Debussy (1862-1918)

CD Nobuyuki Tsujii plays Debussy

Nobuyuki Tsujii plays Debussy

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  • ★★★☆☆ 

    遊悠音詩人  |  埼玉県  |  不明  |  01/April/2014

    「盲目でこれほどのピアノが弾けるのか。」 辻井伸行を聴くとき、大方の人はそう言うだろう。 もし、彼が盲目でなかったとしたら、クラシックファン以外の知名度など皆無に等しいヴァン・クライバーン国際音楽コンクールでの優勝という快挙が、あれほど津々浦々にまで知れ渡り、マスコミにより連日騒ぎ立てられ、数多の俄かファンを生むなどという異様な現象は起こらなかったかも知れない。 だが、こうした風潮が、昨今世間を賑わせている「耳が聴こえないのにあれだけの交響曲を書ける作曲家」という、虚像を生み出したに違いないのである。 おおよそ、話題性と芸術的真価とを取り違え、ハンディキャップを持つ人間に対して、憐憫という名の差別意識を持つ人が余りにも多い。 これを克服しない限りは、我が日本におけるクラシック音楽のレベルは未来永劫ヨーロッパに太刀打ち出来やしないだろう。 実際、ここに聴くドビュッシーも、綺麗なのだが何かが明らかに足りない。 それは「色彩」である。 ドビュッシーは印象派の巨匠として名高い。印象派といえば元々は絵画の世界の言葉だ。モネ、マネ、ルノワールなどの絵画を見れば分かると思うが、輪郭線に頼らず、光と陰のコントラストによってモティーフを浮かび上がらせようとする手法が、ドビュッシーの音楽にも如実に現れている。 ゆえに、ドビュッシーの名盤と呼ばれるものには、フランソワにせよミケランジェリにせよ、こうした色彩感覚が実に豊かなのである。 しかし、辻井の演奏には、「色彩の変化」というものがない。タッチは確かに美しいが、光と陰が絶えずたゆとうような感覚は、如何せん皆無である。 色彩は視覚的なものであり、視覚を奪われた辻井にとっては再現不能なものかもしれない。確かに「心象風景」という、視覚よりはメンタル的な意味での色彩感覚というものもある。だが、それは心の中に浮かぶものを、過去にその目で見た様々な色彩と関連付けて、始めて生まれるものなのだ。 ゆえに、ドビュッシーを聴きたいのであれば、同じ3000円をフランソワやミケランジェリに注いだ方がはるかにいい音楽を聴けるはずだ。一過性の話題に振り回されては、本物は分からない。

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