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映画『Factory Girl』特集

Tuesday, March 25th 2008

無題ドキュメント
MUSICA x HMV コラボレーション
月刊音楽雑誌「MUSICA」xHMVのコラボ企画連載
  Contents


   Fashion - ファッション -
 
アンディといた時・・・私はジャズ・バレエを1日2回踊った。
・・・だれもこんなダンスで楽しい気分になるとは思ってなかったけど、レオタードを着てつま先で立ってみた。
レオタードにTシャツ姿の私を、新しいファッションとしてヴォーグ誌が撮っていった。

        ――――イーディ・セジウィック


    ファクトリーの忠実な再現と共に、鮮やかに甦った60年代のファッションも映画『Factory Girl』の見所の一つ。スタッフにとっても、この独特なセンスとスタイルでファッショントレンドを作りあげたイーディを描くことは何よりの楽しみとなった。価値観に変革が起きていた時代を軽やかにそして斬新に生きた人々を表現するために、何よりイーディというアイコンを愛していた衣裳デザイナー、ジョン・ダンが抜擢された。ジョンは『ベティ・ペイジ』(50年代の伝説のピンナップ・ガールを描いた作品)、『カジノ』(マーティン・スコセッシ監督)を手がけており、衣裳が大きな役割を果たす作品で活躍していた。以前より、イーディというアイコンに魅了されていたジョン・ダンはこのプロジェクトを心から喜び、衣裳デザイナーとしての仕事に深い愛情で携わった。

     60年代という時代は多くの記録、資料が残っている時代であり、イーディ・セジウィックのそのカリスマ性や強烈な容姿も多くの写真や映像で見ることができた。 1965年、彼女がウォーホルと出会った時、イーディは大きなファッション・ニュースとなった。時代のモードとなったイーディのスタイルは、黒のタイツ、ハイヒール、シフト・ドレス(細身のシルエットのドレス)、スリンキーのトップス、ブロンドのピクシー・カット、大きな目を更に際立たせる独特なアイメイク、大きくぶら下がるイヤリングなど、50年代の保守的な装いとは一変し、自由でセクシーな時代の気分を誰よりも強烈に体現していた。

     時代を作り上げたキャラクターであるイーディ、ウォーホル、ボブ・ディラン、ファクトリーのメンバーたちのために、象徴的な衣裳は細部まで丁寧にデザインされ、再現された。 何より、現代とは生地が異なる本物のヴィンテージにこだわり、専門店の「The Way We Were」、「Paperback Princess」で衣裳を探し、イーディが最初のモデルだった、ベッツィ・ジョンソンの協力も得た。これら本物の60年代ファッションは、シエナ・ミラーの見事な着こなしによって、どのシーンを切り取っても今でも新鮮なモードの香りに満ちて、イーディというアイコンを生き生きと甦らせる重要な鍵となった。 こうしたダンの情熱はイーディだけでなくウォーホル、ボブ・ディランの衣裳にも注がれた。

     1950年代、ファッションに夢中になり、たくさんのファッションのイラストを描いていたウォーホルは時代の先にあるものを感じとり、カメレオンのようにスタイルを変化させた。青白い顔、ブロンドに染められた髪など自分の特徴を際立たせていたウォーホルのイーディと出会った当時のスタイルを蘇らせるために、ビートルブーツをはじめ、多くのヴィンテージが用意された。唯一障害となったのはピアースの鍛え上げられた体をウォーホルのファッションに合わせることだった。しなやかなピアースの身体とは異なり、ウォーホルは少し病的で不格好な着こなしをしていたため、ダンはピアースがかっこうよく見えないように工夫を施し、ウォーホルを再現した。

     ヘイデン・クリステンセンが演じる、ウォーホルとは正反対の、社会問題に対して強い意識を抱く、セクシーで情熱的なロック・スター、ボブ・ディランの衣裳には、肉体的、精神的にロマンティックな雰囲気を持たせつつ、お洒落に無頓着でクールな印象を与えるように、レザージャケットやヴィンテージのスカーフ、帽子などの小物が用意された。

     ファクトリーのメンバーを演じる俳優の衣裳合わせでは、まさにファクトリーの精神のように、衣裳箱をメンバーに渡し、自分なりの組合せやスタイルを自由に作ってもらった。映画を制作している間、当時の“ファクトリー”の精神が皆に浸透し、適度な緊張感と自由さ、想像力の素晴らしさがそのままスクリーンに反映されたのだと、ダンは語る。



      Episodes & Background - エピソードと時代背景 -
イーディ・セジウィック(
&アンディ・ウォーホル()周辺の出来事

世相・出来事
1963年
次兄ミンティが26才の誕生日を前に自殺
チャック・ウェインと出会う
彫刻を学ぶためマサチューセッツ州ケンブリッジへ
「ファクトリー」と最初のアシスタント、ジェラード・マランガ
16ミリ映画『Sleep(眠り』制作
ビートルズのアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」、全英29週連続1位を記録
ワシントン大行進
フィリップス社がカセットテープ発売
ケネディ米国大統領暗殺
1964年
ニューヨークへ・・・社交界で注目の的に
パリで個展・・・ケネディ暗殺事件直後に制作した「ジャッキー」を出品
レオ・キャステリから契約の申込
エンパイア・ステート・ビルを8時間撮り続けた「エンパイア」を撮影
女性がファクトリーに入り「マリリン」に発砲
ビートルズ訪米
ビートルズ、全米チャートで1〜5位を独占、11曲同時チャートイン
東京オリンピック開催
1965年
初の全作品展示「フィラデルフィア展」
映画プロデューサーのレスター・パースキー宅のパーティでイーディとウォーホルが出逢う
映画『Poor Little Rich Girl』『ビニール』『Beauty #2』『チェルシー・ガールズ』にイーディが出演
米、北ベトナム爆撃開始
ニューポート・フォーク・フェスティバル開催・・・P・バターフィールド・ブルース・バンドをバックに歌ったボブ・ディランが聴衆に罵倒される
ボブ・ディラン『Bringing It All Back Home』リリース
ボブ・ディラン『Highway 61 Revisited(追憶のハイウェイ)』リリース
米、黒人運動指導者マルコムX暗殺
1966年
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのツアー「エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル」が実現
一流アートディーラーであるキャステリのギャラリーで個展・・・「牛の壁紙」「空飛ぶ銀の枕」出品
ドラッグに溺れて死んでしまう女性を描いた映画『ルペ』にイーディが出演
ファクトリーの新しい”スーパースター”、イングリット・スーパースター現る/ヴィヴァがファクトリーのメンバーに
ウォーホルとイーディ、決別
ボブ・ディランと付き合うが破局
タバコの不始末でアパートが火事に
ボブ・ディラン『Blonde On Blonde』リリース
ボブ・ディランがウッドストックの自宅近くでバイク事故
ボブ・ディランがサラ・ラウンズと結婚
ビートルズMBE勲章受章
1967年
ファクトリーの1日を撮った24時間映画『☆☆☆☆(フォースター)』、ヴィヴァ主演『バイク・ボーイ』公開
生涯最後の映画となる『チャオ・マンハッタン』に出演
様々なアーティストが住むチェルシー・ホテルに引っ越す
ドラッグ中毒のため入院、カリフォルニアの家族のもとへ
父フランシス死去
第1回モンタレー・ポップ・フェスティバル
事故後、隠遁生活に入ったボブ・ディランがザ・バンドと「地下室」セッションを行う
1968年
精神病院を脱走、強制入院・・・見かねた母アリスがラグナ牧場に連れ戻す

故郷の牧場での数ヶ月の生活のあと、地元カリフォリニアで一人暮らしを始める
ヴァレリー・ソラニスに撃たれるが奇跡的に助かる・・・以後ファクトリーはごく近しい者のみ入ることが許された
ベトナム戦争において、南ベトナムの共産ゲリラが蜂起、テト攻勢開始
マーティン・ルーサー・キング暗殺
ロバート・F・ケネディ暗殺
プラハの春: ワルシャワ会談
ワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに軍事介入
ボブ・ディラン事故からの復帰第一作『John Wesley Harding』リリース
1969年
地元カリフォルニアの路上で薬物所持で逮捕。判決後、ドラッグ中毒者としてまたも地元の病院に入院
同じ病院に入っていたマイケル・ポストと出会う
「インタビュー」誌創刊
ウッドストック・フェスティバル開催
ボブ・ディラン『Nashville Skyline』リリース
アポロ11号が人類初の月面有人着陸
オルタモントの悲劇(ローリングストーンズのフリーコンサートで死者)
1970年
キャステリらの勧めで著名人のポートレイトを注文制作し始める・・・お金にならない映画と違ってアンディに利益をもたらした
未完成だった映画『チャオ!マンハッタン』撮影再開・・・当初の企画と異なり、彼女自身が60年代を回想するという形式へと変更される
ワイト島ミュージック・フェスティバル開催
日本万国博覧会(大阪万博)開催
ビートルズ解散
ジミ・ヘンドリックス死去
ジャニス・ジョップリン死去
1971年
ロンドンで実験演劇「ポーク」公演
マイケル・ポストと結婚
ある朝、夫がイーディの死を発見・・・検視の結果は薬の服用過多
セジウィック家のオークヒルの墓地に埋葬・・・死亡記録には「職業:女優」と書かれていた
イーディの死をアンディは電話で知る・・・そのときアンディは、彼女の財産を夫が継ぐのかとだけ聞いたといわれる。
ジョージ・ハリスン主催によりバングラデシュ難民救済コンサート開催
ジム・モリソン(ドアーズ)死去
ニクソン・ショック

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