TOP > Music CD・DVD > Classical > Shostakovich > Symphony No.4 : Inbal / Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra (Hybrid)

Shostakovich

SACD Symphony No.4 : Inbal / Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra (Hybrid)

Symphony No.4 : Inbal / Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra (Hybrid)

Customer Reviews

Do you want to write a review?

Write you own review

Showing 1 - 9 of 9 items

  • ★★★☆☆ 

    ヒューブーン  |  静岡県  |  不明  |  20/February/2014

    楽譜を忠実に演奏し、オケも優秀に答えている…という点では100点満点な演奏と言えるだろう。評価が高いのもその点が大いに関係していそうだ。 ただ、ニュアンスというか、「その向こうにあるもの」が見えずに、ただただ演奏会風景だけが眼前に展開される。僕個人としては、インバル盤以外の同曲は、アシュケナージ盤とサロネン盤しか聴いたことないのでその範囲での比較となってしまうが、聴覚を刺激する音楽という意味では、このインバル盤がビリである。この曲を聴きこんだ人が、最終的にスコアに忠実に帰りたくなった時などに聴くといいのかもしれない。

    8 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★☆☆ 

    hk  |  東京都  |  不明  |  12/August/2013

    やたら評価が高いので、どんなものか聴いてみました。 率直にいうと、私には星5つは大袈裟な評価でした。 長所は全体的にスコアを丁寧に演奏している点だと思います。ただ、この曲からすれば、生真面目で品行方正過ぎるのかもしれません。 表現に切羽詰った戦争や政治的な臭いはなく、恵まれた平和な都響の臭いが占めています。リアルなのは東京のホールの空気で、演奏の力から異空間に連れて行かれる感じは特にありません。 弦と指揮者の息遣いの録り方は実にうまくて鮮やかでクリアです。 金管の音色は太さに欠け、少しフィルターがかかったように主張が控えめに奥まって聴こえるのはレコーディングエンジニアの好みでしょうか。 3楽章のクライマックスのファンファーレの合いの手(ソ――ファ―ミ―、ソ――ファ―ミ―)の所の中低金管のバランスと音色と音程が実に気にくわないです。 総じて捉えれば実直で悪い演奏ではないのですが、このCDを再生しても、どうにもノーマライズされているもの以上のものを感じないので星の数も普通です。すみません。

    10 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★★☆ 

    masa夢  |  大阪府  |  不明  |  20/October/2012

    インバルのマーラーツィクルス初日の「巨人」のコンサートに行ってインバル恐るべしと思いました。それでこのショスタコービッチ4番のディスクを聴きましたが、予想以上の演奏でした。今所有している4番はラトルとバルシャイ盤ですが、このライブ盤はまったく遜色なくインバル/都響のコンビも大したもんだと思いました。アンサンブル、ソロ等レベルの高さを感じさせられ録音も優秀です。まだ他のディスクを聴き比べていないので★5つとはいきませんでしたが・・・

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★★★ 

    norry  |  東京都  |  不明  |  20/October/2012

    村井先生の評に大賛成。とうとうこの恐るべき演奏の録音が商品化されたか、というのが第一の感慨である。私も実演で聴いたが、あまりの凄さに呆然として終演後しばらく席を立てなかった。それは、演奏の凄さもさることながら、この曲が示す、ショスタコーヴィチの精神及びおそらくそれと相互作用的に存在していたソビエト社会、というより権力と国家というものの底知れない不気味さを、本当に、地獄の深淵のふちの手すりに手をかけてを覗くように垣間見てしまったという衝撃によるものだったと言ってよいだろう。この曲を「傑作」というようなな表現で呼ぶことが果たして妥当かどうか分からないが、とにかく、ショスタコーヴィチの恐るべき才能が最大限に発揮された曲であることは疑いを容れない。そこで演奏であるが、ある意味、オーケストラという音楽表現組織が持つ力と機能を文字通り限界まで発揮させた演奏であったといえるだろう。とにかく、最初の一音から最後の一音にいたるまで、極限的な緊張感に支配されつつも、表現の振幅や豊かさには一切妥協のない厳しい演奏である。村井先生のいうとおり、もともとインバルにはそういうところがあって、ショスタコーヴィチでは特にそれが顕著だ。どうしても、92年のVSO盤との比較が話題になるが、インバルのそのような厳しいアプローチ自体は全く変わっていないのであるが、なにぶん、VSOの技量が指揮者についていけなかったために、「緩い」印象を与えるものになってしまった。それでも、VSOの演奏も内容的には立派なものであり、特にあのオケ特有の若干鄙びた音色は独特の味わいをかもしだしていて、私はそれなりに評価している。そのころのインバルが自己抑制的なアプローチをしていて物足りないという評をしている人がいるが、全く的外れで話にならない。本当にCDを聴いて評価しているのだろうかと思ってしまう。昔も今も、インバルのアプローチ自体は何ら変わっていない。要するに、本盤は、インバルの極限的に厳しい要求に、都響が十二分に応えた成果なのだ。1楽章のプレストは、会場で竜巻が舞っているようだったと評した人がいたが、まさにそうだと思う。昨今何かと元気のない日本であるが、この都響のパフォーマンスこそは掛け値なしに世界最高水準である。もうすぐ3月末の大地の歌、再来月には4月のブルックナー7番のリリースが予告されており、おそらくその翌月(つまり12月)にはショスタコ10番がリリースされるだろう。交響曲演奏の限界に果敢に挑み続けるインバルと都響の前人未踏の成果にこのように接し続けることができる喜びは、何物にも代え難い。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  09/October/2012

    これはナマでも聴きました。4番をナマで聴けるチャンスはまだ少ないですからね。そこでちょっと驚いたのは、この大変な演奏会がわずか1回しか行われなかったこと。インバル/都響の定期演奏会は同一プログラムで2回やっても、今や満席になるでしょうに。さて、肝心の演奏だが、いわゆる爆演では全くないし、最近のインバルで時折り見られる巨匠らしい風格のある演奏でもなく、むしろ私は若い頃からの彼の持ち味が復活したように感じた。細部まで、きわめてきっちりと振っていて、楽譜を最大漏らさず掘り下げて音にするという、王道中の王道と言うべきアプローチだ。1992年のウィーン響との録音と比べると、両端楽章が心持ち速くなっただけで、基本的な造形はほとんど差がないのだが、その「心持ち速く」が絶大な効果を発揮している。たとえば第1楽章、プレストのフガートから展開部終わりにかけての凄まじいクライマックスは都響盤を聴いてしまうと、ウィーン響盤は明らかにぬるい。インバルの指揮には時として、人間的なぬくもりを拒絶するような苛烈さ、文学的な表現をすれば「孤独の影」を感じることがあるが、この曲ではそうした彼のキャラクターが最大限に生きている。都響はナマでも全く破綻なく、驚嘆すべき合奏力を見せたが、第1楽章第2主題のなまめかしさ、終楽章アレグロ部、特に軽音楽的な展開になってからの意外な繊細さには、このオケの持ち味が生きている。指揮者のクールさとオケの繊細さとの、まさしく絶妙なコンビネーション。首席指揮者としての最後のシーズンである2013/2014年の曲目にショスタコーヴィチが見当たらないのは何とも残念だが、全集とは言わぬまでもあとせめて8番、14番ぐらいはこのコンピでの録音が実現しないものか。

    6 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★★★ 

    ミック  |  千葉県  |  不明  |  29/September/2012

    素晴らしい名演です。 私はショスタコーヴィチの交響曲の最高傑作は、この第4番だと思っています。 そんな名曲の新たな名盤の登場は大歓迎です! もううれしくてうれしくて何度もくり返し聴きました。 さて、その後に他のCDも聴いてみたのですが、やはりこの曲の王様はラトルです。 改めて聴いて確信しました。 しかしバルシャイ盤を聴いた時に「インバル盤よりも上なのでは?」と思わされたのには驚きました。 インバル盤を聴いている間はラトルとどちらが上か?という観点で聴いていたので。 同曲最高の名盤はラトル盤で、それに次ぐのがバルシャイ盤かインバル盤かだと思いました。 部分的にバルシャイ盤にはない良さがインバル盤にあるので私は個人的に両者を互角と見ます。 それにしてもインバル盤を聴いて、ショスタコーヴィチの交響曲は素晴らしいなと改めて実感しました。 大変な耳のご馳走でした。 インバル/都響にはこれからもショスタコーヴィチの交響曲を積極的に録音して頂きたいです。 恐らく既に録音されているであろう第12、10番の一日も早い発売を切望します!

    5 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  29/September/2012

    凄い演奏だ。本年に発売された交響曲の新譜CDをすべて聴いているわけではないが、おそらくは随一の演奏と言えるのではないだろうか。ショスタコーヴィチの交響曲第4番は、いわゆるプラウダ批判を受けて、長年に渡って自ら封印されたとの悲劇的な過去を有している。第13番以降の3曲は別格として、第5番〜第12番の諸作は、人によっては作風が酷似しているとの評価もあるが、第4番については、当時の社会主義体制とは無関係に、才能の赴くままに作曲されたという特質があると言える。それだけに、第4番をショスタコーヴィチの最高傑作と評する識者もいるほどであるが、少なくとも、偉大な傑作であると評価することについては異論はないのではないかと考えられるところだ。とにかく、第4番は、ショスタコーヴィチの他の交響曲と比較しても、最も大胆極まりない書法で作曲されていると言える。冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想であると言える。耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。インバルは、1992年にもウィーン交響楽団とともに、交響曲全集の一環として同曲をスタジオ録音しているが、そもそも問題にならないと言える。通常の意味では立派な演奏ではあるが、当時のインバルによる自己抑制的なアプローチが、同曲の本質を描き出すのにやや不十分になっているのとあわせて、必ずしも優秀とは言い難いウィーン交響楽団が、当該演奏をいささか迫力に欠けたものとしていると言えるからだ。同曲のこれまでの名演としては、私としては、ラトル&バーミンガム市交響楽団による演奏(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による演奏(1994年)、ゲルギエフ&マリインスキー(キーロフ)劇場管弦楽団による演奏(2001年)が3強を占める超名演と考えているが、これらの演奏に共通するのは、それぞれの指揮者が新進気鋭の指揮者として飛ぶ鳥落とす勢いにあったということである。三者三様の演奏ではあるが、強靭な生命力や思い切った解釈を施しているという意味においては共通しており、そうした芸風こそが各演奏を超名演たらしめていると言ってもいいのではないか。これに対して、本演奏のインバルは、今や現代を代表する大指揮者。前述の3つの名演の指揮者とは比較にならないほどのキャリアと円熟した指揮芸術を有した存在であると言える。しかしながら、インバルは、前述の3つの名演に勝るとも劣らない、いや、人によってはそれらを凌駕する圧倒的な名演奏を成し遂げることに成功したと言えるだろう。本演奏においては、かつてのインバルの特質でもあった自己抑制的なアプローチは殆ど聴くことはできない。もちろん、演奏全体の造型に対する配慮、そして厳格なスコアリーディングに根差した緻密さは伺えるが、かつての欠点でもあったスケールの小ささなど微塵も感じることができない。思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使して、同曲に込められたショスタコーヴィチの心底を鋭く抉り出していく指揮芸術の凄味は圧巻の一言であり、演奏の彫の深さ、内容の濃密さという意味においては、前述の3つの名演を頭一つ抜けた存在であると言っても過言ではあるまい。いささか大仰な表現にはなるが、前述の3つの名演によって同曲の真の魅力が明らかにされていたところ、インバルによる本演奏によって、同曲の真の魅力がさらにグレードアップされたと言ってもいいのではないだろうか。インバルの壮絶な指揮に、しっかりとついていき、アンサンブルが殆ど乱れることがないなど、持ち得る実力を最大限に発揮した東京都交響楽団の好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。いずれにしても、本演奏は、諸説はあると思うが、私としては、前述の3つの名演を大きく凌駕し、同曲の多種多彩な名演の中でも最高峰に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考える。音質も素晴らしい。同曲の複雑きわまりないオーケストレーションが鮮明に再現されるのはSACDならではのものであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。このような至高の超名演をSACDによる超高音質で堪能できることを大いに歓迎したいと考える。

    4 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★★★ 

    全自動音楽評論ジェネレータ「ミスター・ストロング」  |  埼玉県  |  不明  |  29/September/2012

    近年のインバルの充実ぶりを認識させられる素晴らしい名演だと言える。(中略)インバルは、我が国の手兵とも言える存在である東京都交響楽団とともに、既にショスタコーヴィチの交響曲第5番の圧倒的な名演を成し遂げていると言えるのであるが、今度の4番も、何よりも楽曲に対する追及度が以前より徹底していると言える。(中略)正に稀有の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。インバルの円熟ぶりを示す証左として高く評価したく、かかる高水準の演奏を成し遂げるに至ったインバルという指揮者の偉大さを大いに感じるとともに、今後のインバル&東京都交響楽団という稀代の名コンビによるショスタコーヴィチの交響曲演奏の続編を大いに期待したいと考える。(中略)SACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。すべての楽器の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは、SACDによる高音質録音による最大の成果とも言えるところであり、いずれにしても、インバル&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと言える。

    4 people agree with this review

    Agree with this review

  • ★★★★★ 

    みのる  |  埼玉県  |  不明  |  24/August/2012

    第一弾第5番をききました。SACDプレヤーは持っていないので 普通のCDプレヤーでききましたが、バーンスタインのライブ盤やムラヴィンスキーの74年のライブ盤とは違った味わいがあったとおもいました。 、5番と違って破天荒な4番はどんな風かいまからたのしみです。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

Showing 1 - 9 of 9 items