Lisa Batiashvili : City Lights
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mimia | 石川県 | 不明 | 30/July/2020
こういうアルバムをつくれる人は人間として豊かなのだと思う。 1、2曲の名曲を録音したもの、あるいはいくつかの耳触りの良い小品を並べただけのものとは違い、明確なコンセプトのもとに、困難な作業に演奏者自身が主体的に関わっていかなければならない。 結果として、バティアシュヴィリの心情告白を聞くような極めてパーソナルな、しかも普遍的な美しさにあふれたアルバムになっている。 チャップリンに始まって、ミシェル・ルグラン、エンニオ・モリコーネ、シュトラウス1などの名前を見ると、お気軽なアンソロジーなのかな、と思ってしまいそうだが、決してそんなことはない。 バッハと同じように最大限の敬意の感じられる編曲、演奏である。 一番の特徴は、チャップリンを前奏曲として、11の都市に一曲づつ当てられていること。 聴いている私は次々と旅をする。 しかし、単なる旅ではないという予感が、最後のトビリシに至って、確信となる。 人生を旅とたとえることが正当なら、この旅は、彼女の人生なのだ。 トビリシが首都であるジョージア(グルジア)はバティアシュヴィリの故郷である。ここでかなでられる曲は同じくジョージア出身のカンチェリの音楽。 このアルバムのもうひとりの主役であり協力者のNikoloz Rachveliがカンチェリのテーマを使ってメドレーに編曲したものという。 これが素晴らしい。 どこまでがカンチェリでどこからがRabhveliなのか、私には聴きとることはできないけれど、こころをわしづかみにされて、トビリシに連れさられてしまう。 トビリシの曲を聴いたあとで他の都市を思い返してみる。 たとえばニューヨークは新世界交響曲のラルゴ。ドヴォルザークの郷愁を通して見ていた街だった。他のどの街にも幾分悲しみを帯びたノスタルジーが感じられてしまうようになる。 タイトルの「CITY LIGHTS」はチャップリンの1931年の映画「街の灯」からとられている。 浮浪者と盲目の女性の物語。 街の灯とは、ひとのこころをともすあかりの事でもある。その街の魅力はその街に暮らすひとが素敵だから、その街が好きなのは、好きな人がその街に住んでいるから。 選ばれた11の街に、バティアシュヴィリのきもちはいつも在り続けているのだろう。 私はこのアルバムを眠れない夜などにききたくなる。 グルジアという国の伝えられているつらい歴史、バティアシュヴィリの華やかな経歴が私と交差することはないけれど、彼女の中の、ひとがみな共通に持っている普遍的な喜びや悲しみを、寝静まった夜の暗さのなかで聴いている。 余談になるが、同じジョージア出身に、カティア・ブニアティシヴィリがいる。近くのモルドバには、コパチンスカヤ。ウクライナ出身には作曲家のシルヴェストロフ、日本在住のピアニスト、イリーナ・メジューエワ。地理的には少し離れるが、エストニアの作曲家、ペルト、ラトヴィアのクレーメルなど、良い意味で特異な感性を感じさせる音楽家たちを列挙したが、このひとたちの出身国に共通するのは、旧ソ連を構成していた国だということ。 ここに何かがあるように思うのは、わたしだけ? さらに余談。クレーメルには「LE CINEMA」というアルバムがあり、ジャケットにはチャップリンの「モダンタイムス」のラストシーンの写真がつかわれ、一曲目はそのテーマ曲。 バティアシュヴィリと聴きくらべるのもおもしろい。 どちらもホントにステキです。 さらにさらに余談。興味のある方だけよんでね。 「街の灯」が公開された1931年の翌年、フルトヴェングラーとチャップリンが会っているということが、フルトヴェングラーの秘書であったガイスマーの回想録に書かれている。 イギリスからドーバー海峡を渡る連絡船に偶然同乗したらしい。ガイスマーがチャップリンの秘書に会見の申し込みに行ったところ、その秘書はフルトヴェングラーを知らず、怪訝に扱われてしまった。けれど、あとでチャップリンが会いたいと言ってきて、下船まぎわにほんの短時間会ったそうだ。 その時フルトヴェングラーの残した言葉から、少なくとも「黄金狂時代」は観ていたことがわかる。 のちに、「独裁者」はみたかしら?5 people agree with this review
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