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1 people agree with this review 2012/05/27
20年の盤歴でコルトーに心底惹かれはじめたのは遅くなってからでした。戦前のEMI盤もほとんど聴いたのですが、私が偏愛するディスクは3つ、すべて戦後の録音です。すなわち当ディスク、RCAから発売された1951年来日時の録音2枚組、そしてソニーからペライア監修で発売された「コルトーのマスタークラス」と題された3枚組です。対訳つきのこの最後のものは、少人数の生徒の前でちょっと弾いてみながら、思いを断片的に口走る様子が記録されています。部分演奏ながらシューマンでは正規録音のない「幻想曲」と「ソナタ第2番」が収録されており、音の渋い色香に酔う思いがしました。これを聴くとはじめてコルトーが「分かった」思いがして、ほかの録音に込められたものにも近づける思いがしました。現在では入手困難かもしれませんがこれを聴いて、またこのディスクも聴かれてみてください。音楽という営みが、「鳴っている音」と「鳴っていない音」との間にかろうじて詩を咲かせる尊い科学、夢と現実の間にかろうじて橋を架ける孤独な建築、人の生き方にまで関わる厳粛な遊戯であることが理解されます。「真実な音」の持ち主としてフランソワ、ゼルキンと並びコルトーは今や私の中で大事な存在です。
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4 people agree with this review 2012/05/26
1990年代初頭国内盤で出ていた頃(それにはほれぼれするような解説書と対訳がついていました)よく聴き込みました。同時期に出たベームの日生劇場ライヴとの優劣を友人と熱く論じ合ったのも今は昔。その後クレンペラーのコヴェントガーデンでのライヴがテスタメントから出て、信頼しているある評論家が誌上でそちらを絶賛し、このEMI盤をおとしめていたのをきっかけにあまり聴かずにいました(残念ながら?評論家の影響は悔しいほど大きいときがあります。常々信頼しているならなおさら)。確かにそちらも素晴らしいのですが、ホッターが悪役ピツァロというのがどうもなじめなかったばかりか、全体に何かもの足りない思いが強まって、録音から50年ということもありあらためてこのEMI盤を聴き直し、やはりこれが自分にとっての「フィデリオ」だと感じました。ヘッドホンで聴かれることをおすすめします。両翼から鳴るヴァイオリン群、金管と同等に鳴るオーボエをはじめとする木管群、「旋律楽器だ」との自負を持っていたと伝えられる奏者によるティンパニというクレンペラー時代ならではのこのオーケストラの凄さ。「神様の指揮で演奏できてお給料まであるなんて」というある団員の言葉や、「あの、チャックが」「それとベートーヴェンとどんな関係があるのかね」などといった尊敬と緊張とユーモアに満ちたエピソードが思い出されます。独唱・合唱も含めてどこかが突出したりということがなく、逆にいえば誰も引き下がらない、それもこれもこの不滅の音楽の最高の再現を目指して、といった感がひしひし伝わってきます。気のない演奏ではまるで味気ないこの歌劇が、徹底的にすべてを鳴らした上でその先へいこうという全員の意志で熱く、深く響いてきます。しかも幕切れまで勢いで何かやったという感じがなく、すべては頂を目指す登頂のように計画的に危険と対決しているといった感があります。第1幕だけで76分。聴き手にも「荘厳ミサ」の時以上の覚悟が要ります。しかし聞き流すだけでは何も入ってこない音楽というのは確かにあります。「フィデリオ」がもし頂から何かを見るためには登りきらなければならない山岳だとしたら、この演奏は、上や下からあおりたてたりせず、一歩一歩その危険な登頂を共にしてくれる心強い導き手だと思っています。
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3 people agree with this review 2012/05/21
7年ほど前購入、繰り返し聴いています。まず収録曲ですが1849年以降の二重奏曲が知る限りオリジナル曲はすべて、ヴァイオリンとフォルテピアノで弾かれています。DISC1が幻想小曲集Op.73、アダージョとアレグロOp.70、民謡風5つの小品、3つのロマンツェOp.94、おとぎの形象Op.113。DISC2がヴァイオリン・ソナタ全3曲。DISC3が「FAE」ソナタ全曲、幻想曲Op.131、バッハのシャコンヌとパガニーニのカプリース第10番の編曲、クララ作曲3つのロマンツェOp.22、F.ダヴィッドとヨアヒム各作曲のロマンツェ。またフォルテピアノはディスクごとに使い分けられており、DISC1が1821年頃のウィーンのコンラート・グラーフ、DISC2が1839年パリのエラール、DISC3が1850年デュッセルドルフのクレムスということで次第にモダンの響きに近づきます。DISC1収録曲などはやはり管楽器、あるいは低弦の音色の方がふさわしいと思えるものもありますが、楽器の選択に幅をもたせた作曲者の指定からは楽器を越えた詩的想念の追求といった側面がうかがえますし、あえてヴァイオリン(すべて1847年Turin製)の響きにこだわったふたりの奏者とともにシューマン晩年の荒涼たる風景に踏み込む思いがします。どの曲でもテンポを抑えてひとつひとつの音を確かめるように弾いていくのが印象的で、流れるような心地よさより、あくまでも「すべて鳴らし、すべて踏破する」といった意志が貫徹・追究されているようです。どこでどう両者が重なり、どうきしみ、濁り、また澄んでいくのか、当時の楽器を誠実に鳴らしながらふたりがたどっていく道程はまさに第一級のドキュメントといえます。コッホ氏を中心とするこのレーベルの後期シューマンへの取り組みはいずれもその誠実さからとても信頼できると思っています。
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1 people agree with this review 2012/05/16
イッサーリスにはこの録音の10年ほど前にエッシェンバッハの伴奏でいれた曲もありますが、「夕べの歌」と3つのロマンス作品94は初録音と思われます。再録音の曲でもしんしんと懐がいっそう深まった歌が聴かれ、それ以上進むともう戻ってこれないぎりぎりのところで歌っている感じがより強まっています。そしてヴァーリョンというピアニスト。エッシェンバッハの先の読めないひそやかな息遣いも素晴らしいものですが、ヴァーリョンの明晰で揺るぎのない意志的なピアノは、感情の揺らぎに正直に燃え立つイッサーリスと一見反対方向を向きながら存分に飛翔させている感があります。結果、同じ方向を向かないコンビだけに表現可能な、不安で豊穣な領域が広がります。ちなみにヴィトマンとヴァーリョンによるヴァイオリン・ソナタ全3曲(ECM)も素晴らしいものでした。なおこのディスクにはそのソナタ第3番のチェロ版という希少で果敢な録音も入っていますが、これはシューマンが晩年校正まで済ませながらクララによって破棄されたと伝えられる同時期の「チェロとピアノのための5つのロマンス」に対する、イッサーリスの痛恨と憧憬の念ゆえのことではないかと推察します。その思いを共有する私としてはこの果敢な(無謀な?)挑戦に敬意を抱きます。このディスクは、単にチェロや室内楽が好きな人々に捧げられているというより、「シューマン」に迷い、その目指した先へ思いをめぐらす人間に寄り添い、行く末永くその静かだが手厚い喜びとなってくれるのではないでしょうか。
5 people agree with this review 2012/05/14
レビューの「ぼん」さんの貴重な情報により、20年以上も前に出た海外盤3枚を購入した者です。内訳は第1巻が7曲(「神々の黄昏」から2曲、「タンホイザー」から3曲、「トリスタンとイゾルデ」から2曲)、第2巻が8曲(「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から2曲、「ローエングリン」から2曲、「ジークフリート」から1曲、「さまよえるオランダ人」序曲、ジークフリート牧歌、ワルキューレの騎行)、第3巻が8曲(ファウスト序曲、「ラインの黄金」より1曲、「パルシファル」より5曲、「リエンツィ」序曲)です。いずれも両翼配置のヴァイオリンが左右のスピーカーから豊かに鳴り、豊麗で骨太、緻密ながら豪快でストレートです。是非全曲聴かれることをお奨めします。同時に評論家、レコード会社各位の皆様にはどうかエイドリアン卿への冒涜的な対応をあらためられ、その実質にふさわしい紹介をお願い致したく、あえてこの場をお借りした次第です。ボールト=惑星といった安易なレッテルで、ひとつの巨大な文化といえるボールトの芸術から人々を遠ざけておくのはもう終わりにして頂きたいと強く願います。
5 people agree with this review
1 people agree with this review 2012/05/13
13年ほど前この弦楽四重奏団のベートーヴェン全集を聴いて素晴らしいと思いました。今なお比類がないと思うのは、その弦の「発声」の仕方です。うまくないたとえでしかいえませんが、ここでは活字で「書き言葉」が並べられていくのでなく、肺からきた風がのどを通って舌の上で意味をもたされ、外界に押し出されてきた肉声として、弦の音があるという感じです。4者がそうやって肉声でぶつかっていくので、しばしばきしむのですが、冷たい書き言葉ばかりに触れていた中でこれを聴くと、春先の川辺で夜が白むまで心底仲間と語り合ったというような、ありもしない記憶がまるで実感のように思えてきます。緊迫しているのにどこかゆるく、無頼だが真剣、笑いも怒りもストレート。こういう響きで聴く、スメタナ、チャイコフスキー、ヴェルディ、ブルックナーは身震いするほど真実の苦い味がします。今の世のどこを探してもおそらくない味ではないでしょうか。
3 people agree with this review 2012/05/13
この曲を18歳のとき以来マズア、クレンペラー(当録音)、カラヤン(60年代)、ベーム(2種)、トスカニーニ、バーンスタイン、クーベリック、リヒター、シューリヒト、ワルター、アーノンクール、ジンマン、クラウス、そして最近のエッシェンバッハと聴いてきました。20歳のとき初めて聴いた当録音は、この曲を聴く上で私が求める重要な2点を兼ね備えていることで、いまなお最も信頼している録音です。まず第1に両翼配置のヴァイオリン群が同等に左右のスピーカーから聴こえること。この曲に限らずこれぐらいはっきり右から第2ヴァイオリンが聴こえないとこの配置で演奏する意味が薄れます。そして第2に、第4章のサンクトゥスで、冒頭の静謐さを破るのが合唱ではなく、ソプラノ独唱であることです。これが本来の作曲者の指定のはずですが、演奏効果からでしょうか、しばしば合唱で聞かされます。この指定を守っているのは私の記憶では他にシューリヒトとワルターぐらいですがこの両者では両翼配置のヴァイオリンを聴き取ることができません。とはいえ、このクレンペラー盤をもってしても最初からこの曲が「分かった」わけではありません。むしろ今なお不可解で、未踏な極地を感じさせます。そして実はそれゆえにこそいろいろな演奏で登頂を試みもしましたし、しばしば当盤に帰ってもくるわけです。ちなみにその際よくアドルノの「ベートーヴェンの晩年様式」という「詩」(一般には評論とされていますが私にはこれは詩としてしか理解できません。三光長治訳)を「地図」にします。「廃墟と、それを照らし出す光」という言葉を導きの糸としなければ、巌のはざまで遭難してしまうに違いない、これは恐ろしい音楽です。が、ここからしか見えない景色がたえず予感され、挑む心をかきたてます。なお、たとえCD1枚に収まる演奏でも、第3章クレドまでで一旦耳を休ませることをお奨めします。ヘッドホンで本気で向き合うなら、集中力、感受能力、体力的にあの「クレド」に続けてすぐ続きを聴くのは危険で無謀と思われます。
2 people agree with this review 2012/02/20
ディスク3の「若き日の歌」以降はノーマンの歌唱をアン・シャインがピアノ伴奏しています。歌詞はありませんがたいへん貴重な録音ではないでしょうか。いずれも短い曲ながら「初期の7つの歌」以外にこんなにまとまって歌曲が聴けるとは。そして何よりブーレーズのベルクにまだ出合っていなかった者にとって、こうしてまとめられたのは幸いでした。ウェーベルンは歌曲が多いため対訳のほか詳細な解説のある古い国内盤を無理して求めざるを得ませんでしたが、ベルクはこのセットにしました。とりわけ最も古い(1966年)「ヴォツェック」の暗い生々しい、しかし澄んだ響きは、いくつかのドイツのオケの演奏よりはるかに作品世界のイメージにふさわしく感じられました。蛇足ながら「ヴォツェック」が意味不明に思われたら河出書房新社刊のビューヒナー全集所収の原作「ヴォイツェック」に触れてみてください。いかにベルクがその文字通り断片化してしまった世界を生々しく音に移し変えたか、そしてベルクにも音にできなかった部分にいかに胸を締め付ける物語が、どうしようもない断片として苦い光を放っているかが理解されます。
2 people agree with this review
0 people agree with this review 2012/02/19
両曲ともオーケストラはヴァイオリン群を両翼に配した美しい響きです。シューマンの交響曲は初稿ですが、シューマン没後、改訂稿を支持するクララと対立してまでブラームスが出版に尽力したものとのことです。個人的には両方いいとしかいいようがありませんが、初稿の「着せ過ぎない」透明な響きを、このような共感に満ちた演奏で、しかも両翼配置で聴ける喜びは大書したい気持ちです。一方ブラームスの協奏曲では独奏者オリジナルのカデンテツァも長すぎず短すぎず違和感ありません。何より惰性でない「意欲」を感じます。当曲、ドホナーニとの共演盤よりはるかに引き締まって美しいと思いました。全体に室内楽的な透明感に現代楽器の力感をかけあわせた感があります。なにより全員が一丸となって自分たちの敬愛する曲に「今」を捧げている清冽さがたいへん沁みました。
0 people agree with this review
0 people agree with this review 2011/11/16
編曲ものはあまり聴かないのですがこれは何度聴いても素晴らしいです。続篇も期待します。天にも地にも居場所がない屈折感というか、そのどちらにも届く至福感というか、ヴィオラとピアノの薄明の対話に「ロシア」という響きが篤く静かに脈打っています。グリンカからショスタコーヴィチまで一見無作為に並んでいますが、どの瞬間も暗く美しく、時間の存在しない白夜を独り行く思いがします。
1 people agree with this review 2011/10/25
20年ほど前私にシューマンへの道を開いてくれた、今なお大事に聴く一枚です。これに匹敵するのはユボーらのエラート盤だけと思っています。グールドとジュリアードの3人とはこの唯一の共演で決裂してしまったとのことですが、ここに不和や反目の痕跡は全く感じられません。それどころかこれほど息の合った演奏はないと信じさせるほどです。よく聴くと極上の音色で懸命に「線」を描こうとする弦と、やはり極上の音色で「点」として音を配置しようとするピアノがきわどい緊迫感を生んでいて、結果そのことが陶酔と覚醒とが共存するシューマン的抒情の理想的な再現につながっているようです。この両者にはたとえ共演は困難でも、それぞれがもっとシューマンを録音して欲しかったと思わざるをえません。なお併録のブラームスは音の状態がやや劣りますがやはり貴重です。緩徐なはずの第2楽章より第3楽章の方が演奏時間が長いというクレンペラー的状況。私もグールドは独奏より室内楽、歌曲、協奏曲の表現でより多く魅力を感じます。
18 people agree with this review 2011/10/24
20年あまりクラシックを聴いてきて、いまだに真実と思えるピアノの音はこのフランソワとR・ゼルキンのものです。すでに多くの優れたレビューがあるなか、あえてお伝えしたく思いました。これは私の「一生もの」セットです。受動的に何か享受したいという気持ちだけで聴くと、これほど失望の多いピアノもまれかもしれません。「真実」の多くがそうであるように。しかし主体的に人生にぶつかっていくとき、そして何か途方もないものを失ってしまったとき、身体の底からあの切羽つまった「フランソワの音」が湧いてきて、私を生きさせてくれます。廃墟の光景が心を揺さぶるようにです。このセットには今まで入手できなかったミュンシュとのシューマン、そしてリストのリサイタルが含まれています。独りで、そして出来る限り音量をあげて聴いてみて下さい。小節線では割り切れない、音楽のうねりがあります。音符に血が通わせられているとはどういうことかが明らかです。ピアニストとしてはかなり小さいといわれたフランソワの「手」ですが、それゆえに余裕のない、天地につかみかかるような無謀な「賭け」というか「翔け」を感じさせます。ちなみにフランソワの評伝が邦訳で読めますので、このセットと合わせてどうぞ。さらにいえばフランソワにはランボー(宇佐美斉訳)がよく似合います。焼けただれながら、「いや、こんな音ではない、こんな言葉ではない」といらだち、澄み渡った荒涼を目指さざるを得なかった精神のありようが、シューマン、ランボー、フランソワの密かな水脈と思われます。
18 people agree with this review
6 people agree with this review 2011/10/24
このヴァイオリニストのことをながく誤解してきたようです。世評の影響もあるのでしょうか、「線が細い」とかやわとか。しかしアーノンクールとのベートーヴェンを聴いて、本物だと感じ、思い切って購入したこのセットを1年間聴いてきました。今は私の「宝の箱」のひとつです。特に室内楽の録音。独りで、静かに内側に直接響かせてみてください。シゲティ、メニューイン、シェリングといった人たちが聴かせてくれた「切迫感」が、ここにもあることが感じ取られると思います。のびやかなヴァイオリンの「歌」を望まれるなら他にも多くの選択肢があるでしょうが、呼吸の短さというのか、心拍(パルス)のはやさというのか、「息をしている」ヴァイオリンは稀有ではないでしょうか。「やわ」でなく、金属質でもない、極北を生きる人の肺から生まれる歌のような質感。
6 people agree with this review
3 people agree with this review 2011/10/24
続編(第2番)を待ち焦がれながらいまだかなわずです。この演奏は是非ヘッドフォンで聴いてみて下さい。第2ヴァイオリンが右から聴こえてきます。そのために曲の構造が目で見えるように聴こえてきます。オーケストラと同様、弦楽四重奏の録音においても、両ヴァイオリンの対向配置がもっともっと広まることを祈念しています(他に知る限りではクイケン四重奏団のシューマン録音のみ)。この演奏は、シューマン特有のひりひりする抒情を「音」そのもので実現した稀有な表現と感じています。
5 people agree with this review 2011/10/17
クリュイタンス、ガーディナーも素晴らしかったですがこの演奏が今は最も沁みてきます。右ヘッドフォンから聴こえてくる第2ヴァイオリン、すべてが澄み渡っています。ノリントンという指揮者は常々「個性」という面が強調されますが、「おれが、おれが」という感じは皆無で、曲そのものを立ち上がらせるために静かに立っているという気がします。ドイツの盟友シューマンが病に倒れた頃、ベルリオーズはこんな境地にあったとは。シューマンは無論、ノリントン、ベルリオーズ、実は静かに向き合うべき孤独な革命家たちなのかもしれません。
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