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TOP > My page > Review List of 宗仲 克己
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1 people agree with this review 2022/03/25
黄昏時の都会を歌った数多くの名曲を創作している吉田美奈子の初期の傑作アルバムである。1977年の発表から45年の歳月が流れたが、洗練された音楽センスは現在でもまったく色褪せていない。まさに「Oldies But Goodies」である。全9曲のアルバム全体が『 Twilight Zone 』の世界観で統一されており、格調が高い。詞・曲・編曲・歌唱・演奏のすべての要素が絶品である。吉田美奈子が弾くピアノが全曲を主導し、ふとドビュッシーを感じさせる瞬間もある。アントニオ・カルロス・ジョビンの “Casa” のピアノの譜面台には、ドビュッシーの楽譜が広げられていたという。吉田美奈子も含めて、新しい音楽を開拓してきた音楽家たちは、ジャンルが異なっても、その音楽性には共通する精神があると感じられる。 吉田美奈子の歌唱力と卓越した表現力は、すでにデビュー当時から聴き手を唸らせるものがあった。演奏は、本アルバムでは、村上秀一・大村憲司・松木恒秀・佐藤博など、錚々たるメンバーがバックを固めている。彼らが創った音楽は、今後も永く聴き継がれていくであろう。ホーンセクションを加えたアレンジもお洒落だ。共同してプロデュースをした吉田美奈子と山下達郎の力量が発揮されたアルバムである。 第1曲『 Twilight Zone “Overture” 』の冒頭のピアノの和音が響くと、『 Twilight Zone 』 の世界が一気に広がる。歌詞は「 Illumination 」の一語のみ。小曲であるが、Piano・Guitar・Harp・Flute・Strings が、思慮深い音楽を紡ぐ。その内省的な雰囲気は第2曲『 恋 LOVE 』に引き継がれ、以降、タイトルチューンである終曲『 Twilight Zone 』まで、名曲が並ぶ。 私の思い入れが特に強い楽曲は、第8曲『 さよなら SAY JUST GOOD-BY 』 だ。吉田美奈子の Vocal は高域まで美しく伸びやかである。彼女の表現力は驚嘆に値する。大村憲司の Electric Guitar Solo は優しく語りかけるようだ。向井滋春の絶妙な Trombone Solo は情趣に富んでいる。夕闇に包まれた都会の喧噪に、別離を受けとめる切ない情感が静かに沈んでいく。音楽のすべてが心に深く沁み入る、スローバラードの傑作である。 第5曲『 恋は流星 Shooting Star Of Love 』は、アルバムを代表する人気曲だ。黄昏時の美しい光たちを描いた詞は全編が秀逸である。「とても素敵」「いつも好き」の冒頭の Vocal だけの歌い出しも粋である。フルコーラスに続く後奏は2分間を超え、岡崎広志の Alto Sax Solo、向井滋春の Trombone Solo、中沢健次の Trumpet Solo が冴えわたっている。ジャズ的なアプローチを具体化した音楽は素敵である。 『 恋は流星 』は、人気曲ゆえに、カヴァーヴァージョンも多い。その中でも私の一番のお勧めは米光美保だ。1995年発表のアルバム『 FOREVER 』に収録されている(現在は廃盤のため入手が難しいのが残念)。こちらは軽快な『 恋は流星 』に仕上がっている。米光美保は、ソロデビューの前はガールズ・グループ「TPD」のメンバーだったが、彼女の歌唱力は本格的である。アレンジ面では、古き良き1970年代のサウンドから、「打ち込み」が全盛となった1990年代へのポピュラー音楽の進展が興味深い。その一方で、後奏では Sax Solo・Trombone Solo・Trumpet Solo の華麗な演奏が、吉田美奈子のオリジナルヴァージョンの構成をそのまま引き継いでいる。編曲とプロデュースをした角松敏生の、吉田美奈子と山下達郎へ対するリスペクトが表れていて感動的である。 『 Twilight Zone 』は、私の最も好きなアルバムのひとつである。今回のSACDハイブリッド盤は、私にとっては LP・CD に続いて3回目の購入となった。特別な名盤は、何度でも購入する価値がある。音質面は、アナログのマスターテープが音源であるため、ヒスノイズがわずかに認められるのは仕方がない。しかし、SACD 化によって、もともとの録音の優秀さを改めて確認することができた。私の再生装置でも、倍音成分まで丁寧に再現され、豊かな臨場感で聴くことができる。
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2 people agree with this review 2022/01/01
マーラーの交響曲第9番の録音史を振り返ると、現在までに最も多く録音しているオーケストラはベルリン・フィルで、その回数は11回である。続いて、ウィ−ン・フィル、ウィーン響、フィルハーモニア管(ニュー・フィルハーモニア)、バイエルン放送響がそれぞれ8回、ニューヨーク・フィルが6回、ロンドン響、南西ドイツ放送響、チェコ・フィル、イスラエル・フィルがそれぞれ5回、コンセルトヘボウとスウェーデン放送響がそれぞれ4回で続いている。シカゴ交響楽団は意外に少なく、ジュリーニ、ショルティ、ブーレーズの3回のみであるが、いずれもオーケストラの実力を遺憾なく発揮した超弩級の名演奏である。日本のオーケストラでは、都響、新日本フィル、大阪フィルがそれぞれ3回で並んでいる。 マーラーの交響曲第9番をベルリン・フィルと録音した指揮者は、バルビローリ、バーンスタイン、カラヤン(4回・非正規盤を含む)、シャイー、アバド(3回) 、ラトルである。ベルリン・フィルによる交響曲第9番の録音は、いずれも話題性に富んでいる。その中でも私が一番に推したいのはラトル盤である。2007年10月24日から27日にかけてのライヴ録音だが、本HMVのサイトでもレビュアー諸氏が賞賛しているとおり、瑕疵のない、まさに完璧な演奏である。ヴァイオリンを両翼に配置して臨んだベルリン・フィルとラトルの集中力が伝わってくる。演奏時間はすべての楽章で中庸であるが、ラトルらしいテンポの緩急のメリハリもある。ラトルとベルリン・フィルの演奏の音楽性は、凡庸さとは無縁である。 第1楽章の呈示部の終局の102小節以降は、総譜にAllegro と指示されているとおり、激しくテンポを速める。私個人としては、Allegro という指示にもかかわらず、あえてテンポを上げない演奏を好むが、ラトルのこの表現は正統であろう。ラトルとベルリン・フィルの凄さは、全編にわたって隙のない緻密な演奏を繰り広げながら、要所要所でマーラーの意図をきわめて的確に表現しているところである。例えば、第1楽章の148小節以降のヴァイオリン(p(p) aber ausdrucksvoll)、163小節以降(Allmahlich fliessender) 、267〜270小節のヴァイオリン(sehr zart, aber ausdrucksvoll hervortretend) 、347小節(molto espress.) 434小節以降(Wieder a tempo aber viel langsamer als zu Anfang 〜 Zogernd)、第3楽章の347小節以降のエピソード、第4楽章の冒頭の2小節(Sehr langsam und noch zuruckhaltend)、56小節(lang gezogen)、122小節のヴァイオリン(viel Bogen)、185小節(ersterbend)などをあげることができる。 (以上、表示の制約のため、Umlaut を省略。) 交響曲第9番は、マーラーが完成した最後の交響曲となった。マーラーが創作力の絶頂期を迎えつつある時に、極度の集中力をもって作曲した最高傑作である。この作品を貫く孤高の精神、圧倒的な強靭さと品格の高さを、ラトルとベルリン・フィルは、知性と感情のバランスをとって、深い共感をもって表現している。録音もディスクの音質も優秀である(SACD)。交響曲第9番を初めて聴く方にも、ある程度聴いている方にも、まちがいなくお勧めできる名盤である。 私が交響曲第9番の録音について本HMVのサイトでレビューさせていただくのは、ジュリーニ/シカゴ交響楽団、マゼール/フィルハーモニア管弦楽団に次いで、このラトル/ベルリン・フィルが3回目である。これらが私が選ぶベスト3だ。マーラーの交響曲第9番は傑作であるだけに、優れた演奏が非常に多い。私のライブラリーは、交響曲第9番だけですでに140種類を超えている。あれこれ引っ張り出しては、じっくり鑑賞するのが私の楽しみのひとつである。
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2 people agree with this review 2021/11/04
クック版の交響曲第10番といえばウィン・モリスといわれた時代が長かった。LPレコードのジャケットに描かれたローマ数字の巨大な]が、未知の妖しい世界へと誘うように、異彩を放っていた。1972年10月のセッションは、デリック・クックによる「第10交響曲の構想による実用版」第3稿第1版(CookeU)の初の録音である。2007年10月のハーディング指揮・ウィーンフィルハーモニーによる第3稿第2版(CookeV)の決定的な名盤を聴き込んだ現在は、版が異なるとはいえ、このモリス盤が意外と力強く派手な面も見せる演奏であることに改めて気づく。 モリスは、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを対向に配置している。1965年11月のオーマンディ指揮・フィラデルフィア管弦楽団の録音は、通常の配置だったので、ヴァイオリンの対向配置を採用したのはモリスのこの録音が初めてだったと思われる。(ゴルトシュミットが第1稿と第2稿を初演した録音はどちらもモノラルであるため、各楽器の配置を確認できない。)交響曲第10番において、ヴァイオリンの対向配置は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの旋律の対話を際だたせ、特に最終第5楽章の第3部(アダージョ)において感動的である。 モリスの演奏のいちばんの特徴はテンポの設定である。全曲を通した演奏時間は83分50秒で、現在でもクック版の最長演奏時間である。特に第1楽章の演奏時間は27分51秒で、クック版においては最長演奏時間である。Andanteと指定された冒頭の15小節のヴィオラのモノローグは速めであるが、第16小節のAdagioの指定以降は適切にテンポを落とす。(ちなみに、ウニフェルザール版の『アダージョ』単体の演奏では、1987年4月のシノーポリ指揮・フィルハーモニア管弦楽団の録音が32分40秒で最長演奏時間である。これは聴き手を戦慄させる驚愕すべき名演奏である。)第4楽章の演奏時間は13分17秒であり、これもクック版の最長演奏時間である。第5楽章は、第3部が始まる第299小節(13:57)以降は、コーダにかけて、ぐんぐんテンポを落としていく。モリスの指揮は、テンポの設定だけでなく、音響表現でも独特な面を見せる。第342小節(18:04)からの4小節においては、第2ヴァイオリンとヴィオラのパートを際立たせている。これはモリス独自の解釈ともいえるが、とても素敵である。他の演奏に慣れ親しんでいる方が、このモリス盤を聴くと、この部分でも新鮮な印象を受けるのではないかと思う。第353小節(19:24) Immer Adagio(nicht eilen!)の盛り上がり以降、コーダにかけて、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを軸に、低弦群・木管群・ハープ、そして4本のホルンの暖かい音色に包まれて、マーラーの“最後の音楽の遺言”となった最高に美しい楽節がきわめて丁寧に演奏される。クック版の交響曲第10番に対する、モリスの深い愛情があふれた感動的な演奏である。第3稿第1版(CookeU) の数ある名演奏のなかでも、このモリス盤は交響曲第10番全曲版の演奏史を飾る名盤としてあげるにふさわしい。
2 people agree with this review 2021/01/01
マゼールは、すごい『第九』を遺してくれた。2011年10月1日のロイヤル・フェスティヴァル・ホールにおけるライヴ録音は、極端にテンポが遅い演奏である。マゼールの指揮に応えて、フィルハーモニア管弦楽団はプロフェッショナルの矜恃を存分に発揮している。特に第1楽章は、限界ともいえる遅いテンポでありながら、音楽的な緊張感がみなぎる見事な演奏である。総譜の冒頭には Andantecomodo の指定がある。しかし、第1楽章は、その内容のシリアスさゆえに、「気楽に(Comodo)」始められる音楽ではない。 現在までにリリースされている『第九』のレコードは、すでに200種類を超えている。全レコードの第1楽章の演奏時間の平均値は27分41秒で、標準偏差σは2分15秒である。(未聴盤があるため若干の誤差はご容赦を)第1楽章の遅いテンポの演奏は、ブーレーズ指揮・BBC交響楽団の1971年の録音(32分16秒)や、シノーポリ指揮・ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の1997年の録音(32分57秒)が有名である。(ちなみに最も速いテンポの演奏は、シェルヘン指揮・ウィーン交響楽団の年の録音(21分06秒)である。)2011年のマゼール・フィルハーモニア管弦楽団の演奏時間は35分38秒であり、平均値から3σを越える遅さである。第1楽章冒頭の第107小節までの呈示部については、全レコードの演奏時間の平均値は6分31秒で、標準偏差σは42秒である。 マゼールは、呈示部の演奏に9分20秒をかけており、平均値から4σを越える、驚くべき遅さである。特に第46小節 (04:15) のリタルダンドがかかったフォルティシモの盛り上がりは圧倒的だ。以降、第79小節までの主要主題の展開部も、たっぷりと3分13秒をかけて演奏している。遅いテンポでありながら弛緩することなく、オーケストラの各パートは美しい音色で正確なアンサンブルを奏でている。その雄大さは感動的である。 マーラーの『第九』は、二十世紀初頭に、伝統的な調性の崩壊を予感させた。作曲されてから100年が過ぎた現代に生きる私たちの心に、『第九』はますます切実に響いている。現代における『第九』の意味を、マゼールはこの演奏で示してくれたと、私は感じている。マゼールにとって最後になってしまった『第九』は、彼の多くの遺産の中でも、最も重要なひとつとなった。第7番・第8番も、秀演である。聴いていて、とても心地がよい。 マゼールは、私が好きな指揮者の一人である。(山下達郎氏も「Sun-Son」で、好きな指揮者としてマゼールとチェリビダッケをあげていた。)だが、私がマゼールの実演を聴いたのは、残念ながら一度のみ、1978年7月にフランス国立放送管弦楽団を率いて来日した時であった。曲目はベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』全曲。遥か昔の夏の夜の思い出である。
5 people agree with this review 2020/10/21
沈みゆく陽の光を受けて「きらめく波」を、聴いた・・・。1975年にピエール・ブーレーズとBBC交響楽団の来日記念最新録音として発売された国内盤LPレコードは、作曲家の林光氏がライナーノートを執筆していた。第1部冒頭の壮大な管弦楽序奏についての林光氏の解説が秀逸である。「木管金管群あわせて50人、四つのハープ、鍵盤・打楽器のたぐい、細かくわけられた弦楽器群、これらが総がかりで、それぞれのパートが沈みゆく太陽の光を受けてきらめく波頭のひとつひとつを受け持ち、だがぼくたちは、そのひとつひとつをでなく、総体としての「きらめく波」を聴く。40段のスコアいっぱいに鳴り響いている「きらめき」のそれぞれを、くっきり浮き出させるというのは、だれにでもできることではないだろう。ブーレーズは、やはりそれをやっている。ブーレーズの演奏のちからが、それを可能にしたのだと思う。」そして、林光氏は「ブーレーズのやりかたは、正解にちかいのではないだろうか。」としめくくっている。 当時高校生であった私は、このレコードで初めて『グレの歌』を聴いた。まず、美しい旋律の数々、創意あふれるオーケストレーションとその音たちの魅力に惹きつけられた。そして、「劫罰」と「救済」という劇的な内容を、青春の記念碑といえる壮大な音楽作品に仕上げたシェーンベルクの天才に、今もなお魅了され続けている。そして、現在まで45年間、愛聴盤として繰り返して聴いている。『グレの歌』は、現時点で20種類に迫るレコードが世に出ている。ケーゲル盤・シノーポリ盤・ラトル盤・ギーレン盤など優秀な演奏が多い。だが、私はやはりベスト盤としてこのブーレーズ盤を推す。その理由として、ブーレーズとBBC交響楽団の演奏の完璧さをあげることができる。独唱者と語り手の6人がみな理想的だ。ブーレーズと演奏者たち全員が『グレの歌』を完全にわがものにしている。それもそのはず、ブーレーズとBBC交響楽団と各ソリストは、1973年と1974年のBBCプロムナード・コンサートで、二年続けて『グレの歌』を演奏している。そして、1974年の10月から12月にかけて、入念なセッションを組んでレコーディングが行われた。 ブーレーズは、第1部から第3部まで一貫してやや遅めのテンポを設定している。第1部冒頭の管弦楽序奏の演奏時間は7分16秒である。現在までにリリースされている全レコードの演奏時間の平均は6分54秒であり、標準偏差は28秒である。(ただし、林光氏がブーレーズ盤と比較検討されていたフェレンチク盤は、私は未聴である。)沈みゆく陽の光を受けてきらめく波と、黄昏が訪れて海と陸が蒼暗くなっていく情景の静寂さを描写する管弦楽序奏は、遅めのテンポ設定が必然的である。ヴァルデマルは、『グレの歌』の主役であり、第1部から第3部にわたって全部で8曲を歌う。歌手にとって非常に負担の重い役どころだ。テノールのジェス・トーマスは、張りのある声で力強く、ドラマティックな歌唱がみごとである。トーヴェは、『グレの歌』のもう一人の主役であり、第1部で全4曲を歌う。ソプラノのマリタ・ネイピアーは、美声であり、可憐なトーヴェ役にふさわしい。彼女のドイツ語の発音は正確なため、安心して聴ける。ちなみに、他の盤のトーヴェ役は、英語なまりで適当に発音する歌手が多く、興ざめてしまうことがある。トーヴェの歌の最後の “Denn wir gehn zu Grab wie ein Lacheln , ersterbend im seligen Kuss ! ” (表示の制約のため、Umlautを省略。以下同様。)の絶唱は感動的だ。「森鳩の歌」は、第1部を締める重要なパートである。森鳩役のイヴォンヌ・ミントンの歌唱が、『グレ』の悲劇にふさわしい重さを与えている。ミントンは、ブーレーズの信頼が厚く、私も大好きな歌手である。1977年録音のブーレーズとの『月に憑かれたピエロ』でも、すばらしいシュプレヒ・シュティンメを披露していた。第3部の農夫役のジークムント・ニムルスゲンは、出番は少ないが、亡霊となったデマルと臣下たちの夜行(やぎょう)の恐ろしさを歌う。道化役クラウスのパートは227小節にもおよぶ。斬新な音型とリズムを伴って、『グレの歌』という巨大な音楽に輝く個性を与え、作品の構成をひときわ魅力的にしている。クラウスは、亡霊となってヴァルデマルの狩りに随行しなければならない身の上を嘆く。難しい役どころであるが、テノールのケネス・ボウネンの歌唱がすばらしい。「夏風の荒々しい狩」の管弦楽序奏は、ピッコロ(および特殊楽器?)による非常に高いh2音とh3音が断続的に響く。少し不気味で神秘的な雰囲気が、「語り」の始まりを待つ私をわくわくさせてくれる。植物学者でもあった詩人イエンス・ペーター・ヤコブセンの詩による「語り」は132小節にもおよぶ。“ Herr Gansefuss, Frau Gansekraut, nun duckt euch nur geschwind, ” という始まり方が魅力的だ。夏の嵐の激しさの中に、蚊の群れ、葦、ブナの葉、蛍、霧、麦畑、蜘蛛、蝶、蛙などが描かれる。中盤の “ Still, Was mag der Wind nur wollen ? ” 以降は、死してなおヴァルデマルを愛し続けるトーヴェの愛による救済が暗示される。ヴァイオリンの音色が、まるで夢を見ているように心地よい。終盤の “ Ach, war das licht und hell ! ” 以降は、死が支配する長かった夜の世界が終わりを告げて、生あるものたちすべてが輝かしい朝の太陽の光を希求する。管弦楽と「語り」は躍動し、最後の一節 “ und spaht nach der Sonne aus. Erwacht, erwacht, ihr Blumen, zur Wonne ! ” を、ギュンター・ライヒは朗々と歌いあげる。終曲「太陽を見よ」の混声合唱へなだれ込む演出効果は絶大であり、圧巻と言うほかない。艶があり落ち着いたシュプレヒ・シュティンメが、壮大な音楽作品を格調高く仕上げている。ライヒを「語り」に起用したことが、このレコードの大成功を決定づけている。 1975年のブーレーズとBBC交響楽団の来日時、私は5月24日のNHKホールにおける演奏会を聴いた。曲目は、ブーレーズ自作の『リチュエル〜ブルーノ・マデルナの追憶のために』、ドビュッシーの『遊戯』、ストラヴィンスキーの『火の鳥』(1910年原典版全曲)であった。現代音楽の世界初演と現代音楽の古典的作品2曲という刺激的なプログラムは、私にとって生涯忘れられない音楽体験となった。『火の鳥』は、ブーレーズが来日する4か月前にレコーディングが済んでいたニューヨーク・フィルとの演奏とも少し味付けが異なり、ライヴならではの熱い演奏であった。以来、私はブーレーズの新録音をすべて聴きこんできた。とくに、BBC交響楽団とのコンビによるレコードでは、ベルリオーズ、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン、バルトーク、ベリオなどの作品に親しんでいる。優れた楽曲を優れた演奏で提供してくれたブーレーズとBBC交響楽団に、私は心から感謝をしている。 ブーレーズの『グレの歌』もついにSACD化された。全集・選集・海外盤などいろいろあるが、親しい人へのプレゼントも含めると、本SACDは、国内初出LP盤から数えて8回目の購入である。最近、久しぶりにLPレコードに針を落としてみた。もともとの録音がたいへん優秀であることが確認できる。たとえば、第1部の管弦楽序奏においては、林光氏の指摘のとおり、各パートが鮮明に分離して聴こえている。総じて管弦楽の各パートの分離がよく、バランスもよい。非常に優秀な録音である。ただ、終曲の混声合唱の各声部の分離にはやや不満が残る。20bitマスタリングされたCDによって、以前から音質にはとくに不満を感じていなかったが、 SACDの方式上のアドヴァンテージを確かに感じることができる。より自然な音質で、音楽そのものに浸りきることができる。初出LP盤のジャケットデザインが復刻されている点も嬉しい。
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