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リー”スクラッチ”ペリーのレコード目録

Monday, June 22nd 2009

リー”スクラッチ”ペリー





Lee Perry
『Return Of Django』



 69年、表題曲シングルのヒットを受けて制作された70年発表のアルバム。前作『The Upsetter』と並び、初期アップセッターズ・サウンドのファンキーでグルーヴィな魅力をあますところなく伝える名盤。グレン・アダムスのルーディーでヒップなオルガンが冴えまくる「Touch of Fire」など、この時代ならではのポワンとしたダンス・チューンに心躍る。





Lee Perry
『Scratch The Upsetter Again』



 モッズから派生した英国スキンズを虜にしたリーのとぼけたファンキー・マナーは、本作で決定的なものとなる。オルガン・インスト・レゲエは、当時のダンス・ミュージックの最先端をいっていたこともよく知れる。カウベルを鳴らして客を煽るジャケットは、大盛況に終わった英国公演中のひとコマ。




Lee Perry
『Africa's Blood』



 ブラック・パワーの台頭著しい当時の潮流に反応し、それまでのコミカルでファンキーな路線から、シリアスなメッセージ性を含む”ルーツ、ロック、レゲエ”路線へと一気にシフトした71年の作品。Dr.アリマンタド「Place Called Africa」などにもそれは顕著。





Lee Perry
『Upsetter Collection』



 ブラック・アーク・スタジオ内で撮られたジャケット写真だが、内容は、69年から73までの同スタジオ設立以前のトロージャン音源を纏めたコレクション盤。JB、ミーターズなどのサウンドを下地にしたファンキーなレゲエ・インストを飄々と発しながらも、珍妙なSEに異質なミキシング等、ブラック・アークの独創性を予感させる、只ならぬ様相を十二分に呈している。





Lee Perry
『Upsetters 14 Dub Blackboard Jungle』



 オリジナル盤のプレスは僅か300枚。当時のレゲエ・マーケットの本流からは逸脱していた、B面のヴァージョンを発展させたダブ・ミュージックという新しい概念。73年がダブ元年であるといった定説を生んだ種にもなった、リーが手掛けた世界最古のステレオ録音ダブ・アルバム。ブラック・アーク設立以前のキング・タビー・スタジオでミックスされたシロモノで、後のブラック・アーク製ダブの質感やその手法の片鱗を垣間見ることもできる。こちらは、限定紙ジャケ盤。




Lee Perry
『Double Seven』



 ダブをアート化したブラック・アーク前夜のピュアにスカンクする、リー及び、アップセッターズを楽しむための1枚。オーヴァー・ダビングを施されたムーグ・シンセのチープな近未来感も愉快で、「Kentucky Skank」、名トースター、U・ロイをフィーチャーした「Double Six」をはじめとする人気曲も多数収録。





Lee Perry
『Musical Bones』



 73年12月にキングストン郊外にある自宅裏庭に作られたスタジオ、ブラック・アーク。翌年、本格的な機材導入前に独創的なミキシング(但し手法はあくまで原初的)で『Revolution Dub』を産み出し、続けザマの75年には、本作と『Kung Fu Meets The Dragon』を極少数枚のプレスで世に送り出した。乾いたリディムにヴィン・ゴードンのトロンボーンが泣く「5 Cardiff Crescent」など、70年代レゲエ特有のセンチメンタリズムを胸いっぱいに吸い込むことができる。




Lee Perry@Black Ark




Lee Perry
『Kung Fu Meets The Dragon』



 ブラックスプロイテーション・コミュニティが、ブルース・リー「燃えよドラゴン」をはじめとするカンフー文化に強いインスパイアを受けるのは、ジャマイカに於いても例外ではない。オーガスタス・パブロ、リンヴァル・トンプソンら参加者一堂も、”中国4000年のあれこれ”に想いを馳せ、敬意を表しながら、見よう見まねの演武合戦に興じている。





Lee Perry
『Super Ape』



 ダブの枠をはるかに超え、コラージュ・アートの域にまで達した奇跡の産物。現在も各方面へ大きな影響力を与え続ける超常的な名盤。過剰なまでのエフェクトは、聴く者の神経細胞全てを乱暴なまでに叩き起こし、その隅々にまでエクスタシーを感じさせてくれる・・・たとえストーンしていなくても。能動的に理解しようとすると必ずや気分が悪くなる、リー先生によるホンモノのアブノーマリティ・ミュージック。




Lee Perry
『Return Of The Super Ape』



 身の毛がよだつほどの圧倒的な威圧感とぎりぎりの緊張感を漂わせた『Super Ape』に較べ、2年の歳月を経たこのご帰還盤では、そこに弛緩剤を打ち込んだようなユルさと、ハイプにも似た派手な遊び心を好き放題に放散している。つまり明るさが、そこにある。リー自身がマイクを握り、思いの丈を四方八方にブチ撒ける、ジャマイカ史上最高に刺激的な狂言にして艶歌・・・か?





Lee Perry
『Roast Fish Collie Weed & Corn Bread』



 83年、漏電を原因とする火災により焼失してしまったブラック・アーク・スタジオの最後のレコーディング・セッション・アルバム。この後ヨーロッパに活動の拠点を移すリーのジャマイカにおける最後の録音盤ともなる。とぐろ巻くファンクネスに乗るリーのストレートな歌唱。スライ・ダンバー(ds)、ボリス・ガーディナー(b)、スカリー(per)のリズム隊がいかにタフで饒舌だったかをも顕している。『Super Ape』に隠れがちだが紛れもないブラック・アークの傑作品。




Lee Perry
『Cutting Razor -Rare Cuts From Black Ark』



 米Hearbeatが2003年に編纂した珠玉のブラック・アーク未発表音源集(「Righteous Judgement」のみランディーズ音源)。ジュニア・マーヴィン、ジュニア・バイルス曲などは、なぜお蔵入りになったのかを不思議に思うほどの出来。この時期の数ある未発表集の中でも群を抜いてグレードの高い1枚。





Lee Perry
『Arkology』



 ブラック・アーク期の未発表曲、未発表テイク、別ミックスなどをふんだんに盛り込んだ、アイランド創立40周年を記念してリリースされた3枚組ボックス・セット。また、編纂者のスティーヴ・バロウ、デヴィッド・カッツ入魂の50ページ越ブックレットには貴重な資料となり得るコンテンツがたっぷりと掲載されている。





Lee Perry





Lee Perry
『Mystic Miracle Star』



 ブラック・アーク・スタジオを対人関係を含む環境ストレスにより飛び出した79年、残った音源は、ヘンリー・W・タルゴウスキーの助力を得て、彼の主宰するアムステルダムのBlack Star Linerレーベルからリリースした。リーはニューヨークへと渡り歩いた後、82年に突如本盤を新作として発表。ジャマイカ録音というクレジットとは裏腹に、当地の白人レゲエ・バンド、マジェスティックスをバックにしたロック・テイストの強いトラックの上で、本気の表情で吟じている。





Lee Perry
『Battle Of Armagideon』



 ヨハネの黙示録を安易に引用したかと高をくくってはダメ。86年当時、レゲエはもとより全音楽シーンを見渡して、こんなにも狂気に満ちて、こんなにも猥雑で、こんなにも自由なサウンド・システムがあっただろうか?フェラ・クティ諸作のそれと見間違えるようなマッド・コラージュ・ジャケットそのままの雑多な世界が展開されている。御大の歌声にもいよいよ”グールー”紛いの妙な説得力がついてきた。






Lee Perry / Dub Syndicate
『Time Boom X De Devil Dead』



 英国地下工房代表、On-U主宰エイドリアン・シャーウッドとの初の邂逅。ルーツ・ラディックスにいたドラマー、スタイル・スコットを擁したダブ・シンジケート・バンドのタイトな演奏は、リーの新境地開拓の大きな助力となった。シーンの急速なデジタル〜ダンスホール化に背を向け、本場JAから遥か遠くに佇む煙たいまでの工房で、しこしことダビーなスペルマを発射することだけに没頭した彼ら。エイドリアンにとっては、ニュー・エイジ・ステッパーズ、クリエイション・レベルで夢見ていた桃源郷が遂に目の前に広がった、というところだろう。





Lee Perry
『From My Secret Laboratory』



 ダンス・カルチャーとの結び付きで何度目かのエクスタシーを迎えていたOn-U=エイドリアン・シャーウッドが再び、リー、そして、スタイル・スコットと共闘(蔓延するあらゆるチャート概念との)した87年の傑出作。ラディックス、ダブ・シンジケートがバックを折半するも、ドラムは全曲スタイル・スコットで、リーとの共作もあり。『Time Boom X〜』よりさらに濃密な仕上がりになったかどうかは意見の分かれるところ。ダブに愛を捧げる文殊の知恵、そのものの行為に価値を見出すのが賢明か?





Lee Perry
『Satan's Dub』



 90年にリリースされた、88年、リーとワッキーズの注目セッション『Satan Kicked The Bucket』のダブ盤。





Lee Perry
『Lord God Muzick』



 ナイニー・ジ・オブザーヴァーとの共同プロデュースで、91年にリリースされたチャンネル・ワン録音盤。久々の帰省レコーディングとなったが、すでに当地のメインストリームを牛耳っていたダンスホール・サウンド周辺に、リー本人も食指を伸ばさなければいけない状況になっていたのも事実。今聴けば、かなりチープで古臭いデジタル仕様に新鮮味も覚えるが、発売当時は相当量の迫害を受けた可能性も大。但し、この時期勢い付いていたリーの独走は誰にも止めることができないんだ、ということも感じさせてくれる。それだけやっていることは、興味深く力強い。



Lee Perry



Black Ark Experryments

Lee Perry
『Black Ark Experryments』



 Ariwaの首領マッド・プロフェッサーとのタッグ第2弾(前作『Mystic Warrior』は廃盤の憂き目)。タイトルに掲げている「黒い箱舟云々」とブラック・アーク・スタジオとの関連性は皆無のようで、マッド印のクリアでヘヴィなダブ処理が全編を覆う。エイドリアン・シャーウッドが、ブラック・アークを現代に蘇らせたらというようなお題目で、リーとの距離を縮めたのに対して、こちらは、UKニュー・ルーツ・マナーを取り入れたりと、”Ariwaありき”のある種の恣意性も併せ持ちながらリーと迎合。 




Lee Perry
『Who Put The Voodoo Pon...Reggae』



 マッド・プロフェッサーとの3作目。ダブ盤もあり(『Dub Take The Voodoo Out of Reggae』)。





Lee Perry
『Dub Fire』



 ウェイラーズの「Soul Rebel」、「Don't Rock My Boat」、「Duppy Conqueror」、ジュニア・バイルス「A Place Called Africa」の替え歌、「Soul Fire」、「People Funny Boy」のそれぞれセルフ・リメイク「Dub Fire」、「Why People Fire」など全て焼き直し曲で構成された、98年Ariwaからの6作目。ダブ盤は『Fire in Dub』。





Lee Perry
『Jamaican e.t.』



 2002年にTrojanからリリースされた本作。ステイプル・シンガーズ「I'll Take You There」のカヴァーをはじめ、ファンク、ジャズ、ロック楽曲が所狭しと収められ、もはや純正レゲエ作品とは一線を画して楽しみたい、この時期のリー・ペリー・ワールド。こうした門戸の広さがウケたのか、2003年グラミー賞においてベスト・レゲエ・アルバムを受賞。





Lee Perry
『Alien Starman』


 2トーン・レコーズのロジャー・ロマスとの共同制作品。バックは、セレクターとスペシャルズのシャッフル・メンバーということで、演奏自体にディープなフィーリングはほとんどなし。テンプテーションズ「My Girl」のカヴァーなど、前作『Jamaican e.t.』同様、ポップな打ち出しが否が応にも目立つ仕上がりとなった。




Lee Perry
『Panic In Babylon』



 DJスター★トレック、パスカル・ブランコウといったドラムンベース、ハウス畑のDJ/サウンド・クリエイターと組んで制作された2004年作品。彼ら制作陣の一般的な認知度の低さとは裏腹に、リー御大との一体感は、この何年で最も優れたものとなっている。タイトル曲には、リコ・ロドリゲスも参加。



Lee Perry




Lee Perry
『End Of An American Dream』



 2008年グラミー賞ベスト・レゲエ・アルバム部門にノミネートされた、ジョン・サクソンのState of Emergency Limitedからリリースされた1枚。トラックメイキングは、85年当時、リーの初英国ツアーでバック・バンドを務めたワールド・サービス・バンドのリーダーでもあった、スティーヴ・マーシャル。ブレイクビーツを多用したサウンドからは、今後の御大の音楽的路線を示唆するというよりは、今そこにある1つのセッションを純粋に楽しんでいるという興趣が窺える。





Lee Perry
『Repentance』



 USオルタナ界きってのパーティ・ロッカー、アンドリューW.K.とのまさかのコラボレーション・アルバム。モビー、ブロンディーのギタリスト、クリス・スタイン、ライトニング・ボルトのドラマー、ブライアン・チッペンデールらがゲスト参加。というわけで、当然今様ロック色は濃い。



Scratch Came Scratch Saw Scratch Conquered

Lee Perry
『Scratch Came Scratch Saw Scratch Conquered』



 『The End Of An American Dream』に続く、ジョン・サクソン&スティーヴ・マーシャルとの共同作。「Heavy Voodoo」、「Once There's a Will There's a Way」(後者では「ハロー!ミスター・キース・リチャーズ!ハロー!ローリング・ストーン!」と御大!)にキース・リチャーズ、「Headz Gonna Roll」にジョージ・クリントンといった、ロック、ファンクの両巨匠を迎え、既存のレゲエ概念から大きくハミ出たセッションを展開。それはそれで70年代アップセッター〜ブラック・アーク期における御大の「色々やってみよう」という精神によい意味で回帰していると思う。





Lee Perry
『Mighty Upsetter』



 90年の『From The Secret Laboratory』以来となるエイドリアン・シャーウッドとのコラボ。「Blackboard Jungle Dub」のリディム・リメイク、シルヴァートーンズ「Rejoice Jah Jah Children」リディムなど、70年代の素晴らしいクリエイションを、メインのトラックメーカーにジャズワドを起用しつつ焼き直し、今日的に甦らせている。リリースが続いた2008年のリー・ペリー・ワークの大本命盤、ということは言うまでもないだろう。




Lee Perry / Adrian Sherwood
『Dubsetter』



 『Mighty Upsetter』のダブ盤。解体/再構築で作り上げられていく通常のダブ処理とは異なり、ダグ・ウィムビッシュ(b)、デッドリー・ヘッドリー(sax)、ブラジル録音のパーカッション部隊等新たなプレイヤーを投入し、数曲では大幅にパートが追加され、ほぼ別ヴァージョンと言うべき楽曲に生まれ変わっている。





『People Funny Boy: The Genius Of Lee Scratch Perry』


 セレクターとしての活動や、良質再発レゲエ・レーベル、Auraluxを主宰する、”リー・ペリー研究家”の権威、デヴィッド・カッツ著によるリー・ペリー研究本。貧しく幼かった頃、実験的なレコーディングの様子、縁のある人々のインタビュー、謎のブラック・アーク・スタジオ焼失の原因、ボブ・マーリーとの意外な関係や、コクソン(スタジオ・ワン)、デューク・リード(トレジャー・アイル)との関係性など、本書でしか読むことの出来ない謎多きリ−・ペリーの本当の人間性を、膨大な時間と取材量で浮き彫りにしている。



定本 リー“スクラッチ”ペリー

『定本 リー“スクラッチ”ペリー』


 世界進出直前のボブ・マーリー(ウェイラーズ)の音源を始め、伝説のブラック・アーク・スタジオから誕生した名作、自らが歌ったアルバムなど、彼が手掛けた作品は、ソースが怪しげな海賊盤まがいのものも含め、膨大な量が存在。本書は、その数々のレコード/CDから約250枚を厳選し、検証していくリー・ペリーの“ひとりディスク・ガイド”。さらに、レアなヴィンテージ・シングル紹介、使用機材考察、過去の貴重な雑誌記事再録などで、偉大なる足跡を辿る。

































































































Lee”Scratch”Perry
(リー”スクラッチ”ペリー)
1936年3月20日、ジャマイカ、ハノーヴァー教区ケンダル生まれ。本名レインフォード・ユー・ペリー(Rainford Hugh Perry)。1960年頃、キングストンに上京し、音楽で生計を立てることを決意。コクソン・ドッドのオーディションで歌った「Chicken Scratch」が強烈なインパクトを残し、”スクラッチ”と呼ばれるようになった。ドッドの元でA&Rやレコーディング・ディレクターなどを務め、66年にはジョー・ギブスのプロダクションに入る。ドッド、ギブスの元でプロデュース・スキルを高めるも正当な評価はされず、「People Funny Boy」などで、元ボスの不当な扱いを告発。と同時に、同曲は、リズムや効果音(SE)の面でそれまでになかった斬新なプロダクションを生み出し、ロックステディとはまた異なった新しいレゲエ時代の到来を告げる1曲として知られるようになった。このヒットを契機に、68年頃、自身のプロダクション:アップセッターを始動。設立当初は、クランシー・エックルズ、ナイニー”ジ・オブザーヴァー”ホルネス、バニー・リーといった仲間たちと共同作業を行なっていたという。ここでバックを付けていたハウス・バンドをアップセッターズと呼んでいる。USのR&Bスタイルをたっぷり吸収したソウルフルなインスト・サウンドと歌モノを多数送り出し、69年には「Return Of Django」の大ヒットを放つ。後のウェイラーズのボトムを支えることになるアストン&カールトン・バレット兄弟を擁したヒッピー・ボーイズ(=第2期アップセッターズ)時代には、さらに太くエッジの利いたサウンドを繰り出し、英国でも大きな人気を博した。そして、ボブ・マーリーを中心とするウェイラーズのプロデューサーに就任したリー・ペリーは、70〜71年を中心に、『Soul Rebel』、『Soul Revolution 2』といった彼らのクラシック作品を多数世に輩出した。ウェイラーズの基礎を育て上げた後は、ジュニア・バイルスのプロデューサーとして、実験的なミキシングや独創的なエフェクト処理を行い、その後のダブ・ミュージックの誕生を大いに匂わせる作品を作り上げている。73年、世界最古のダブ・ミックス・アルバムと呼ばれる『14 Dub Blackboard Jungle』をキング・タビー・スタジオで完成させる。同年末には、キングストン近郊の自宅裏庭にブラック・アーク・スタジオを完成させた。『Revolution Dub』を皮切りに、『Musical Bones』、『Kung Fu Meets The Dragon』、そして、マッド・コラージュの極致にしてルーツ・ダブの金字塔『Super Ape』を76年に創造。さらには、ジャー・ライオン、マックス・ロメオ、ヘプトーンズ、プリンス・ジャズボ、ジュニア・マーヴィン、コンゴスらの傑作アルバムを産み落としていくことになる。
その黄金の根城も長く存在することを許されなかった。経済的な問題から生じたミュージシャン・シップの不協和音、あるいは、ボブ・マーリーがガンに冒されていることをしった心痛・・・様々な心的ストレスがリー・ペリーをアルコールとハーブ漬けの日々に追い込む。79年、ブラック・アーク・スタジオは、5年という短い歴史に幕を閉じた。ブラック・アーク、つまりは、ジャマイカを飛び出たリーは、80年代に入るとニューヨークを彷徨っていた。ストレスの引き金となった黒人ドレッドロックスとの交流を避け、白人バンド、テロリスツ、マジェスティックスらをバックに付けたアルバムを発表。83年、ジャマイカのジョー・ギブス・スタジオで録音をするも、廃墟となり果てたブラック・アーク・スタジオが漏電を原因とする火災で焼失。あらためて活動拠点をイギリスに移すことを決意する。On-Uのエイドリアン・シャーウッドの出逢いなどにより、創作活動をふたたび活発化させ、数多くのアーティストへの客演、リミックスもこなし、80年代末には、渡米してワッキーズへの吹き込みも行なっている。同時期、スイス人のプロモーター、ミレイユ・キャンベルと懇意になり、チューリッヒに移住している。92年には初のアジア公演を日本で成功させ、95年以降は、アリワのマッド・プロフェッサーとの共同制作を多数行い、今日までライヴ活動もコンスタントに展開している。2008年には、エイドリアン・シャーウッドと三度組んだ『Mighty Upsetter』をリリースし、老いて尚盛んな創造意欲とパフォーマンスをまざまざと見せつけてくれている。




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