Bach, Johann Sebastian (1685-1750)
Johannes-Passion : John Eliot Gardiner / English Baroque Soloists, Monteverdi Choir (2021)(2MQA / UHQCD)
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mimi | 兵庫県 | 不明 | 19/May/2025
John Eliot Gardinerーこれほどまで広い時代にわたるレパートリーと、かつこれほどの質の高い演奏の数々を成し遂げてきた指揮者は、現代西洋クラシック界において歴史上他にいないでしょう。しかしながら自分の聴く音楽の大部分がJ.S.Bach中心であり、Gardinerの主なレパートリーも疑いなくJ.S.Bachであるにも関わらず、ほんのつい最近までGardinerのBach演奏にただの一度も感動したことがありませんでした。モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏レヴェルが他のあらゆる古楽演奏団体と比較しても段違いに優秀なのは言うまでもなく、加えてGardinerという指揮者の能力がこれまた他のあらゆる古楽系指揮者と別次元の領域にあるので(おそらく歴史的名指揮者に肩を並べ得る唯一の古楽系指揮者)、どんな演奏であっても優れてないことなどあり得ない。それでも自分は、過去高い評価につられて購入してきたGardinerのBachの大曲CDのどれ一つにも感動もできなければ、親近感を覚えたこともありませんでした。合唱も管弦楽も上手く、指揮者も上手い。けれど常に勢いはあってもどこか空虚で荒々しい、精緻さを欠いたMassiveな音の固まりに全く曲に入っていけず、毎回演奏を購入したことを後悔するのが常でした。このGardiner三度目のヨハネ受難曲も発売は知っていましたが、どうせまた失望するだけ、と敢て手を出していませんでした。それが別の事情でふと、Gardinerに興味を覚える機会があり、発売から3年でようやく入手しました。演奏は2021年、前回よりほぼ20年、まさに全世界にコロナ禍が蔓延し始め、世界中全てがロックダウンで日常を失っていた最中と思われます。で印象ですが、一聴してこれがいつものGardinerか、と思うほど、こんなに寂しくて暗いヨハネは想像していませんでした。他の評者も指摘されてる通り、導入合唱からすでに劇的というより、静的な時間が支配する空気が明らかですが、この3回目のヨハネの演奏を端的に表しているのがEvangelistの歌唱。ヨハネに馴染んだ方ならどなたもよくご存知の通り、マタイに較べて小規模でコラール、アリア、レティタティーヴォ・アコンパニャートなど、詳察の比重がマタイより低いヨハネは、自然Evangelistの語りの比重がマタイより重く、作品全体の大部分を占めると言っても過言でありませんが、この盤におけるEvangelistの歌唱は全体に徹底して遅めのテンポで、内容のひとつひとつを噛みしめるような表現が支配しており、自然、語られる内容の悲劇性ー悲痛さが否が応でも聴者に意識されます。決してすべてが名唱と言えるまでのレヴェルではなく、まだ若いかなと思われる瞬間も無くはないのですが、これがGardinerのとるじっくりとしたほの暗い作品の流れのなかで非常に存在感を放っています。もちろん、第二部以降、群衆合唱などヨハネならではの激しい部分もしっかりとあるのですが、それらはすぐに全体の暗く寂しい流れの中に埋没していきます。そしてEvangelistの語りと同時に存在感を放つのが、コラール・合唱。Gardinerの解釈自体も以前と比較してややロマン的と言えるような、微細なテンポの動き(決して露骨でなく控えめ)を伴っていますが、ゆったりと静かに歌い上げられるコラール・合唱の何としみじみと美しいことか!マタイに較べて小規模で存在感の薄いはずの第一部終結合唱がここまで存在感を持つ演奏はまれかと思います。そして言うまでもなく、判決から、処刑、イエスの死に至る後半の流れ。進むにつれて逆に激しさは退いていき、悲痛さと静けさがどんどん支配してくる。もちろん、そのピークは第一の終結合唱Ruht wohlと最終合唱Ach,Herrですが、この悲痛さはもはや完全にRequiemー死者のためのミサ そのものではないでしょうか。Gardinerはこの5年前にマタイの再録音(ライブ)を行っており、この時の演奏は、従来通りのGardiner、少なくともここまで悲痛で暗いものではありませんでしたので、彼の年齢がこの演奏の変化を生み出したわけではなさそうです。ここからは全く自分の完全な想像(妄想?)ですが、この演奏が行われた2021年、ヨーロッパ中心にCOVID-19が猛威をふるっており、しかもオミクロン株出現以前の、死亡率の高いデルタ株の時代、イギリスでも周囲で次々と人が死んでいっていた時期と思われます。日本でもそうでしたが、全世界の人間がこれほどに「死」に近かった時期は始めてだったでしょう。まして70代後半の高齢にさしかかっていたGardiner、一度COVIDに罹患したら生還できるかどうかは五分五分だったはずです。この演奏からは、死が己と隣り合わせであり、死が限りなく身近であった人間の恐怖が感じられるように思えてなりません。例えばW.Furtwanglerが戦後ベルリン・フィルに復帰した際のティタニア・パラストでの「運命」、あるいは戦後のバイロイト音楽祭再開にあたっての「第9」といった歴史上の情勢が生み出した演奏の緊迫が、やや大げさですがこのヨハネにも感じられるようにさえ思います。もちろん真相はわかりませんが、それでもGardinerという、骨の髄まで理知的で、演奏構造を磨き上げていくことで真価を発揮するような(それ故、Bachの大曲の演奏が必ずしも得手でないような)タイプの芸術家にして、これほどに心の声が聞えるような演奏が稀なののは確かではないでしょうか。このヨハネが宣伝文句にあるような決定盤かどうかはわかりませんし、数限りなく存在するヨハネ演奏のなかで、どれだけ上に来る演奏かも判断できませんが、少なくともこれだけの音楽家にしてちょっと過去に類をみない演奏であり、自分個人としてはGardinerに対する興味が始めて起こってくる盤でした。これまでのGardinerファンには逆にお薦めできるかどうか自信ありませんが、この時代にしか現れなかった貴重なヨハネ受難曲演奏として、Bachファンの記憶にとどめる価値のある演奏と考えます。0 people agree with this review
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singet225 | 岐阜県 | 不明 | 10/March/2022
ガーディナー3度目のヨハネ受難曲。コロナ禍で演奏者もかなりのディスタンスを取りながらの演奏は本当に困難だと思うが、そう言う悪条件を跳ね除けて実にパワフルで生々しくもエモーショナルな見事な演奏である。勿論配信でのライブ演奏故にキズもあるが、テキストの内容と意味をここまで掘り下げ深化させたガーディナーと、ソリストやモンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの卓越した表現力には正に脱帽だ。冒頭のコーラスからして表情付が実に細やかで徹底されているが故に全く不自然にならないのが素晴らしいし、コラールの表情も本当に豊か。ソリストは特に福音史家が素晴らしいが、これはガーディナーの演奏に一貫して言えるがどこかのセクションが突出せずにチーム全体が素晴らしいまとまりを持って作品に対峙している事が演奏によく表れていて感動的な演奏である。1 people agree with this review
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