン・シーハン(テノール)
ジェイムズ・リース( テノール)
マウロ・ボルジョーニ(バリトン)
ボストン古楽音楽祭声楽&室内アンサンブル
ポール・オデット&スティーヴン・スタッブス(音楽監督)
録音時期:2024年8月2-8日
録音場所:ブレーメン、ゼンデザール
録音方式:ステレオ(デジタル)