Sym.6: Inbal / Frankfurt.rso
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カズニン | 東京都 | 不明 | 07/May/2014
素晴らしい音質です。演奏も最高です。1 people agree with this review
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つよしくん | 東京都 | 不明 | 28/July/2012
インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集であると言える。それどころから、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤におさめられた交響曲第6番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。したがって、演奏全体いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注していると言える。マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出していると言える。それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、私としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤におさめられた交響曲第6番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、今般のBlu-spec-CD化によって更に素晴らしい高音質に生まれ変わった。いずれにしても、インバルによる普遍的価値を有する素晴らしい名演をBlu-spec-CDによる高音質、しかも廉価で味わうことができるのを大いに喜びたい。1 people agree with this review
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norry | 東京都 | 不明 | 16/February/2011
マーラーの6番は、マーラー版「英雄の生涯」である。ただ、それを、血と汗に満ちた波乱万丈の物語として味わいたい方には、この演奏は不向きであろう。しかし、そのような捉え方では、この曲の半分しか理解したことにならないし、この曲が、マーラーの中期のさらに真ん中に位置する、要の位置にあるということも考えれば、上記のような捉え方はむしろ皮相的なものといわざるを得ない。この曲は、その叙事的な内容に増して、むしろ、新ウィーン学派へと繋がる音楽の未来を切り開いた曲としてこそ、より重要なのである。シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンがマーラーの弟子というのは、特にこの曲と、後は9番の後継者としてなのだ。詳しくは専門家の分析を読んでいただければよいが、端的に言えば、交響曲の進行において、和声的な展開を前面に出すのでなく、調性をあいまいにするとともに、多様な楽器による多様な音色の展開による対位法的な進行の主導によって交響曲を組み立てた点が革命的なのである。そしてインバルによるこの演奏は、この曲のこのような真の新しさを完璧に表現しつくしている。何度聴きなおしても、これ以上の表現はないし、他のどの演奏(バーンスタイン、ショルティ、テンシュテット、アバド等、名演は枚挙にいとまないことは否定しない)を聴いても、結局これに帰ってくる。インバルは、実演ではそれこそ心臓が止まるような凄まじい演奏を繰り広げるのであるが、レコーディングではこれだけ冷静になり、曲の本質のみを描きつくす演奏ができるのがこの指揮者の非凡極まりないところである。声涙ともに下るような破滅型の演奏では、この曲の真の価値を味わいつくすことはできない。そもそもこの曲に情念のカタルシスばかりを求めようとする態度は、マーラーの比類ない音楽的知性を愚弄するものというべきだろう(あるいは、マーラーの音楽の真の新しさを理解せず、強引にロマン派風の理解を押し付けようとする弊害というべきだろう)。録音に癖があることは、この全集通じて言えることであるが、逆にそれまで聴いてきたマーラー演奏による塵と垢を洗い流して耳を傾ければ、これほど得るものの大きい全集はないのである。繰り返しになるが、この演奏を聴くと、シェーンベルクがなぜこの曲を高く評価していたかが本当によく分かる。2 people agree with this review
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だから私には最高なの | しべりあおくり | 不明 | 15/January/2008
私が表現した「アホかいな?」の印象はマーラーの楽曲に元々含まれるシニカルさが、客観演奏の場合、滑稽に響くということです。他のレビュー読んでもそうですが、インバルは本当に「現象」のみです。「現象」には映像のような描写や感傷や感情表現は入りません。インバルの表現には「嘲笑、冷酷、皮相、預言」は無いです。そういうものに陥らないのが彼の非凡さです。インバルは何も責めない。ただ状況への絶望が祈りへと昇華される。でもアウシュビッツを傍観した世界は、祈るに値するのだろうか?そこが彼のマーラーの核心だと私は思う。0 people agree with this review
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御輪日明@ | 鳥野 | 不明 | 11/January/2008
興味があるので私も意見を述べたい。今、世界中の人々が真剣に論議していることは「日常とはすでに終わったのではないか?」という課題だ。見たことも無い現実が、環境でも社会でも立ち上がりつつある。悲劇が予想されるなら、それを回避するように努めること。これは近代から20世紀までの人類史における共通認識とされている。この曲も、最後には破綻するが、その共通認識の上に成り立っている。終楽章なぞ、あらゆる手段で悲劇を回避しようとしてますが、それがことごとく失敗します。この立場で見た場合。この演奏は問題がある。しかし0 people agree with this review
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御輪日明A | 鳥野 | 不明 | 11/January/2008
しかし21世紀の現在。悲劇=破局に対するスタンスが変わってきているようです。破局を予感しながら、我々はそれを回避するのではなく、コミカルに転げ落ちているのでは?と思われます。インバルも意図した訳では無いと思いますが、結果この曲の悲劇性に没頭できない演奏に仕上げてしまったことは、現象を追い求めた結果ではないかと思うのです。「ごく普通の交響曲」のように偽装された音の連なり。その中で破局へと連なる因子をつい見つけてしまう。しかし、それを傍観するしかない演奏。それぞれの因子はコメディかパロディのようです。0 people agree with this review
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御輪日明B | 鳥野 | 不明 | 11/January/2008
音楽の現象が人間のために存在しているのではなく、人間がただ音楽の現象を受け止めるためだけに存在させられてしまう状況。この曲が書かれた時代の認識を超え、生きていく曲(つまりこの曲は名曲として後世に残るということ)。それを成し遂げてしまった演奏として、違和感を感じつつ、私は評価したい。おそらく時代の空気が変わったあと、インバルのマーラーは独自の現象のマーラーとして再評価されると思う。現状ではたくさん駄目出しをする人のほうが、実は正常な精神なのでは?と思う。勝手なことばかり書いて申し訳ない。0 people agree with this review
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面白いんだけどねえ | しべりあおくり | 不明 | 05/January/2008
こりゃだめだ(笑)。確かにオケの精度は抜群で、細部まで練り上げられた演奏。この曲は物語コテコテの曲だと思うが、細部が物語をあざ笑うかのように素っ気ない。純音楽的な曲ならば抜群の効果がある方法が、演劇のようなこの曲では空回り。アンダンテが「アホかいな」、英雄が倒れるハンマー音が「馬鹿かいな?」と響いてしまう。客観とは文化と伝統が機能して始めて視点が獲得できる。この曲は主観の塊・近代的自我の化物で、客観的に描くほど、作品の自慰的な性格が明らかになる。それを最高の技術で描いている。困ったもんだ。1 people agree with this review
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リスナー | 湯の里 | 不明 | 31/December/2007
6番にスペクタクルとか演劇性を求める人は避けるべきだ。悲劇とは現象なのか?ひたすら細部を描きまくる冷徹に突き放した傍観のマーラー。オケのバランスが抜群、楽器のピッチが完璧(ほとんどチェリレベル。流石弟子)、録音を駆使しても普通の指揮者では出てこない細部まで描きつくされ、アレンジ変えているのか?と思えるほど印象が変わっている。崩壊する事象を顕微鏡で覗くような悪趣味ギリギリ、悲劇とは下剤のようなものだと切り捨てるような客体のマラ6。この価値観はヴァントの世代で終わっていたと思ったが、驚いた。まさにモダニズム。1 people agree with this review
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