Symphony No.1 Hiroshima : Naoto Otomo / Tokyo Symphony Orchestra
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eroicka | 不明 | 不明 | 05/February/2014
この話題の大作が影武者の手によるものという驚くべき事実が明らかになったが、残念なことである。曲の良し悪しはともかく、作曲者や演奏者の人となりが作品や興行の評価に結び付く風潮が呼んだものだろう。かつてリパッティやフルヴェンのニセ音源が正規盤として出回った黒歴史もあり、聴き手も含めた権威主義、ブランド主義、商業主義といったクラシック界をなんとなく漠然と覆うものが温床になったのだろう。せめて、作品が素晴らしいと感動し高く評価した人も多いのだろうから、このまま贋作として切って捨て、お蔵入りにするのではなく、作曲者サイドやレコード会社は、非は認めたうえで、真の作曲者(たとえチームの作品であっても)に名乗り出てもらい、作品を世に問い続けるのが芸術に対するモラルである。15 people agree with this review
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ほんず内閣総理大臣 | 北海道 | 不明 | 03/October/2013
話題の交響曲。総じてとっつきにくい音楽です。風景であれ現象であれ感情であれ、何かを具体的に表現しようという感じではないなあ。大きな一貫した流れでもなく、断片的な想念が膨らんでは消え、また膨らむ、という感じで80分を超える大曲になっております。この長さとそれに込められた内容とを聴き手に理解させるだけの必然性がわかりにくいですね。ラストだけなじめるような平易な楽想と気分になるのは、やはり一つの「解決」、「希望」なのでありましょうか。音楽として聴いておりますと、「木に竹を接ぐ」といふ感じでやや違和感を覚えるものではあります。このラストは、マーラーの交響曲第10番のフィナーレに似ていますね。美しく、また哀しい音楽です。このディスク、4回ほど繰り返して聴きましたが、多くの方がおっしゃるような感動は、残念ながら当方は得られず。ま、その責任はこちらにあるかもしれません。演奏の良し悪しはなんとも言えませんが(スコアを見たわけじゃなし)、オケはやや非力ではないでしょうか。特に金管は美感を欠き、技量に問題ありかな。テレビで取り上げられたりして話題性が先行してしまいましたが、作曲者がその数奇な人生から得た想念を楽譜に写し取り、新しい音楽世界が創造されることを願ってやみません。マスコミではなくて、音楽業界の方々が後ろでしっかり見守って支えてあげられれば良いのではないでしょうか。物語だけで捨てられてしまっては、あまりにも惜しいというべきでしょう。話題だから聴いてみようか、というくらいの態度で臨むと、「?」ということになっちゃうでしょうね。ムツカシイです。10 people agree with this review
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にゃおにゃお金 | 千葉県 | 不明 | 05/July/2013
「竜頭蛇尾」というのが正直な感想。中盤までは「オッ、これは中々の秀作かも」と期待させるのだが、とってつけたように明るく陳腐なエンディングには大いに興醒め(私の感受性の鈍さが原因なのか)。それに全体を通してオーケストラがガンガン鳴り過ぎなのも気になる。現代の日本における注目作で一聴に値する力作なのを認めるにやぶさかでは無いが、マーラーとかブルックナーとかの過去の大作曲家の作品に比肩し得る云々と言うのは正直褒めすぎでは無いか。10 people agree with this review
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らぷとる | 東京都 | 不明 | 02/May/2013
自伝も読んだし5回じっくりと聴き通しましたがなにゆえこの音楽がこうもうけるのか不明。あっさりと現代的な語法を否定されたのでは音大で真面目に作曲の勉強をしている学生さん達の苦労が浮かばれまい。Nスペや金スマや自伝本や評論家氏の記事や日の出写真がなかったらこれほどもてはやされただろうか。細かいことですが、金スマ冒頭で海外でも絶賛と紹介された「現代のベートーヴェン」は誤訳でしょう。画面でdigital-age Beethovenと読めたから「デジタル世代のベートーヴェン」では?前後の文章を読んでませんが、佐村河内氏がゲーム音楽作者であることを思うとはたして賞賛の言葉なのか。 聴き手・オーケストラ・指揮者のせいでつまらないのかもしれないので中立の評価にしておきます。 ご購入時にはそのお金を何に使うべきか良くお考えを。今は過去の超名演が信じられない値段で買えますからね。23 people agree with this review
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abbadondon | 栃木県 | 不明 | 27/April/2013
2013年4月26日の金スマにて聴きました。 はっきり言うと、マーラー・ブルックナー・ショスタコの ごった煮という印象。 素人向けにドラマ仕立てで放送していたのが、 私のようなクラシック歴40年の人間には反感をかう元。 大友直人指揮で一部を演奏していたが、 ヒロシマという表題が付いてなければ怠惰な曲。13 people agree with this review
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やまちゃん | 兵庫県 | 不明 | 06/April/2013
聴きました。労作です。大交響曲です。終には救済される為の長い長い葛藤 でした。しかし何でしょうか。どうしてもシネマティックな感じが抜けません。魂の、、、と言う割には救済部分がドラマのエンディングなんです。しかもマーラーの三番です。どんなに過酷な運命でも、年齢を超えられないんですね。大上段の悲劇なんです。どなたかマーラー、ブルックナーをも凌ぐ、とありましたが、あの悶えるような葛藤、深々とした寂寥感、そして昇華していく様は、その比ではありません。鳴りすぎるオーケストレーションにもなおさらその感を強くします。現実は聴こえてくる音より何倍も深刻なはずです。13 people agree with this review
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R | 京都府 | 不明 | 15/December/2011
京都での全曲初演を聞いた感想から申し上げるなら、本当に「普通」の曲である。それはいい意味でも、わるい意味でもない。ただ、この長大な交響曲はすべて聞き通さなければ意味がないし、聞き通すべき作品であることは間違いないことのように思われる。 前半の楽章は音楽の流れがひたすら停滞し続ける。 さまざまな楽想はすべて「昇華」にいたらず、その手前でもがいたまま放置される。これはすなわち葛藤の音楽であるといえ、はきと申し上げて、きわめて流れが悪い。 しかし、この作品において最も重要な瞬間は最終楽章の、それも最後の数分間に訪れる。そこに聞こえてくるのは「救済」そのものである。それまできれぎれに聞こえてきたコラールは、曲尾にいたって、はじめて、光輝のなかに姿を現す。ここに至ってようやく、音楽はそれまでの流れの悪さから解放され、それまでの時間は、ただ最後の祈りのために必要な時間だったのだと理解されるのである。 惜しむらくは、その作品があまりに文学的に解釈され過ぎているという一語に尽きようし、それはその演奏解釈においても同様である。8 people agree with this review
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