Linda Di Chamounix: D.schmid A.fischer / Zurich Opera Gruberova Will
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ユローヂィヴィ | 大阪府 | 不明 | 16/August/2010
まず短いがアルプスの山間の村を表現した美しい序奏があり、村人たちの短い合唱(無伴奏)がそれに続く。印象的な幕開きです。 第一幕の一部(侯爵が帰っていく所)でほんの少し音声に乱れがあります。おそらく録音時の機材の問題でしょう。 この映像は1996年9月4、7日の2つの公演からつくられていますが、第一幕のリンダのアリアが映像と音が微妙にズレているように感じられ、見ていてなんか気持ち悪い所があります。これは二つのいい所をつなげたからなのでしょうか? それとも映像がなんらかの理由で遅れた? 第二幕は戯曲も音楽も良く出来ていると思いました。 ただ第二幕のカルロのアリアの時、右の袖から糸が垂れているのが気になりました。 全体を通してピエロットの悲しい歌がリンダの悲劇を象徴する重要なもので物語が悲劇に進む程この旋律がより悲しく聴こえてきます。 第三幕も最後はハッピー・エンドになるので観ていて救われた気がしました。 この作品や『ランメルムーアのルチア』のように女性が正気を失うという作品がありますが、(ロシアでいうと『マゼッパ』や『皇帝の花嫁』)これはのちにフロイトが明らかにするいわゆるヒステリ−で、ヨーロッパの貴族など身分の高い女性の症状としてフロイトはとらえましたが、日本も戦後までは自由恋愛は少ないと言われますが、ヨーロッパにおける自由恋愛がかなわないことで起きる悲劇の一例がこういった一連の作品のテーマとなっているのでしょう。(ここでは身分の差が悲劇を生む。) ヨーロッパ女性の一つの象徴として狂女が出てくる。(日本では室町時代の能に狂女を主題とした作品群があります。)その例として歌劇『シャモニーのリンダ』をとらえることもできます。 また、歌劇『夢遊病の女』にしても臨床心理学から診るとなかなか面白いかも知れません。 ≪歌手について≫ リンダの母を歌うナディー・アッシャーの歌唱(発声)が少しきつすぎるように思います。現在の生活の苦を嘆くのですが、それにしても大声を出そうとしすぎに感じました。 リンダは母に対してとても強い心のつながりを持っている。 リンダの父、アルマンド・アリオスティーニは素晴らしいです。 ≪演出について≫ 村の貧しさのために人々は都会(パリ)へ出稼ぎにいくという設定ですが、それにしてもリンダや父、母、村人の衣装が地味(質素)すぎるように思います。舞台背景も暗く、照明も暗い。 舞台なんですからそこまでしなくてもと思いました。 そのために、侯爵の喜劇的な音楽としぐさが妙に浮いてしまって、いかにも場違いな感じがします。お芝居ならではの面白さもみせて欲しかった。侯爵がはしゃぎすぎで楽しい感じが伝わらない。せっかくがんばって歌い演技しているのに。 この悲劇の中で第三幕の始めはとくに侯爵が持っている喜劇性の運びかたでこの物語の清涼剤となる働きをするので、侯爵の登場で照明を明るくするなどして欲しかった。 第一幕のピエロットの歌の時にも(この歌はこの作品の中でとくに重要なものです。)歌詞の内容にあわせて舞台がやはり暗い。なんとも気が重く沈んでしまう。 もっともこのように感じさせれば演出家としては成功なのかもしれない。 舞台装置でいえば大道具が少なく背景も簡単なので少し物足りない感じがしました。 変な言い方ですが、あまりお金がかかっていないというか・・・。 第二幕ではパリの喧騒や婚礼のあわただしさを薄い幕のむこうで人が行き来することで表現したり、第三幕では薄い幕の向こうでダンサーが(?)吹雪の中故郷に向かうリンダを表現したりしています。 最後にピエロットの映写機(?)がこの演出を締めくくっているのが面白い。(この物語を舞台に映し出していてそれを我々が観ていた。)0 people agree with this review
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