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Review List of 伊奈八 

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     2022/03/19

    日本人指揮者による、感動的なシェーンベルク作品集だ。
    指揮は湯浅卓雄氏。活動が海外中心のため国内で聴く機会は少ないが、Naxosに邦人作曲家の作品や海外の現代作品を多く録音している。このCDの演奏の素晴らしさからすると、知る人ぞ知る実力派と思われる。演奏のアルスター管弦楽団も国内ではマイナー感が強いが、トルトゥリエの指揮でCHANDOSから優れた演奏のCDが多く出ている表現力の高いオケだ。

    このCDに収録されているのは、室内交響曲第2番op.38、映画の一場面のための伴奏音楽op.34、浄められた夜op.4の弦楽合奏版の3曲だ。いずれも大変優れた演奏で、名演と思う。

    その演奏は、余分な強調がなく自然体で、しかも曲の深さを存分に伝えてくるものだ。旋律は呼吸をするようによく歌い、管弦楽は隅々まで実に繊細に、効果的に鳴り響いている。良い状態で再生すると、演奏会でシェーンベルクの実演を聴くのに極めて近い体験ができる。
    室内交響曲第2番も、映画の一場面のための伴奏音楽も、全てが成るべくして成るという必然に従って音のドラマが進行する説得力に呑み込まれ、曲の持つ悲劇性がずっしりと重い感動を残す。

    浄められた夜は、湯浅氏の豊かな想像力が反映されて、個性のより強い演奏となっている。
    前半は、主人公の女性が孤独感ゆえに過ちを犯してしまうという悲劇がありありと伝わってくる。これだけ主人公の女性の心理に寄り添った演奏も稀だ。湯浅の目にはそれこそ映画の一場面のように各場面の情景が「見えて」いるかのようだ。

    後半は、温かく包容力のある男の赦しの場面だが、特徴的なのは男女の気持ちが通い合い、舞曲調の曲想になる部分からかなりテンポが速くなることだ。これは、湯浅が登場人物を2人とも意志の強い性格と捉えていることが反映しているように思われる。女にしても、前半の行動はかなり大胆であり、嘆くときもなよなよとはしていない。結構激しく嘆いている。男も、そんな女を受け止められる程強い性格なので、2人が喜び踊るときも激しく元気に踊るのであろう。そのように理解して初めて腑に落ちる解釈であるようにも思われる。

    いずれにせよ、かくも優れた演奏が日本人指揮者によって録音されたことに、シェーンベルクの音楽を愛している私は大いに誇らしさを感じている。この名盤の価値を多くの人に知ってもらいたいものだ。

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     2022/02/26

    息の合ったピアノ・デュオによる演奏で、ピアノの音を浴びるように楽しめるCDだ。
    プラハ・ピアノ・デュオは、ズデニカ&マーティン・ヒルシュエル夫婦によるピアノ・デュオ。多くのコンクールで入賞した実力派で、HMVで7種のCDを購入できる。

    このCDには、シェーンベルクの作品が3曲、すなわちウェーベルン編曲による5つの小品op.16と、オリジナル編曲による室内交響曲第1番と、シェーンベルク自身の編曲による室内交響曲第2番op.38が収められている。

    まず、5つの小品op.16だが、CDに「World premiere recording」と書いてあるので、最初私も信じていたが、それは間違いである。Wyttenbach夫妻による録音が世界最初で、そのLP(EL 16 982)は私も持っていた。(生憎現在LPが聞けなくて比較できなかった。)2番目はJames WinnとCameron Grantによる演奏で、そのCD(3-7315-2 H1)も持っている。だから、プラハ・ピアノ・デュオによる録音は史上3番目である。(プラハ・レーベル!)

    5つの小品op.16の、2つの演奏を聞き比べてみた。
    1曲目は、プラハ・ピアノ・デュオの演奏では、原曲を超えるかと思う音数の多さと喧しさにびっくりする。だが、慣れるとその喧しさが心地よい。Winn&Grantによる演奏では、そこまで音数が多く聞こえず、原曲のイメージに近い響きとなっている。
    第2曲も音数は多いが、どちらの演奏もしみじみと聴かせている。クライマックス近くで音が交錯してくると、プラハ・ピアノ・デュオの演奏の方がカオスになってくる。
    第3曲は、もともと管弦楽による微妙な音色旋律を用いた曲なので、ピアノのための編曲など可能なのかと思うが、ピアノのための6つの小品op.19の第6曲目を拡大した曲のように響く。どちらの演奏もしみじみ聴けた。
    第4曲は、プラハ・ピアノ・デュオの演奏では、一番原曲からかけ離れている印象で、まるでウェーベルンのオリジナル曲のようだ。Winn&Grantによる演奏の方が原曲に近い鳴りだ。
    第5曲は、プラハ・ピアノ・デュオの演奏は、どの旋律も割と淡々と弾いているが、音質の良さと相まって美しい演奏となっている。対して、Winn&Grantによる演奏はもっとドラマチックであり、原曲の演奏でもこれほど緩急をつけた演奏は珍しい。

    室内交響曲2作品ついては、幸い、メンデルスゾーン・デュオ(石川典子 & マンフレッド・クラッツァー夫婦によるデュオ)によるCD(RCD 30106)を持っていたので聞き比べてみた。
    メンデルスゾーン・デュオが弾く室内交響曲第1番は、シェーンベルク自身による4手のための編曲だ。原曲のイメージを損なわない編曲であり、演奏も勢いのあるもので、原曲の優れた演奏と同じ位クォリティが高い。
    対して、プラハ・ピアノ・デュオが弾く室内交響曲第1番は、オリジナルとおぼしき編曲で、「そのメロディー、絶対原曲にないよね?!」という改変が多々ある。演奏は、出だしこそメンデルスゾーン・デュオよりゆったりしているが、スケルツォ部分あたりは音数が多過ぎてカオスに聞こえる部分もある。やりすぎじゃないか、と思う部分も少しある。

    室内交響曲第2番は、両団体ともシェーンベルク自身による2台ピアノのための編曲だ。
    これも、メンデルスゾーン・デュオの方が、勢いがありつつ、オーソドックスな解釈となっている。対して、プラハ・ピアノ・デュオの演奏は、よく言えば独自性に富んでいるが、原曲のイメージに沿った旋律の階層化をしないので、延々とピアノの音の洪水にさらされる印象になる面もある。

    他の団体との比較から分かったことは、プラハ・ピアノ・デュオは、原曲を演奏した先例を真似しないで、独自の解釈を貫く団体だということだ。そこにこの団体の魅力もあるし、独断的と感じられる部分もある。原曲のイメージを損なわない演奏を聴きたいならば、他の団体の演奏を聴いたほうがよい。だが、録音も良いCDなので、ピアノの音を浴びるように聴きたい方には大いにお薦めできる。

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     2022/02/20

    エヴァ・マルトンの、表現力豊かな歌唱を堪能できるCDだ。
    マルトンはハンガリー出身のドラマティック・ソプラノで、メトやウィーン国立歌劇場でも活躍した。このCDにはおそらく全盛期の歌声が収められている。日本人にこのレベルで歌える歌手はいない。声が力強い美声であるというだけでなく、感情表現が素晴らしい。

    このCDでは、ヴェーゼンドンク歌曲集と、《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲と愛の死が特に良かった。
    私はシェーンベルクのマニアで、ワーグナーのことは殆ど分からないのだが、曲にも演奏にも大変感動した。これらの曲を聴きたくなったら、このCDで楽しみたい。

    シェーンベルクのモノドラマ《期待》でも、マルトンは感情豊かな歌唱を聴かせる。全曲歌いっ放しで、最後まで声の力も衰えない。まったく凄い歌手だ。
    オケの演奏も良い。後半の動きの速い部分では機動力の不足を感じさせるが、ホールトーンの美しさにも助けられ、終始無調の音楽ながら心地よく聴くことができる。
    残念なのは、《期待》でのマルトンの音程の曖昧さだ。ジェシー・ノーマンやアニヤ・シリアと全然違う音程で歌っているので、多分無調の曲では音痴なのだ。
    《期待》のファースト・チョイスとしては、ノーマンやシリアの盤を薦めたい。

    私の感想では《期待》は☆3つだが、ワーグナーは☆5つなので、総合では☆4つとさせていただいた。

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     2022/02/13

    カラヤンの遺産に、改めてじっくり向き合ってみた。

    「浄夜」(HMVの表記に従った)op.4の演奏は、同曲の究極的な美演の一つだろう。
    もう冒頭から、ここまで雰囲気のある演奏はなかなか無いのだ。
    全ての旋律にカラヤンの表現したかったニュアンスが溢れており、繊細な表現から圧倒的に力強い全合奏まで、弦楽合奏の表現力の究極に近いものを聴かせる。
    細部をいたずらに強調することなく、巧みに響きの海に沈めており、聞き手が心地よく作品世界に酔えるように演出されている。
    全体的には、愛の世界を深く描くというのとも少し違う感じもするが、曲の終わりに近付いた部分で、カラヤンは非凡な解釈力を見せる。
    初期のシェーンベルク作品の中でも、この「浄夜」や弦楽四重奏曲第1番は、聞き手が「もう終わる頃だろう」と思ってから更に曲想が展開する。「浄夜」の場合、370〜390小節の第2主題の再現部がそれに当たり、ここを「まだ続くのか、冗長だなぁ」と感じさせるか、「2人の愛が更に深まっているなぁ」と感じさせるかで、演奏の成功、不成功が分かれるのだ。
    対位法を駆使しつつ転調を重ねるこの部分からラストまでを、カラヤンは、他の部分の倍ほども丁寧な演奏をしている。それが、この演奏を感動的にしているのである。

    もう一曲は交響詩「ペレアスとメリザンド」op.5だ。グレン・グールドはこの曲について「リヒャルト・シュトラウスの偉大な交響詩のどれと較べてもひけをとらない、少なくとも同等の価値はあると思う。」(鈴木圭介訳『グールドのシェーンベルク』より)と述べている。
    私自身はあらゆる交響詩の中で一番好きな曲である。このカラヤン盤は私が同曲を聴いた最初の演奏であったが、およそドラマチックな解釈力という点で、これを超える演奏は未だに聴いたことがない。
    全ての旋律にカラヤンの想像力が生き生きと吹き込まれ、他に類を見ない緩急豊かな展開と、オケの圧倒的な機動力で、聞き手をぐいぐいと作品世界に引き込んでいく。
    カラヤン以降の多くの演奏ほど細部を強調していないが、無数の楽器を鳴らしつつ、全体の響きを見事に自分のイメージに整えている。
    どの部分も素晴らしいが、一つだけ例を挙げよう。
    ペレアスとメリザンドが、遂に互いの思いを打ち明け、2人の愛が燃え上がる場面。それを物陰からゴローが、嫉妬と殺意をたぎらせながら見ている。
    ペレアスを刺殺せんとするゴローの刀がキラリ!と光る。それに気付き、命の危機が迫っていることを悟っても、2人の愛は最早止められない!
    その、刀のキラリ!を、ピッコロに物凄いスピードで吹かせているのは、カラヤンだけだ。
    このキラリ!が恐ろしく劇的な効果を発揮している。
    ここを他の指揮者のように遅く「ピラリラリラ」と吹かせると間抜けになってしまう。一聴するとカラヤンの独断的な創作のようだが、シェーンベルクはここに「hastig」(急いで)という指示を書き込んでいるのだ。
    一人、カラヤンだけがシェーンベルクの指示を的確に音楽のドラマと結びつけているのである。
    この一曲の演奏を聴いただけでも、カラヤンという指揮者が他を寄せ付けないほど非凡な想像力の持ち主であったことがよく分かるのである。

    音質は、今日の録音ほど鮮度が高くないが、装置の質が良ければ、この遺産の価値を今なお十分に味わうことできよう。

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     2022/02/12

    日本でもお馴染みのプラジャーク四重奏団による熱演が聴けるCDだ。
    弦楽四重奏曲第1番と第2番が収められている。
    正直、レビューを書くのに難儀した。良いのか悪いのか分からなくなってしまったのだ。
    それで、手持ちの弦楽四重奏曲第1番の演奏を全部聴く羽目になってしまった。
    ・Kolisch String Quartet(1936)・Juilliard Quartet(1951-1952)・New Vienna String Quartet(1967)・LaSalle Quartet(1968)・Schoenberg Quartet(1985)・Mendelssohn String Quartet(1989)・Quatuor Manfred(1990)・Prazak Quartet(旧録音)(1991)・Neues Leipziger Streichquartett(1992)・Arditti Quartet(1993)・Prazak Quartet(当盤)(1997)・Schoenberg Quartet(1999)
    どれも個性のある優れた演奏だが、プラジャークQの演奏の立ち位置は微妙だ。表現主義的な激しさという点では、ジュリアードQとシェーンベルクQ(旧盤)とメンデルスゾーンQの方が勝っている。優しさや美しさという点では、新ヴィーンSQやマンフレッドQの方が勝っている。技術的な洗練度ではアルディッティQに劣る。そもそも解釈全体が師匠であるラサールQによる名演奏の劣化した模倣の印象が強く、新ライプツィヒSQの演奏のように新鮮に心に迫ってくるものがない。シェーンベルクQ(新盤)のような円熟味が感じられる訳でもない。ややこしいのは、プラジャークQには1991年録音の旧盤と1997年録音の新盤(このCD)があり、どちらもトラック2のスケルツォ部分に入る直前に1小節程度の音楽の不可解なカットがあるために、私は同じ録音と錯覚していたのだった。このカットは非常に不可解で、違和感がある。旧盤と新盤の演奏解釈に殆ど差はないが、新盤の方が熱演を強調している。新盤の録音の方が鮮明で、音質的には他の多くの録音より良い位だが、再生装置のクォリティが低いと弦楽器の音のノイズ成分のぶつかり合いが鑑賞を妨げるので、再生難易度はむしろ上がっている。総合的には、やや民族楽派寄りで泥臭さのある熱演といったところが的確かと思う。熱演であることは疑いようもなく、特に前半は聴き応えもある。

    第2番については、聴き比べをする気力がなくなってしまった。新ライプツィヒSQ及びアルディッティQと比べただけだが、両者に勝る所は殆ど無い。

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     2022/02/12

    極めて希少な「今日から明日へ」の決定盤だ。
    この盤は、ストローブ=ユイレ監督による「今日から明日へ」の映画の音源でもある。
    シェーンベルクは歌劇のような作品を4つ書いている。「期待」 op. 17 (1909) 、「幸福な手」op. 18 (1910/13)、「今日から明日へ」op. 32 (1929)、「モーゼとアロン」(作品番号なし)(1930/32)の4つだ。
    「今日から明日へ」は、全編12音技法で書かれた史上初のオペラだが、録音が少ない。
    物語はコミカルなホーム・ドラマなのだが、12音技法で書かれた音楽の味わいが、普通のオペレッタ的な分かり易さと懸け離れているのが原因だろう。

    台本は、シェーンベルクの再婚相手、ゲルトルート夫人が書いている。夫婦の機微がよく描かれており、今日でも色褪せない内容を持っている。

    物語は、パーティー帰りの気だるいムードから始まる。夫がパーティーで出会ったオシャレな妻の女友達のことを褒め、地味な妻を馬鹿にするので、次第に夫婦が険悪になる過程がリアルに描かれている。
    中盤からは、妻がオシャレに変身して夫を翻弄したり、真夜中にガスの集金が来て夫がオロオロしたりとコミカルになり、音楽も面白くなってくる。
    そこへパーティー会場からテノール歌手(妻を誘惑していた)が電話してきて、夫婦でパーティー会場に来るよう誘う。妻が着替えてさらにセクシーに変身したのを見て、夫は敗北を認め、妻に行かないでくれと懇願する。
    夫婦が仲直りをしたところへ、パーティー会場で待ちくたびれた女友達(夫が褒めていた女性)とテノール歌手がやってきて、凝った4重唱となる。そこが音楽的にはクライマックス。
    招かれざる客達は夫婦をなじるが、夫婦の絆は強くなっていて動じない。客達が帰って平和な朝が訪れハッピーエンドとなる。

    シェーンベルクの12音技法の作品にも色々あって、ピアノ協奏曲のように調性的な響きが多い曲もある。「今日から明日へ」は、紋切り型のオペレッタ的音楽になることを極力避けたためか、調性的に響く部分が全然無い。非常に緻密に細やかに書かれている音楽だが、聴いただけで理解するのは大変難しい音楽となっている。

    演奏は、ミヒャエル・ギーレンの指揮フランクフルト放送交響楽団が担当しており、全体的に真面目な調子ながら、大変良い演奏となっている。歌手達の健闘も素晴らしい。
    「全体的に真面目な調子」と言い得るのは、ギーレン盤以外にCD化されている唯一の音源であるロスバウト盤(Stradivarius STR 10054)が、モーツァルトの歌劇を得意としたロスバウトらしく、難解な曲にも関わらず、それこそモーツァルトの歌劇を思わせる軽やかな演奏となっているからである。
    ギーレン盤の演奏が真面目な調子なのは、ストローブ=ユイレ監督の希望でもあったのだろう。
    いずれにせよ、現在手に入れ易く、音質も良い唯一のCDなので、作品に興味がある方にはお薦めできる。
    ただし、歌詞対訳が無いから、この作品に初めて接する人には、ストローブ=ユイレ監督による映画のDVDを是非ともお薦めしたい。分かり易さが段違いであるし、非常に優れた映画だ。

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     2022/01/16

    ドイツの現代音楽のピアニスト、ヘルベルト・ヘンクによる、血の通ったシェーンベルク作品集だ。
    シェーンベルクの作品番号付きピアノ曲のコンプリートに加えて、ピアノ曲の断片も18曲収録しているアルバムだ。
    作品番号付きのピアノ曲は、3つのピアノ曲op.11、6つの小品op.19、5つのピアノ曲op.23、ピアノ組曲op.25、ピアノ曲op.33abである。

    ヘンクの演奏は、実に魅力に富んでいる。
    3つのピアノ曲op.11は、シェーンベルクの作品の中でも陰気な方だと思うが、ヘンクが作品に向けるまなざしはフラットで温かい。聴く人を激しさで脅かそうとか、技術だけで聞かせようとかいう偏りがない。ストーリーを感じさせる緩急や強弱と、聴き易い適度な軽快さ、ピアノ曲としての響きの美しさを持っている。暗い筈のop.11を聴いていてなんだか楽しい気持ちになってくる。
    欝な内容の作品であっても、それをきちんと芸術的に仕上げるのは、明るく健全で強い精神である。ヘンクの演奏は、暗い作品の背後にある、そうした明るい精神を感じさせてくれる。

    6つの小品op.19は、短いということもあり、演奏会でもよく取り上げられるが、説得力がある演奏が為されているのだろうか?このヘンクの演奏は、1曲1曲が、曲に込められた物語や、気持ちの変化を豊かに感じさせてくれる。この曲が、管弦楽のための5つの小品op.16の第2曲と同様、シェーンベルクの寂しい一面を表している曲であることがよく分かった。

    5つのピアノ曲op.23は、シェーンベルクのピアノ曲の中でも、難解な方だろう。曲想があまりにもどんどん変化していってしまうからだ。ヘンクの演奏は、全体的に軽やかな調子にまとめつつ、変化していく曲想の句読点、ポリフォニックに展開する断片の呼応関係、1曲の中における起承転結などが実によく整理されており、破格に分かりやすい。一旦解体された瓦礫の山から、再び何かを構築しようと立ち上がる、人間の創造的な意志を感じる音楽だ。

    ピアノ組曲op.25は、シェーンベルクのピアノ曲の中では親しみ易い方だろうが、技術的には非常に難しい曲だろう。ヘンクは全体的に速いテンポで弾いている。ミュゼットのラストではミスタッチがあるが、ここはどんなピアニストでも難しいところなので、むしろ編集なしで弾いている証拠に残したと考えられる。しかし、このピアノ組曲に関しては、技巧に傾いた演奏となったために、曲の持つ奇妙なユーモアや倒錯の面白さを弾き逃した印象があり、惜しい感じがする。

    ピアノ曲op.33aとピアノ曲op.33bは、本来は別々の曲だという捉えなのか、ヘンクはプログラムでわざわざ分けている。
    私の感想ではop.33aの方は速いテンポで一気呵成に弾き過ぎている感じがする。中庸のテンポで噛んで含めるように弾いているop.33bの方が面白い。
    メカニックな技巧よりも、人間味のある読解力の方にヘンクの魅力が発揮されるように感じる。

    トラック22からトラック39は多くのピアノ曲の断片を年代順に弾いたものだ。
    ロマンチックな作風からスタートして、次第に現代的になっていくというシェーンベルクの作風の変化を辿ることができる。
    ヘンクの録音は1994年だが、2年後の1996年にはピ・シェン・チェンが、断片も番号付きの立派な作品も、すべて年代順に並べて弾くというユニークなアルバムを作っている。
    全てのピアノ曲が一つの大きな物語のようになっていて面白い企画だ。それとて、ヘンクの先駆があったからこそできたことであろう。

    私的には惜しい演奏もあるが、取っ付きにくいシェーンベルクのピアノ曲と聞き手の距離を縮めてくれる、大変良いアルバムだと思う。ヘンクのCDはこれ1枚しか持っていないが、イタリアのブルーノ・カニーノと同様、現代曲を人間味豊かに弾ける優れたピアニストだと感じた。ヘンクの他のCDも聴いてみたくなった。

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     2022/01/16

    今なお感動を失わない、シェーンベルク歌曲集の名盤だ。
    シェーンベルクは、作品番号がないものも含めると、かなりの数の歌曲を書いている。
    この2枚組のCDは、作品番号付き8作品のコンプリートに番号なしの1曲を加えたもので、総トラック数は44にもなる。
    この歴史的偉業の中心となっているのがグレン・グールドで、これほど素晴らしい歌曲の伴奏も稀だろう。歌っているのは4人の歌手で、バスバリトンのドナルド・グラム、メゾソプラノのヘレン・ヴァンニ、ソプラノのエレン・フォール、バリトンのコーネリス・オプトホフである。
    中でもヘレン・ヴァンニは大活躍で、この曲集のクォリティを支えている。
    以下、各曲のざっくりとした感想。
    2つの歌曲op.2は、極めて重厚でドラマチックでロマンチックな曲だ。ドナルド・グラムの力強い歌唱が立派だ。歌曲としてかなり長大な2曲をグールドの伴奏が感動的に構築している。
    4つの歌曲op.2は、親しみ易い曲も多いロマンチックな歌曲集。エレン・フォールは無理して歌っているように聞こえる部分もあり、4人の歌手の中ではやや落ちる印象だ。同曲に関しては白井光子の方が上手いと思うが、ただし白井は移調して歌っている。グールド伴奏はとても美しい。
    架空庭園の書op.15は、全15曲からなり、無調音楽の世界を切り開いた画期的な作品だが、鑑賞が難しい作品でもある。ただでさえ味わいにくい、感情の表出を抑えた無調の旋律を、歌手が十分に上手く歌えないことが難しさの原因だ。
    この演奏は、グールドの分析的とも思える伴奏の上手さもさることながら、ヘレン・ヴァンニの歌唱が素晴らしい。幾つか聴いているが、特に上手い方の一人ではないかと思われる。
    DISC2の最初は6つの歌曲op.3。1曲目だけドナルド・グラムが歌い、後の5曲はヘレン・ヴァンニが歌っている。第2曲「興奮した人々」と第5曲「練習を積んだ心」は特に名曲と思う。
    次いで力作、2つのバラードop.12。1曲目「ジェイン・グレイ」は、歌唱はヴァンニより白井光子の方がドラマチックで上手いかもしれないが、伴奏の構築力は白井盤のヘルよりグールドの方が上に聞こえ、さすがと思わせる。
    2曲目の「決死隊」は、この曲だけコーネリス・オプトホフが歌っている。極めてドラマチックで魅力的な曲だ。グールドの伴奏は細部まで明確だ。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとアリベルト・ライマンによる名演といい勝負だ。
    次の3つの歌曲op.48は、12音技法で書かれた最晩年の歌曲。難解な作品なのに、ヴァンニの歌唱とグールドの伴奏のコラボがあまりに素晴らしくて引き込まれてしまう。3曲目の伴奏など、シェーンベルクの独奏ピアノ曲に負けずとも劣らない複雑さなのに、グールドは胸がすくほど上手く弾いている。
    次いでまた比較的初期の、2つの歌曲op.14に戻る。op.15が「架空庭園の書」だから、本当に無調ギリギリの作風だ。
    次いで、作品番号なしの2つの歌曲。1曲目の「想起」は白井光子も録音している。
    2曲目のリルケの詩による「海岸で」は、グールドの伴奏の尖ったタッチが凄い。
    最後は、これも初期の8つの歌曲op.6。ここでもヘレン・ヴァンニが高い音域まで歌って頑張っている。
    1曲目「夢の生活」、4曲目「見捨てられて」、8曲目「さすらい人」は白井も録音している。「見捨てられて」はディースカウの名唱も印象に残る。
    グールドは、ヘルやライマン以上に曲想に合わせて雄弁にタッチを変化させている。3曲目「少女の歌」、6曲目「路傍にて」、7曲目「誘惑」でのキレッキレのタッチはグールドならではの快感がある。
    シェーンベルクの歌曲は、現在は作品番号のない作品も網羅したCD4枚組の歌曲全集も出ているが、歌手の健闘と、伴奏の域を超えたグールドのピアノの魅力に支えられたこのアルバムの価値は不滅であろう。

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     2021/12/18

    「ピアノのための6つの小品」の素晴らしい演奏や、サロメ・カンマーの「語り」を堪能できる「月に憑かれたピエロ」が聴けるアルバムだ。

    収録曲は「月に憑かれたピエロ」op.21、初期作品「弦楽四重奏のためのスケルツォ」、「ピアノのための6つの小品」op.19、最晩年の「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジー」op.47、そしてシェーンベルク編曲の「皇帝円舞曲」。
    さながらシェーンベルク室内楽曲の万華鏡といった感じの良い選曲だ。

    演奏しているアンサンブル・アヴァンギャルドは、1989年に設立されたライプツィヒの団体。20世紀音楽のエキスパートで、現代の古典の保存や、忘れられた作曲家の発掘にも努めている。HMVでは11種のCDが購入できる。
    ピアニストのシュテフェン・シュライアーマッハーがリーダーで、曲によりキャストを柔軟に変えながら活動している。
    このCDでは、「ピエロ」の指揮にシェーンベルクを得意とするハンス・ツェンダー、語りにサロメ・カンマーを迎えている。

    その「月に憑かれたピエロ」では、ツェンダーの指揮ぶりやアンサンブル・アヴァンギャルドの演奏より、なんといってもカンマーの語り芸の素晴らしさが際立っている。
    サロメ・カンマーは、ナクソス・ジャパンの紹介によると、1959年ドイツ生まれの女優、歌手、チェリスト。キャシー・バーベリアンと並ぶ「ドイツの現代歌曲」歌手としても高い評価を受けており、古典から現代まで何でも歌いこなす多才な歌手として知られているということだ。

    カンマーの語りは、ポップな発声で、ラインベルト・デ・レーウ指揮の「ピエロ」で語りを務めるバルバラ・スコヴァに少し印象が似ている。
    だが、声色の多彩さ、表現の振幅では、スコヴァを上回っている。
    何しろ、一語やワンフレーズの中でも全く声の出し方を変えてしまう細やかさなのだ。
    響きの多い録音なので、できるだけSN比を高めた静寂感のある音でないと、カンマーの声の変化を聞き逃すだろう。
    他方、団体の演奏自体はデ・レーウ指揮のシェーンベルク・アンサンブルの方が楽しい。
    ツェンダーの指揮が、全体にテンポが重くて、メリハリに乏しいのが原因だ。
    個々の奏者のパフォーマンスも、殆ど印象に残らない。

    お次は、初期作品「弦楽四重奏のためのスケルツォ」。
    楽しい曲の筈なのだが、演奏はあまり楽しくない。
    なんでだろう?と思って、もっと楽しくなさそうなアルディッティSQの演奏で聴いてみたら、そちらの方がメリハリがあり、表情もよく引き出していて楽しい演奏であった。
    こちらの演奏はなんとなくフィーリングが重く、生き生きしていないのである。
    響きの多い録音も幸いしているとは言い難い。

    「ピアノのための6つの小品」op.19、これは非常に素晴らしい演奏だ。
    団体のリーダー、シュテフェン・シュライアーマッハーが、この曲だけは自ら弾いている。
    短い一曲一曲の中に、凝縮されたドラマがあり、豊かで繊細な感情の変化があることがよく伝わってくる。
    これほど優れた演奏も稀だ。美しさに痛みすら感じる、泣ける程の名演だ。
    直前に聞いたバレンボイムの駄演とは雲泥の差だ。
    こんなに高い解釈力があるなら、ツェンダーに指揮を任せず、「ピエロ」も自分で振ればよかったのに!

    4曲目は、最晩年の「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジー」op.47。
    ここまでくると、アンサンブル・アヴァンギャルドの奏者って、音楽性が物足りない人が多いのだなと嫌でも気付く。
    ここでは、アンドレアス・ザイデルという人がヴァイオリンを弾いているが、覇気のない演奏だ。
    ボストン交響楽団のジョーゼフ・シルヴァースタインとか、グールドと弾いたイズラエル・ベイカーとか、みんなもっと気迫があり、上手かった。

    最後は、シェーンベルク編曲の「皇帝円舞曲」。
    大変上手い演奏だ。多くの演奏で混濁する部分もクリアに鳴らしている。
    だが、これが楽しい演奏かと言えば、否だ。
    マルティン・ジークハルト指揮のウィーン・コンサート=フェラインの演奏に聴かれるような、ウィーン的な音色や情緒が全く無くて、ただ即物的に上手いだけだからだ。
    まるで日本のオケの優等生的な演奏を聴いているようで、夢見が悪そうだ。

    総評としては、お薦めできない演奏が多いものの、「ピアノのための6つの小品」の演奏があまりに良く、サロメ・カンマーの「語り」にも味があるので星4つとした。
    しかし、現代曲を聴きたくなっても、アンサンブル・アヴァンギャルドには用心しようと思う。

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     2021/12/11

    シェーンベルクの歌曲を、素晴らしい演奏で楽しめるアルバムだ。
    演奏は、白井光子とハルトムート・ヘルとのデュオ。シュワルツコップは2人を「世界最高の音楽家夫婦」と賞賛したという。白井は2008年(平成20年)には紫綬褒章も受賞した、日本のドイツ・リートの第一人者だった。このCDは1993年の録音で、歌唱は大変充実している。

    白井の歌唱は、一曲一曲、丁寧、濃密、表情豊かで、独立した一つの世界のようだ。全20曲通して高いクォリティである。上質なリサイタルを聴くのと同じで、おなか一杯になる。
    聴くほどに魅力が理解できるアルバムなので、多くの方にお勧めしたい。
    なお、CDの常ではあるが、どんな音質で聴くかによって印象も変わるので、できるだけ良い音質で聴いていただきたい。

    以下、各曲の紹介。
    1〜3は、8曲ある親しみ易い「ブレットル・リーダー」からの選曲。
    1.「ガラテーア」2.「素朴な歌」3.「ギエルゲッテ」。これらの歌の最も良い歌唱かもしれない。ガラテーアの前奏は、シェーンベルクが書いた一番華麗なピアノのパッセージだろう。
    4.「太陽が出ているのだろうか」は、もの悲しく優しい表情の初期歌曲。これがシェーンベルクの曲かとびっくりする。
    5〜8は「4つの歌曲op.2」。非常にロマンチック、かつ独創的だ。
    9.「興奮する者たち」は、「6つの歌曲op.3」の2曲目。激しさと、悩ましいロマンチシズムにシェーンベルクらしさが出ている。
    続く3曲は「8つの歌曲op.6」からの選抜。10.「夢の生活」11.「見捨てられて」12.「さすらい人」。なんともドラマチックで、かつ美しい。激しい曲でも、白井の歌唱は乱れない。「さすらい人」あたり、かなり難解度が増しているが、ハッとするほど美しい表情がある。
    13.「想起」は、作詞者不詳の歌曲。こういう捨てがたい作品を選曲するのが憎い。
    14.「ジェイン・グレイ」は「2つのバラードop.12」の1曲目。2曲目の「決死隊」もディースカウの名唱が忘れがたい傑作だが、ソプラノ向けの「ジェイン・グレイ」も、重厚かつ極めてドラマチックだ。白井の壮絶な歌唱がこのCDの頂点を形作る。ジェイン・グレイは策謀によって即位にさせられたが、わずか9日間で退位させられ処刑された悲劇の女王だ。
    15.「私が感謝するのは許されていない」と、16.「この冬の日々に」は「2つの歌曲op.14」から。難解さは大幅に増しているが、白井の歌唱のクォリティは変わらない。むしろ「ジェイン・グレイ」からの3曲は、ハルトムート・ヘルの伴奏の方が、音楽を消化し切れていない印象がある。
    最後の4曲は、ドイツ民謡の編曲だ。
    シェーンベルクは、自身の作曲はどんどん難解さが増していったが、調性のある音楽への愛は不変だったようだ。
    ドイツ民謡の編曲は1928年の「3つの民謡」、1929年の「4つのドイツ民謡」、最晩年1948年の「無伴奏混声合唱のための3つの民謡」op.49と3種ある。
    このCDに収録されているのは「4つのドイツ民謡」だ。17.「楽しい5月がやってきた」18.「ふたりの遊び仲間がやってきて」19.「いつも忠実なわが心」20.「わが心みだれて」。
    いずれも素朴な明るい歌だが、バッハ風の伴奏をつけているのがちょっと妙な感じでもある。
    これも、ヘルの伴奏がそう思わせるのであろうが、重厚なリサイタルの最後に、軽めのアンコールという感じで、心地よくCDを聴き終えることができよう。

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     2021/11/05

    シェーンベルク作品の、磨き上げられた演奏を楽しめるCDだ。浄められた夜op.4の弦楽合奏版、弦楽四重奏曲第二番op.10の弦楽合奏版。そしてボーナスCDに室内交響曲第一番op.9が収められている。とりわけ、弦楽四重奏曲第二番は名演である。

    演奏は、ジャン=ジャック・カントロフ指揮する、フィンランドのタピオラ・シンフォニエッタ。ソプラノ独唱として、クリスティーナ・ヘグマンも加わっている。カントロフは、数多くのコンクールで優勝したヴァイオリニストだ。2012年に指揮活動への専念を宣言したが、2017年にヴァイオリンの演奏活動を再開している。このCDは1994年の録音であり、カントロフが指揮活動の可能性を模索していた頃のものであろうか。演奏は、カントロフの非凡な音楽観と人間性を証明するものとなっている。

    まず、浄められた夜op.4の弦楽合奏版。驚くほど技術的に追い込み、完成度を高めた演奏だ。一つ一つのフレーズの、一音一音にまで丁寧に表情付けがされており「そこまでやるか?!」と驚かされる。アンサンブルの難しい場面を、稀に見るスピードで演奏させるなど、個性的な解釈も多い。ローカルな合奏団であるタピオラ・シンフォニエッタを、カントロフは鬼のように鍛えている。しかし、何度聴いても、聞こえてくるのはカントロフの「解釈」である。音楽のストーリーや感情が豊かに迫ってくるということが無い。皮肉を込めて例えると、これは弦楽合奏コンクールの課題曲演奏のような演奏である。できるだけ良い音質で美音に浸りながら、何も考えずに解釈の細やかさや演奏の上手さを楽しむのが望ましい鑑賞法だ。

    2曲目は、弦楽四重奏曲第二番op.10の弦楽合奏版だ。シェーンベルクは弦楽四重奏曲を5曲(若い頃の1曲と、番号付きの4曲)書いている。いずれも素晴らしい作品だ。中でも、弦楽四重奏曲第二番の弦楽合奏版は、シェーンベルクの作品中最も美しい曲と言ってよい。カントロフの演奏は、「浄められた夜」と打って変わって大変素晴らしいものだ。とりわけ、クリスティーナ・ヘグマンの上手さには心底仰天した。カントロフの演奏は、緩急を大きくつけている。耳慣れたギュルケの演奏ほど音楽がスラスラと流れないので、最初は違和感があった。しかし、聴き馴染むほどに、ギュルケ盤や他の演奏よりも、曲のテーマに肉薄している名演だと気付いた。

    この曲のテーマを理解する鍵はいくつかある。
    一つは、この曲がシェーンベルクの家庭生活の危機を反映しているということだ。妻のゲルトルート(ツェムリンスキーの妹でもある)が、居候していた画家のゲルシュトルと家出したという事件である。ウェーベルンの説得でゲルトルートは家に戻ったが、ゲルシュトルは自殺した。

    二つ目は、第二楽章に悲喜劇的に引用された「愛しのアウグスティン」である。
    「ああ、愛しのアウグスティン、何もかもなくしちまった!」この喪失感が、曲の根底にある。

    三つめは、第三楽章と第四楽章の、シュテファン・ゲオルゲによる歌詞である。どちらも現世の苦しみから逃れることをテーマとしている。

    第一楽章は、嘆き、悲しみ、よろよろとした歩み、心のざわつき、自分を嗤う空虚な笑いである。カントロフの演奏は、「浄められた夜」と同様に美しく磨き上げられているが、現世での幸福を得られなかったシェーンベルクの悲しみが至る所から聞こえてくる。

    第二楽章はスケルツォだが、あまり快活にしてしまうと、曲のテーマから逸れてくる。カントロフの演奏は、曲のテーマに迫っている。悲しみを隠して空虚におどけて見せる、道化の姿が聞こえてくる。
    「ほらほら、これが僕の骨だ」と歌っているような、悲喜劇的な音楽なのだ。

    第三楽章は、「連祷」という詩に曲が付けられている。神に、旅と戦いに疲れ果てたことを訴え、救いを求める詩だ。何の旅なのか、何の戦いなのか、最後の数行でヒントが与えられる。主人公は、現世での愛欲のために苦しんでおり、そこから逃れたいと切望しているのである。

    クリスティーナ・ヘグマンの歌唱は、音程の驚異的な正確さ、歌詞に沿った表現の適切さで、他の全ての歌手を圧倒的に凌いでいる。無調に近いメロディーにとって、音程の正確さは絶対であり、さらに、そのメロディーの味わいをよく咀嚼して、理解していることが必要だ。ヘグマンの歌を聴いて、これまで聴いてきたエヴァ・チャポの歌がいかに不十分であったか、よく分かった。カントロフによる伴奏との音量バランスも完璧である。

    第四楽章は、「脱世界」という詩に曲が付けられている。この詩は、「私は他の遊星の空気を感ずる」という言葉から始まる。人間界の苦しみから逃れ、仏陀の悟りにも似た、精神的な孤高に達したいという幻視を詠っている。心に傷を負った体験を、祈るような音楽を書くことで癒そうとする、作曲者の心情が痛々しい。

    しかし、シェーンベルクには、不断に新しいものを生み出そうとする衝動があった。生きる苦しみを、芸術的に表現することで昇華させたいという衝動と、新しいものを生み出そうとする衝動とが、彼を突き動かし、結果としてシェーンベルクを生かし続け、前例のない音楽を生み出させたように思われる。

    この楽章でも、ヘグマンの歌の素晴らしさは際立っている。この音楽の本質を知りかったら、是非ともこの演奏を聴かねばなるまい。ヘグマンは2021年現在65歳で、声楽家としては全盛期を過ぎていると考えられるが、彼女はこの曲で最高の名演を残したのである。

    カントロフについては、「浄められた夜」での感情の入らなさと、弦楽四重奏曲第二番での感情移入の深さには大きなギャップがあると言わざるを得ない。カントロフ自身が、現世を離れた別世界に理想を求める人なのではないか?とも考えられるのである。

    さて、このCDには、ボーナスCDがあり、室内交響曲第一番op.9が収められている。一枚のCDに入っていてもおかしくない三曲だから、二枚組であることに気付いたときは驚いた。実際、二枚目のCDには、21分程度の曲が一曲入っているだけなのだ。おそらく、当初は一枚に収める予定だったが、トータルタイムが80分を超えてしまったために、価格据え置きで二枚組としたのであろう。メーカーのBISは、少人数による小企業で、採算を度外視して良いものを作ろうとする会社らしい。このCDにも、そんなBISのこだわりが溢れていると言えようか。また、BISのCDは音質が良いことでも知られているが、此度のカントロフのCDは、何もせずに十分な音質が得られるものではなかった。

    室内交響曲第一番の録音を最初に聴いたとき、あまりに響きがシンフォニックだったので、1935年のオーケストラ編曲版op.9bではないかと疑った。実際は、残響の多いホールで録音した為にそう聞こえただけで、本来の15人奏者によるop.9であった。だが、その厚みのある楽器の響きの重なりがうるさく聞こえて、演奏の良さが分かりにくかったのである。

    最終的に、相当美しく響きを整えて、ようやくこの演奏の良さも分かった。カントロフの独自の解釈は、この曲に対する私のイメージを変える程のものだった。

    私のこの曲に対し、前に前に進もうとする、革新的な力に溢れた曲というイメージを強く抱いていた。ところが、カントロフは、前に進もうとする力と、後ろを振り返り、進むのをためらう力との、葛藤のドラマとしてこの曲を描いたのである。緩急をつけた解釈自体はこれまでにもあったが、カントロフほど、進むのをためらう内向的な表現を打ち出した人はいなかった。ここにも、カントロフの独特な音楽観と人間性が現れている。大抵は、テンポの緩やかな部分は、ロマンチックな感傷として表現されていたのである。カントロフの解釈は、この音楽の内容を、より奥行きの深いものとしたと言えよう。

    総括すると、「浄められた夜」に関しては、お薦めの演奏とは言い難い。カントロフは1992年にも同曲を録音しているので、そちらも聴いてみる必要はあるだろう。(LYR134という型番でHMVでも購入できる。2001年発売だが、実はBIS盤より録音は古い。)室内交響曲については、同曲の解釈に新たな一ページを開いており、聴く価値があるが、オーディオ的な難易度は高いように思う。弦楽四重奏曲第二番弦楽合奏版は、同曲の厭世的な性格をかつてないほど美しく描き出している。クリスティーナ・ヘグマンの完璧な名唱と相まって、是非とも聴くべき名演である。

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     2021/10/17

    室内楽曲としての「月に憑かれたピエロ」を楽しめるCDだ。
    シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」op.21と、「心のしげみ」op.20と、「月に憑かれたピエロ」op.21の英語訳版が収録されている。
    このCDは、特徴を長い間掴めなかったものだ。
    演奏団体のDa Capo Chamber Playersは、指揮者なしで「ピエロ」を演奏している。これは実は大変珍しい。
    指揮者がいないため、演奏全体を貫く主張に乏しい面がある。
    その分、室内楽的なアンサンブルの上手さと面白さで聴かせる演奏なのだが、それを細部まで味わうには、再生音のクォリティが高い必要があった。
    それが、私には長い間難しかったのである。
    そのため、この演奏の印象は、長らくぼんやりとしていたが、やっと良さが分かるようになってきた。
    「月に憑かれたピエロ」は、短い曲が21曲あり、それが7曲ずつの3部に分かれている。
    第1部は、夜の世界への招待という趣があり、ほのかな哀愁と、次第に暗部に踏み込む恐怖がある。
    第2部は、真夜中の冒険といった趣で、不気味、背徳、残酷、耽美な幻想が繰り広げられる。
    第3部は、次第に夜明けが近づき、明るい世界に戻っていく過程であり、郷愁、馬鹿騒ぎを経て、最後は安らいで終わる。
    Da Capo Chamber Playersの演奏は、一曲一曲に室内アンサンブルとしてのこだわりを見せている。とりわけ第1部ではデュナーミク(強弱)の付け方が大きく、繊細な弱音で奏する部分が多い。
    クラリネットのように、いくらでも音量を小さくできる楽器が、限界まで小さい音で吹いたりするので、再生音のSN比(静けさ)がよくないと、演奏の細部を聞き取れず、音楽に集中できなくなってしまうのだ。
    私は、古いCDプレーヤーと、アンプとスピーカーという、過去の遺物となりつつあるオーディオ装置で音楽を聴いているので、演奏の特徴を十分に聴き取れるほど再生音が良くなるまで酷く遠回りをした。(ちなみに、音質向上の決め手は静電気を減らすことである。)
    音質に優れたMP3プレーヤーと、高性能のイヤホン又はヘッドホンで音楽を聴いている方は、私より良い音でこの演奏を楽しめるかもしれない。
    音質の問題をクリアできれば、この演奏は、室内楽としての「月に憑かれたピエロ」を聴く楽しみを味わわせてくれる。
    特に、次第に世界が明るくなる第3部では、この団体の良さが生きてくる。
    語りのルーシー・シェルトンは、高い声のソプラノであり、「ピエロ」の語り手としては、優しい声で、表情豊か、音域が高い方に特に広いという特徴がある。恐怖の第6曲の「メーーーンシャーーーーイト!」と叫ぶ部分で、こんなに高い音まで上がる人は初めて聞いた。
    音質の影響で印象が変わりやすい演奏なので、細部がぼんやりして聞こえなかったり、語りと楽器がバラバラに聞こえたりしている内は十分ではない。
    良い音で聴けた暁には、隅々までニュアンス豊かな演奏に感動することだろう。

    このCDの2曲目は、「心のしげみ」op.20だ。
    メーテルリンクの詩に作曲したもので、ソプラノと、チェレスタと、ハルモニウム(オルガン)と、ハープのために書かれている、3分程度の曲だ。
    変わった曲が多いシェーンベルク作品の中でも、もっとも特異なものかと思う。
    詩の内容は、青いガラスの花飾りを見て、様々な植物の中で百合だけが孤高な輝きを放っている姿に惹かれるというもの。
    まず伴奏の神秘的な音色がぞくぞくする。
    その上、ソプラノは、前半は低めの声でずっと歌っていて、後半になり百合のことを歌い始めてから急激に音域が上がって、コロラトゥーラ・ソプラノでも最も高い3点ヘ音という人間離れした高さまで上がってしまう。(歌唱技術の点で最も難しい曲であるらしい。)
    レアな曲で録音も少ないが、私は幸いCDで聴ける4つの演奏は持っていたので聞き比べてみた。
    バートン&アサートン盤、シェルトン&ナッセン指揮の当盤、フルス&クラフト盤、シェーファー&ブーレーズ盤の4つだ。
    詳細は略すが、当盤であるシェルトン&ナッセンの演奏が、聞き手に与えるダメージが一番大きく優れていると感じた。(←褒めています。)さすがはナッセンである。惜しい指揮者を亡くしたものだ。

    さて、このCDには、「月に憑かれたピエロ」op.21の英語訳版も収録されている。
    アンドリュー・ポーターというニューヨークの音楽評論家の手になる翻訳で、調べてみると、「ピエロ」の英語版は、多くの訳者が努力して取り組んできたもののようだ。
    私は、「ピエロ」の日本語訳版も、2つのバージョンを実演で聴いたことがある。
    原曲が、ドイツ語のアクセントと音楽の一体感が強い作品なので、他の言語に翻訳すると失われるものが多い。
    この英語版も、最初は聴くのが苦痛だった。
    しかし、ドイツ語の語順と対応するように英語訳されているので、ロスバウト指揮の「ナポレオン・ボナパルトへのオード」のドイツ語版よりはずっと違和感が少ない。
    演奏解釈はドイツ語版とほとんど変わらない。しかし、骨を折ってトラックの聴き比べをしてみて、違いがあることも分かってきた。
    まず、ボーカル・トラックだけをすげ替えたりせず、全部を録音し直している。
    そして、音質が違う。
    英語版の方が、よりくっきりした鮮明な音質となっている。
    そのため、ドイツ語版で細部のアンサンブルがモヤモヤして聞き取りにくかった曲もずっと各楽器の音がハッキリ聞こえる。
    これで、演奏も良かったら良いこと尽くめなのだが、音がハッキリした分、むしろ表現が単純になり、雰囲気に乏しくなったように聞こえてしまった。
    この辺りは、もっと再生音のクォリティが高ければ印象が変わる可能性もあり、悩ましいところだ。
    CDの演奏評は難しい。生演奏の感想の方がずっと印象がぶれずに済む。

    評価はあくまで主観的なものだが、良い演奏ではあるものの、再生上の難易度の高さから4点とした。
    オーディオ装置の音に自信がある方は聴いてみたらよいと思う。室内楽の良い演奏会を聴いたような感動が味わえる筈だ。

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     2021/10/10

    シェーンベルクの、演奏機会の少ない傑作を誠実に演奏している良いCDだ。
    弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲変ロ長調と、弦楽三重奏曲op. 45が収められている。
    弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲は、ヘンデルのコンチェルト・グロッソop.6, no.7を編曲したものだが、ただの編曲ではなく極めてオリジナリティの強いユニークな作品となっている。
    この曲が傑作であることを最初に紹介したのは、柴田南雄氏であった。NHKの教養番組でシェーンベルクについて話された際、同曲に触れたのである。柴田氏の慧眼恐るべし。協奏曲だがソリストが弦楽四重奏だというのがユニーク。オーケストレーションはカラフルだ。四楽章からなるが、後半の二楽章は大半がシェーンベルクの創作で、原曲からの変貌の凄まじさにも驚く音楽だ。
    前半二楽章は、主旋律はほぼヘンデルの原曲通りである。第一楽章は、さながら平和な日々の活気ある日常生活のようだ。だが、時折異形の音型が顔をのぞかせ、ドキッとさせられる。第二楽章は、幸福な一日の黄昏の風景か。しかし、そこには既にノスタルジーの趣があり、ラストの部分の改変も効いて、平和な時が過ぎ去りつつあることを予感させる。第三楽章は、冒頭のモチーフだけほぼ原曲通りだが、続く99%はシェーンベルクの作曲だ。いまだ上辺の平和を保っている生活の中に、ファシズムの影が不気味に忍び寄ってくる。日常が歪み、どんどん狂っていくのに、どうすることもできず翻弄されていく個人の運命。第四楽章は、ファシズムに覆いつくされた町の風景だ。最初の主題こそヘンデルからの借用だが、原曲の単調さは解体し尽くされ、緊迫した音楽が繰り広げられる。シェーンベルクがこの曲を書いた1933年は、年頭にナチスが政権を獲得した年であった。バロック音楽にありがちな行進曲調の全合奏が、あからさまにナチスを連想させるやり方で挿入される。この曲は、ショスタコーヴィチの一連の戦争交響曲に匹敵、あるいは凌駕するほど、ファシズムの時代の空気を映し、その時代に生きることの恐怖を描いた作品なのだ。無調や12音技法で書かれた音楽は難しく、価値が分からないという人も、全編が調性で書かれたこの曲を聴けば、シェーンベルクの作曲力の高さに納得するであろう。
    同曲はこれまで七回録音されている。中でもジェラード・シュワルツの指揮、アメリカ弦楽四重奏団による演奏が、曲の核心を突いて最も優れている。同演奏は現在「ジェラード・シュワルツ・コレクション」に入っていてHMVで購入できるが、30枚組である。レノックス弦楽四重奏団による演奏は、スマートでシャープなシュワルツ盤と比べると素朴な印象もあるが、ソリストにオンマイクな録音で逃げも隠れもせず音楽に真摯に向き合っており、聴くほどに訴えかける力が増してきて聞き飽きない。伴奏のハロルド・ファーバーマン指揮するロンドン響の演奏は、第三楽章でアンサンブルの乱れが少しあるものの、至極まっとうな演奏でソリストを支えている。現在最も手に入れやすい盤なので、是非お勧めしたい。
    もう一曲は晩年の傑作、弦楽三重奏曲だ。この曲は、シェーンベルクの臨死体験が基になっている。1946年8月2日、シェーンベルクは心筋梗塞の発作に襲われ、心臓が一時停止した。心臓に直接アドレナリン注射が打たれ、後遺症は残ったものの一命をとりとめた。回復後、この曲を作曲し、殆どすべての和音に、自身の発作から救命に至る過程を音楽的な比喩として込めたという。
    曲の冒頭1分30秒は、心臓発作による七転八倒の苦しみの描写である。その後は、心停止状態での治療の様子、ゆっくりとした覚醒と回復、静けさと安らぎ、湧き上がる様々な感情などが、音楽の言葉で語られていく。
    レノックス四重奏団の演奏は、例によってオンマイクで録音されている。全く誤魔化しがきかないむき出しの音質で、曲と深く誠実に向き合った成果が繰り広げられる。
    この演奏を聴くことは、全く稀有で、感動的な音楽体験である。ジャケットにカンディンスキーの絵が使われているが、抽象絵画の鑑賞にも似た体験だ。最初の内は全く抽象的で、点描的なポツンポツンとした音の羅列と聞こえていたものが、聴けば聴くほど全ての音が繋がり、具体的な意味を帯び始める。
    この瞑想的な音楽は、聴くほどに心癒される不思議な力に満ちている。これは生命の不思議、生きていること、生かされていることの不思議と向き合う音楽なのだ。
    このCDに収められた、シェーンベルクの2つの作品は、【生きること】に深く向き合った傑作である。レノックス弦楽四重奏団は、現在はほぼ忘れられた団体で、情報にも乏しい。しかし、彼らは真摯に音楽と向き合い、誠実な演奏でシェーンベルクの傑作を録音した。興味を持たれたら、是非聴いていただきたい。

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     2021/10/09

    オペラ「モーゼとアロン」はシェーンベルクの代表作だ。
    旧約聖書の出エジプト記を題材としているが、海が二つに割れたりはしない。
    口下手なモーゼと雄弁なアロンの、対立や葛藤を軸に物語は進む。
    第二幕でモーゼが山に籠ってしまい、不安になった群衆が暴徒と化したため、アロンは禁忌である偶像崇拝を群衆に許してしまう。そのせいで、群衆は退廃と破壊の大混乱に陥る。
    その場面、「黄金の仔牛のロンド」が全曲中のクライマックスである。
    暴力的な群衆の合唱や管弦楽曲は、シェーンベルクが体験してきた大衆からの攻撃や、ファシズムの時代の恐怖や、民主主義の危機をも反映している。
    現代音楽に免疫のない人が聞いたら、冒頭から震え上がるような音楽だが、人類遺産級の傑作である。

    ヘルベルト・ケーゲル指揮の「モーゼとアロン」は、同曲の史上6番目の録音にあたる。

    1ヘルマン・シェルヘン指揮(1951)(「黄金の仔牛のロンド」のみの世界初演)
    2ハンス・ロスバウト指揮(1954)(全曲世界初演ライブ録音)

    3ヘルマン・シェルヘン指揮(1966)(舞台ライブ初録音)

    4ミヒャエル・ギーレン指揮(1974)(後にストローブ=ユイレによる映画の音源となる録音)

    5ピエール・ブーレーズ指揮(1974)

    6ヘルベルト・ケーゲル指揮(1976)

    これらの録音の中で、もっともバランスの取れた名演はブーレーズ盤であるが、実はブーレーズ盤は長所の多くを先行するギーレン盤に拠っている。
    野生のトラの如きギーレン盤の演奏から牙を2、3本抜いて、飼い慣らしたのがブーレーズ盤である。
    具体的には、録音の遠近感が極端だったり、熱く演奏し過ぎたりしてかえって効果を損なっているギーレン盤の弱点を是正している。
    そして、モーゼ役は同じギュンター・ライヒで殆ど変わらないが、ブーレーズ盤ではアロンはよりペテン師的に、祭司はより腹黒くして、登場人物の善悪を分かり易くしている。
    ブーレーズもギーレンも、シェーンベルクの音楽上の息子のようなものだが、ブーレーズは父に反抗する息子であり、ギーレンは父に心酔している息子である。
    父の音楽をより冷めた目で見ている、その差が、後発のブーレーズ盤を成功に導いた要因とも言える。

    ケーゲルは、先行する2人の録音を超えんとして奮闘した。
    このように、指揮者同士の影響を論ずることが可能なのは、録音から細部の表現の継承や訂正の跡が辿れるからである。
    例えば、第2幕情景1の最後、暴徒と化した群衆が怒号と共に舞台になだれ込んでくるのだが、群衆一人一人がバラバラに喚きながら、そのカオスが次第に大きくなってくるという、(楽譜には記されていない)劇的な方法が使われている。
    この方法は、ロスバウトもシェルヘンもギーレンも用いていない。ブーレーズが最初に使った表現をケーゲルも踏襲したのである。(ちなみに、秋山和慶指揮による日本初演でもこの表現が用いられた。)

    他方、過剰な解釈は修正が図られた。
    ケーゲル盤のアロンはジークリート・フォーゲルで、彼は日本初演でもアロンを歌った。フォーゲルのアロンは悪人どころかむしろ善い人に聞こえるため、アロンに悪意がなくても群衆の暴力を制しきれなかったという、より中立的な解釈となった。

    そして、演奏面でも先行盤を凌ごうと、ケーゲルが妥協なく指導した跡が至る所に聴かれる。
    オケの音は細部までクッキリハッキリして、ブーレーズ盤でも聞かれなかったモチーフの呼応関係が聴こえてくる。
    合唱の鍛えられ方も半端ではなく、音程も発声も実に揃っている。
    「グレの歌」でも、合唱部分が異常に優れているので、ケーゲルは合唱にはこだわりがあるのだろう。

    テンポは全体的にキビキビ、音型はハキハキして軽快であり、テンポが重めなブーレーズ盤より聴き易い。
    しかし、ケーゲルの真摯さが終始演奏に反映され心地良いものの、曲の魅力には直結せずに音楽が流れてしまう傾向が無きにしもあらず。
    ブーレーズほど冷徹にも、ギーレンほど熱血にも徹しきれない、ケーゲルの優しさ故であろうか?
    だが、最大の聴きどころは最後に現れる。
    第2幕情景3も大詰め、狂った群衆は遂に破壊と自殺を繰り広げ始める。
    ここでケーゲルはぐっとテンポを落とす。
    そして、ギーレンもブーレーズも描き切れなかったオケの細部を、この上なく精緻に演奏し始めるのだ。
    シェーンベルクが精緻に、冷静に表現した、破壊と自殺の狂宴。
    その音楽が遂に真の姿を現したのだ。私は感動に戦慄を覚えた。

    そして情景5、モーゼとアロンの対決場面。
    ここでギーレンの演奏はカオスとなり、ブーレーズはギーレン盤の弱点を見事克服するも、細部は幾分曖昧なまま残された。
    ケーゲルは、室内楽的繊細さを欠くブーレーズ盤の弱点を克服し、シェーンベルクらしい細やかな音楽を丁寧に紡いでいった。
    そのせせらぎの如き旋律線の流れが合わさり、遂に大河となったとき、先人の成しえなかった感動的な演奏が生まれた。
    これぞ、ケーゲルが残した貴重な遺産。
    歴史に残したい「モーゼとアロン」の名演である。

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     2021/09/14

    弦楽合奏の快感、ここに極まれりといった感のある名盤だ。
    指揮者ミッシャ・ラフレフスキーは1946年ソ連生まれ。1973年にソ連を去り、アメリカなどで活躍した。後にモスクワに戻り、1991年にチェンバー・オーケストラ・クレムリンを創設した。このCDは1993年に録音されており、ラフレフスキーが育て上げたチェンバー・オーケストラ・クレムリンの非凡な表現力を堪能できる。
    シェーンベルクの「浄められた夜」Op.4(1899-1943)とR.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」(1945)とウェーベルンの「弦楽四重奏のための緩徐楽章」(1905)(ラフレフスキーによる弦楽合奏版)及び、「弦楽四重奏のための5楽章」Op.5(1909-1929)の4曲が収められている。いずれの演奏も素晴らしい。
    まずは「浄められた夜」。この曲は、大抵は第一ヴァイオリンに重心がある演奏をされる。ところがこの演奏では、ヴィオラ、チェロ、コントラバスといった、内声から低音部が驚くほど充実している。低弦のトレモロを聴いただけでその迫力に圧倒、魅了されてしまう。多くの演奏で曖昧に処理される声部もしっかりと響き、和声の美しさ、ポリフォニックな動きも楽しめる。緩急自在な解釈と、弦楽合奏の響きの魅力に乗せられて、終始心地よく聴いてしまった。これほど弦楽合奏の魅力を堪能させる「浄められた夜」も稀だ。
    次いで「メタモルフォーゼン」。この曲は最近苦手となっていた。R.シュトラウス晩年の力作には違いないが、「ツァラトゥストラ」の頃の溢れる創造性とは異なり、ワーグナーばりのゼクエンツの多用や、最終盤のグダグダから漂うキッチュ感が何とも不健康で、脳内で自動演奏されたりすると不愉快で困っていた。
    ところがこの演奏は、「メタモルフォーゼン」の良さを最大限に引き出し、曲の価値を再発見させてくれた。この曲は、主声部の弱さを何重にも重ねた伴奏声部で補強するように書かれている。ラフレフスキーの鋭い耳は、声部の厚塗りにより微妙に変化し続ける和声の魅力を実に精緻に具現化している。勢いに任せた部分がなく、精緻でしかも厚みがあり充実した響きなのだ。多重フーガがゼクエンツを繰り返す部分や、「英雄」の主題につながる最終盤は、音楽としての真正さを損なっているかもしれないが、それとて、将棋の大名人が、己の敗北を確信しても容易に投了せず、粘りに粘る姿を思わせて、感動を覚えたのである。
    西洋文明、西洋音楽の落日を描いたような「メタモルフォーゼン」の後で、ウェーベルンの「緩徐楽章」を聴くと、灰の中から音楽が再び蘇り、新緑が芽生えるような爽やかな感動に陶然とさせられた。なんとも美しく実に心地よい編曲と演奏で、是非多くの方に聴いてほしい音楽となっている。
    最後は「弦楽四重奏のための5楽章」の弦楽合奏版だ。ケーゲル指揮の名演ほどの緊張感はないが、これも良い演奏だ。新しい世界が開ける様を見せつつ、底にはロマンチックな感情が息づいていることを感じさせる演奏と言えようか。
    このCD一枚で、弦楽合奏の魅力を堪能しつつ、ロマンチックな音楽の死と再生のドラマさえ味わえる。カバーイラストのクリムトの絵が妖しいからと敬遠せずに、是非聴いていただきたい。

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