[USED:Cond.AB] Piano Works : Pollini (9CD)
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abbadondon | 栃木県 | 不明 | 04/June/2016
若いころの練習曲は完璧な技巧、 比較的最近の夜想曲は柔らかな響きで やはりショパンはポリーニだ。1 people agree with this review
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wakei | 千葉県 | 不明 | 28/April/2012
このポリーニショパン集を評価するのは、実は音楽に何を求めるのかを問われることなのではないだろうか。若いころのポリーニは機械的だという評価と、近年円熟味を増して真に巨匠になったなどという評価は、個人的な受け取りだから、ありえないわけではないが、ポリーニが聞いたら驚くような、的外れなものだろう。 ポリーニの若いころの演奏は、完璧な技巧だけではなく、作曲家に寄り添った高い音楽的解釈と、それを完全に表出するコントロール力という、すべての演奏家としての要素を極めて高いレベルで総合させた比類ないものだった。練習曲集につけられた「これ以上何をお望みですか?」というキャッチコピーはまさしく、この演奏を的確に表現したものだった。そのコピーが印刷された帯付きのLPレコードを購入し、散々聞いたものだ。しかし、そうした完璧さをもった演奏は、この中では4番目までである。5番目のスケルツォは過渡期であり、6番目のバラード以降は、ポリーニは全く別人になってしまった。しかし、それはよく書かれる練習不足とか、音楽家としての堕落では決してない。おそらく1990年前後、ポリーニの50歳代での腕の故障が原因である。私はプロの作曲家である知人から直接その情報を得たが、技術的な問題もそうだが、精神的な動揺が深刻であったという。その少し前だったと思うが、日本のテレビに登場していろいろと話をしていたのだが、ポリーニはとにかく時間がある限り練習をしており、すべての練習は作曲家の意思を正しく表すための解釈のためだと言っていた。この練習のしすぎが腕の故障の原因だろう。どんな人間でも決して逃れることのできない肉体的衰えと故障の時期が重なったために、さすがのポリーニも急速に技巧的な衰えを示すことになった。91年のスケルツォから99年のバラードまで、8年の空白があることが、この間のポリーニのもがき苦しむ精神を想像させる。ベートーヴェンなどはだしていたが、有無を言わせぬ名演は全く現れなくなった。 私はポリーニ全盛時代にNHK交響楽団に登場したときのライブを実際に聴いたことがある。ショパンの2番の協奏曲であり、アンコールとしてバラード1番を弾いた。この演奏会は、人生の中でもっとも印象的な忘れることのできないものだった。カラヤンの第九やクライバーの薔薇の騎士、ボエームも聴いたが、感動の強烈さという点で、ポリーニの方が遥に上だった。あんなに美しいピアノの音は前にもあとにも聴いたことがないし、(数年間同じ席で様々なピアノ協奏曲と演奏家を聴いたが)特に第二楽章の夢見るような夜想曲には、恍惚となるような思いがした。そして、バラードは、神秘的な雰囲気の音から、強烈なダイナミズムまで、信じられないような完璧な技巧と解釈で惹きつけた。舞台上のオケの人たちが、完全に熱狂する聴衆と化してしまったが、あんなオケの人たちの反応は、映像を含めて一度もみたことがない。世界的な演奏家と頻繁に演奏している彼らがあれほど熱狂するのだから、そのすばらしさが想像できるだろう。 しかし、私がCD時代になって買ったポリーニは、70年代の演奏ばかり集めた12枚組のボックスと、EMIのショパン名曲集だけだった。(LP時代には、練習曲集の他に、練習曲集・ポロネーズ・前奏曲の3枚組セットと18歳のときの協奏曲1番を買って、いずれもよく聴いていた。)これは、一枚とて駄作はなく、聴く者を圧倒するような演奏ばかりだ。しかし、80年代以降、特に90年代にはいってからの録音は、怖くて聴く気がせず、ずっと避けていた。故障後のポリーニの評価は散々であり、幻滅を感じたくなかったからである。 しかし、バラード以降の演奏を好む人が少なくないこともあるが、私自身の大学での取り組みとして、「躓きと立ち上がり」というテーマでのゼミ活動を始めたことから、このセットを購入する気になった。50代で故障したポリーニには、決して以前のような完全な演奏ができないことは、本人も承知していただろう。生活に困ることはないはずだし、音楽大学の教授職はいくらでもあったろう。しかし、演奏家としての道を捨てず、罵倒のような批判を受けても、レコーディングもしてきた。その理由を探りたかったのである。 このバラードを聴いたとき、自分が表現したいことを実現できない、もどかしさを感じているポリーニを強く意識せざるをえなかった。私が実演で聴いた1番のバラードの圧倒的な構えの大きさと繊細な表現を合体させた演奏に比較すると、多少スケールが小さいが、EMIの演奏は、ホロビッツ、アシュケナージ、アルゲリッチなどを寄せつけないほどのすばらしさだ。おそらく比肩するのは、ツィンマーマンだけだろう。99年のバラード1番は、EMIと比較すると、ポリーニの焦りがにじみ出た演奏になっている。表現意欲が空回りし、躓きそうになるのだ。 世評の高い夜想曲集も、30代にいれてくれたら、ほんとうによかったと思う。超絶技巧を要求する曲ではないから、技術と表現意欲の破綻めいたところは感じないが、やはり、草書体的装飾句の滑らかさが破綻するところが少なくない。あまり違わない時期の同じグラモフォンでのピリスの夜想曲集の方がずっと魅力的だ。 CD9には、唯一重なっているソナタ2番がはいっている。これも、84年の演奏では、実にきめ細かいニュアンス付けがなされているのに対して、そうしたコントロールが弱くなっている。 結論的に、6以後のCDはポリーニという名前がなければ、会社が発売したかどうか、わからないと思う。だが、価値がないのか。演奏だけの価値なら、かなり低いといえよう。しかし、私たちが、音楽を聴くのは、単に演奏の純粋なすばらしさをえるためだけではないのかも知れない。 ルツェルン音楽祭で、アバドとベートーヴェンの4番の協奏曲を演奏しているビデオをみたことがあるが、聴衆は本当に暖かい拍手を贈っていた。おそらくヨーロッパの聴衆、この会場には一流の演奏家もたくさんいたが、アバドも含めて身体的問題と闘ってきた二人の人生を知っている人も多いのだろう。そういう姿から、勇気を感じることができるのも確かだ。あれほど完璧な演奏家だった人が故障でどん底に陥り、以前の姿を取り戻すことは決してできないが、しかし、新しい何かを求めて努力している、その過程を示すものとであるがゆえに、確かに感動も与える、そういう性格のものなのだろう。 このボックスはポリーニの栄光と挫折、そして、立ち上がりの苦悩の跡を確認するものとして、やはり大きな意味をもっているとと思う。31 people agree with this review
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KS | 兵庫県 | 不明 | 13/November/2011
ポリーニの残したショパン演奏の偉業を鳥瞰したかったので買い求めました。彼の超絶技巧を知る絶好のチャンスを与えて頂き感謝しています。 それにしても、9枚組でこの価格は破格の値段です。7 people agree with this review
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TKOクラシック | 神奈川県 | 不明 | 04/November/2011
コルトー、リパッテイの記録的名演は別として、ルービンシュタイン、ポリーニがショパンの愛聴盤です。アルゲリッチやアシュケナージも面白いが、 長きに渡りショパンの録音を残してきたポリーニに敬意!心技体というか、情に溺れることなく、知的でバランスがとれたショパン、定盤は、ポリーニ盤だと思います。現役ショパン弾きの最右翼。ダフリもありますが、これでポリーニのショパンは揃うので買います。9 people agree with this review
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