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Bruckner (1824-1896)

SACD Symphony No, 8, -1887 Original Version : Inbal / Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra

Symphony No, 8, -1887 Original Version : Inbal / Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra

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  • ★★★★★ 

    エーテルの風  |  長野県  |  不明  |  01/October/2014

    30年近くも前にインバルの指揮で第1稿に触れたときは、「第1稿なんてとるに足らない」などと一刀両断に切り捨てたのだが、今回のこの演奏を聴いてまったく感想が変わった。他人の手が加わっているのでないにしろ、ノヴァーク版やハース版には、音楽の骨格に本来のブルックナーとは別の素材が使われているような不純な響きすら、今となっては覚えるほどだ。ただ(言い訳がましくもあるが)それは30年前の僕の聴覚が未熟だったというよりも、やはり演奏の素晴らしさが各段にアップしていることが大きいと思う。インバルのブルックナーには、メロディーの歌わせ方に関して、随所にひょうきんな素朴さが見え隠れして鬱陶しかったというのが30年前の感想で、今回もそのクセは多少残ってはいるものの、全体としては、スケールの大きさが完全にブルックナーの世界を表現しつくしている。贅沢を言わせてもらえれば、フィナーレの最後の最後、もっと『ぶわ〜ん』と神々しく、天にも昇るような感じで演奏して欲しかった。

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  • ★★★★★ 

    七海耀  |  埼玉県  |  不明  |  03/December/2010

    4番の1稿は、やはり魅力の点で改定版に及ばないと思うけれど、8番に関しては、第1稿は、魅力の点で改定版と拮抗しているように思い、第1稿が好きという人も結構いるのではないか。それに、4番のように、スケルツォが全然違う音楽というようなことはないのも、とっつき易い理由だ。スケルツォのトリオは、私は第1稿のほうが清廉な感じがして好きだ。第1楽章がフォルティシモで終わるのも、非常に必然的に聞こえる。「なくもがな」なのは、第3楽章のシンバル三連発くらいのものか。しかし、楽章の魅力自体は、改定版に劣らない。第4楽章は、テンポの動きが激しく、インバルは前回同様、その部分を強調する。現時点では、私の知る限り、インバルの初回盤、ラッセル・ディヴィス盤、ヤング盤、ティントナー盤とあるが、この度のインバル盤は、一枚に収まっているのと、録音がSACDで優れていることなど、初録音盤や他盤に比べて、いくつか利点があるし、表現もより練れている。都響も、音色はやや地味だが、熱演している。ティントナー盤やヤング盤などもよく、その時々の気分で聴くことにしている。確か、スクロヴァチェフスキも、以前読響と第1稿で演奏したことがあったと記憶しているので、もう一度やって、録音していただきたいと思う。

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  • ★★★★★ 

    m326  |  新潟県  |  不明  |  02/November/2010

    第1稿によるブル8を初めて聴く機会を得た。確かに第2稿に比べると、違いは少なくなく、最初は違和感を禁じえなかった。ライナーノートに述べられているように、冗長と思われる部分も結構ある。しかし、例えば、第2楽章スケルツォ主部は第1稿ではしつこいほど粘るが、これを何度か聴くと、今度は第2稿が洗練されすぎむしろ単調に感じられてくる。既に作曲家として名声と地位を確立していたブルックナーが満を持して発表しようとした第1稿が受け入れられず、演奏の期会を失ってしまった。ブルックナーはどんな気持ちで改訂の筆を進めたのだろうか?本来ブルックナーが表現したかった内容は第1稿に最もよく表現されているのだ。改訂は必ずしもブルックナーの本意ではなかった。インバルが第1稿にこだわるのは、そのような考えもあるからだろうか?SACDで聴いたが、演奏、録音とも極上と思う。小生は地方に住んでいて実演を聴く機会は残念ながら多くないので、このような国内オケの優れた演奏・録音のSACDが今後も多く発売されることを望みたい。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  11/October/2010

    ブルックナーの第8の初稿については、昨年のレコード・アカデミー賞を受賞したシモーネ・ヤングによる名演が記憶に新しいが、本盤も、それに勝るとも劣らない名演と高く評価したい。インバルの旧盤(フランクフルト放送交響楽団との全集)が登場した頃は、初稿は、学者の学究対象のような位置づけであったが、近年の数々の名演の登場にかんがみると、立派な芸術作品として、初稿ならではの魅力が漸く認知されたものと言える。本盤の録音は、本年3月25日。何と、ほぼ同時に発売されたスクロヴァチェフスキの超名演の録音日と同日であり、我が国において、初稿とハース&ノヴァークの折衷版の至高の名演が同時に行われたのは奇跡というほかはないと言える。それにしても、本盤のインバルの指揮は見事である。かつてのフランクフルト放送交響楽団との旧盤も名演であったが、本盤の前では、もはや太陽の前の星のような存在である。全体の厳しい造型の構築力には力強いものがあるし、初稿ならではの抒情豊かな旋律の歌い方(特に第3楽章)も実に感動的である。終楽章などには、猛烈なアッチェレランドや思い切ったトゥッティなどの連発なども散見されるが、それが決していやではないのは、インバルの初稿に対する深い理解の証左と言えるだろう。東京都交響楽団も、インバルの統率の下、最高のパフォーマンスを示している。録音もSACDによる極上の鮮明な高音質であり、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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  • ★★★★★ 

    norry  |  東京都  |  不明  |  25/September/2010

    ブルックナーの初稿をどう理解するかはファンにとって一つの問題である。同じ作曲者である以上偽典とは言えないし、外典と言おうとしてもむしろこちらが先に書かれている。今やブルックナー演奏界において最も権威ある教父たる地位を獲得したと言っていいギュンター・ヴァントは初稿を蛇蝎のように嫌っていた。ブルックナーが真の神の啓示にたどり着く前に逢着した悪夢とでも看做していたのであろうか。楽理的な分析は専門家に任せるとしても、今回の8番で言えば、広く流布した第2稿に慣れきった耳からすれば一聴して余りに奇異な響きに満ちており、その印象は、第2稿の響きが余りにも「神々しく」美しいものであるだけになおさらである。しかし、この、インバル・都響による初稿の実に見事な新録を聴くと、逆にそのような第2稿の分かりやすさがむしろ陥穽ではないか、という気がしてくる。無邪気な某評論家は、ブルックナーの本質は「宗教性」であるとか「自然」であるなどと言うが、第2稿の響きは、確かにそのような特定の形而上学的な概念に収斂させやすい性質を持っている。それは、要するに初稿について支持者の理解を得ることができなかったブルックナーが行った改訂作業が、(意識したかどうかは別として)そのような統一的な概念=響きに曲を収斂させる方向で行われたからということなのではないか。要するに、初稿はもともと、そのような「神」や「自然」といった(それ自体歴史的に形成された)形而上学的概念による統一的な理解を拒否する書き方がされているのである。いささか強引かも知れないが、むしろ初稿は、いかなる概念(単に「意味」と言ってもよい)にも結びついていない、始原的なる言葉として書かれたものなのだ。そしてこれこそ、インバルが音楽の本質として確信しているものに他ならないし、敬虔なカトリック信者として自他ともに認めていたブルックナーの音楽の、もう1つの(隠された)本質である。だからこそインバルは、ここまで初稿にこだわるのである。ブルックナーだけではない、彼のマーラーも、ベートーヴェンも、ショスタコーヴィチも、ベルリオーズも、すべてが始原的なる言葉として見出されたときの新鮮な美しさと驚きに満ち満ちている。このような音楽の本質の捉え方において最もラディカルな原理主義者であるインバルは、このブルックナー8番の20数年前の初録音時においてもそうであったはずであるが、今回の新録の、この段違いの説得力は何であろうか。ここにこそ「円熟」という言葉が当てはまるところであろう。敢えて言えば、第2稿と比較して頻出する薄い響きや強弱・音色の対比を、極めて丁寧に、かつ繊細に再現しているところが成功の原因であろう。もちろん、これは、進境著しい都響の献身的な演奏によるところ極めて大である。例を挙げれば、第1楽章の第1主題提示部開始時の弦のトレモロ!これこそ裂帛の気合と言わずして何であろう。同楽章の中間部の巨大なクレッシェンドで、ティンパニが打音の音色を少しずつ変えていくところなども、鳥肌ものである。具体例を挙げるときりがないのでこれくらいにするが、いずれにしても、ここまで「豊饒さ」を感じさせてくれるブルックナー演奏もかつてないものである。この演奏も5番と同様実演で聴いているが、この演奏はむしろこの録音の方がさらによく曲のことを理解できるように感じたのも新鮮であった。来月は既にベートーヴェン5番、7番のリリースが決定しているようであるが、インバル・都響そしてエクストンがさらに豊饒なる音楽の恵みを我々にもたらし続けてくれることを切に願いたい。

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  • ★★★★★ 

    たくぽん  |  東京都  |  不明  |  16/September/2010

    2010/3/25、東京文化会館にてこのライヴを聴きました。 既出の5番の出来が非常に良かっただけに、期待しましたが、実に見事なブル8でした。3月下旬のブル8祭り(当演奏、スクロヴァ/読響、ティーレマン/ミュンヘン)の中でも異色かつ完成度の高い演奏ではなかったかと思います(尋常でない雰囲気、という点ではティーレマンに軍配が上がります)。 ノーヴァク版第1稿ということで、随分と聴き慣れない部分があったのは確かですが、音楽の充実度の高さに、戸惑いが吹き飛ぶ思いでした。インバル/都響の信頼関係の賜物であります。 具体的には、国内オケでは常にがっかりさせられるワーグナー・テューバのほぼ安定した吹奏(目立ったミスは、第1楽章のみ?)。その他は、流石に都響といった感じで、技術的には不足なしです。フィナーレ冒頭ファンファーレのトランペット、ティンパニも見事に決まっています。 そして、何よりもインバルの豪快かつ壮大な音楽作りがこの盤の魅力でしょう。第1稿の初演者だけあって、十分に曲を手の内に収めていると見受けられます。 最大の聴き所はアダージョ楽章。マーラーで聴かれる、インバルの持ち味である粘り気が功を奏し、情念溢れる感動的な音楽に仕上がっています。実演でもこの楽章がベストでした。 是非一聴をお薦めします。

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  • ★★★★★ 

    カバポチ  |  神奈川県  |  不明  |  16/September/2010

    期待どおりの素晴らしい演奏!インバルの円熟味、都響の上手さ、録音の優秀さ、どれをとっても最高。8番の第1稿は何かと批判の多い版だが、これはこれでなかなか楽しい。8番を別の味で賞味できるのもブルックナーファンにとってはこの上なく有難いこと。出来れば、第2稿でも録音して欲しい!これからのインバル&都響にはますます目が離せません。

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  • ★★★★★ 

    フォン ケロヤン  |  埼玉県  |  不明  |  05/September/2010

    インバルさん、またまた第1稿ですね!インバルが第1稿に拘っているのか?都響の要望なのか?個人的には最終稿によるインバルの解釈を聞いてみたいです。最近の日本のオーケストラの水準の高さには目を見張るものがあり、大いに期待できそうですね。

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