Symphony No.5 : Inbal / Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra (Hybrid)
Customer Reviews
Showing 1 - 4 of 4 items
-




ダルマ人間 | 茨城県 | 不明 | 05/December/2013
毒も、棘も、本音も、隠すことに意味がある。ショスタコーヴィチの大きな特徴であるアイロニーとは、そういう事でもあるだろう。社会的存在である人間は、本音と建前を使い分けたり、方便をいったり、認知バイアスがあったりと、倒錯した感情や言動を表明してしまう生き物だ。それに現代に生きる我々は、もはやシンプルな、倚り懸かれるような価値尺度を失っている。このことは、様々な学問芸術の分野で随分前から告発されてきた。アンビバレンスさ、割り切れなさ、都合の良さ、それに対する反発、葛藤、そして移ろいゆく儚さ、くだらなさ…きっとこれらもまた人間の妙味だ。そしてそれはショスタコーヴィチの交響曲の妙味でもある。(マーラーをヒントにしてはいるが。)例え作曲の経緯がジダーノフ批判に対する名誉回復を狙っていたとしても、前作の素材から切り貼りして作られたようなこの作品に、ひとりの人間として、思いを込めずにはいられなかったんじゃないかな。インバルの演奏では、ショスタコーヴィチの隠し切れなかった思いを「隠し切れなかった」ことがわかるように感じ取ることが出来る。インバルもまた、徹底的に、神経質に過ぎるくらいに恣意性を廃し、エゴを消し去ろうとするのだが、曲の佳境に来ればむしろエゴはついに抑圧をバネにして噴出し、代えがたいほどに壮絶な印象を刻み付ける。個人的に都響との演奏は、マーラー等よりもずっとショスタコーヴィチのほうがあっていると感じる。それは上記のような演奏者と作曲者の、意外なほどの共鳴があるおかげなのだと思う。(あと都響のシャープな音、機動性反応性。)表象としての演奏は確かにドライで楽譜に忠実なのだが、決して突き放しているわけではない。むしろ逆だ。私は最終楽章の所謂「強制された歓喜」の部分に涙した。なんという虚しさ。この曲、随分飽きていたのに、こういう演奏にあえるからライブ、新録は面白い。1 people agree with this review
-




ミック | 千葉県 | 不明 | 23/May/2012
私はインバル/都響こそ今、世界で最も注目すべき組み合わせだと思っています。 現にマーラーやブルックナーにおいて素晴らしい演奏を繰り広げています。 そして今回は待望のショスタコーヴィチです。 インバル/都響なら悪かろうはずがないと思い、私は発売前から予約しました。 そして期待に違わぬ素晴らしい演奏、録音でした。 未聴の方がいらっしゃいましたら是非とも耳を傾ける事をお勧めします。 このCDは同曲最高の名盤だからです。 さて、インバルは都響と12、4、10番を演奏し、録音したはずです。 が、まだ発売される気配がありません。 私のようにショスタコーヴィチに飢えている者としては一日も早く発売される事を願います。 その際も私は予約して購入したいと思います。 この盤はそう思わせるだけの説得力のあるものだと思うからです。3 people agree with this review
-




norry | 東京都 | 不明 | 28/April/2012
ショスタコーヴィチの5番は、私にとっては必ずしも関心の高い曲ではない。もちろん、曲として本当に良くできていることは認めるし、それだけに、いったん聴きだすと、結構繰り返して聴いてしまって、「やっぱりいい曲なんだな」という感想は持つのであるが、それにしても必ず残念さが残ってしまう。それは、どうしてもこの曲は、ショスタコーヴィチの、あの有り余る才能を出し惜しんで小さくまとめた曲だという感が否めないからだ。彼がこの曲しか残さなかったとすれば、そうも思わなかったと思うが、1番、4番、7番、8番、10番〜15番という傑作(12番については議論もあろうがインバルは好んでいるようだ)を前にすれば、あまりにコンサートプログラムにおいても優遇され過ぎていて、例えば同じ規模なら1番をやってもらったほうがずっと満足感は高いのに、と思ってしまう。そういう残念な曲を、インバルという、これまた有り余る才能と実力を誇る指揮者と、都響という世界的に見ても屈指の実力を誇るコンビが演奏するのは、ちょっともったいないというか、どうせやるなら他の曲を、と、この演奏の実演も聴いた私は思ってしまうのである。もちろんその不満は、この3月、4月での4番、10番の実演で跡形もなく吹き飛んだばかりか、未だに心に爆弾が落ちたような衝撃として残っている(後者の方は辻井くんのショパン目当ての聴衆が多く、終演後の反応が鈍かったのは残念であるが)。そうは言っても、この演奏の完成度の高さは、インバル自身の2種の録音(FRSOとVSO)をもはるかに凌ぐ。こう言っては不謹慎であるが、今のインバル・都響の実力からすれば、この成果は何ら驚くに値しないと言えるだろう。東京文化会館でのタコ5と言えば、バーンスタイン・NYPのライブ録音(ソニー)が名高いが、この録音は、完全にそれに取って代わる地位を占めると言ってよい。そしてこのCDは、おそらく今年中には発売されるであろう、4番、10番の、あの恐るべき演奏のCDの前奏曲のようなものと言えるだろう。私の言葉を嘘と思うなら、レコ芸5月号の宇野功芳氏の「楽に寄す」を御一読いただきたい。7 people agree with this review
-




つよしくん | 東京都 | 不明 | 31/March/2012
これは素晴らしい名演だ。インバルは、我が国の手兵とも言える存在である東京都交響楽団とともに既にマーラーやブルックナーの交響曲の数々の名演を遺しているが、それらの名演にも増して優れたショスタコーヴィチの交響曲の圧倒的な名演の登場と言えるだろう。インバルは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を、フランクフルト放送交響楽団(1988年)、ウィーン交響楽団(1990年)の2度にわたって録音しており、本盤の演奏は3度目となる同曲の録音ということになるが、過去の2つの名演を大きく凌駕する圧倒的な超名演と言えるところだ。ウィーン交響楽団との演奏は、解釈としては申し分のないもののオーケストラの力量に若干の問題があり、インバルによる同曲のこれまでの代表的な演奏ということになれば、フランクフルト放送交響楽団との演奏というのが通説と言えるところである。しかしながら、フランクフルト放送交響楽団との演奏から本演奏に至るまでの23年の歳月は、インバルという指揮者の芸風に多大なる深化をもたらしたと言っても過言ではあるまい。何よりも、楽曲に対する追及度が徹底しており、そもそも演奏のものが違うという印象だ。一聴すると何でもないようなフレーズでも、よく聴くと絶妙なニュアンスに満ち溢れており、演奏の濃密さには出色のものがあるとさえ言える。フランクフルト放送交響楽団との演奏では、その当時のインバルの芸風の特色でもあると言えるが、テンポの変化なども最小限に抑えられるなどやや抑制的な解釈であったと言えるところであるが、本演奏においては、随所に効果的なテンポの変化を施すなど、インバルの個性があますことなく発揮されていると言えるだろう。それでいて、いささかもあざとさを感じさせることはなく、加えて演奏全体の造型が弛緩することなど薬にしたくもない。正に、楽曲の心眼への徹底した追及と効果的なテンポの変化を駆使した個性的な解釈、加えて演奏全体としての造型美など、同曲の演奏に求め得るすべての要素が備わった正に稀有の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。これほどの高水準の演奏を成し遂げるに至ったインバルという指揮者の偉大さを大いに感じるとともに、今後のインバル&東京都交響楽団という稀代の名コンビによるショスタコーヴィチの交響曲演奏の続編を大いに期待したいと考える。音質も素晴らしい。すべての楽器の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは、SACDによる高音質録音による最大の成果とも言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、インバル&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。ところでライナー・ノーツについて一言。一柳富美子氏による解説は、これまでの同曲の解釈に一石を投ずるものとして実に読み応えのあるものとなっている。氏の説に全面的に賛成というわけにはいかないが、一読にも値しないライナー・ノーツが跋扈している悪しき現状を打破するものとして評価したいと考える。6 people agree with this review
Showing 1 - 4 of 4 items
