SOZORO ×あがた森魚 対談 3
Monday, August 13th 2007
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“はっぴいえんどが全て変えたわけじゃないんだけども・・・”
吉原:その時、勝さんも一緒に出てて、 あがた:渡辺勝さん。 吉原:もう僕は、ずっと聴いていた人が、こう一緒にできるのもそうだし、リハから聴けるっていうので、もう一人ちょっと、お客さんよりも感動して(笑)感無量で。 HMV:そのとき自分の演奏はどうでした?ちゃんとできましたか? 吉原:う〜んもう覚えてないですね。 笠原:本当? 吉原:でも、かけてくれた言葉が、覚えてるかどうか分からないですけど、素晴らしかったよという風に言っていただいたのはもう、それだけで今日は良かったと。 あがた:そっか〜。 吉原:あっ覚えてない(笑) あがた:う〜ん、いや、良かったことには違いない! 神楽坂にも出てもらったよね。その後ね。 笠原:そのときはあがたさんの曲にご一緒させて頂いて。 吉原:一緒に、最後に一緒にやったり。 あがた:でもさ、わりとこういう音楽のジャンルというか、まぁある種の…エスニックっていう感じしないよなぁ、やっぱりなんていうか、近代洋楽っていうのも変だけど、なんか日本に異文化が入ってきたころのなんか、おののきとか、驚きのようなさ、ああいう感じが、聴いた全体の感触からは伝わってくるんだけどさ、その辺はどうなの? 吉原:僕自体は、あの、ジャンルにかかわらず20〜30年代の音楽が、けっこうすごい、年代で買ってるところがありまして。まあフォークにしても、ブルースとか…。 あがた:ある程度年代で区切って聴いたりとか。 吉原:することがありますね。そういうのが最近好んでいたのもあるので、かもしれないですし。あと、やっぱり日本人がやるからこそ意味があると思って、こういうのをやっているんで、異文化のものを日本人がやるこの気持ち悪さと、おもしろさと、このずれた感じがうまく出ればいいなと。できるだけ日本語を使ってやることを意識して、 笠原:そのジャンルにのめりこむって感じじゃなくてね。 吉原:そのへんがその、当時入ってきたその異文化に、驚いているような感じで、必死に何か取り入れようとしてるんだけどこう…
笠原:なりきれないような(笑) 吉原:(笑)なりきれないところがあって。そういうところがなんか、今となってはとても、本当はそれが良かったんじゃないか?と思うんですけど。SOZOROもなんかそういうニュアンスでやっていけたらいいなとは思ってます。 あがた:そうだね〜。なんか遠い未来の話をしてもしょうがないんだけど……。日本人が創っていくポップスっていうのは、例えば20世紀の中過ぎごろに、例えばはっぴいえんどが突然登場して、はっぴいえんどが全て変えたわけじゃないんだけども、はっぴいえんどや、そこの同時代的に音楽を始めた人たちが、日本の音楽産業のたまたまその時期のそれまでの歌謡曲、ポップスから、そのニューミュージック的なものが出てきて、彼らが、新しいクリエイターとしてその中に乗り込んでくるみたいな、一つの大きな歴史の流れの中でそういうことがあった んだよね、ただそれだけのことっていたら、それだけのことなんだけど。 服部良一とか古賀政男とかさ、そういうすごい人たちが創ってきた音楽を、一回塗り替えたかもしれないぐらい大きな流れを新しく作り、で、一般のアーティスト達、若手のね、僕も含めて、シンガソングライターとか自分達で音楽を創り始めた人たちがそっから出てきてさ、でそれが結構アメリカとかブリティッシュビートとか、あるいはもっと、世に言うワールドミュージック的なものとか、国とか、西洋的なアメリカンポップスもあれば、ヨーロッパもあれば、非西洋的なものもあれば、もうだんだんさらに混沌となりながら20世紀が終わって。
これから、SOZOROなんかもある一翼になっていくんじゃないかと思うんだけど、やっぱりジャンルにとらわれない…っていうか、とらわれる、とらわれないじゃなく、好きなもの創ってるわけだから、まさにそれが正しい答えなんだけども。
たかだか、言語ね、商品価値としてインターナショナルって言うことじゃなくて、互いに、無邪気に交易っていうかね、表現を交錯しあうっていう、非常に素朴な流れの中で、やっぱり日本語というと、黄色人種が、とあるアジアの言葉で歌ってることの、まだ限定されているところはあるような気がして。 わかんないだけどね、これから先わかんないよ、そのこと自体を言いたいんだけど。それが100年後なのか200年後なのか、西洋的っていうか、それはラテンなのかそれともアングロサクソンなのか、でも今日的な世界の、世界情勢とか、よく言われる9.11以前、以降のああいう社会的流れとか……、そんなことで歌1曲創ることと何関係あるんだって言えばそれまでかもしれないし、別になんとなく東京とか、東京も例えば50人100人、人の集まるスポットで僕らの歌が分かち合えたらそれで何の問題も無いわけなんだけど。 でもやっぱりなぜこういうジャンルの音を創るか、僕も今回『タルホロジー』っていう新しいアルバムでやっぱり久保田麻琴のプロデュースだけども、やっぱり結構ブラジルの音ブラジルのアーティストとコラボレーションしてアルバム創ったりして、血を混ざり合いたいっていうすごい欲求があるわけだよね。 あがた君なんてもう本当日本人のドメスティックな3拍子のワルツのようなものを歌ってればピッタリの人かもしれないけど(笑)欲求とか欲望はあるわけだよね。 なんかこれだけじゃ俺の歌じゃないぞと、確かに、今のままでも俺の歌なんだけども、なんかもっと混ざり合いたいっていう、その初念的ななんか非常に無邪気なそういうものへのこう、なんかキラキラしたものへの欲求っていうか願望みたいなものがすごくSOZOROの新しいアルバムにも感じられるっていうか。 すごく僕のデビューしたころの『乙女の儚夢』とかあの辺のアルバムの感じともすごく通じるよね。 吉原:まあ少なからずやっぱりあると思います。(笑) あがた:だって、今もっとリアルタイムなリズムの作り方っていうか、これがリアルタイムじゃないってことじゃなくてね、もっとなんて言うんだろう、もっと流通のしやすい、もっと分かりやすい…ではないわけだよね。多分少なくとも俺が感じる限りではだよ。 だからそれを無邪気にやり、自分たちらしくやり、それをメーカーがちゃんと形にして、流通させようとしてることが、僕はなんかすごく、これはもう本当に蓄積して一つ一つ創り続けて欲しいなぁと。 吉原;あがたさんはいつもアルバム作るときは、もうあらかじめもうこういったアルバムを作ろうとか、最初に何か漠然とあって作るんですか? あがた:色んなケースがあるよね。デビューアルバムの時なんかは、なんだろうな、林静一さんの「赤色エレジー」っていう漫画からインスパイアされたシングル曲のヒットがあったから、それをコアにしたんだよね。 幸子と一郎の70年代初頭の、四畳半のアパートに住んでる男の子と女の子の物語なんだけど、その小さなアパートを、ふぁ〜っとこう広げたときに日本の近代の、男の子と女の子達がどんな風に出会ったり、例えば明治、大正…、大正ロマンティシズム、大正モダニズムなどがあり、で、第一次大戦、第二次大戦がありこういう歴史の中で、彼らはどういうものをこう、男と女としても、それから社会との関係の中でも、で、その末裔のとあるカップルとして幸子と一郎が今1972年ここにいるってことは、どういうことなんだろうっていうことを、一枚のアルバムにしようと思ったわけ。
だから、なんか大正モダニズムとかそういうこととか全部、こういう近代洋楽との出会いとかそういうものをこう、色んな角度で取り入れてみたいなっていう。
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