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A.A.E. HMV独占インタビュー

Wednesday, June 20th 2007

  インタビュー
  Akoya Afrobeat Ensemble
アフリカ〜ナイジェリア/ラゴスでフェラ・クティとトニー・アレンらによって創造されたレベル・ミュージック〜戦う音楽”アフロビート”。 そのスピリッツ(精神)はアメリカのNYCでも受け継がれ、大きなムーブメントとなり、世界中に強烈なヴァイブレーションを発しています。フェラ・クティ没後10年となる今年(2007年)にセカンド・アルバムをリリースしたアコヤ・アフロビートの中心メンバーであるYoshi Takemasa氏にインタビューに答えて頂きました。HMVエクスクルーシブです!

Akoya Afrobeat Ensemble
  Akoya Afrobeat Ensemble
―― 2ndアルバム『P.D.P.(PRESIDENT DEY PASS)』のリリース、おめでとうございます。まずは、この機会にAKOYA AFROBEAT(以下AKOYA)を知ったリスナーに対して、AKOYAのバイオグラフィをお教え下さい。


Akoya Afrobeat Ensemble: 2002年3月にナイジェリアのFela Anikulapo Kutiが創った音楽"アフロビート”に影響されニューヨークで結成しました。13人の個性ある南アフリカ・日本・ナイジェリア・ベニン・アメリカ出身メンバーで構成される多国籍大所帯バンドです。 "アフロビート”は60年代後半〜70年代にFela Anikulapo KutiとドラマーのTony Allenのコンビが、西アフリカで当時流行っていたHighlifeにアフリカン〜アフロキューバン〜ジャズ〜ファンクを融合し確立された音楽です。


―― 同じNYを中心に活躍するKOKOLO AFROBEAT ORCHESTRA(以下KOKOLO)から分派し、新たに結成されたのが、AKOYAとの事ですが、KOKOLO、ANTIBALASも含め、NYには、どれくらいのアフロビートをやるグループがいるのでしょうか?また、NYのアフロビート・シーンの盛り上りはどのような感じなのでしょうか?


Akoya Afrobeat Ensemble: NYには、Felaが亡くなる前からアフロビートを演奏するアーティストがいましたが、10年前のAntibalasの登場によってより多くの人達がアフロビートを体験できるようになっています。そして彼らの活躍に由ってFelaの事を再認識し、世界中でアフロビートに影響を受けたグループが生まれています。 これはアフロビートの持つパワーをより多くの人達が必要としているという事だと思います。 NYCに限らずこれは世界で起こっている大きなムーブメントだと思っています。 これからもっとAfrobeatは世界中に浸透していくと思います。僕らはそのムーブメントの中心になれるようがんばって行きたいと思っています。


―― ここ最近、人種の坩堝であるNYからアフロビート・シーン同用に、自分達のルーツ・ミュージックをしっかり持ちながら、前に進んでいる(プログレッシブな)カッコいい音楽/グループを聴く機会が多いです。例えば、Nuble(クラブ/レーベル)のLOVE TRIO IN DUB、FORRO IN THE DARK、J DUB(レーベル)のBALKAN BEAT BOXといったグループがここ日本でも人気があります。今のNYには、70年代のサルサ、80年代のヒップホップ/ハウス・ミュージックがそうであったように、アフロビート・シーンを含め、新しいムーブメントが発信されるべく、何かがあるのでしょうか?また、上記のNuble、J DUBとリンクがあるようでしたら、お教え下さい。


Akoya Afrobeat Ensemble: NYCは、いつの時代においても常に新しいムーブメントが発信されてきています。その背景にはミュージシャンやアーティストの集まる商業利益度外視/アート重視のクラブ、それをサポートするニューヨーカーの懐の深さとの綿密な関係の元に成り立っています。 全ての始まりは人と人同士の繋がりであり、その繋がりの大きさ・深さにおいてはNYCは特別な場所であると思います。 これからもNYCを中心とした素晴しい色々なシーンが生まれていくと思います。

NubleのシーンとAkoyaの繋がりは、Akoyaのもう1人の日本人メンバーであるドラマーのYoshio Tony Kobayashi君です。 彼はとても才能のあるAfrobeatドラマーでもあり同時にDUB/Reggaeドラマーでもあります。 彼の所属するDubNoMadsはよくNubluで活動しています。


―― 2ndアルバム『P.D.P.』は、曲の尺(長さ)も長くなり、伝わってくるヴァイブレーションが凄く、ダンスする為の”アフロビート”、そして、戦う音楽としての”アフロビート”をディープに感じるのですが、2004年にリリースされた1stアルバムとの違いは、スバリ、何でしょうか?


Akoya Afrobeat Ensemble: 前作は、バンドを始めて約1年半というまだ若い状態で手探りの中、生まれた作品でした。今作品では、僕も含め他のメンバー達が、Afrobeat/Felaのコンセプトをより深く理解し、Akoya独自のAfrobeatで挑戦した作品になっています。


―― メンバーのKaletaはFela Kutiのエジプト80のメンバーだったとの事ですが、FelaKutiのスピリッツ ( 精神)が間違いなくAKOYAにはある事が、アルバムから伝わってきます。どのようにしてその遺志を受け継ぎ、活動されているのでしょうか?また、現在、Felaの息子の1人、Seun Kuti がエジプト80を率いて活動しているようですが、このSeun Kuti & The Egypt 80とのリンク、共演があった(ある)ようでしたら、エピソードを含め、お教え下さい。


Akoya Afrobeat Ensemble: Femi/Seunは、Felaからのエネルギーを直接受け継いで、Lagosから世界に現在のNigerian音楽シーンでのAfrobeatの位置を表しています。 NYCでAfrobeatを演奏している僕たちは、Felaのエネルギーを音として受け、人種の坩堝・世界の首都であるNYCから、人種・世代を越えてAfrobeatをよりGlobalな位置に持っていく役目があると思っています。


―― 2ndアルバム『P.D.P.』は、レゲエ/ナイヤビンギの代表的なラスタ集団であるカウント・オジー&ミスティック・リヴェレーション・オブ・ラスタファーライ(MRR)〜ライト・オブ・サバでフルート/サックスを吹いていたセドリック・イム・ブルックが参加してますが、客演の経緯をお教え下さい。それと、目を引く『P.D.P.』のジャケットのアートワークは、Fela Kutiのアルバムを手掛けたオリジナル・ペインターであったレミ・ハリオクが担当されてますが、どのような経緯で、ペインティングされたのでしょうか?


Akoya Afrobeat Ensemble: 全ての人との出会いは“必然性のある偶然”であると常々感じています。 CedricとLemiとの出会い・経緯もそれを強く感じています。  

Cedricとの出会いは、2000年に僕の友人であり先生でもあったJamaica人クミナドラマー"Leaford Macfarlan"からの紹介でした。 当時Cedricは、カリビアンミュージックオールスターの様なバンドを計画していて、僕にコンガ・バタ(CUBA)をやってほしいという事でした。

そのバンドは、彼がスカタライツで忙しくなったため、自然消滅しましたが、その後も度々交流がありました。 その後今から約3年前に彼は、エチオピアへ留学しました。

“Je Je L‘aiye”を録音・編集している時Cedricが偶然エチオピアから帰ってきていて、これは何かのメッセージと思いJe Jeを聞かせて気に入ってもらい、このセッション参加を依頼しました。

彼の新しい録音は、久しぶりだと思います。 貴重な記録です。

AkoyaにCedric'Im'Brooksが加わった事は、彼の成し遂げてきた事が新しい世代に受け継がれた事を意味します。このアルバムを切っ掛けに、より多くの人が彼の作品に出会えれば良いと思っています。
Lemiに頼むというアイデアは、彼に出会う去年の10月の約 2ヶ月前にさかのぼります。 アイデアの出所は、日本の"DJAZZさんのブログ" ちょうどArtistを探している時に、DJAZZさんのブログで彼について書かれていたのを見て、Antibalasが以前彼に頼んだのを思い出し、マーティン(Antibalas)経由でコンタクトを取りました。そのときは、NigeriaとNYでEmailを使って仕事をすることに抵抗を感じて一旦保留したのですが、偶然にもその後彼のNYCでの個展が決まり、一緒に時間を過ごしてお互いに運命的なつながりを感じ依頼しました。  

  今回Lemiに担当してもらう事について、あまりにもストレート(Fela)過ぎるのではないかという考えもありましたが、FelaにインスパイヤーされてAfrobeatを演奏する僕達は、Hiphopと同様にAfrobeatがポピュラー音楽の歴史の中で重要な1つのムーブメントだという事を伝えないといけないと思い、その中心にいた人物の1人であり、アーティストとしてAkoyaの音楽を誰よりも理解でき表現出来る彼に依頼する事にしました。


―― 『P.D.P.』以外に、オススメのアフロビートのアルバムはありますか?


Akoya Afrobeat Ensemble: *Fela Kuti全般*
特にEgypt 80の作品。Egypt 80は、Felaの表現方法の中で非常に挑戦的な物です。これらの作品からこれからのアフロビートが向かう方向を見ることが出来ます。

*Antibalas 『Security』*
このアルバムは、彼らが10年間アフロビートを第一線で演奏し続けてきて到達した、彼ら独自のアフロビートアルバムだと思っています。現在の音楽シーンでアフロビートバンドの様なBigBandを10年経営していくのは非常に難しいことです。それに彼らがアメリカ・ヨーロッパの白人を中心にアフロビートへの扉を開いてきた事は、非常に評価するべき事です。僕らはその後に続いて、更に多くの人に聞いてもらいたいと思っています。


―― 最後に、YOSHIさん、もしくは、AKOYAにとって”アフロ・ビート”とは?


Akoya Afrobeat Ensemble: アフロビートは、人種・世代に関係なく引き込まれてしまう非常にパワーのある音楽です。 Akoyaにとって”アフロ・ビート”を演奏し伝えていく事で、世界中の人達が自分たちにとって何が大事な事か考えてもらえればと思っています。


―― ありがとうございました。
(聞き手:レゲエ耳〜商品&マーケティング部 野見山 実)


(取材協力: Rudiments)
 
 
 
  レベル・ミュージック〜戦う音楽、現代アフロビート・バンド最高峰Akoya Afrobeat Ensemble  
 
Akoya Afrobeat Ensemble

CD P.d.p: President Dey Pass
Akoya Afrobeat Ensemble

いや〜久しぶりに震えました。このような音楽は、時代背景も含め70年代で完結したと思ってましたが、生きているんですネ。レベル・ミュージック〜戦う音楽、アフロビート!(9.11以降がそうさせているのですかね。)フェラ・クティが降臨してます!同世代を生きるアンチバラスを筆頭にモダン・アフロビート・バンドが多数、結成され活躍している訳ですが、その中でもダントツのカッコよさ、抜けています!!M.R.R〜Light Of Sabaのサックス奏者Cedric Brooks他参加。目を引く本作のジャケのアートワークはフェラのアルバムを手掛けたオリジナル・ペインターであったレミ・ハリオクが担当。
 
 

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