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今尾哲也

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河竹黙阿弥 元のもくあみとならん

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    金山寺味噌  |  愛知県  |  不明  |  17/December/2016

    幕末期から明治初期にかけて活躍した歌舞伎狂言作者、河竹黙阿弥(二世河竹新七、1816〜1893)の評伝。数多くの傑作狂言を発表し江戸歌舞伎界の改革の貢献した偉大な作者の評伝である。彼は生涯の大半を「二世河竹新七」として過ごし、弟子に新七の名跡を譲ってからの隠居名が黙阿弥であるが、隠居後も活発な創作活動を行い江戸歌舞伎随一の作者として活躍を続けたため、黙阿弥の名前で歴史に残る人物となった。 江戸時代、歌舞伎は徳川幕府の厳しい統制下に置かれていた。演出や台本の内容にもチェックが入り、身分制度も厳格であった。狂言作者も守田座、中村座など芝居小屋の座付き作者でなければ活動できなかった。黙阿弥は1843年に二世新七を襲名して立作者となってから大活躍を開始。幕末期の名優四世市川小團次(1812〜1866)とのコンビで傑作狂言を量産するようになっていく(87p〜 )。『鼠小紋東君新形』や『三人吉三廓初買』(三人吉三)などの”白波物”で大当たりを取った。彼らの狂言は登場人物の人情の機微を緻密に描き好評を得たのだが、それゆえに徳川幕府の睨まれるところとなり、「世情に悪影響をおよぼしかねない」として咎められることとなる(169p〜 )。当時病気療養中だった小團次は無念のあまり体調が悪化し死去してしまう。この事は黙阿弥の心にも深い傷を残し、その後の活動にも影響を及ぼした。 徳川幕府が倒れ明治期に入っても黙阿弥の執筆活動は旺盛で、九世市川團十郎・5世尾上菊五郎・初世市川左団次、いわゆる「團菊左」と呼ばれた名優たちのために『北条九代名家功』、『紅葉狩』、『極付幡随長兵衛』などの傑作を量産していく。近代演劇の先駆的指導者である坪内逍遙も黙阿弥を賞賛する批評を残している(7p)。隠居名の黙阿弥を名乗ってからも活動に衰えはなかった。座付き作者でなければ狂言を発表できなかった徳川幕府の時代とは異なり、明治期にはそうした制約がなかったため黙阿弥は実質的にフリーの劇作家として執筆活動を行い、生涯現役を貫いた。著者今尾氏は黙阿弥のことを「最後の狂言作者にして、最初の劇作家」と総括している。

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