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Shostakovich

CD Symphonies Nos.8, 9, 10 : Kirill Petrenko / Berlin Philharmonic (2CD)(+BD)

Symphonies Nos.8, 9, 10 : Kirill Petrenko / Berlin Philharmonic (2CD)(+BD)

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    mimia  |  石川県  |  不明  |  10/September/2023

     「優れた演奏には二種類ある。まず、優れた演奏そのものを感じさせるような演奏。  次に、演奏ではなく、作品だけが感銘を与えるような演奏。これこそが私たちの真の課題である。ーフルトヴェングラー の遺稿より」  ショスタコーヴィチ作品の演奏を評価するのは難しい。作品そのものの評価が確立しているとは言えないからだ。無心に聴けば他に換えられない圧倒的に素晴らしい音楽である事は感じられる。だが、それだけでは不十分で、胸の中にザワザワしたものを残してしまう。まだ大切なものを聴き取らなければならないのではないか。  それが何か?私たち全員が、その答えを知らされてはいない。  演奏を評価しようとするなら、その演奏が曲の本質を捉えているかどうか、が大切になる。聴く者は、まず曲の真価を聴き取らなければならない。  キリル ペトレンコが2枚のCDに収録したのは、Symphony No.8,9,10の三曲。まずここに惹かれる。  ショスタコーヴィチのSymphonyは年代順に二、三曲ずつくくってみると理解しやすくなる。  No.2と3,No.11と12,No.13と14など。さらに深読みすれば、No.4と5,No.5と6という組み合わせも意味がある。  No.7と8もくくりになるが、それにNo.9を加えた三曲は戦争三部作と呼ばれたりもする。  ペトレンコの演奏を聴くと、No.8,9,10のくくりは素晴らしいと思う。  この三曲は、徹頭徹尾、嘘やごまかしのない真実の心情だけを込めたSymphonyである。演奏効果を狙った過剰な表現はなく、時に出現するショスタコーヴィチ特有の、凶暴なまでの暴力的大強音でさえ、ペトレンコの指揮では、心の叫びから一歩も逸脱していない。  No.8は全編が内省的で、No.7では描かれなかった、心情の陰の部分が吐露されている。  ちょうど、No.5のあとにNo.6を創ることが必要だったことと同様に、外面的で、やや効果を狙ったもののあとでは、より内面的に真実に沿った曲を書かなければならなかった。  大きなうつわのSymphonyだが、室内楽を聴いているような気持ちになる。それも、演奏家が目立つデュオやトリオではなく、弦楽四重奏。この感じは、ペトレンコでいっそう強い。  No.9はより複雑な事情の中で作曲された。  No.8は、No.7のソ連当局に対してはもとより、世界中での大成功の後であったから、身の安全はある程度確保したなかでの発表だったと考えられる。  しかし、そのNo.8もしだいに当局より不審な目でみられ始めていた状況で、戦勝を祝う曲を期待されていた。しかも、9番目のSymphonyである。誰もが、(世界中が)ベートーヴェンを意識していた。  諧謔的、皮肉的と評価されることの多い曲だが、ペトレンコで聴くと真面目一本の音楽に聴こえる。  確かに、上記の状況を考えると、ここでふざけた曲など書けるだろうか。    第一楽章のややおどけたような主題から始まる、ハイドン的ソナタ形式。呈示部はきっちり反復される。  展開部における主題の発展はハイドンともベートーヴェンとも違うすばらしい音楽。  第二楽章の憂鬱で、どこか不安な、しかしやり過ぎない自制ある緩徐楽章。  スケルツォの第三楽章も、お得意の音楽で、ここまでは、ショスタコーヴィチの本来の資質が輝いているSymphony No.1に、直接繋がっている。おそらく、ほんとうに好きな音楽を書いている。  問題は第四楽章だ。  仮定だが、この楽章はベートーヴェンの第九、第四楽章冒頭のレチタティーヴォにならったものだとしたら。  ベートーヴェンはそのレチタティーヴォで先行する三つの楽章を否定する。しかし、どうしたらあのすばらしい音楽を、本人と言えども否定できるのか?やむを得ない想いがあったからだ。  先行する三つの楽章は、ベートーヴェンの極めて個人的な、しかも絶対音楽である。それをあえて否定しなければならない事情は当時の政治、社会情勢にあった。自分自身を捨ててでも、世界に平和と自由を訴えたい想いがあったのだ。  あの音楽は、讃歌ではなく、願いであり、希望だ。  ショスタコーヴィチが9番目のSymphonyを作曲するにあたり、周囲の期待とは別に、自身も深く意識していたに違いない。それは作品のなかに現われている。  本来の自分らしい音楽を第四楽章で否定する。  ベートーヴェンの第九の第四楽章主部に相当する第五楽章はどうか?  これもまた、ショスタコーヴィチのお得意の目まぐるしい音楽ではあるが、お祭り騒ぎを装って訴える。ベートーヴェンのように壮大に、ではないが、  「私もまた、狂ったように希望する。」 そう言っているように聴こえないだろうか?  猛スピードで音階を駆け巡るメロディがベートーヴェンの歓喜の主題のオマージュに聴こえないだろうか?  ソ連当局の期待に応えるような音楽を書くことは、ショスタコーヴィチならできただろう。  しかし、危険な状況に陥いる覚悟であえて、ほんとうに書きたい音楽、伝えたい想いを込めたところにSymphony No.9の凄みがある。これもまた、No.8と姿は違えど同質の音楽といえる。  No.10はショスタコーヴィチのSymphonyのなかでは例外的に評価がほぼ定まっている曲である。  作曲家自身の心情を描いた音楽。  傑作揃いの作品群のなかでも、No.8と並んで代表作のひとつ。  ショスタコーヴィチは、このSymphonyを書き上げたことで、一つの区切りがついたと感じたと思う。 No.9を書いた後、約8年間の不遇を過ごしてようやく自分の思いの丈を作品として発表する事ができた。長い空白があったけど、これは、No.8,No.9と一続きの曲だ。本当の心情を込めたSymphonyというくくりである。  ショスタコーヴィチ作品の演奏では、圧倒的なオーケストラの力を見せつけるような演奏が少なくない。そういう演奏にも、ショスタコーヴィチの曲はよく応えてくれるのは事実だ。  聴く者は、曲の真価を理解するより演奏の凄さに唸ってしまう事になる。それも確かに、音楽を聴くたのしみには違いない。  ここに聴く、キリル ペトレンコ指揮ベルリンpoの演奏は、まっすぐ曲の本質に向かっている。熱狂的に高まる強音響の中でも、どこか平穏なきもちが目覚めている。  演奏者を忘れさせ、曲そのものにこころを誘っている。作曲者、そして作品への深い敬意があるのだろう。  ベルリンpoが、キリルを迎えた理由が分かった気がする。 作品に対する、変わらない気持ちで、これからもショスタコーヴィチをの演奏を続けて欲しい。  そしていつか、是非、フルトヴェングラー の作品の真価を示して欲しいと、切に期待する。  この、ベルリンフィルレーベルのCDには直接関係しないが、 特に書いておきたい事があります。  このhmvの紹介記事のページの作品&演奏情報の欄に、 この三曲の楽曲構成と、このCDに合わせたタイムテーブルが記載されている。担当の方が、実測して記録したものとおもわれます。  曲の構成を知りたい時にとても役に立ちます。担当者の愛情をかんじます。ありがとうございます。    

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  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  08/May/2023

    マーラー6番、(今シーズン開幕公演の)7番と並んで今のところ、このコンビの最も見事な成果の一つ。キリル・ペトレンコはモーツァルトがとても良いので−−コンビとしてのデビュー録音だった『悲愴』よりも、同じコンサートで演奏された『ハフナー』交響曲の方が遥かに上だった−−特にオペラをもっと演奏してほしいと思ってはいるのだが。さて、8番と9番は無観客公演だが、奏者間のディスタンスを取りすぎて不発に終わった2020年8月の開幕公演(『浄夜』とブラ4)のような失敗はない。オケのテンションはむしろ普段以上に高く、8番第3楽章、10番第2楽章のような、そもそも暴力的な音楽では凄まじい威力を発揮している。この時期(4番までを初期、13番以降を後期とするなら中期か)のショスタコの音楽では、特にテンポの遅い長大な楽章で、速筆の天才作曲家ゆえの散漫さをほんの少しだけ感じることがあるが、例によって、引き締まったテンポの指揮からは、そうした不満を全く感じない。似た名前のヴァシリー・ペトレンコの方がより劇的な振幅の大きい振り方をするが、キリル・ペトレンコはそれに比べると、硬派でハードボイルドだ。今では10番は9番完成後、まもなく着手されたと考えられているが、9番が例のジダーノフ批判を招いてしまったので、スターリン没後まで発表が控えられた曲。この3曲を三部作として聴いてみるのも悪くない。

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