1988年、Catは、活動の場をアメリカに移し、自らのレーベル=Wild Apache Productionを設立。後に、Shaggyを手掛けた凄腕プロデューサー、Robert Livingstonのプロデュース及びセルフ・プロデュースのもと発表された『Sweets For My Sweet』は、Catの人気を不動のものにしました。 1991年には、いよいよColumbiaとメジャー契約を果たします。 メジャー第1弾となった1992年のアルバム『Don Dada』は、さほどヒップホップ・テイストを練り込んでいない内容ながら、レゲエ界のみならずヒップホップ界でも絶大な人気を博し、30万枚以上の売り上げを記録するメガ・ヒットとなりました。
この当時、Catがヒップホップ・シーンに与えた影響・衝撃はかなりのもので、ヒップホップ・サイドからの客演・出演オファーが殺到したのもこの頃でした。ビルボード1位を記録した、Kris Krossのデビュー・シングル「Jump」への客演や、自身の「Dolly My Baby」のBad Boyリミックスに、デビュー前のNortorius B.I.G.が参加したり、Hip Hop Mixでは、Mary J Bligeがフックを歌ったり、「Dem No Worry Me」では、Heavy Dと共演したりと、まさに「ヒップホップとダンスホールの架け橋的」役回りを図らずも行なった、クロスオーバー・オーソリティーでもあったわけなのです。
95年の通算5作目『The Struggle Continues...』を最後に、オリジナル・アルバムのリリースには至ってないものの、ロック・グループ、Sugar Rayとの「Fly」や、R&Bグループ、112との「Na Na Na」など、近年も数多くのラヴコールを受けた客演仕事をこなしています。 2002年には、Catへのプロップスを公言していたPharrell WilliamsのNeptunesによるStar Trakレーベルと電撃契約(即・契約破棄)を果たし、「Dons of Dons」で共演も実現しました。
N.Y.に活動の場を移し、92年にColumbiaから発表したメジャー・デビュー作。Heavy Dをフィーチャーした「Them No Worry We」をオープナーに、「Ghetto Red Hot」、「Them No Care」、「Dolly My Baby」、「Don Dada」、「Nuff Man a Dead」といった、今でも現場のサウンドには欠かせないダンスホール・クラシックが数珠繋ぎ。
80年代〜90年代のダンスホールのヒット曲を集めたVPコンピ「Dancehall 101」の第2弾。Tequnicsからの特大ヒット「Boops」を収録。女の子を囲う金持ちのパトロン・ネタで、リディムは、Marcia Griffithの「Feel Like Jumping」のリメイク。
V.A.『Cipha Sounds Dancehall Classics Vol.2』
Super Catの「Dolly My Baby(Extended Hip Hop Mix)」には、Bボーイには辛抱たまらん仕掛けがたっぷり。Bad Boy総帥Puff Diddy(現・Diddy)が、Herbie Hancockの大ネタを用い手掛けた、スーパー・ドープ・リミックス。Mary J. Bligeもフィーチャーされた、完全Uptown仕様★