Parsifal : Laufenberg, Haenchen / Bayreuther Festspiele, K.F.Vogt, Pankratova, Mckinny, etc (2016 Stereo)
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村井 翔 | 愛知県 | 不明 | 06/November/2017
近年の読み替え演出の様々な問題点を集約したような舞台。まず第一に舞台を現代の中東(第1幕間奏曲の間に投影されるグーグルアース風映像によれば、シリアとイラクの国境あたり、当時のIS支配地域とのこと)に移したこと。これについて私は、説得力があれば何でも認めようという立場。キリストに擬せられたアムフォルタスを使って血糊たっぷりの血なまぐさい聖餐式が演じられる第1幕終わりまでは、おおむね肯定的に見た。しかし第2幕、クリングゾールのアラブ風の館になると、そこには(本来いないはずの)アムフォルタスが囚われている。歌のパートがない人物を登場させるのも昨今の演出ではおなじみの手法だが、このアムフォルタス、「アムフォルタス!」と自分の名前が絶叫されているにも関わらず、ただ見ているだけで何も反応しないのだ。この黙役の扱いがいかにもまずい。第3幕、聖金曜日の奇蹟の場面では舞台奥にオアシスが出現し、そこで女性の全裸を見せたりするが、ここで最も肝心なパルジファルとクンドリーの心の交流についてはさっぱり描かれない。最大の問題はエンディング。この演出では第2幕終わりでパルジファルが聖槍を折ってしまっているのだが、彼がその折れた槍(ドイツの批評家の解説によれば、槍にはイスラエルとシリアの国旗をはじめ、様々なものが巻き付けられているとのこと)をティトゥレルの棺桶に投げ入れると、まわりの人々も七枝の燭台(ユダヤ教のシンポル)や十字架、数珠(仏教?)などの宗教的象徴をそこに投げ入れてしまう。素直に理解すれば、宗教を捨てよということらしいが、そんなことで二千年来のパレスチナ問題が解決するわけないでしょうが。最終場面にクンドリーは現れないので、ワーグナーのト書き通り、彼女が死んだのかどうかも分からない。オペラ演出に政治的メッセージを持ち込むなとは言わない。しかし一番いけないのは、作品そのものの解釈とちゃんと向き合わずに(シリア難民の大量流入に苦悩していた2016年のドイツでは特に受けたであろう)口当たりのいい政治的メッセージにオペラの結末を丸投げしてしまったことだ。 ヘンヒェンの指揮は中庸かやや速めのテンポで手堅いが、ただそれだけ。近年、バイロイトで『パルジファル』を振ったガッティやフィリップ・ジョルダンですら聴かせてくれた「形而上的な」次元に欠ける。歌手陣の中で文句なしなのはツェッペンフェルトのグルネマンツだけ。フォークトはいつも通りの輝かしい声だが、全曲の真ん中での主役の「覚醒」が的確に描かれないので(もちろん演出の責任だが)説得力に乏しい。パンクラトーヴァも声は立派だが、演技の方は全く生彩なく(これも演出の責任)、存在感が薄い。マッキニーは(この演出ではキリストそっくりに見える必要があるので)見た目重視の起用と言えるが、歌の方はイマイチ。4 people agree with this review
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