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0 people agree with this review 2025/08/10
Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第49集。今回の3曲で教会カンタータは136曲録音済みとなり、J.S.Bachの現存する全教会カンタータは、断片のみを含めて191曲なので、まもなく3/4を録音、史上7つ目のJ.S.Bach/教会カンタータ全集完成が見えてきたことになります。人的・経済的にとてつもない困難・苦労が伴う仕事であることは想像に難くないですが、それを乗り越えての偉業には本当に頭が下がる想いです。同時に、こうやって彼らの教会カンタータ全集の全貌が見えてくると、過去のカンタータ全集と比較して、あらためて彼らの全集の特徴、立ち位置が明確になってくると想われます。過去の6全集のうち、史上最初のJ.S.Bach/教会カンタータ全集であるHelmuth Rillingのものは現代楽器によるものでしたが、2番目の全集であるLeonhardt/Harnoncourt以降の5全集はすべてピリオド楽器によるもの。古楽の世界は西洋クラシック界で最も新しい分野だけに、古い演奏と新しい演奏の差はかなり大きい。古楽の文献的復興から演奏法の復興、演奏技術の進歩、楽器そのものの復興までLeonhardt/Harnoncourtが最初のピリオド全集を完成させた40年前と現在では、それこそ日進月歩の世界だけにあまりに違う。平たく言って新しい演奏の優位性はどうしたってあるでしょう。Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. GallenのJ.S.Bach/教会カンタータはその意味で、新しい時代の演奏であるメリットを存分に享受しているわけですが、決して時代が新しいためだけでなく、その演奏の技術の高さは素晴らしいもので、特に器楽の優秀な点は代表的な全集であるKoopman、Gardinerと比較しても遜色のないことが多いと思われます。加えてRudolf Lutzの音楽作り、強烈な個性のKoopmanや、考え抜かれた精緻な音楽が特徴のGardinerに較べると個性はやや薄いかも知れませんが、常に明確な方向性ときっぱりとした音楽解釈、テキスト解釈、そして生命力溢れる新鮮なリズムに支えられた音楽は、Peter van Leusinkや鈴木雅明の先行全集に勝るとも劣らない魅力を有しています。 この49集は何と言っても注目は106番「神の時こそいと良き時」。これまでRudolf Lutzの録音では、ヴァイマル時代のカンタータはそこそこあっても、ヴァイマル以前の初期カンタータは131番を除いて皆無でした。Rudolf Lutzのインタビュー記事を読むと、この106番に対してやはり初期から強い思い入れがあったようですが、ここに聴く106番はRudolf Lutzには珍しく、ほぼOVPP方式による演奏です。われわれファンからすれば、この「神の時」はどうしてもKarl Richterの信仰心に満ち溢れたあまりにも荘厳なArchiv盤が耳について離れないわけですが、Lutzの演奏は葬送音楽としての滋味をしっかり保ちながら、全く重苦しくなく活き活きとしたリズムとフレフレージングで音楽そのものの魅力を活かしています。明らかにヴァイマル以降のカンタータ演奏と一線を画してそれ以前のルネサンスからバロック、シュッツらに通じる再現で、以前の唯一の初期カンタータである131番「深き淵より」よりも明確な姿勢が感じられ、音楽的にも音楽史的にも意義深く魅力的な演奏と感じられました。残りの2曲中、ライプツィヒ2年目の顕現節のための154番「いと尊きわがイエスは見失われぬ」は規模の小さめなカンタータながら、Bachの明確な個性が刻まれた」アリア、アリオーソ、レチタティーヴォが詰まっており、Rudolf Lutzの演奏は過去のどの演奏にも決して劣らない魅力的なもの。成立年代・用途が不明の117番「賛美と栄光、至高の善なるものにあれ」は、ライプツィヒ中期・後期にかかるやや規模の大きいカンタータですが、決して高名ではなくとも、円熟期以降のBachの音楽が十二分に堪能できる美しく生命力に溢れた隠れた名品で、これまたLutzの演奏は過去のどの演奏にも遜色ない、幾度も繰り返しききたくなる魅力的な音楽です。総じてこの3曲が入った本盤はRudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータの中でも特に美しく、全集完成に向けた重要な一里塚として、多くの方にお薦めできる良盤と思われます。
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0 people agree with this review 2025/05/19
John Eliot Gardinerーこれほどまで広い時代にわたるレパートリーと、かつこれほどの質の高い演奏の数々を成し遂げてきた指揮者は、現代西洋クラシック界において歴史上他にいないでしょう。しかしながら自分の聴く音楽の大部分がJ.S.Bach中心であり、Gardinerの主なレパートリーも疑いなくJ.S.Bachであるにも関わらず、ほんのつい最近までGardinerのBach演奏にただの一度も感動したことがありませんでした。モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏レヴェルが他のあらゆる古楽演奏団体と比較しても段違いに優秀なのは言うまでもなく、加えてGardinerという指揮者の能力がこれまた他のあらゆる古楽系指揮者と別次元の領域にあるので(おそらく歴史的名指揮者に肩を並べ得る唯一の古楽系指揮者)、どんな演奏であっても優れてないことなどあり得ない。それでも自分は、過去高い評価につられて購入してきたGardinerのBachの大曲CDのどれ一つにも感動もできなければ、親近感を覚えたこともありませんでした。合唱も管弦楽も上手く、指揮者も上手い。けれど常に勢いはあってもどこか空虚で荒々しい、精緻さを欠いたMassiveな音の固まりに全く曲に入っていけず、毎回演奏を購入したことを後悔するのが常でした。このGardiner三度目のヨハネ受難曲も発売は知っていましたが、どうせまた失望するだけ、と敢て手を出していませんでした。それが別の事情でふと、Gardinerに興味を覚える機会があり、発売から3年でようやく入手しました。演奏は2021年、前回よりほぼ20年、まさに全世界にコロナ禍が蔓延し始め、世界中全てがロックダウンで日常を失っていた最中と思われます。で印象ですが、一聴してこれがいつものGardinerか、と思うほど、こんなに寂しくて暗いヨハネは想像していませんでした。他の評者も指摘されてる通り、導入合唱からすでに劇的というより、静的な時間が支配する空気が明らかですが、この3回目のヨハネの演奏を端的に表しているのがEvangelistの歌唱。ヨハネに馴染んだ方ならどなたもよくご存知の通り、マタイに較べて小規模でコラール、アリア、レティタティーヴォ・アコンパニャートなど、詳察の比重がマタイより低いヨハネは、自然Evangelistの語りの比重がマタイより重く、作品全体の大部分を占めると言っても過言でありませんが、この盤におけるEvangelistの歌唱は全体に徹底して遅めのテンポで、内容のひとつひとつを噛みしめるような表現が支配しており、自然、語られる内容の悲劇性ー悲痛さが否が応でも聴者に意識されます。決してすべてが名唱と言えるまでのレヴェルではなく、まだ若いかなと思われる瞬間も無くはないのですが、これがGardinerのとるじっくりとしたほの暗い作品の流れのなかで非常に存在感を放っています。もちろん、第二部以降、群衆合唱などヨハネならではの激しい部分もしっかりとあるのですが、それらはすぐに全体の暗く寂しい流れの中に埋没していきます。そしてEvangelistの語りと同時に存在感を放つのが、コラール・合唱。Gardinerの解釈自体も以前と比較してややロマン的と言えるような、微細なテンポの動き(決して露骨でなく控えめ)を伴っていますが、ゆったりと静かに歌い上げられるコラール・合唱の何としみじみと美しいことか!マタイに較べて小規模で存在感の薄いはずの第一部終結合唱がここまで存在感を持つ演奏はまれかと思います。そして言うまでもなく、判決から、処刑、イエスの死に至る後半の流れ。進むにつれて逆に激しさは退いていき、悲痛さと静けさがどんどん支配してくる。もちろん、そのピークは第一の終結合唱Ruht wohlと最終合唱Ach,Herrですが、この悲痛さはもはや完全にRequiemー死者のためのミサ そのものではないでしょうか。Gardinerはこの5年前にマタイの再録音(ライブ)を行っており、この時の演奏は、従来通りのGardiner、少なくともここまで悲痛で暗いものではありませんでしたので、彼の年齢がこの演奏の変化を生み出したわけではなさそうです。ここからは全く自分の完全な想像(妄想?)ですが、この演奏が行われた2021年、ヨーロッパ中心にCOVID-19が猛威をふるっており、しかもオミクロン株出現以前の、死亡率の高いデルタ株の時代、イギリスでも周囲で次々と人が死んでいっていた時期と思われます。日本でもそうでしたが、全世界の人間がこれほどに「死」に近かった時期は始めてだったでしょう。まして70代後半の高齢にさしかかっていたGardiner、一度COVIDに罹患したら生還できるかどうかは五分五分だったはずです。この演奏からは、死が己と隣り合わせであり、死が限りなく身近であった人間の恐怖が感じられるように思えてなりません。例えばW.Furtwanglerが戦後ベルリン・フィルに復帰した際のティタニア・パラストでの「運命」、あるいは戦後のバイロイト音楽祭再開にあたっての「第9」といった歴史上の情勢が生み出した演奏の緊迫が、やや大げさですがこのヨハネにも感じられるようにさえ思います。もちろん真相はわかりませんが、それでもGardinerという、骨の髄まで理知的で、演奏構造を磨き上げていくことで真価を発揮するような(それ故、Bachの大曲の演奏が必ずしも得手でないような)タイプの芸術家にして、これほどに心の声が聞えるような演奏が稀なののは確かではないでしょうか。このヨハネが宣伝文句にあるような決定盤かどうかはわかりませんし、数限りなく存在するヨハネ演奏のなかで、どれだけ上に来る演奏かも判断できませんが、少なくともこれだけの音楽家にしてちょっと過去に類をみない演奏であり、自分個人としてはGardinerに対する興味が始めて起こってくる盤でした。これまでのGardinerファンには逆にお薦めできるかどうか自信ありませんが、この時代にしか現れなかった貴重なヨハネ受難曲演奏として、Bachファンの記憶にとどめる価値のある演奏と考えます。
1 people agree with this review 2024/06/05
自分がA.Bacchettiの演奏に初めて接したのはいまから13年前、まだ彼が30代前半に録音したゴルドベルク変奏曲で、その演奏は現代ピアノによりながら古典派・ロマン派以降のクラシック音楽伝統に全くとらわれず、一方で凡百のピアニストがとらわれがちなGouldの新旧盤の演奏にも引きずられることもなく、開放的で美しく完成度の高い良演でした。一方で、同時期に録音されていたインヴェンションやイギリス組曲、トッカータ集は、美しいけれどいまひとつ個性に欠ける印象だった記憶があります。あれからちょうど10年、新録音は何と難曲中の難曲、平均律(それも第2巻!)ですが、結論をさきに申し上げますと、これは現代ピアノによる平均律第2巻の最上位に位置づけられる演奏と思います。そもそも自分はふだん古典派以降をほとんど聴かないので、平均律を聴くのも当然チェンバロ中心、現代ピアノによる平均律はひとより聴経験に乏しいのですが、その乏しい聴経験から、どんなに高名なピアニストでも、この平均律第2巻はかなりペダルを多用し、テンポも動かし、時にまるで古典派以降の音楽のような強弱法を使用する恣意的な演奏が決して少なくないと思います。第1巻に比較して比較的まとまりがなく(いみじくもGouldが指摘したように前奏曲とフーガが合っていない、etc)その反面、Bach後半生の時代を反映してか、音楽の性格も前古典派の入口にいるような曲もいくつかあり、こういったある意味緩い全体の構築が、モダン・ピアニストの名手達が上記のように手を入れたような第2巻の演奏を多く発表している要因かもとも思います。自分が知る限りこういう点で最も恣意的なのはバレンボイム辺りかと思いますが、一般に Bachのスペシャリストと認識されてるSchiffやHewittでも平均律第2巻はペダルを多用しテンポも動かし、まるでロマン派音楽のような大仰な演奏が時折みられます(むしろS.Richterなどは抑制的かも)。脱線して申し訳ありませんが、今回のBacchetti、とにかくこれだけノン・ペダル、ノン・レガートを徹底した第2巻の演奏は、自分はGould以外に知りません。しかしながら、13年前のGoldbergがそうであったように、Bacchettiの演奏にGouldの影(影響?)はほとんど感じられず、やはり伝統からもGouldのしがらみからも自由な演奏なのです。Gouldの平均律第2巻はBach音楽の空間的・時間的構造をどこまでも突き詰めた極限の厳しい姿で、後にも先にも比較するもののない唯一無二の名演ですが、Bacchettiの演奏はGouldとは全くと言って印象が異なる。Gould同様にノン・ペダル、ノン・レガートを徹底しあくまで低音声部を絶対の基礎としてBachの線的対位法を追求しながら、演奏の姿勢があくまで自然であり、その場その場の音楽の流れをこの上なく重視して(しかも意図した恣意は皆無)時に即興的ですらあります。こういった演奏として当然、Gouldの名演ほどには縦の線がきちっと揃って整然とした演奏でなく、ある意味緩さも残した演奏かもしれません。ただ一方で、A.Bacchettiのどの曲のどの声部も等しく楽しげに大切に自然に弾かれる演奏で聴くと、第2巻のなかでも普段目立たないような曲でもいきいきと魅力的です。Bachの音楽にあくまで厳格に忠実であろうとしながら、心からのBachへの愛が自然に滲み出すようなこんな演奏を、自分は現代ピアノによる平均律で聴いたことがありません。もちろん、いくつかの大曲、たとえば22番フーガなどで、いまだに全体の構造把握が徹底していないかな、という瞬間もなくはありませんが、47歳というまだまだ若い年齢でこれからの伸び代がむしろ楽しみでなりません。一聴すると地味で華やかなところもないので、モダン・ピアノによる大仰なBachがお好きな方にはとてもお薦めできませんが、J.S.Bachの音楽を真に愛する方には是非とも一度聴いていただきたい新鮮な名演奏と思います。
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3 people agree with this review 2023/12/10
Bachファンの「あるある」で、Goldberg変奏曲のCDは人並みに数えきれない位貯まってしまいましたが(笑)、このアルバムを聴いた時はちょっとびっくりしました。演奏者について何の知識もなく聴いたのですが、これほどにGouldの55年盤に生き写しの演奏も稀かと思います。経歴をみると1984年生まれ、誕生した時にはすでにGouldは他界しており、演奏者自身のGouldについてのコメントも見当たらないので、おそらく直接的な模倣等ではないと思うのですが、それにしては演奏のテンポ、リズム、フレージング、声部間のバランスすべてが、あの世界で最も有名となったGouldの旧盤そのままです。もちろん現代のGoldberg演奏でGouldの影響を多少なりとも受けていないものを探す方が難しいでしょうが、ここまでの影響はちょっと珍しい(しかも新盤でなく旧盤の影響!)。近年、日本を含めた非西欧世界の奏者によるGoldbergはどんどん増えており、そういった演奏には己の音楽的背景を強烈に演奏に刻み込まれることも多く、そこがまたこの類例をみない包容力を持った作品の魅力でもあるわけですが、このオラフソンの演奏に接すると、西欧世界においては未だにGouldの影響は強烈で、それが無意識にこの若い奏者の演奏に表れてしまったのかな、と想像します。自分たちBachファンのようにGouldと共に生きてきたとさえ言える人種にとって、未だにこれだけの強烈なGouldの影響下にある演奏に出会うことはもちろん不快ではなく、むしろ懐かしさで快適ですらありますが、一方でGouldの語法にどこまでも忠実な演奏からは、基本的にGouldの演奏から見えるのと同じ世界しか見えてこないので、その意味で意外性からやや遠い演奏であるのも事実です(演奏の先が完全に想像できてしまうから)。演奏者が自分の音楽的背景をこの作品にぶつけることで、Goldberg変奏曲がまるで違った様相を呈し、様々な世界の音楽体験を開示してくれるような感動はここには求められません。かろうじて楽曲の最後、第29、30返送において、ようやくこの奏者の自我の開放がみられるように思われ、今後この作品を幾度も幾度も演奏されていくにつれ、従来の影響にとどまらない違った演奏がなされることを期待したいと思います。ちなみにピアノ演奏の質としては(録音の優秀さもありますが)全く濁りのない正確無比な素晴らしい腕前で、この一点では現代ピアノによるGoldberg中でも疑いなくトップクラス、ちょっと並ぶもののない技術であると思います。
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2 people agree with this review 2023/09/18
Bernard FoccroulleがRicercareにて完成させたJ.S.Bach/オルガン作品全集。実は数年以上前に購入済みだったのですが、仕事の忙しさでなかなかまとめて聴く機会を作れず、今回初めて全曲を聞き通しました。この盤、録音時期は1982~2008年と26年に亘ってますが、その大半は1980年代から1990年代はじめ、Foccroulleの20代後半から40歳前半の比較的若い時代に録音されています。この全集の最大の特徴は他の評者も述べられてますが、現時点でおそらく最多の収録曲数(フーガの技法未収録ながら300曲ほど、昔のWalchaらの2倍以上)を近年のBach研究の成果に基づき、成立年代順に収録したことでしょう。ちょっとでもBachの作品の歩みに関心のある方なら、よくご存知と思いますが、Bach作品はたとえBWV番号を与えられてる作品であっても真贋がはっきりしてないものが多数あり、それは特にオルガン作品において最も顕著で(特にコラール!)、完全にBachの真作と確定したものはかなり数が減ります。そこらへん、どこまでを収録するかが常に課題になると思うのですが、この全集の基本姿勢は一曲一曲を歴史的・音楽学的根拠を検証した上で、BWV番号があっても現在すでに他人の作品であることが学術的に確定したものを完全に排除し、Bach真作確定作品と、疑いはあるが真作の可能性も残っている作品を(原則として)ほぼすべて演奏しています。従って、近年の新発見であるノイマイスター写本や2008年の新発見曲であるファンタジアBWV1128、さらには未だBWV番号が与えられていないがBach作の可能性がある曲も積極的に収録しており、資料的価値としては現在望みうる最上の全集と言えるのではないでしょうか(なぜかBWV1121が収録されてませんが...)。FoccroulleのDiscの常として、自らかなり詳細な解説を執筆されており(これだけの大全集なのに!)、いつもながらその学識と誠実な姿勢には本当に頭がさがります。全集内容ですが、そもそもBachの作品で成立年代がある程度確定しているものは実は少数で、大半は成立年代が未確定、よくって大体この頃、くらいなので、こういった成立年代順に構成していく作業はどこまでいっても完全な満足は望めません。正直、なぜこの作品がここに、っていう曲は複数ありますが、それでもFoccroulleと制作チームができる限り最新の研究成果に沿おうとした結果であるのは痛いほどよく解りますので、全集構成に関して大きな不満はありません。むしろ問題なのはBachのごく若い時代、それも真贋のはっきりしていない作品群を含めて成立年代順に曲を並べることで、全体の印象が玉石混交の茫漠としたものになりかねないことで、これは最近進行中のBenjamin Alardの鍵盤音楽全集でも全く同じ印象を持ちました。このFoccroulleの全集でも全体の1/3以上を占める若い時代の作品群を扱う盤ではそういった聞き終えて全体の印象が残りづらい憾みが否定できず、こういった構成が演奏そのものに対する否定的な評価につながりかねないと思えました。あの奇跡的なフーガの技法をFoccroulleが録音したのは60歳近く、この全集の大半はそれより20年前の録音なので、Foccroulleのオルガニストとしての技量もこの当時はまだまだ発展途上にあったはず、部分部分で演奏自体に満足できない印象も否定できませんが、この全集構成自体がその印象にやや拍車をかけることになったかもしれないと(他の評者の「下手」という評価をみて)思いました。ただ冷静に一曲一曲を取り出して聴けば、この若い時代のFoccroulleが若手オルガニストの水準を遥に超える名手であることは感じ取れ、たとえHelmut Walchaの前人未到の透徹した名演奏には遠く及んでいなくても歴史的、資料的、音楽的に十分に一級品の価値を有することは認められます(余談ですが、逆にフーガの技法に関して言えば、Walchaといえど2010年のFoccroulleの名演には全く及んでいません)。細部でいえば、これを超える演奏は複数あると思いますが、それでも全体的にみて現在最も価値の高いBach/オルガン作品全集の一つであることは疑いないと思います。
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0 people agree with this review 2023/08/23
Benjamin AlardによるJ. S. Bach鍵盤音楽全集第2巻。演奏以外の事から記して恐縮ですが、この盤のPeter Wollnyによる解説で(今回はAlardのインタビュー記事はなし)、この全集企画が誰がどのようにリーダーシップをとって進めていくのか、1巻の時より大分解るようになってきたように思います。おそらく企画・選曲の要になっているのはWollnyを中心とした音楽学者達で、それにAlardが演奏担当で関わっていくようですね。もちろん若くして「アンドレアス・バッハ写本」CDを出す位の、歴史的な音楽に対する見識が半端無いBenjamin Alardですから、ただ言われた曲を演奏するのではなく、企画段階から積極的に参加していってるのは想像に難くありませんが、それでもこの全集企画の主になっているのはmusicologist達であるのはほぼ間違いないでしょう。第2巻である本盤はアルンシュタット時代を中心に、J.S.Bachの北ドイツ(オルガン)楽派との関わりをテーマにしたもので、CD1がJ.S.Bachがアルンシュタット時代に実際に旅して滞在したリューベック、CD2がリューベック滞在時に訪問していたハンブルグ、CD3がノイマイスター・コラール中心のオルガン・コラール、CD4がそれで収まりきらない(と思われる)曲集となっています。CD1の最初とCD2の9曲目に最新(2006年)の発見であるWeimar Tablatureに記されたBach自身による最古の筆写譜(15歳、少年時代リューネブルク留学時)の題材であるBuxtehudeとReinckenの作品も収録されてることから、アルンシュタット時代にとどまらず、Bachの強固な音楽的バックボーンとなった北ドイツを広く扱った巻と言えるでしょう。今回1巻の時より個々の収録曲に関する解説がかなり丁寧になっており、それを読むと選曲と配置はPeter Wollnyらによる曲の様式研究を大きな柱とされているようで、個々の曲の成立年代等もこれまでの研究よりもはやめの時期を想定していることが多いようです。ここらへんは、現在でも議論の対象になっているところでしょうが… 1巻の時同様、偽作とされてきた作品も複数含まれており、真贋論争も同様でしょうから、やはり私たち音楽学の素人にとっては、もう少し各作品についての丁寧な解説が欲しかったところです。演奏は1巻同様、堅実さと若々しさを併せ持った好感の持てるものですが、瑞々しい詩情は美点である反面、特にオルガン演奏においてやや大味な面も否定できず、ここらへんは純粋なオルガンの大家であるFoccroulleらの安定と明晰さにはまだだいぶ及ばないかな、というのが正直な印象です。Alard自身はマルチ楽器奏者であることが信条の一つなのでしょうが、聴きての自分達としてはやはり本分はチェンバロ演奏にあるように思えます(ここらへんはオルガンがダントツだったKoopmanとは反対ですね)。学術的・資料的には意義の深い全集なので、古楽ファンには(ややマニアックですが)一聴の価値は十分あると思います。
2 people agree with this review 2023/08/15
Benjamin AlardによるJ. S. Bach鍵盤音楽全集第8巻。今回何故かBachの一人目の妻、マリア・バルバラに捧げられていますが、内容的には二人目の妻アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳収録曲もあり、あまりタイトルにはとらわれず、「ケーテン前期」とでも理解した方がよいかも知れません。この全集企画全般に言える収録曲についての非常に不十分(不親切?)な解説はこの巻でもそのままですが、幸か不幸か収録曲の主要部分がインヴェンション/シンフォニアとフランス組曲全集という非常によく知られた作品なので、これまでの巻ほど、不満を覚えることは少ないかも知れません。ただそれでも(前々巻の平均律1巻時にそうであった)インヴェンション/シンフォニアの独自の曲順についてのAlard自身による詳細な解説が欲しかったと、(音楽の素人的には)思ってしまいますが...。全3CD中、CD1はほぼ無伴奏ヴァイオリンからのチェンバロ編曲、CD2と3がインヴェンション/シンフォニアとフランス組曲全曲に当てられており、われわれが耳にしたことのないような珍しい作品は本巻にはほとんど含まれておらず、馴染のある作品ばかりです。演奏は企画の独創性とは裏腹に堅実そのものであり、信頼のおける反面、過去の諸名演と較べて飛び抜けて優れた点はみつけにくいのも確かです。ここらへん、Bachの円熟期にさしかかり、作品の質も急速に充実していくと、それに追いついていないAlardの若さが意識されることはやむを得ないように思います。これは簡潔でごまかしの効かないインヴェンション/シンフォニアで特に感じることが多く、この曲集が演奏の難しいクラヴィコードを使用しているのも影響しているかも知れません。これまでの巻でも感じましたが、Alardは未だクラヴィコード奏者としてはまだ発展途上なのでしょう。昔、Kirkpatrickが平均律をクラヴィコードで演奏してチェンバロとは全く違う魅力を展開してみせたレベルにはまだ遠いように思います。とはいえ、誠実で意欲的な盤には違いなく、解説書の不十分さを差し引いても、一度聴いておく価値はあると思います。
0 people agree with this review 2023/07/30
自分がBenjamin Alardに初めて接したのはおそらく、S.Kuijken/La Petite Bandeの録音だったと思うのですが、その時はそのチェンバロ奏者に特に関心を持つ事はなく、その後S.Kuijken氏からいただいた著作にわざわざその名前が触れられていたのを読んで興味を持ち、J. S. Bachのパルティータ全集を購入しました。その全集は録音当時Alardがわずか25歳であったにも関わらず、Bach組曲中の最難曲集(個人的に名演がほとんど思い当たらない!)に対して、あまりに自然な適合性をみせていたのに驚嘆したのを覚えています。で、このAlard最初の大仕事、バッハ鍵盤音楽全集ですが、あえて最初に苦言を呈しておきたいと思います。おそらくこの仕事はAlard一人の制作企画によるものでなく、Harmonia Mundi France、(Basel) Schola Cantorum、ひょっとすると解説を執筆しているPeter Wollnyらも加わったチームによる一大プロジェクトではないかと思うのですが、企画、選曲すべてがそれこそ最新のBach研究成果を取り入れた非常に高度な内容であるのはわれわれ音楽学の素人にも朧げには想像できます。問題は、CDに附属した解説がPeter Wollnyの概括的なものと実際の演奏についてのAlardのインタビューのみで、曲ひとつひとつに、何故この曲が選ばれてどのような背景、位置にあるのかの詳細な解説がほとんどなく、よほどのBach音楽学の専門家でなければこの演奏内容の意義が説明なしでは了解できないことです。たとえば、この1巻はBachが故郷を離れて音楽の修業を本格的に始めたオールドルフ、リューネブルク若い頃の作品数十曲は(明らかに偽作と考えられる5曲ほどを含めて)、ほとんどが作曲年代が未定です。出典がアンドレアス写本の5曲、メラー手稿譜による8曲はおおよそい、アルンシュタット時代に割り当てられているのですが、ここに収録されているBachのつまでとの類推はできているでしょうが、13曲と最も多いノイマイスター・コラール集からのものは作曲年代の手がかりがないのが現状のはずなので、この収録曲をこの3時代に割り振った根拠が解りません。ここらへんは日進月歩のBach研究によって、どんどん新しい学説が出ているかも知れず、それを根拠にして制作されているなら、ぜひ一曲一曲の解説を記載して欲しかったところです(古のDavid Munrowは遺作の名盤「ゴシック期の音楽」において、自ら一曲一曲の詳細な解説を書いており、古楽CDはかくあるべし、の見本でした)。CD企画についての文句を最初に長々と書きましたが、このCDの内容については最新の研究成果を踏まえた非常に貴重で興味深いものであるのは疑いなく、歴史的にも意義の高い企画となるのは間違いないでしょう。Benjamin Alardの演奏は、そうした最新の研究を踏まえた控えめながら高貴で新鮮味あふれるもので、チェンバロにおいてもオルガンにおいても美しい一級の良演奏と思います(BWV992がオルガンで演奏されるのだけは違和感が拭えませんが)。自分らBachファンを自任するものでも、これまでそうは耳にできなかった曲の数々をこれだけ上質の演奏で今後繰り返し聴けることは大きな喜びです。歴史的CDとしては資料的に不親切なのが強烈に不満ですが、できるなら今後詳細な解説をつけた国内盤の発売を期待したいと思います。
1 people agree with this review 2022/10/23
Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第38集。今回の3曲も、公現節、聖霊降臨節、使途不明(宗教改革記念日?)のカンタータと選曲に統一性はありません。録音は1,3曲がコロナ禍真っ只中の昨年、2曲目が2010年でコロナ禍であるにも関わらず精力的な活動ペースは決して衰えていないのは頼もしい限りです。おそらくカンタータ全集を目指す活動としてはようやく折り返し地点を越えたところ?このところのR.Lutzの演奏は、選集開始初期の非常に鋭角的で鮮烈な演奏姿勢はやや陰を潜める傾向にあり、そのかわりに良くも悪くも中庸で穏健な音楽が大勢を占めているように感じられますが、ここに収録されている決して高名とは言えない3曲においては、丁寧で暖かみのある再現がプラスに働いているように思います。最近時にやや鼻につくように感じられる、コラール演奏に挿入されるR.Lutzのソロも(マタイ受難曲におけるそれは、はっきり言って邪魔だった!)今回は控えめであり、強い個性には乏しいものの、この3曲を聞くなら優先的に考えられてよい選択肢ではないでしょうか。あと、演奏とは関係薄い点でしょうが、自主製作の輸入盤としてRudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenの値段は上がる一方で、コスパ的に非常に不利なのは気の毒としかいいようがありませんね。
0 people agree with this review 2022/10/17
J.S.Bachのカンタータ選集を録音している団体も今では全部把握するのが困難なくらい多くなってきましたが、厳格なOVPPによるものは本家本元のJ.Rifkin始めとして現在でも決して多くありません。OVPPによるカンタータ全集は未だ存在せず(近い将来現れる見込みもない?)、選集で最も質量ともに高いのは疑いなくS.Kuijkenのものでしょうが、それ以外で注目すべきはP.Pierlot/Ricercar ConsortとこのE.Milnes/Montreal Baroqueの2団体。前者はベルギー、後者はカナダですが、その演奏は同じOVPPであってもかなり異なります。P.Pierlot/Ricercar Consortの演奏が微妙なテンポの揺れと多用されるレガートによって、非常に艶やかで色彩豊かであるのに対して、E.Milnes/Montreal Baroqueは精彩溢れるリズムと早めのテンポ、どうかするとスタッカートも強調した動的な印象が強いもの。それが曲によってはやや情感を欠いた乾いた再現に結びつく場合もありますが、このCDに収録された3曲は名曲中の名曲ばかりであることも大きいですが、Milnes/Montreal Baroqueのこれまで出された8枚の盤の中で、最も成功したものと言えるのではないでしょうか。この3曲、すべて聖母マリアに関連したカンタータを集めていますが、まず何と言っても冒頭の第147番の演奏が素晴らしい。Bachのカンタータ中で最も有名で演奏される機会も多いでしょうが、実はその割に名演と呼べる演奏は、K.Richterの本当に若い頃の演奏(ミュンヘン・バッハ合唱団以前)を除けばどこに?と困ってしまうくらいに見当たらず、実はこの隅から隅まで美しく心の篭った名作からその真価を引き出すのは至難であることが解ります。その大きな理由はこの曲の細部から全体に至るまでの再現に最適なリズムとテンポを見いだすことがかなり難しいからであると思われるのですが、Milnes/Montreal Baroqueはこの名曲に相応しいリズムとテンポをかなりな部分まで至適に見いだし、それを高い演奏技術で見事に再現しており、Richterの歴史的名演に並ぶまででなくとも、かなり迫った名演奏と言えるのではないでしょうか。一転して超内省的な第82番は、言うまでもなくバッハカンタータ中バス独唱曲として一二を争う名曲であり、当然ながらソロイストの力量に大きく依存します。歴史的にもRichter盤のFischer-Dieskauを始め、名歌手が数多くの名演奏を刻印してきていますが、この盤におけるStephen Macleodは往年の名歌手のレベルには達せずとも、堅実で自然な歌唱は非常に好感が持てるものであり、またサポートするMilnesの指揮が曲の性格と内容をしっかり掴んだ的確な背景を提供しており、近年の古楽系の第82番の演奏としては上位に置いて差し支えないものと思われます。最後の第1番もBachの至宝の一つと言える名曲中の名曲ですが、この衆知の作品に対してここでのMilnesらは全く衒いのない自然なテンポ設定と解釈で曲の美しさを全く損なわない(実は大変に難しいことですが)名演奏を披露してくれています。OVPP演奏中のみならず、Bachカンタータの演奏史中でも記憶されてよい名盤と言えるのではないでしょうか。Milnes/Montreal BaroqueのBachカンタータ選集は現在2016年の第8集で止まっていますが、これだけの良演奏はそうあるものでないので、コロナ禍の困難な状況ではありますがぜひ今後も続編の発売を期待したいところです。
0 people agree with this review 2022/09/18
目立たない作品ばかりながら、厳格な歴史的考証とこれ以上ないくらいの堅実な歴史的再現に裏打ちされた良演と思います。バッハのカンタータももちろん魅力的ですが、それ以上に、テレマン、ブクステフーデらの佳品がかけがえのないもの。
0 people agree with this review 2022/07/18
最近のクラシック音楽情報に全くついていってないこともあって、この奏者は全く初めて聴きました。デビューアルバムにJ.S.Bachを選んだあたり、かなりな思い入れが感じられますが、唯一編曲でないイタリア協奏曲は全くの正統的・常識的な演奏で、特に印象に残るレベルではありません。それ以外のすべては他楽器作品からの(本人の?)編曲ものですが、こちらはかなり原曲から変えておりこの若い奏者の基本スタンスが作品の歴史的再現よりは、作品を題材にした自己表現に主眼を置いていることが窺えます。演奏面でいえば、声部の絡みをあくまで繊細に、正確に表出していく点で未熟さが否めない(M.Esfahaniなんかもそうでしたが)。海外評価は高い方のようですので今後に期待できればいいのですが。
5 people agree with this review 2021/06/25
管弦楽組曲はあらためて言うまでもなく、J.S.Bachがひとまとまりの曲集として構想したものでは全くなく、様々な機会に作曲された作品の寄せ集めであり、ブランデンブルグ協奏曲や、無伴奏ヴァイオリン、無伴奏チェロ組曲とはそこらへんの成立事情・性格が大いに異なります。この4曲は様々な経緯(改作)を経て、おそらくいずれも最終的にライプツィヒ時代の演奏機会(コレギウム・ムジクム?)に現在伝えられる版に近づけられてきたことが、逆にその共通点と言えるので、全体としてのオリジナル版という呼び方は意味があまり大きくない。そういう事情から、これまで「管弦楽組曲のオリジナル版」という録音は珍しかったし、自分も耳にするのは初めてです。これだけ珍しく貴重な演奏なのだから、この演奏の版の作成者は明示されるべきなのに、このレーベルは全くそれをしていない。これは第2番のフルート奏者の名前を記載してないのと同じくらい、聴くものには不親切で配慮が欠けていると思います。解説文(Mortensenによるものでない)からは、主にJ.Rifkinの論文・研究結果を参照して、演奏者が独自に校訂した版であろうと想像されますが.... 始めにこのCDに対する大きな不満点を書きましたが、実は演奏の質は、さきのブランデンブルグ協奏曲に決して劣らない、Bachファンでもめったに出会えない上質なもの。Mortensen/Concerto Copenhagenは、演奏者を極力減らして純度の高い、それでいて全く中庸としか表現できない絶妙なバランスの演奏を実現させており、この4曲中では通常版と差が少ない第1番・第2番においてその魅力は絶大です。おそらく聴くものにとって最大のハードルとなるのは、最も高名な第3番で、この曲からはトランペットとティンパニがはずされており、ちょっと同じ曲と思えないほど。この3番の伝承資料の最古が1730年であることを考えれば、歴史的に当然のように伝えられてきた「ケーテン時代の作と思われる」という記述は見直されており、何よりも現在のVerに向けてBachが作品を研磨し完成させていった事実は重いと思われ、このCDに聴くVerがより芸術的に価値が高いか、より作曲者の意図を反映したものであるか、は難しいところと思います。しかしながら全く独立した作品として鑑賞すれば、ここに聴くVerも限りなく魅力的には違いなく、Mortensen/Concerto Copenhagenの演奏も全く過不足ないあるべき音楽があるべき形で提示されています。同じくトランペットとティンパニがはずされた第4番は、この冒頭曲によるパロディが高名なクリスマス・カンタータとして1725年に演奏されているので、少なくとも冒頭曲の成立がケーテン時代以前という根拠が最も明確です。J.S.Bachがこの4番で、最終的にどの形が理想的と考えたかは難しい問題ですが、個人的にはこのVerは本来のこの音楽の性格に(少なくとも第3番よりは)よく適合するように考えられました。J.S.Bachの管弦楽組曲全集は、何気ない音楽のようでいて同時代はもちろん歴史的に凌駕するもののない傑作集と思いますが、Bachの多くの作品がそうであるように、過不足ない真にBachの音楽構造に寄り添った再現はほとんどなく、自分の知る限りTrevor Pinnock/English Concertの新盤くらいではなかったかと思いますが、Mortensen/Concerto Copenhagenは演奏そのものはPinnock/English Concertに迫る素晴らしさと思いました。CDとしては大きな不満はあるものの、貴重なVer.による貴重な録音であること、管弦楽組曲の十全な演奏は実は極めて少ない中で、めったに出会わないくらいの質の高い演奏であることを考え、推薦とさせていただきます。
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0 people agree with this review 2021/05/06
Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第25集。今回も3曲の選曲に特に脈絡は感じないものの、すべて高水準のピリオド演奏。まず降誕祭のためのBWV91「讚えられよ、イエス・キリスト」は、クリスマス・カンタータとしてはどちらかと言えば目立たない小規模なもの。この曲にはS.KuijkenのOVPP盤が比較的記憶に新しいところですが、Rudolf Lutzらの演奏は自然な流れとクリスマスらしい華やかさをもった好演で、甲乙つけがたいところです。K.Richterの演奏もあるBWV175「彼は羊らの名をよびて」は、聖霊降臨節日曜日のためのものですが、小規模ながら結構入り組んだ内容を表現する佳品で、演奏は決して容易ではないと思われます。ここでの演奏もピカイチという程ではないにせよ、曲の持ち味に寄り添って好感のもてるものに仕上がっています。最後のBWV29は市参事会交代式のための祝典用の曲で、パロディに溢れた華やかなもの。冒頭曲が無伴奏ヴァイオリン・パルティータ3番のPrelude、次がロ短調ミサのGratias/Dona nobis pacemと名曲の転用で、当然全体のまとまりは重視されないものの、当時の演奏効果は抜群であったでしょう。Rudolf Lutzらの演奏は過度に華やかさを強調しすぎない、堅実なもので、安心して聴ける好演です。全体として目立たない盤ではありますが、これらの曲ひとつひとつにとって、過去の演奏者に劣らない良心的な選択肢ではないかと思いました。
0 people agree with this review 2021/05/03
Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第24集。今回も特に統一性のない選曲の3作品ながら、非常に質の高い好演揃いです。復活祭のためのコラール・カンタータBWV127はライプツィヒ2年目ですが、決して知名度は高くないながら、冒頭合唱、アリアほか、非常によくまとまった佳曲ばかりで構成され、そういった持ち味をRudolf Lutzらが丁寧に誠実に生かして美しい逸品に仕上げています。2曲目のBWV156「わが片足はすでに墓に入り」の冒頭曲は、おそらくBachのあらゆる旋律の中でも最も有名なものの一つであり、われわれには何と言ってもチェンバロ協奏曲BWV1056の第2楽章として忘れられません。カンタータ全体としてはそれほど演奏頻度は多いものではありませんが、全体としても楽章一つ一つのレベルも高く、小規模ながら愛すべき作品であり、こういった小品においてRudolf Lutzらの地に足のついた誠実なアプローチがとても生きています。最後のBWV97はBachのやや後期に属する演奏機会不明のコラール・カンタータで、これも知名度の高い曲ではありませんが、細部から全体にいたるまで様々な技法の使われた充実した作品です。演奏難度も低いものではないでしょうが、Rudolf Lutzらは決して技巧の誇示に陥らず、また勢いに任せたりすることなく、曲の魅力をひとつひとつ丁寧に紡いでおり、非常に好感が持てます。盤全体として、目立つような特徴はないながら、この3曲に関する限りモダン・ピリオド含めてこれまでのすべての演奏中でもトップクラスのオススメ演奏ではないでしょうか。
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